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ナナちゃんとネネくん

作者: 琴瀬 那子

 ぼくの名前はネネって言うんだ。

自分では、動くことが出来ないし

喋ることも出来ない。

 そんなぼくをいつも抱き締めてくれて、「だいすき!」とほっぺにキスをしてくれる女の子がいる。

ぼくのことをいつも側に置いてくれて、色んなところに連れて行ってくれる。

 女の子が、自分のお母さんに「ネネちゃんのこと、本当に好きね」と言われると、「ちがうよ! このこは、おとこのこなの! だから、ネネくんなの! ネネくんは、ナナのこいびとなんだよー!」と答えていた。

 だから、ぼくはこの子の恋人なんだ。

 女の子の名前はナナちゃん。

元気で可愛くて、ぼくだってナナちゃんに一目惚れしていた。

ぼくを手に取ってくれた時から、ずっとナナちゃんのことが大好きだった。



 「いってきます!」

「いってらっしゃい、気を付けてね」

ナナちゃんは、毎朝、幼稚園という所にバスで行くんだ。

ぼくは一緒に連れて行ってくれない。

前にナナちゃんが、「ネネくんも連れて行くのー!」とお母さんに言った時、

「他のお友達に取られちゃうかもしれないから、ネネくんはお留守番なのよ」

と、ナナちゃんを窘めていた。

幼稚園には、ぼくのことを奪ってしまう誰かがいるのかもしれない。

ちょっと怖くなったので、幼稚園に一緒に行けなくてもいいかと思えるようになった。

 毎日、夕方まで家でお留守番。

部屋の片隅で、ぼくはじっと待っていることしか出来なかった。

本当はもっとナナちゃんと遊びたいけど。

仕方ないんだ。帰ってきたら、また遊べるから。ぼくを抱き締めてくれて、ただいまーって言ってくれるから。

おかえり、って言いたいけど、ぼくは喋ることが出来ない。

その代わり、心の中で微笑んでいる。

いつか、伝わるといいなって思っている。


 ぼくはナナちゃんの恋人だけど、言葉を交わすことも、ぼくから触れる事も叶わなかった。

何でこんな姿なのだろう。

何でぼくは、人間じゃないのだろう。

 でも、こんな姿をしているから、ぼくのことを好きで居てくれるのかもしれない。

ぼくはこのままでいいのだ、きっと。

ナナちゃんは、ずっと好きでいてくれる。

そう、信じていた。


 そして、それから年月が流れ、ナナちゃんはもっとお姉ちゃんになっていった。

今度は、小学校という所へ行くようになった。

赤いランドセルという鞄を背負って、満面の笑みで毎朝「いってきまーす!」と、玄関を出て行く。

 その、小学校という所は、ナナちゃんにとってとても楽しい所なのかもしれない。

けれど、ナナちゃんは、家に帰ってからも「宿題しなきゃ!」と言って、机に向かっている。

ぼくを含め、ナナちゃんの遊び相手だったおもちゃ達は次第に使われなくなっていった。


 ある時、ナナちゃんが学校の友達を家に連れてきた。女の子が、2人。

「上がって、上がってー!」

ナナちゃんは嬉しそうに笑っている。

友達2人も、「おじゃましまーす!」と言って、はしゃぎながら家に入ってくる。


 ふと、ぼくの心に何か黒いモヤモヤしたものが、入り込んできたような気がした。

何だろう? 気持ち悪い。何で?


 おもちゃが整理整頓された部屋で、僕はずっとおもちゃ箱の上に佇んでいる。

「どうぞ、お茶だよー!」

「わ、ありがとー!」

「ありがとね!」

3人は、テーブルを囲んで笑い合っている。

「そうだ、皆でこの前録画したアニメ見ない?」

ナナちゃんが提案すると、2人は目を輝かせて「うん! 見たい!」と言った。


 ぼくの中で、黒いモヤモヤがどんどん散り積もって、耐え難いくらいになった。


 ねぇ。ナナちゃん。……ぼくは?

 ぼくとは、もう遊んでくれないの……?


 「あ!! もしかして、あれって」

「ん?」

しばらく、アニメを見ていた3人は、ナナちゃんが連れてきた2人の内1人の子の上げた声で、その子の指差す方を振り向く。

指差されたのは、

ぼく、だった。

 「何年か前、期間限定で発売された幻のぬいぐるみじゃないっ!?」

「え……、あ、ああ。あの子ね」

ナナちゃんは、アニメを停止して、ぼくの場所に向かってきた。

近寄ると、ぼくの頭をぽんぽんと撫でた。

とても久しぶりに、ナナちゃんの温もりを感じた。

黒いモヤモヤしたものが、少しずつ消えて行く。

ナナちゃんは、ぼくを抱き上げると、

「懐かしいなぁー……」

と呟いた。

「いいなぁー、わたしもそれ欲しくてママにねだってみたけど、ダメだったんだよー」

指差した子が、羨ましそうに言った。

もう1人の子は、へぇー、という感じで、余り興味が無さそうだった。

「そっかー。私はこの子……おばあちゃんにプレゼントで貰ったの」

ナナちゃんは少し寂しい表情をした。

ナナちゃんのおばあちゃんは、今、病院に居るらしい。

ぼくにはよく分からないのだけど。

 「そういえば、幼稚園の時、この子のこと『ネネくん』って呼んで大事にしてたなぁ」

心なしか、ぼくを抱き締める腕に力が込められた気がした。

ナナちゃんの表情は、緩んでいて、それでいて何かを諦めたような表情をしていた。

 「あ、ごめんね。ナナちゃん、何か余計なこと言っちゃったみたいだね」

すると、羨ましがってた子が謝ってきた。

「ううん、いいの。……そうだよね、もうそろそろ、諦めた方がいいのかな」

ナナちゃんが何を考えているのか、ぼくにはまだ分からなかった。

けれど、心がチクリと痛むのを感じた。

「何かあったの?」

これまで興味なさそうにしていた子が、口を開いた。

ナナちゃんは首を振って、苦笑した。

「何でもないの。……アニメの続き見ようか? あ、それとも、他のことする?」

そう言いながら、抱き締めていたぼくを、またおもちゃ箱の上に戻した。

温もりがまた離れてしまう。


 それに、何だかこれがナナちゃんと触れ合えた最後なような気がして、とても悲しかった。

 黒いモヤモヤは、無くなったけれど、代わりに青い涙がぼくの心に降り注いだ。

ぼくは泣くことが出来ない。

怒ることも、笑うことも出来ない。

それが、ぼくの当たり前だった。

それなのに、心だけは、動いていたんだ。

ナナちゃんに出逢った時から、ぼくは確かに『生きて』いた。


 その夜、みんなが寝静まった頃、ぼくは静かに思い出していた。

初めてぼくのことを手に取ってくれた人。

しわしわの顔で、嬉しそうに笑って、「うん。あなたに決めたわ」とその人は言った。

その手に触れた時、その瞬間から、ぼくに命が宿ったのだ。


 「よろしくね。ナナちゃんのこと」


 その人の笑顔が、ぼくの心に焼き付いている。

思えば、ナナちゃんの笑顔はその人にそっくりだった。

とても愛らしくて、人を幸せにしてくれるような、そんな素敵な笑顔。


 ああ。そうか。


 あの人が、ナナちゃんの『おばあちゃん』だったんだ。


 そして、ぼくはやっと気付いた。

おばあちゃんは、病院に居る。

その意味を理解した。


 「おはよー。お母さん」

「おはよう。ナナちゃん。

……朝から急なのだけど、お母さんこれからおばあちゃんの病院に行かなくちゃいけないの。お留守番お願いできる?」

「え……。あ、わかった……」

ナナちゃんは、一瞬沈んだ表情をしたけれど、またにっこり笑った。

「お母さん、おばあちゃんによろしくね」

「ありがとう、ナナちゃん」

お母さんは、ナナちゃんのほっぺにそっとキスをした。


 ぼくは、なにもかも、りかいした。

ぼくのこころは、『おばあちゃん』のこころだったのだ。

だから、きっと、もうすぐ。

 もうすぐ、ぼくに、こころはなくなる。

なくなるけれど、そんざいは、きえないはずだ。

『ぬいぐるみ』として、ずっと、そんざいしている。


 ああ、そうか。

ぼくは、とても、しあわせだった。

こころがあって、ななちゃんをすきになれて。

ななちゃんと、であえて、よかった。


 いきる、ことができて、よかった。






 雲一つ見えない、快晴の空。

今日は、色んなことが一篇に起こった。

僕は、空の上の方で、『ナナちゃん』を見ている。

ナナちゃんは、肩を震わせ、人目も憚らず泣いている。

周りの人も、すすり泣きをして、この日に命を引き取った人のことを悔やんでいる。

 「おばあちゃん……っ!」

何度も、ナナちゃんは『おばあちゃん』を呼ぶ。

 とある『ぬいぐるみ』を抱き締めながら。

それには、かつて、心があった。

だが、その心は『おばあちゃん』が亡くなってしまった事で、消えてしまったのだ。

 だからもう、「泣かないで、ナナちゃん。僕がいるよ」と、心の中で想う事も叶わない。


 それでも、その心は、完全に消えてしまった訳ではない。

僕の隣で、微笑む彼女は、僕がまだ『ぬいぐるみの心』として存在することを許してくれた。

 空の上で。

彼女の心は、僕の心だった。

僕の心は、彼女の心だった。

 僕達は、ずっと、ずっと、これからもナナちゃんの事を見守っていく。

それは、彼女の意志で、僕の意志だ。


 僕の心が、きっといつか、ナナちゃんに届きますように。

 彼女の心も、もう充分届いているかもしれないけれど、ずっとナナちゃんの心に宿ってくれていますように。

 空の上で僕達は、笑っていた。

 やっと、僕は、笑うことができた。

 笑えるって、こんなに嬉しいことなのだな。

 知らずに、涙まで出てきた。

 ナナちゃんの事が大好きだった。

 それは心が無ければ、知り得る事のなかったものだろう。

 だから、ほんとうに、嬉しい。


 「こんなに想ってくれる孫を持って、わたしは本当に幸せだよ」

彼女は微笑んで、言った。

 僕も心からの笑顔で言う。

「生まれて来ることが出来て、本当によかった」




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