表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/14

第7章 宿怨の帰還(前篇)

1.


 鷹取家参謀部が緊急の検討会を開催したのは、4月も末になってからのことであった。

 議題はずばり、

『この半月余りで急増している妖魔の出現件数及び出現個体数について』

 である。

 2日前に開催が決まったということで、やや空席が目立つ大会議室。その上座に、仙道たずなはいる。

 彼女が座る隣りで、副参謀長が空咳をした。検討会が始まるようだ。

「では、緊急検討会を始める。参謀部の諸君には、ゴールデンウィークも始まろうというこの日に集まってもらい、まことに申しわけない」

 まったくだわと口には出さず、たずなは憮然たる表情を隠して微笑を浮かべた。自身が経営するセレクトショップもまた、ゴールデンウィークは世間一般のお店と同じく掻き入れ時なのだ。

「ではあいさつはこれまでにして、早速検討に入ろう。袴田(はかまだ)君、頼む」

 袴田主任参謀が手元の端末を操作すると、3月中旬から一昨日までの出現件数が日別で棒グラフとなって、参加者各自の前に設置されたモニターに表示された。続いて、長爪及び金剛の出現個体数が日別の延べ数でグラフ表示され、先のグラフ脇に重ねられる。

「――このように、4月中旬から件数、個体数ともに大幅な伸びを示しています。過去50年、これは確実なデータとして残っているのがちょうど50年前からなのですが、このデータと比べても、異常と言えるほどの増加率です」

 スクリーンを見ながら概要を確認していると、ふと気になる点を見つけた。モニターのタッチパネルで過去の詳細なデータを確認して、凝視する。この年月日、これは――

 袴田主任参謀の説明はまだ、過去におけるこのような短期間の大幅増加についてのさわりに入ったところだ。

(遅い……)

 だが、彼女はまたも自重する。ちらりと視線を走らせると、他の参謀たちはスクリーンを眺めながら袴田の説明を咀嚼している段階のようである。それはタッチパネルを操作しているのが彼女独りしかいない事で分かった。

 同時に、袴田の突き刺すような視線を感じる。目を向けるまでもなく、『俺の説明中に余計な事をするな』という顔をしているだろう。

 だが、彼女はデータの解析と、それに基づく思考を止める気はない。彼女もまた、袴田と同じ主任参謀であり、この事態への分析と対応策を考えておかねばならない立場である。それ以前に彼女は、あの子(・・・)の友人でもあるのだ。



「あれ? 店長は?」

 理佐が出勤した『Le femme,le femme!』にはたずながおらず、代わりに琴音と鈴香がいた。今までにもあったことで、何かの用事だろうとは思うのだが、聞いてみずにはいられない。なにせこのあいだは『同居男性が危篤』とかいう理由で、電話を受けたバイトがほかの子と『まただね……』と話していたからだ。

(店長が男の魂を吸い取っては捨ててる、ってのもあながちでたらめじゃなさそうね……)

 『あおぞら』西東京支部のサポート・リーダー、横田が難を逃れた事に安堵した記憶がある。

 だが、今日は違う理由だった。参謀部に呼ばれたらしい。客がいる店内ゆえ琴音に囁かれたのだが。

 すぐに服を着替えて接客に入る。そこから2時間ほど客をさばいて、ようやくお客が途切れた隙を突いて、先に勤務していた子たちが休憩に入った。

「理佐さん、お疲れさまです」

 琴音が寄って来た。珍しく三つ編みにしているのを指摘すると、

「ええ、裏で荷物の整理もしていたものですから」と返ってきた。

「言ってくれれば手伝ったのに」

「いえいえ、力仕事ですから」

 まあそれなら、と笑い合う。鷹取一族の女性は"鬼の血力"を行使するため、耐久力や筋力などがヒトより増しているのだそうだ。そういえば、

「こないだボランティアに来たご親戚の男の子がこぼしてたわよ? 『女子おなご衆と喧嘩すると物理的にヤバイから、うかつな事言えない』って」

 そう、半月ほど前から、西東京支部に鷹取一族の男子高校生が来るようになった。優菜の話では三河支部にも来たようだから、全国的な動きなのだろう。社会経験を積ませるためというのが説明された理由である。

 思わずついた溜息を見逃す琴音ではない。仔細を問われて、

「なんか支部の中が浮ついちゃって。女性スタッフがだらしない態度を取らなくなったのはいいんだけど……」

「ああ、聞きましたよ」と琴音が笑う。

「裸同然でシャワー室から出てきたスタッフと遭遇しちゃって、大騒ぎだったって」

 彼らが通い始めてすぐのハプニングに、理佐も思わず赤面してしまった。思い起こせば彼女も隼人と似たような騒動を経験していたのだから。

「理佐さんは男性スタッフが増えたこと、どう思われますか?」

「んー、良し悪し、かな」

「その心は?」

 下から顔をのぞきこんでくる琴音。同性ながらどきっとする仕草で、どうしてこれで異性との交際経験がないのだろうと改めて思う。

「女性スタッフがキビキビ動くようにはなったけど……その……」

「?」

「恋愛沙汰とかになると、ほら、ギスギスしないかと思うし」

 琴音がすっと前に向き直った。その沈黙が理佐には棘を含んでいるように感じてならない。

 だが、それは思い違いだった。琴音の眼は、いっぱいに見開かれていたのだ。

 彼女の視線の先にいたのは、1人のうら若き女性だった。黄一色の半袖Tシャツに、茶色のだぼっとしたロングスカート。ピンクのスニーカーは赤黒く汚れていたが、そんなことは問題じゃない。

(……浮いてる? まさか)

 見てはいけないものを見たように視線を上げて、理佐の心臓は冷や水を浴びせられたように縮んだ。

 顔に生気がない。眼を除いて。そのアンマッチさが異様な雰囲気を醸し出している、ショートカットの女性。その彼女が、すっと手を挙げた。

「久しぶりね、琴音ちゃん」

「つ、ツカダさん……!」

 ツカダと呼ばれた女性は、こちらに近づいてくる。その歩み方はまさに滑るようで、

(ていうか、いつの間に入ってきたの?)

 自動ドアが開く音も、連動したチャイムも鳴らなかったのだ。

 ツカダは理佐に一瞬だけ視線を走らせると、琴音の前で停止した。なにやら言い出しかねるようにその口が歪む。

「大丈夫です、ツカダさん。この人も、今日のバイトも、全員関係者です」

 関係者という単語の意味を測りかねている理佐を置いて、会話は進む。

「ここに鈴香ちゃん、いるでしょ? 呼んで」

「! ツカダさん!」

 バックヤードで休憩していた鈴香が出てきていた。琴音と同じように叫び、身をすくませている。

 ツカダは声のしたほうに身体ごと向き――これもすべるように――、薄く笑った。

「あなたに至急伝えたい事があるの。琴音ちゃんもいて、好都合だわ」

「まさか……」

 鈴香の身体がぐらりと揺れ、バイトの子に抱きとめられた。

「そう、いないの」

「……誰が、ですか?」

 理佐がようやく搾り出した言葉に、ツカダは振り向かなかった。

「疫病神が、地獄の牢穴にいないの」


2.


 緊急事態発生を告げる、参謀部からのメール。それを沙良は宿泊先の部屋で受信した。暮れなずむ外光を浴びたスマホが震えているのは、彼女の手のせい。その手を思わずもう片方の手で押さえて、きつく眼を閉じた。

 ここ半月ほどの異常事態は、疫病神の脱獄という最悪の展開が判明したことにより緊急事態へと格上げ――悪いほうへ『上げ』というのも奇妙だが――となった。だが、彼女の震えが止まらないのは、脅威が格上げされたことが理由ではない。かつての記憶が蘇るからなのだ。

 護れなかった人々。果たせなかった約束。己の逡巡が生んだ、拭いきれない悔恨。追放の身でできる事は限られていたとはいえ……そしてなにより、疫病神そのものへの、恐怖。彼女を長い養生へと追いやった、激烈な攻撃を。

 召使が呼びに来て、沙良は涙を拭うと立ち上がった。荷物を彼女に任せて玄関へと向かう。そこでは、博多海原家の面々が待っていた。皆一様に、顔に緊張感が漂っている。だがそれを押して、技の講習に対する礼が述べられた。

「お気をつけてお帰りください」

「ありがとう。皆も、もしものときは、十分に気をつけて」

 ゆっくりと心を込めて、沙良は子孫たちに返礼した。

 そう、疫病神がどこに顕現するのか、まったく読めないのだ。そもそも脱獄したのちどちらへ逃げたか、どこに潜伏しているのかが皆目分からない。地獄総鎮守府よりの使者は琴音にそう告げたのち、こっそり囁いたという。

『鎮守府で脱獄を確認したのは、半月前なのよ』と。

 つまり確認はしたが、大事になる前に密やかに事態を収拾しようとして失敗したということである。

『どうせすぐに現世(うつしよ)に顕現して暴れるから、って高をくくってたのよ』

 ――鎮守府の怠慢による遅滞はともかく、ならば疫病神は何をしたいのであろうか。

 海原家の車に乗り込んで駅へと向かいながら、沙良の心は渦を巻いた。

 帰らねば。明日はまた、青森へ講習に出かけねばならないのだから。

 帰りたくない。何か、嫌な予感がする。東京には、鈴香がいるのだ。

 迷ってぐずぐずしていた沙良の元に届いた1通のEメール。それは、鷹取家総領から一族全員に充てたものであった。

『疫病神の今後の動きに注意を払いつつ、日常生活は変えることなく行ってほしい』

 大意を汲めば、そういうことになろうか。

 鷹取一族は軍人ではない。他のヒトと変わらず、その中に混じって生活しているのだ。財閥系企業を担う者としての経済活動もある。約半年前に御家に復帰したばかりの沙良とて、3つの企業で役員就任に向けた研修中である。

 思い出して、沙良はさらに沈思に浸った。

 彼女が疫病神と対峙した時とは、状況がまるで違う。

 あの時は、御剣鬼(みつるぎ)の巫女たる力を備えた女性はいなかった。いやそもそも、彼女は鷹取の衆とは合流など叶うはずもなく、単独での――ここでまた、胸が痛んだ――対戦であった。

 だが今は、沙耶がいる。4年前は攻撃があまり通じなかったと言っていたが、そもそも『あまり』という副詞が使えること自体が尋常ではない。さて今度はどうだろうか。

 そして参謀部もある。総領が現場で行わねばならなかった迎撃作戦の指揮を、ある程度肩代わりできるのは大きいだろう。疫病神の顕現は、妖魔の大部隊を伴うものだから。

 私は独りじゃない。だからといって奴の攻撃が緩むわけではないのだが。

 そこまで思い及んで、沙良は無意識に握り締めていたものを上着のポケットから取り出し、見つめた。

 そうだ。私にはまだ、仲間がいる。


3.


 ソフィーは会議室の外に出ると、大きく伸びをした。腕を下ろすと同時に、厳しい表情に戻る。

 こちらに着任して1ヶ月も経たないうちに、大変事に対処することになってしまった。いや、対処ではない、遭遇だ。彼女は参謀部出入りの観戦武官という待遇であり、指揮や助言はおろか作戦プランの提案もできない。文字どおり『観戦しているだけ』と言える。

 もちろん、ただの観客ではいられない。折々のレポートを参謀部と伯爵家に提出しなければならないのだから。

 本国にどう書き送ろうかと文案を練り始めた彼女を、背後から呼び止める声がする。

「あなたのお国なら、こういう時、どうされますか?」

 センドウ・タズナ。参謀部トップの参謀長が『重要事項を決裁するためだけのお飾り』であるため、実質的にはナンバー3――鷹取宗家の参謀部は、他の全ての分家付参謀の上位にある――に位置する女性。やはり性差というものは覆しがたく、男性が圧倒的に多い参謀たちの中で、さまざまな意味で目立つ存在である。

 ソフィーは振り向くと、検討会の最中に考え続けていた事を述べた。

「恐らく、伯爵家より先に軍が動くだろうな。いや、それより先に各組織の情報部か」

 そして情報部同士のいさかいの果てに、我が家に情報が来るのはいつになることやら。それは口には出さなかったが、表情から汲み取られたようだ。含み笑いとともに、帰路へと誘われた。

「軍と情報部が動く。いいですわね、まがりなりにも戦勝国というのは」

 なんだか、棘のある言い方だ。きつい眼を向けたが、どこ吹く風とかわされてしまった。

「さしもの日本の警察力をもってしても、疫病神は捜せないだろうな」

 二の矢を放ってみる。と、切り返してきた。

「ふふ、警察は化物を捜すようにはできてませんから」

 それもそうかと笑って、このむやみに色っぽい主任参謀を見つめた。

「見せてもらうぞ。お前たちが強大な敵に対処するさまを」

 曖昧な笑みを追いかけて一緒に玄関を出たところで、ソフィーは旧知の人物とばったり出会った。旧知といっても一度邂逅したきりだが。

「あ、やあ。先日はお疲れ様」

 声を掛けられても、きょとんとしているその子は、次にたずなが発した言葉で目を丸くした。

「あらソフィーさん、凌ちゃんとお知り合いなんですか?」

「そふぃー……えええ? あの、先日の鳥人?!」

 素っ頓狂な声を発する彼女の周りを回って、とくと眺める。別段普通っぽいが、

「キミ、本当にニンジャなのか?」

「え? ええ、一応九ノ一ですが――「すごい……まさか実在したとは……」

 思わず彼女の返答にかぶせてしまった。どうやら鷹取家の誰かに会いに来たらしく、ぺこりと頭を下げると母屋のほうへ去っていく彼女を見送って、しかしソフィーは忘れなかった。

「待てたずな。答えをまだもらってないぞ」

 なぜそこで微笑む?

「作戦は1つだけですよ」

 今度こそ、彼女は自分の店へと帰って行った。

()が来るまでの時間稼ぎです」という言葉を残して。


4.


 翌日。夜7時を過ぎて、隼人はようやく西東京支部へとたどり着くことができた。

「おはようございます、隼人さん」

 律儀にあいさつをしてくれる海原春斗にあいさつを返して、スタッフ控室のイスにへたり込む。エントリーシートを送った企業の説明会を、日中一杯使ってはしごしてきたのである。

 コンビニ弁当を疲れた手で広げ、掻き込む。しばらくそれに専念していると、目の前にお茶が置かれた。万梨亜がやって来て、淹れてくれたのだ。

 礼を言われてこっくりうなずく彼女の向こうで、しまったという顔つきの春斗がいる。せっかくの甘いマスクが台無しなほど、がっくりきている風情だ。

「やっぱ、家ではお茶なんて淹れないの?」と訊いたら、

「いや、僕、気が利かないっていつも家族に言われるんですよ」

 と悲しげ。その悲嘆は、万梨亜が続いて淹れてくれたお茶で増したご様子だった。

 そういえば、とこのあいだ瞳魅がしていた説明を思い出す。呪いを越えてくれた人のために、越えてできた家族のために、できることは執事や召使に任せず自分でする。それが鷹取一族共通の観念なのだと。

 そこから派生して、普段周りの人にまで気を使うかどうかはそれぞれだそうだが、

「気にすることないよ。男はどっしり構えてなきゃって人もいるんだし」

 万梨亜の慰めに笑っていると、春斗をサポートスタッフが探しに来た。荷物の搬入があるらしい。

「あ、じゃあ俺も」と腰を上げかけたら、スタッフにお断りされた。

「隼人先輩、お疲れでしょ? 春斗君一人で十分ですから」

 明らかにお呼びでないとスタッフたちの表情が語っている。お言葉に甘えて座り直し、お茶を啜った。

 万梨亜が自分のお茶と共に対面に座るのを見るともなく眺めていると、

「寂しいですか?」

「ん? まあね。でも――」

 隼人は心を読まれたことを悟って、苦笑いした。

「俺も来年卒業だから、代替わりって言うほど大げさじゃないけど、引き継いでいかなきゃな。俺だけじゃないけどさ、卒業すんの」

 そう、西東京支部の問題点として、『スタッフに占める大学4年生の比率の高さ』が挙げられるようになった。なんと5割を越えるのだ。他支部が高くても2割から3割のあいだであることを考えると、深刻である。

 卒業しても続けられれば問題ないが、それこそモラトリアムとは違う『大人の責任』が発生する。『そもそも夜間にボランティアをする暇があるのか』といえば、会社勤めをしながら活動しているスタッフは組織全体の2割弱。意外と多いと思うかもしれないが、就職5年目までに辞めていくスタッフがほとんどなのだ。

 殊に、フロントスタッフは深刻である。1年生の凌が加入したが、2年生の祐希や3年生の万梨亜、そしてフリーターの京子は北東京支部が再建されたらそちらへ戻る予定である。あいだの年代が1人もいないのだ。隼人やミキマキのように途中から加入してくる可能性もないわけではないが。

「そういえばこの前、優菜先輩が『あたしが悪いんだ』って言ってましたけど」

「それは違うんじゃないかな」と即否定する。

「伯爵家の攻勢が本格的じゃなかった時期だからさ、3人で何とかなっちゃったんだと思うよ。本格化したところで俺やミキマキちゃんが入ってきたし」

 確かにそこで、後輩のリクルートもするべきだったのかもしれない。

 また黙って、弁当の残りを食べる。お茶のお代わりが供されたところで、また万梨亜が話しかけてきた。

「就職、どうですか?」

「まだなんともなあ。説明会回ってるだけだし」

 実は、バイト先の一つである東堂塾から、正社員にならないかというお誘いがある。誘われていない他のバイト講師の手前、まだ誰にも打ち明けられないのだが。だから、

「俺、特技も資格もないし、どこに就職したいっていう強い気持ちもないし。どーしたもんだかな……」

 なぜそこで、俺を凝視する?

「隼人先輩、あるじゃないですか。特技」

「なに?」

 自分では気がつかない何かがあるのだろうか。

「"ひきよせる"」

「無いから! つか、そんな特技、会社で何に使うんだよ!」

「おっはよーございまーす! きゃー隼人せんぱーい!」

「ほら」

 別に引き寄せてないと言いかけて、隼人は痙攣した。すっと背後に回りこんできた優羽が、彼の首に柔らかな腕を巻きつけて、抱きついてきたのだ。とうぜんあの圧倒的な膨らみが背中から首にかけて押し付けられてくるわけで……

「いやぁんツボみぃつけた!」

「あの、ちょっと、優羽ちゃん離れて……」

 そう言いながら身をよじるが、余計になんとも言えない好感触が伝わってきて、表情を取り繕うのが難しい。そしてそれを見逃す優羽ではない。

「ふふふ、腕より背中ですか。もう、ゆってくれればいいのにぃ」

「いやあの、マジ離れて。つか瞳魅ちゃん! 写真撮らない!」

 スマホのシャッター音も高らかに連写しまくる瞳魅の行動も、すっかりジト目になった万梨亜の視線も痛い。おまけに、ああ、優菜が飛び込んできた――

 平常運転な西東京支部。それをよそに、玲瑯舎大学の構内では一大変事が巻き起ころうとしていた。



 琴音がその男を見かけたのは、既に暗くなった大学の構内を駆け抜ける途中であった。

 オカルト研究会に顔を出す前に学生課に寄っていたため、彼女を迎えに来た車との合流時間を過ぎている。

(まずい、レセプションに遅れちゃう……)

 だが、彼女の優秀な頭脳は、その持てる記憶と直感を今回も働かせた。

 歩み去っていく男の後ろ姿を、立ち止まって凝視する。

(あの男は……!)

 その行く先に、オカルト研究会も入っている文科系サークルのサークル棟があることを悟り、彼女は声を発した。

「止まりなさい!」

 同時に端末を取り出し、緊急コールを発信。間違いなら、謝ればいい。間違いでなかった場合は――

 男はびくんと盛大に痙攣すると、立ち止まった。続いて、含み笑いが聞こえてくる。

「その声……海原の小娘だな」

 振り返って、男は不敵に笑った。

「やっぱり、栗本か!」

 琴音は今年で21歳になる。その長いとは言えない人生の中で、憎悪を抱いたただ一人の男が目の前にいるのだ。

 クルーカットに茶色のブレザー。その下にはもう春だというのにオフホワイトのタートルネック。ブレザーと同系色のスラックスといういでたちは、あの時とまるで変わっていない。変わっているのは、顔。おそらく整形して変えたのだろうと想像がつく。

 栗本。4年前の疫病神顕現の騒動において、疫病神を地獄から召喚した男。そして、鈴香をあんな境遇(・・・・・)に追いやった男。

 それゆえ、彼女の言葉は激しく、棘のあるものとなった。

「また鈴香にアレ(・・)をやる気ね! 許さない!」

「許さない……どうするね?」

「殺す」

 もはや殺人へのためらいすら消し飛び、大月輪を4つ、即座に飛ばした!

 唸りを上げて回転しながら直進する、光輪。両外の2つは軌道を少し膨らませて、横へ逃げられないように。

 いや、栗本は逃げない。そのことを奇異に思う間もなく、大月輪は彼の身に命中した!

 ぶるっと震える。自分が犯した罪に、今さらながらに思い至ったのだ。だが、大月輪の砕け散った光が消えた先にあるものを見た時、震えは驚愕のそれに変わらざるをえなかった。

「ふむ、まだまだだな」

 そううそぶく栗本の周囲を、霧が取り巻いていた。構内の安全灯の光を通さぬ、黒い霧が。

「まさか……そんな……」

 認めねばならない現実と、信じたくない事実と。そのせめぎ合いに惑う琴音を見て、栗本は右手の人差し指をピンと立てた。

「お前は勘違いをしている。私はあの小娘を始末しに行くのだ。もはや用済みだからな。なぜなら――」

 言葉とともに胸を逸らした栗本の頭の上に、眼が姿を現した。正確にはヒトガタの白い顔、上半分が。あれは、あれは……疫病神!

「私が"代替(ダイガ)ワリニ(カノ)(モノ)"になるのだから!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ