日常9
自分の名前を何度も確認する。
この学年に高瀬は二人いるが、片方は女の子であるし、高瀬涼は僕の名前で間違いない。
視線を感じたような気がして、ふっと左へ視線を向けると、八代さんと目が合った。にこりとした笑顔が僕に向けられる。
心臓が跳ねる。血が一気に回り始めたかのような感覚。何か考えようとしても何も考えがまとまらない。嬉しいような、怖いような感じがして、うまくできたかはわからないが、僕もにこりとして視線を前に戻した。
隣の熊が騒いでいるが、何も耳に入ってこない。
まあきっと男とペアだったのだろうと勝手に決めつけ、この状況では会話もままならないと判断して「ちょっとトイレ」と周りの友人に声をかけて講堂を出た。肝試しまであと2時間ほどある。これまでに気持ちを入れ替えなければ。
夜風に当たる。日中は暑いが、夜になって風が出てくると、海辺なこともあって心なしか涼しい。
「高瀬くん、ペアになったね。よろしくね」
と、後ろから声をかけられる。この人に今会ってしまうと、うまく笑える自信がなかったが振り向かない訳にはいかない。
「そうだね、八代さん。こういうホラー系って大丈夫なの?」
できるだけ冷静に、落ち着いて言葉を吐き出す。当の八代さんは「うーん、自分からは進んで見ないかなー」なんて噛み合っているようないないようなことを言っている。
おそらく僕がこんなにも緊張しているとは思いもしていないのだろう。
「高瀬くん。しっかり守ってね!」
満面の笑みで告げられる。この瞬間、僕の中でビビるという選択肢は完全に消えてしまった。
肝試しが、スタートした。