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第4章 とある祝日 とある曇天

1.


 自分が、鼻歌を歌いながら、お弁当を作る。彼氏と一緒に食べるお弁当を。

 そんな日が来るなんて、美紀は夢にも思わなかった。

 そして、

「撮影すんな! もぅ!」

「まぁまぁええやないの」

 なんのかんのと言いながら、姉が嬉しそうなのも面映い。

「ねーやんもおでかけやろ? 早く行きなよ」

 指摘してやると、どうやら時刻を確認していなかったらしい。慌てた真紀はスマホを取り落としそうになりながら、デイバッグを引っつかんで玄関へとダッシュしていった。

「まったく……」

 そこからバタバタして、結局自分も遅れそうになって。美紀もデイバッグを片手に急ぐ派目になった。

 篠木はいつもどおり、本を片手にのんびりと待っていてくれた。改札を通ってプラットホームへと上がる時、少し遅れた気後れを紛らそうと、話を振ってみる。

「いま、なに読んでるの?」

「ん、これだよ」

 見せてくれた新書の表紙を見て、美紀は動揺を隠すのに苦労した。

『鷹取財閥はなぜ上場しないのか』

(そのまんまやん……)

 もちろん、この手の『◎◎はなぜ××なのか』式タイトルに動揺したわけではない。自分が関わりを持ち始めたあの人たち(・・・・・)の、それもお花見の席で出た話題がダイレクトに目に飛び込んできたからだ。

 日頃の篠木の読書傾向からすると、珍しいチョイスであったこともある。その点を訊いてみよう。目的の電車にも無事乗れたし。

「んー、僕、この鷹取系の企業にエントリーシート送ってるところが多くてさ。んで、面接まで行った時のために、ちょっと知識を持っておこうと思って」

 以前から聞いてはいたが、彼がちゃんと就職活動をしていることに改めて安心する。姉のカレシはどうもその辺が怪しいのだ。卒業すら。

 などと少し優越感に浸りながら考えていたら、思わぬ問い返しが来た。

「美紀ちゃんはどんなとこ狙ってるの?」

 思い起こしながらつらつらと列挙してみると、怪訝そうな顔をされた。

「……なんか、鷹取系も海原系も無いんだね。なんで?」

 言えない。そこのお嬢様たちと知り合いだから、雇ってもらえないんだって。

 冷や汗を掻きつつ探し当てた答えは、

「し、篠木君と同じ系列だとほら、リストラとかあった時にダブルショックやん?」

 2点。そう書いてあるような、不思議そうな表情の彼。

「前にそんな話、したっけ?」

「女の勘やで?」

 ふーんと納得しかねるような声を出したので、きれいにまとめることにする。

「こっちで一緒に就職できるといいな」

 篠木君、地元で公務員試験も受けるって言ってたし。

 素直にうなずく横の席の彼とさりげなく手をつないで、ふと美紀は思った。

(うちのボランティアにお嬢様がいるって言えばよかったんかな? 素直に)

 でも、なんとなく嫌な感じがする。彼が興味を持っても困るし。

(女の子だらけやしな。隼人君もいるし)

 美紀はそのことを胸にしまっておくことにした。


2.


 祐希と京子、万梨亜が高砂席にたどり着くことができたのは、披露宴もやや半ばといった時間帯だった。

 そこには、落ち着いた笑顔の小森――いや、結婚したから斎藤夫人か――がいて、お祝いの言葉もそこそこに、

「小森さん――」

「なに?」

 旧姓で話しかけてしまう万梨亜と、普通に応えてしまう新婦にくすりとしたが、

「ウェディングドレス、似合わないっすね」

 そのストレートな物言いに、祐希たちはもちろん、新郎が唖然とする横で、新婦は声高らかに笑った。

 かなりの男前な容貌の斎藤夫人は、ボーイッシュというにはあまりに男性寄りの――かろうじて"男装の麗人"と言えなくもない出で立ちをいつもしていたのだ。

「だから言ったんだよ? あたしもタキシードにしたいって」

 結局、両親の懇請によって叶わなかったとまた笑う新婦。本当に屈託がない。

 新郎にビールを注いでちょっとおしゃべりをしたところで、祐希たちの後ろに控えるあいさつ客たちの無言のプレッシャーにも負けて、わずか3分余りでの退却となってしまった。

 自分たちの席に戻って、思わず溜息が漏れる。

「すごい数ですね」と祐希が眺め渡すと、

「こういう位置だと、自分たちがその他大勢だって分かるよね」と京子が言う。

「確かに。新郎新婦の席が彼方過ぎて、霞んで見えますもんね」

 肩をすくめていると、背後に人の気配を感じた。

「あの、北東京支部の皆さんですね?」

 振り返ると、年配の女性がビール瓶を抱えて立っていた。高そうな留袖に身を包んだ細身の女性に曖昧なうなずきを返すと、にっこりと微笑まれる。

「初めまして。琴音の母です。娘がいつもお世話になっています」

「!! 琴音さんの……!」

 席を蹴立てて立ち上がり、頭を下げた。そう言われれば、よく似ているように見える。琴音の目鼻立ちをもう少しおとなしめにして、年齢を加えたようなその相貌は、

(えと、確か海原本家のご当主だよね、この人)

 そう思い起こすと、落ち着いた仕草と相まって、風格まで感じられてくる。

 どうぞと言われてさらに動転し、ビールを注いでもらってペコペコしてしまった。

「いつもうちの仕事を支えてくれて、ありがとう」

「いえいえ」と京子がかしこまる。

「わたしたち、ほんとにボランティアしてるだけなんで」

 その言葉に、琴音の母は笑み返しながらゆっくりと首を振った。

「それで十分よ。私たちは長いこと身内だけでお仕事をやってきたから――」

 周囲に多数いる"事情を知らない人々"への配慮だろう、表現をぼかしながら、

「一族だけじゃない、っていうのが安心感を与えてもらってるのよ。庭師の皆さんや傘下企業の社員とも違う、新しいパートナーとして」

 そういうものだろうか、と曖昧な感想を抱いていると、ご当主は後ろを振り返った。

「でね、いま北東京支部のビルを再建してるでしょ? まだ先だけど、サポートスタッフも大勢必要になるだろうし、うちの子たちに社会経験を積ませるきっかけの一つになればと思って」

 振り返った先にいたのは、2人の男子だった。祐希と同い年くらいだろうか。でも、スーツ姿がやけに板についている。

「海原春斗です」「海原耕介です」

 思いっきり自己紹介が被ってしまい、緊張していることが一目で分かる赤面に、思わず苦笑してしまった。

 今週の頭から西東京支部に行かせるから、よろしくね。そう言い置いて、ご当主は2人を連れて別のテーブルへと移っていった。どうやら『あおぞら』関係の出席者に一通り自己紹介をさせるつもりのようだ。

「万梨亜ちゃん、言いたいこと当ててみようか?」

「あたしも京子先輩の言いたいこと、当てられますよ」

 せーの、で。

「めっちゃイケメン!」「かわい~い!」

 きゃいきゃい言いながら盛り上がる先輩たちを尻目に、祐希はその浮かれに乗り切れずにいた。

 万梨亜が横から顔をのぞきこんでくる。

「どしたの? 祐希ちゃん」

「……なんか、笑顔過ぎて」

 そこがまたいいじゃない、かわいいよね、などとやり始めた先輩たちに染まらず、祐希は思案にふけった。


3.


「ありがとうございました。またお越しください」

 理佐が送り出した客は、さっそく次の貢物を購入させるべく、連れの男の手を取って引っ張りだした。それをにこやかに見送って、セレクトショップ『Le femme,le femme!』の中へと戻る。

 さすが晴れた休日。開店から4時間を過ぎても、客は常に3、4人が店内を物色してる状態である。おかげでほかのバイトと交代で詰め込むサンドイッチもじっくり味わえないほどだ。

 客の一人が声をかけてきた。先ほどから理佐のほうにちらちらと視線を走らせてきていた人だ。もしかしたら万引きの類かもしれないため、そういう客にはさりげなく注意を払うこと――店長からはそう言われている。今回はそういう"事案発生"ではなかった。

「あの、店員さんが着てる服、どこにありますか?」

 これで3人目――とはおくびにも出さず、うやうやしく案内する。あいにく客に合うサイズはなかったが、

「お客さまなら、こちらも似合うんじゃないですか? 脚が長いし、すらっとしているから」

 散々迷って、結局残念そうに客は帰って行った。これにもまた、にこやかに見送る自分がいる。

「理佐さーん、5番にお願いしまーす」

 バイトの子が声をかけてくれた、5番、すなわち『休憩の交代』だ。うなずいて、理佐はバックヤードに入った。

 そこには、クッキーと、ポットに入った紅茶が用意されていた。椅子に座って、さっそくクッキーを口に放り込む。どうやら手作りらしき食感を味わいながら紅茶を注いで、ゆっくりと口に含んだ。

(店長かな? それとも奈々ちゃんかな?)

 この店で店員に供される食べ物は、店長の仙道たずなやバイトの子が作ってくる。たずなは軽食ながら驚くほど美味しいものをいつも作ってくるし、バイトの子たちはいかにも鷹取家というと語弊があるが、手間をかけたものを持ってくるのだ。そもそもこの、なにげなく置かれた紅茶とポットにしてからが高級ブランドの逸品で、

(最近、ファミレスのドリンクバーが受け付けなくなってきてるのよね……)

 苦笑いしていると、バックヤードのドアがふわりと開いて、ちょっと疲れた風のたずなが入ってきた。そのまま進んできて、理佐の対面にすとんと座る。

「店長も休憩ですか?」

「ええ、いまお客が途切れたから」

 紅茶を注いであげる。笑顔で礼を言うたずなに、世間話を振ってみた。

「今日は暖かいから、お客さん、多いですね」

「そうね。来週のバーゲンもこのくらい多いといいけど」

 そう答えて、一啜り。店長はまた微笑んだ。

「よく似合ってるわね、それ」

「ありがとうございます。ちょっと奇抜なデザインなんで、どうかと思いましたけど」

「ほんとありがたいわ。何着ても似合うって、マヌカンとしては十分過ぎる素質よね」

 『何着ても』という部分は、褒められたのだろうか。

「お客さんに訊かれてたわね。その服どこにありますかって」

「あれなんですけど――」

 この際だ、ぶっちゃけた話を訊いてみよう。

「もっと強く薦めたほうがいいですか? 『お客さまならきっと似合います』とか言って」

 答えは、首振りだった。

「似合わない服を売りつけることは、結果的に私たちもお客さんも不幸になる。そう思ってるの。どうしてもその服じゃなきゃ嫌だっていうなら、止めないけど」

「止めないんですか」

「ええ」

 と笑う店長。三十路にはまだ届かないはずだが、理佐がその歳になっても到底出せそうもない色気が仄見えて、ちょっとくやしい。

「審美眼は人それぞれですもの。私は止めた、その人は聞かなかった。以上終わりよ」

 そしてこの割り切りぶりが、経営者としてだけでなく、鷹取家参謀部の主任参謀である彼女にとっての資質なのだろうか。

「店長もなんでも似合いそうですけど」

「私はだめよ」

 水を向けてみたら、店長は少し恥らう仕草をした。

「なに着ても、みんな胸とお尻に注目しちゃうんだもの」

 『恥らう仕草』などと考えた自分を殴りたい。理佐は話題を変えることにした。

「このクッキー、店長が作ったんですか?」

「違うわ」

「奈々ちゃんですか? それとも笑子ちゃん?」

 また恥らう仕草の店長。頬まで染めて、

「うちの人よ。お菓子作りが趣味なの」

 ああ、捕食されちゃった人ですか。前回聞いた時は、ギャンブラーで家事はしない人だったはず。また変わったのだろうか。

 だが、たずなの男については深く追求しないよう――特に末路について――沙耶や琴音から言い含められている。曰く『深遠をのぞく者は、自らが深遠に取り込まれないようにせねばならない』とか。

 店から2人を呼ぶ声に救われて、理佐はできるだけ分からぬようにそそくさとバックヤードを飛び出した。


4.


 まあ確かに、中身を確認しなかったウチが悪い。急いでたし。

 でもな、ねーやん。

(なんちゅうもんを持ち歩いてんのよ……)

 お昼になって、さあお弁当といそいそしたら、発見してしまったのだ。真紀が間違えた結果手元に残った彼女のデイバッグ、その中に入っていた彼氏との"お楽しみグッズ"の数々を。

 以来3時間、美紀はドキドキしっぱなしである。

 篠木には見せられない。

 でも、見せたらどんな反応をするか、見てみたい。

 『きゃーねーやん! なにいたずらしてんねん!』とか言って。穏やかな篠木は、幻滅するだろうか。いや以外にノリノリで――

「なに?」

 問いかける微笑みの見えざる圧力が、彼女の企てを打ち砕いた。

 公園のベンチに座る2人に、暖かい日差しが降り注いでいた。博物館や美術館が立ち並ぶ都内の公園とは思えないのどけさが、目の前で走り回る子供たちや、そぞろ歩くカップルと老夫婦によって増幅されている。

 こんな日が、いつまでも続いたらいいのに。

 こっくりこっくりし始めた篠木の左で、公園の平和を眺め続ける美紀が抱いた、それが素直な想いだった。『こんな日』を敵の侵略から守ったのは、彼女なのだから。


5.


 横田にとって、祝日とは家族サービスの日である。フランクの伯爵家が敗れて去り、代わって鷹取家が現れて、彼の勤務するボランティア組織『あおぞら』はその傾向が顕著になった。

 前の勤務体制が"ブラック"だったというわけではない。だが、外敵に侵略されていて、しかも終わりが見えないというのは、横田の心に耐えざる緊張と責務感を常に与えていた。

 終わりが見えないというのは、現体制になっても変わらない。いやむしろその状況は、より悪化していると言えるだろう。なにしろ相手は地獄に幽閉されている疫病神とその手先である。『神をしいし奉ることはできない』そう鷹取家からは言われている。"してはいけない"のではなく、"不可能"なのだと。

 だが、かつてとは違う。

「パパ、端末」

 妻に言われて、横田はケースを黄色く塗られた携帯端末を上着のポケットから取り出した。受け取った妻がホテルのフロントに提示すると、ホテルマンに恭しくいただかれて奥へと消えて行く。

 待つこと3分ほどで、携帯端末はまた恭しく差し出されて手元に戻ってきた。ホテルマンの笑みとともに。

「では、係の者がお部屋へご案内いたします」

 家族3人が案内されたのは、春の緑で彩られた山々を一望できる部屋だった。歓声を上げてその景色に見入る妻と娘を横目に、荷物を部屋の隅へと安置する。

 続いて部屋の中を見回し始めた妻の台詞に、思わず苦笑してしまった。

「こんないい部屋がタダなんて、すごいね」

「タダじゃないよ、前も言ったじゃないか」

 差額を海原家が持ってくれるから、一般の客室と同額で借りられるんだってば。

 そう、『あおぞら』を、いや横田たち構成員を取り巻く環境が激変したのだ。

 車両は、妖魔の襲撃に備えた防弾仕様に改造された新車によって順次更新されている。

 各支部の入る建物は、その業務の隠密性を考慮した会長の所有物であったのが、全て財閥のビル管理会社に移管された。もちろんこちらにも妖魔対策の改装が順次施工されていく予定である。

 それに先だって内装も手を加えられ、どちらかというと無機質だった内装は、温かみと過ごしやすさを考慮したものに変えられた。

 正規職員の給与は統合前と変わらず。しかし、福利厚生の充実――永田が『前勤めてた会社に比べたら、眩暈がするくらい』と呆れていた――によって、実質的には増収となっていた。

 それを象徴するのが黄色い携帯端末、通称『GUILD』だ。徴収されるのはデポジットとして5千円のみ。この端末から申し込み、あるいは現場で提示すれば、鉄道運賃からタクシー料金、ホテルの宿泊料などなど日常生活プラスアルファにかかるサービスを"お友達価格"で提供してもらえるのだ。

 ボランティアスタッフに貸与された黒い『Peti GUILD』とともに、もちろんただの"お友達カード"@るいではない。妖魔を発見したら即通報可能なアプリもプリインストールされているのが通常の財閥系企業社員版とは違う点であろう。それも聞くところによると、通常版は"お友達価格"での利用はできないそうではないか。

 そう。

 自分たちの背後で、鷹取家が支えてくれている。これが、横田を含めた構成員たちの心理的負担を軽くしていた。

「それにしても……」

 大浴場に行こうとはしゃぐ子供を押しとどめながら、いそいそと準備をする妻。それを横目に、横田はそっと携帯端末を取り出した。例のアプリを起動すると、画面に映し出されたマップ上には『仲間』が見当たらない。そのことにほっとして、独りごちた。

「これ、隠密行動できないんだよな……」

 事案が発生した際に出動可能かどうかをワンタッチで切り替えられる(もちろん彼は今オフにしてある)とはいえ、この端末を持ち続けているあいだは『あおぞら』と鷹取家に所在を把握されてしまうのだから。

 自分みたいな所帯持ちはともかく、若い子は嫌がるんじゃないだろか。横田はそう考えながら、妻子に手を引っ張られて大浴場へと出かけた。


6.


「サクラは、さすがにもうほとんど散ってしまったんだな……」

 迎えの車の後部座席で、窓の外を眺めていたソフィーは残念そうに小さな溜息をついた。街路樹に、あのピンク色が欠片も見つからなかったからである。

 運転席の庭師が言うには、地球温暖化の影響なのか、桜の開花時期が早まっているようだ。4月の第2週にはもう散ってしまうらしい。

「といっても、わたしたちが物心ついた時はもうこの時期でしたから。早くなったって言ってるのは40代以上のオッサンオバサンですよ」

 なるほどと見れば、バックミラーに映るその顔は若々しい。その顔に付いたおちょぼ口が開かれた。

「前回はいつだったんですか?」

「え?」

「前回日本に来た時は、お花見はできない時期だったんですか?」

 この子は参謀部から、先年の出来事を教えられていないのだろう。その声色にはあえて探りを入れてきているような感じはしない。

「去年の8月だ。暑かった記憶しかない……」

 エンデュミオール・ルージュの攻撃を食らって火達磨になりかけたから、別の意味で『あつかった』がな。そう言おうとして、運転席の彼女が事情を知らないことに気づき、口をつぐんだ。だが、女性庭師の興味は尽きないようだ。遠来の客に退屈させないように配慮しているのかもしれないが。

「8月っすか。じゃあ、夏祭りとかは行かれました?」

「……そういうイベントには参加しなかった。伯爵家が用意したマンションに住んで……」

 日本侵略の策動をしていた。だがそこは濁して、

「お嬢様と毎日剣の稽古をしていた」

 返ってきた感想は、「はえー」としか聞こえない、なんとも間の抜けたものだった。

「ストイックっすねぇ。美人なのにもったいない」

「……それとストイックにどういう関係があるのだ?」

 車は高速を降りて市街地に入った。黄色い帽子を被り、ランドセルを背負った少年少女が集団で歩いているのを追い抜く。確かあれは小学生の集団下校だ。

「相変わらず日本は平和だな」

「そうですか?」

 車が信号で止まったので、結果的に追いついてきた小学生集団を指差す。

「フランクでは小・中学生が歩いて登下校するなんてありえない」

 女性庭師は少し首をかしげて考えていたが、

「車で送迎するのがステータスだからっすか? ああでもそれじゃ平和と関係ないか。運転が乱暴で歩道を歩いていると危ないからとか?」

 不正解。ソフィーは首を振った。

「誘拐されるリスクが増すからだ。犯罪組織が営利目的で誘拐したり、離婚して親権を取られた親が逆恨みしたりしてな。身代金目的ではない場合も多いのだが……」

 フランクに限らず、あちら(・・・)では少年少女に一定の需要があるのだ。口に出すのも汚らわしい目的で――とは口に出さなかったのに、

「ああ、あれですよね」

 バックミラーに映った顔がにやける。

「何年か前に南の島に行ったら、アジア人の子供連れてる白人のジジイが何人かいましたもん。それと根っこは同じっすよね? 変態の」

「……まったく、HENTAIの国の住人に揶揄されるようではな」

 あははははと軽く笑われて、そこからもっと深刻でない会話を続けるうちに、話題はこの国の妖魔討伐のことに移った。最近奇妙な現象が見られるというのだ。

 ディアーブルもそうなのだが、妖魔はヒトが頻繁に行き来し、大勢が留まっているような場所に出現しない。そして、人里離れた秘境にも出現しない。その原則が乱れているのだと言う。駅近くの空き地や公園、大学の構内にまで妖魔が出現していると。

「お国ではどうでした?」

「オクニ? ああ、我が国のことか。特に変わりはなかったな。いや……」

 あの大攻勢以来、1回ごとのディアーブル出現数が増えている。日仏両政府の協議結果に基づき隠居するはずだったニコラ・ド・ヴァイユーまで特別措置で現役に留まり、現状ではどうにか持ちこたえているのだ。しかし、伯爵一族の若年層が成人してくる5年後までは厳しい戦いを強いられるだろう。

 そう溜息交じりに説明して、

「――やはり、地獄の門がこじ開けられているのかもしれん」

「どうやってっすか?」

 無言で肩をすくめて、鷹取家の対策検討状況などを訊いているうちに、ソフィーの新居となるマンションに到着した。

 管理人から、居住する上でのさまざまな注意事項をレクチャーされる。英語なのが不満だが、どうやら彼との意思疎通に不安はなさそうだ。

「すみませんねぇ」

 去り際に、管理人が靴を履きながら振り返った。

「? 何がですか?」

「フランク語は勉強を始めたばかりなんで、しばらく英語で勘弁してください」

 照れながら、心から申しわけなさそうな管理人。不意を突かれてしどろもどろな返事をすると、一笑して帰っていった。それを見送って、少しだけ呆れ気味につぶやく。

「まったく、日本人という奴は……」

 彼は恐らく、ソフィーの実年齢を上回っているだろう。仕事上の必要からとはいえ、日本では正直マイナー側に片足を突っ込んでいる言語をあの年齢で習得しようというのは、大変なことではないだろうか。

 フランク人なら、と彼女は当座に必要なグッズを荷解きしながら考えた。『日本語を覚えて居住者と会話しろ』という業務命令が出ない限り、まず動かないだろう。あるいは、

「日本語を教えてくれ、と近づいて来るかな……異性なら」

 そう苦笑いしながら取り出したクリアファイルに、ソフィーはお目当ての物を見つけた。アンヌから永田に宛てた手紙だ。

 少し迷って、ソフィーはそれを後日の訪問とした。時差ぼけで体調が優れないし、先に行かねばならない所もある。なにより永田本人にアポを取っていない。

「あの男と遭遇しても困るしな……」

 実にリアクションの取りづらい"あの男"を脳裏から追い払って、シャワーを浴びることにした。


7.


 ここは、浅間市北部。路線バスを降りた美紀と篠木は、目指す丘へと続く道を登っていった。

 そこは、最近話題のデートスポット。それなりに人口が住んでいる浅間市南部から離れて、小山の頂上にある公園から星が綺麗にかつ大パノラマで広がるさまが見られるのだそうだ。

 そんなスポットが、なぜ最近まで知られていなかったのか。それは丘のすぐ近くに光源があったからで、その側を通る時、美紀は心臓の鼓動が少し跳ねるのを抑えられなかった。

 そこは、複合型商業施設ヴィラッジョ・ヘタリアーノの跡地。あの晩(・・・)、エンデュミオール・ブラックが会長の助力でバルディオール・レーヌ――哀れな反逆者たる長谷川明美を殺した場所なのだ。あの戦闘で照明設備の類が(周辺の街灯も含めて)全壊してしまい、地域は久方ぶりの夜闇を取り戻したというわけである。

 美紀は追憶する。いささかの震えとともに。

 あの時のブラック――隼人の断固たる姿を、美紀は怖いと思った。いや、本当に怖いと心から感じたのは、その翌日だ。

 学生食堂での屈託のないおしゃべりを。

 理佐のかすかな希望を容赦なく打ち砕いた一言を。

 そして、何事も無かったかのように講義を受け、友達とゼミの課題について議論する姿を。

 確かに、長谷川の所業は到底許されるものではなかった。『あおぞら』のスタッフを2人殺し、多数に怪我を負わせたのだ。

 だが、その張本人を殺して、なぜ、変わらぬ日常を過ごせるのか。あるいは頑丈で上手な仮面を被っているというのか。琴音は『面白い』とか『素敵』などとほざいていたようだが、あのお嬢様は自分がなにを言っているのか、本当に分かっているのだろうか。

 殺人者の心理を、面白いと言っているのだということが。

 そこまで思考したところで、美紀の聴覚は後方遥かから聞こえてくる彼氏の声を拾った。

「美紀ちゃん……ちょ、ちょっと待って……」

 考え事は足を速める効果を生み、篠木を丘の頂上に続く坂の遥か下に置き去りにしてしまっていたのだ。

 息を切らしながら登ってくる彼を見て、内心ひやりとした。自身の身体能力プラス白水晶による強化については、普段は隠しているのだから。

「……めちゃくちゃ速いね」

「ごめんごめん、こーゆー坂があるとつい」

 うわぁ、目を細めてごっつ凝視されてる。納得いかない時に彼が見せる表情で。

 すい、と受け流して先に立つ美紀は、星空に目をやった。

「わ、めちゃキレイ!」

 彼の同意する声を片耳に、公園内の気配を探ってしまう自分が悲しい。しかし、妖魔の出現場所が最近拡大していることを考えると、疎かにはできない。永田の二の舞だけは避けたいという思いが、ちらとだけかすめた。

(うちは妊娠してへんけどな……)

 カップルと思しき囁く気配が4組ほど。やや遠い所で騒いでいるのは、男4人。怪しげな気配は感じられない。自分たちと同じバスで来て、後から続いてやってくるカップルに先んじるために、しかし美紀はあえて篠木に振った。

「どこに座る?」

「んー、あそこかな」

 篠木君、そこはカップルが。美紀の小声が聞こえなかったのか、ずんずん近づいて行って始めて気づく彼。驚きとともに後じさってコケそうになったり、慌てて別の場所を物色してまたビンゴしたり、

(いらん気遣いしてもうた……)

 ベタなコメディシーン、しかも主演:カレシという笑うに笑えないシチュエーションに、美紀は頭が痛くなってきた。

 ようやく落ち着いた5分後。

「ごめん……」

「だいじょぶやって。はいこれ」

 すっかりぬるくなってしまったコンビニコーヒーを渡す。気まずげな沈黙は、逆に満天の星空を2人で眺める絶好のひとときに変わった。

 夜空を彩る、無数の瞬き。こうして手をつないでいるだけで、星々からの光がまるでそのことをあれこれ噂しているざわめきのように思える。

 どれほどそうしていただろうか。

「そろそろ、帰ろ」

 篠木が言い出して、春風が吹き始めた坂道を下った。道々言葉を交わしながらスマホを操作していた彼が、ふと気がついたようだ。

「ここって、あのテロがあった所だよね? ちょっと中のぞいてみない?」

 いつも慎重な篠木には珍しい発言だ。そもそも立ち入り禁止のテープと立て札がある場所なわけで。

 そして、美紀の女の勘は、あっさりと見抜いてしまった。きょろきょろと周囲を見回す彼の顔を一目見て。

(いちゃつきたいんやね……)

 でも、ここはダメだ。隼人の怒りと無念と、皆の悲しみが消え去ったとは思えないこんな場所で、それは。

 建物が崩れそうだからと指摘して、代わりにさりげなく誘導する。バス停から少し離れた雑居ビルの陰に入り込むと、美紀は彼にしなだれかかった。

 いつの間にか曇天に様変わりした夜空に驚き、そこはかとない重苦しさを感じながら。

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