第12章 星明無為の幕間劇
1.
さめざめと、泣く。
優羽は鷹生会病院の待合室で隼人の肩に頭を乗せ、いや、額を彼の肩に押し付けて、生まれて初めての心からの泣き声を上げていた。
彼女の涙を流させるのは、悔恨の情。
男の所に居続けで、出動をサボったのだ。『どうせ誰かがやってくれるから』と。
結果は、庭師2名の死亡、そして瞳魅と庭師3名の重体であった。無人機で成り行きを監視していた参謀部の指令で、負傷していない庭師が護身装具を着用して現場に強行突入。既に意識不明となっていた瞳魅を救出し、マスイドと妖魔の追撃を閃光弾で断ち切って撤退したのであった。
いつも近くにいて、毎日のように会って、おしゃべりして。
それは優羽が色気づいて、男と過ごす時間が多くなっても変わらない日常だった。いやむしろ、そこを揶揄する男には言ってやったものだ。
『あなたには、瞳魅は越えられないの』と。
そのかけがえのない人を放置した結果が、ICUの白い扉となって彼女を打ちのめしていた。いや、打ちのめされながらも、彼女は腕時計を再々確認するのを止められない。日没まで、あと10分もあるのだから。隼人が変身できるまで、600秒もあるのだから。
それは、連絡の取れない京子と美紀、るいと来て、最後の希望である隼人ですらどうにもできない現実だった。あるいは、鷹取家の財力をもってしても、と言うべきか。
その隼人は、腕組みをして動かない。眼を固く閉じたままの表情は畏怖を感じるほど厳しく、そして、憎い。
「隼人先輩――」
だから、優羽は懇願する。
「絶対、絶対瞳魅を助けてください。助けてくれたら、あたし、何でもします。何でも言うこと聞きますから」
そして、血が騒いで、脳の奥深い所に上昇していくのを感じる。
「助けてくれなかったら、あたし、あたし……あなたを、コロス……コロシちゃう……」
ぴく、と眉を少し動かしただけで、動かない隼人。やがて時が来て、庭師頭に促された隼人は立ち上がって、白水晶を取り出した。
「変、身」
まばゆい光に包まれて変身を遂げた隼人――エンデュミオール・ブラックに驚く暇もなく、庭師頭と優羽は彼女を伴ってICUへ入室した。
そこには、ベッドが4つ並んでいた。やや窮屈に見えるのは、無理やりベッドを収容しているせいだろう。エンデュミオールによる治癒を効率良く行うため、別の部屋や他の病院というわけにはいかないのだ。
一応規則どおりに白衣とマスクを急いで着用したブラックが、くぐもった声を発した。早くも治癒スキルの構えを取りながら。
「この中で一番ヤバイのは、誰ですか?」
優羽はその言葉が理解できるのに、数秒を要した。庭師頭も同様に眼を見開く中、さすがに医療スタッフは即座に機器類に眼を走らせ、一つのベッドを指差した。
そこに向かって、ブラックの手から光線が放たれる。乳白色のそれは温かみすら感じ取れるほどの質感だったが、優羽にはそんな感想を抱く余裕は無かった。
「はや……ブラック! 瞳魅を治癒してって言ってるじゃないですか!」
ブラックの返事は、簡単明瞭だった。
「どうして優先順位の低い人から治すんだ?」
絶句する優羽に一瞥を投げただけで、ブラックの放つ光線は最初の患者を治癒し続けた。やはり重態なだけあって、時間を要するようだ。その時、医療スタッフの一人が異変を告げた。
「こちらの患者が……!」
ブラックはうなずくと、告げられたほうへ手を向けた。
2.
翌日の午後、優菜は支部のスタッフ控室で、紅茶をすすっていた。なんとなく気分が乗らないのは、新たな敵の出現という不安と、それに専心できない自分への苛立ちがない交ぜになっていたからである。
明日には、実家に帰って就職活動をせねばならない。隼人やミキマキ、理佐と違って卒論が無いのが救いといえば救いだが、それでも昨年までとは違う余裕の無さに、心と身体がまだ対応しきれていないのだ。
それから帰ってきたら、またその翌日からゼミ旅行である。落ち着かないったらありゃしない。
ちら、と時計を見やる。隼人がまだ来ない。
「9時には来るって言ったのに……」
隼人にも、余裕が無い。相変わらずのバイト三昧に加えて、4年生特有の――つまり優菜と同じ――憂鬱なあれこれが加わっているのだ。むしろ大学で昼食を食べる時のほうが、彼と会える機会が多いだろう。
大きく溜息をついて、優菜は目を閉じた。
自分は、どうしたいのだろう。彼は、どう思っているのだろう。
クリスマスはドタバタのまま過ぎた。年末年始、バレンタインデーとホワイトデー、どれも何も進展がなかった。
そのほかの日々も、ボランティア仲間として、楽しい飲み友達として、滞りなく過ぎていったのだ。
でも、もし一歩を踏み出して……
「おはよーございまーす。優菜ちゃんお待たせ」
その声にぱっと顔を上げた優菜は、自分が微妙な顔をしたことを自覚した。隼人のすぐ後ろに琴音がついてきたのが見えたから。
「……一緒に来たのか?」
「んなわけないだろ。そこで今ちょうど会ったんだよ」
憮然とした表情の隼人を横目でにらみながら、優菜は立ち上がった。が、
「隼人さんはコーヒーでいいですか?」
微笑みをたたえた琴音に先を越された。その表情と声色はまるで恋人のようにしっとりとしていて、それでいて浮かれすぎてもいない。そんな落ち着きのまま、
「優菜さんは、お代わりいかがです?」
(お嬢様のくせに、そういうところ……)
「何か言いました?」
溜息混じりに首を振って、優菜は座り直すと話題を振った。
「瞳魅ちゃんは退院したって?」
「ええ、その足で帰省しました」
ゴールデンウィークにしなかった帰省を兼ねて、休養しにいくらしい。
「優羽ちゃんがぺったりくっついて行きましたよ」
瞳魅が重体と聞かされた時の優羽の取り乱し振りは、まるで恋人のようだったそうな。
「相方っつうのも大変だな」
「ええ、まあ」
曖昧に濁した琴音が、くすりと笑った。
「いまだに戸の陰に隠れて出てこない人がいると、特に」
ガタッ、と分かりやすい動揺音がして振り向くと、そこには隠れている鈴香がいた。いや、片目だけ出してるからバレバレなんだが。
「鈴香ちゃん!!」
優菜は、おずおずと戸の陰から出てきた鈴香に駆け寄って、抱きしめた。
「?! ちょ、優菜さん?!」
「よかった、来てくれて……」
不在の期間が長くなり、連絡がさらに取りづらくなっていたところだったのだ。このまま会えなくなってしまうのかとあきらめかけていただけに、
「ちょっと痩せた?」
「えへへ、まあ、ちょっぴり」
照れくさそうに小さくもがく鈴香。琴音のからかう声にも湿り気が混じっている。
「そりゃあもう、お酒と唐揚げが喉を通らないくらいでしたもの」
「そういうリアルな情報、いらないから」
と言って、携帯をいじっていた隼人が笑い、皆も笑い合った。
「支部長さんたちのとこは?」
「あ、さっき行ってきました」
席に落ち着いてすぐ、メールや電話に応答しなかったことを詫びられた。
「どう話したらいいのか分からなくって……ごめんなさい」
目一杯微笑んでうなずいてあげると、安堵した様子。なのに、またすぐにきれいな顔が曇る。
「どうしようもないことですしね……受け入れてたつもりだったんですけど……」
「なんとかならないの? ほら、沙耶さんとかの力でさ。葛麻呂って人みたいに」
隼人の思いつきを解釈すると、愚者の石の成り立ちに大きく関わった男性であり、沙良の許婚であった人の魂を浄化した時のようにということだろう。理屈は分からないでもないが、
「んー、どーだろうな。あん時、会長が飛び込んできて説得するまで苦戦してたし」
それもそうか、と難しい顔の隼人。琴音も口を開いた。
「実は、以前試してるんですよ。沙耶様も私も。ダメでした。というか、鈴香の魂に疫病神のそれが食い込んでいる状態なので、浄化は無理だったんです」
「魂に……すげぇな」
「お前、そんな感想しかないのかよ」
紅茶を飲もうとした手を休めて隼人をにらむと、慌てた素振りで手を振られた。
「違うよ、あの栗本っつーおっさんのことだよ。自分で疫病神を取り憑かせてたんだろ? えっと、なんだっけか、代替わりになんとかになるために」
優菜の脳裏に、あの時の記憶が蘇った。敵として対峙した中年男性の、固い意思を前面に押し出したような面構えを。あるいはそれは、狂気の果てにたどりついたものだったのかもしれない。
鈴香がぽつりとつぶやいた。自分で淹れたコーヒーのカップを両手で包み込んだまま。
「死んだんだよね?」
「らしいわね。確認中だけど」
「でもさ、マスイドって奴が言ってたんだろ? そんなようなこと」
重体から回復した瞳魅の証言は、関係者全員に周知されていた。妖魔の召喚アイテムという、とんでもない置き土産を残していったことも。
「その女性の本名は現在調査中です。今のところ、枡井戸と呼ぶしかありませんけど。どこで調べたのかしら、分家の名字なんて……もうはるか昔に消滅したはずなのに……」
それを聞いて、隼人の歴史関係への嗅覚が働いたらしい。物問いたげな顔を向けられて、琴音が解説を始めた。
「800年ほど前、さるやんごとなき方々が、お武家さんとの戦に敗れて、島流しになったことがありました」
「もしかして、上皇が3人とも島流しになったあれ?」
あいにく歴史に疎い優菜には、該当の歴史イベント名を言われても『あー教科書で見たな』程度の記憶しかない。そんな優菜のやるせなさと疎外感を放置して、解説は進む。
その島流しになった方々を守護するため、鷹取一族からも数人が派遣された。彼らは上皇の崩御後は都に帰還したが、現地に残って一家を為した者もいた。それの一つが、枡井戸家である。
「海原もそうなんですよ。結局わけあってすぐ都に戻りましたけど」
土着した分家は、やがて本家同様に歴史の荒波に揉まれ、ある家は都に戻り、ある家は消滅した。あの女性が枡井戸家の末裔かどうかは分からないが、鬼の血を引く女性であることは確かだ。
「一難去ってまた一難、だな」
「ええ。救急車を襲った件からすると、おそらく複数人いるでしょうし」
琴音の声色に驚く。いつもの穏やかさや朗らかさは影をひそめ、厳しいものに変わっていたからだ。
だからだろうか、優菜は問いかけてみたくなった。
「ご親戚なんだから、呼びかけてみるってわけにはいかないのか?」
「できません」
「なんでだよ」
またも厳しい返答に、つい打ち返してしまった。
「瞳魅ちゃんと庭師を襲って、2人殺しました」
低く、冷たい声。優菜が琴音から聞いたことなどなかった、斬り伏せるような鋭さの。
「絶対に許さない」
「……どうしても?」
これは、隼人の問い。それにも深くうなずかれて、鈴香も哀しげな眼をしただけで止めようとはせず。受けた隼人の深いため息が、不意に優菜の胸を苦しくした。
あの時と同じ。
隼人が理佐をあきらめた時の。
会長が言っていた。隼人は長谷川ことバルディオール・レーヌの説得を試みたのだと。それを拒絶された後についた溜息に、隠れて聞いていた会長ですら鳥肌が立ったのだと。
また、誰かが死ぬ。
その時、控室のドアが勢いよく開かれた!
「すずかちゃ~ん!! おかえり~!!」
美紀やるいが飛び込んできて、鈴香に一斉に抱き付き始めたのだ。
なんで来たこと知ってるんだと尋ねようとしたが、隼人がニコニコしているのを見て、そのわけを悟った。他人と会話している時は携帯をいじらないのが常の彼が、珍しく会話をしながら携帯を取り出していたのだから。
ついに涙腺が決壊し始めた鈴香を眺めながら、琴音の耳に口を寄せる。
(琴音ちゃん、実は結構尻叩いた?)
(ええ、実は)
やっぱり。
(永田さんがもうすぐ産休じゃないですか。出産祝い持って会いに行くつもり? って)
3.
同じころ、鷹取屋敷にて。
「はい、これ」
沙良から差し出されたA4用紙は、全部で5枚。びっしりと手書きされたそれを、退出するまで待ちきれず、頭を下げるやいなや凌は食い入るように字面を追った。
「ごめんね。先に謝っとくけど、完璧にうろ覚えだから」
これは、沙良がかつて邂逅した狗噛一族の男性から得た情報が記してあった。彼女はその男性と――彼女曰く『それなりの期間』を――共に過ごし、彼が息子に日々行っていた修練を見学していたのだという。その記憶を頼りに、狗噛家の失われた術の一部とその鍛錬方法を記した紙なのだ。疫病神顕現の直前に沙耶を介して依頼した成果物であった。
視線に気づいて顔を上げると、沙良は思いのほか厳しい表情だった。お礼も言わずに見入ってしまったことが気分を害したのだろうか。
慌てて謝罪し、改めてお礼を述べると、沙良は少しだけ身じろぎをして、口を開いた。
「ちなみにそれ、どうするつもり?」
「里に帰って、皆で研究します」
決然と答えた結果は、重い溜息だった。続いて、謎かけが投じられる。
「イカロスって知ってる?」
「……申しわけありません、ギリシャ神話の人ってくらいしか」
「ミノス王の依頼でその息子――ミノタウロスを幽閉する迷宮を建設したダイダロスは、息子イカロスとともに塔に幽閉されたの。そこでダイダロスは蝋で鳥の羽根を固めて翼をつくって飛び立ち、塔から脱出するのよ」
話が見えない。凌は黙って聞き続けることを選択した。
「でもイカロスは調子に乗って、父親の戒めを破り、太陽に近づきすぎた。その結果、熱で蝋が溶け、墜落死してしまったの」
沙良の眼は、往古を振り返るような色をたたえた。
「私が一緒にいた彼、っていうのはね、帝から討伐を受けた10代目当主が書いたっていう秘伝書を持ってたのよ。御家のいざこざから逃れる時に盗んだって言ってたわ」
驚きに声も出ない。
「彼はそれを使って、ただただ当然の事として、息子に狗噛の術を教え込んだの。父子ともども、もはや家には戻れぬ身。ならばせめて息子に生きていくための術を教えておきたい。その一心だったわ。でも……」
「でも、どうなったのですか?」
沙良は泣き出しそうな顔になった。
「彼と息子は殺されたわ。賊として、山狩りによって」
術を覚えた息子は慢心し、父の戒めを――沙良の引きとめも――意に介せず、ふもとの村へ下りては村人を翻弄し、あるいは悪事を為すようになった。あげくの果てには若者を集めて蜂起し、土地の地頭に取って代わろうとしたのだ。
結果として、息子と父親は奮戦空しく討たれた。いかに術を駆使しようと、多勢に無勢という戦闘の大原則を覆すことはできなかった……
「その時、その……」
「ああ、私?」
言いよどんだ問いを察してくれて、会長は寂しげに答えてくれた。
「バカ息子を諌めたら、逆ギレされてね。飛びかかってきたからコテンパンに返り討ちにしてやったわ。そのまますぐ別れを告げて、山を下りたの。そのあとだったわ。バカ息子が……」
沙良の眼は、何とも例えようのない色をたたえていて、凌は眼を背けることができなかった。
できないついでだ。いま思いついたことを、思いきって尋ねてみよう。
「その息子とは、もしかして……会長の……」
きっとにらみつけるような眼は、一瞬だけ。沙良はすぐ何ともやるせないといった表情に変わった。手を軽く、下腹に置いて。
「違うわ。私ね……子供ができないみたいなの」
消え入りたい。凌はただうつむいて、小さな声で謝ることしかできなかった。
「里の一族に、失われた術を伝えたい。あなたのその気持ちは分かる。でも、それはイカロスを生み出すのよ。それが、里の一族を討伐する呼び水になるのよ。あの子のように」
顔を上げると、沙良はゆっくりと近づいてきて、凌の腕に手を添えた。
「それでも、行くの?」
凌は、しっかりとうなずいた。心から心配をしてくれているであろうその瞳を見つめながら。
「そう……」
沙良は、泣きそうになってうつむいたが、顔をぐっと上げた。無理やり笑おうとしているような表情のまま。
「そういう強情なところ、あの人にそっくり。血は争えないのね。行きなさい。あなたの選択が、幸多きものでありますように」
4.
3日後。
「ありゃあ……」
我ながら情けない声を上げた。隼人の呆れと嘆きは、理由のないことではない。
GUILDの液晶画面に表示された仲間が、祐希しかいなかったのだ。
実に珍しいことであり、隼人はちょっと呆然としながら、自分への慰めも兼ねて各自の理由を思い出してみた。
「確か理佐ちゃんは教育実習だったよな。瞳魅ちゃんと優羽ちゃんは帰省してて……凌ちゃんも帰ったんだっけ?」
優菜とるいはゼミ旅行。ほかのメンツはカレシ絡みのアレやコレやだな、多分。陽子以外は。つかそもそも陽子はまだ加入してないし。
不意に、気配を感じて振り返った。旧知の、ありえない気配に。
「長谷川さん……?」
そう、隼人から10歩ほど離れた位置でこちらを見つめているのは、長谷川ことバルディオール・レーヌだった。焼けただれた姿も哀れに立ちつくすそれはほんの数秒で消え失せたが、
「残留思念ってやつか……」
彼女が非業の最期を向かえた場所なのだから、当然といえば当然か。
今隼人が立っているのは、かの戦闘が行われた地の外周だった。
物珍しさでここにいるわけではない。自らが手にかけた相手をしのんで、のこのこやってきたわけでもない。ましてや、警備員の制服を着て蛍光ベストを身にまとったこの姿でそんな行為に及ぶほど、隼人は酔狂な感覚の持ち主ではないのだから。
先年の戦闘は、世間的には爆破テロと発表されていた。その廃墟が、暗がりを求めるカップルや廃墟マニアを引き付けるらしい。近くにデートスポットがあることも加わって、カメラによる監視も無視した侵入者が続発し、ついに暴行未遂事件まで起こる始末。業を煮やした破産管財人が見張りを立てることとなったのであった。
そのバイトが自分に回ってくる。これも因縁だろうか。お決まりのパターンだと、長谷川の怨霊に悩まされる端緒になるんだろうな。隼人は今日何度目かの悪寒に震えた。
救いは、雲一つない晴天のおかげか、星空を見にくる人がスポットとバス停のあいだを時々往来してくれること。だったのだが……
「あれ、神谷君?」
これまた旧知の声にバス停のほうを向けば、
「! こんばんわ、沙耶さん」
沙耶が15人ほどの男女と連れ立ってやってきたではないか。
「上で星空鑑賞っすか?」
「え、ええ、そうなの」
相変わらずちょっと挙動不審というか、眼が泳ぐところは変わらない。だが今夜は、その原因を察することができた。
「沙耶さん、この人、知り合いですか?」
そう言いながら沙耶の傍に立ったのは、1人の男性だった。口元こそほころんでいるが、眼鏡の奥の瞳は不審の念と警戒心も露わに細まっている。そういう眼を、隼人は中学校以来幾度も目の当たりにしてきた。
要するに、『気に入らない。俺の好きなアイツがオトコとしゃべってやがる』という眼である。
そして、これもすっかりおなじみの、
「え、ええ、ちょっとボランティアで知り合いの人なんですよ」
『なんでもない。ただの知り合い。以上終わり。ね?』感を醸し出す女の子。
仕方がない、矛先を逸らすか。
「上、だいぶ人が減ったと思いますよ。さっきのバスでだいぶ帰ったから」
「そ、そう。バイト大変ね。じゃあ」
別れもそこそこに、沙耶は先に立って歩き始めた男の後を追った。男に群がる女子大生と思しき数人に負けじと足を速めて。
……なるほど、
「あれが優羽ちゃんの言ってた、好きな人って奴か……」
知的で穏やかそうな人だったな。沙耶が知り合いと話してるだけで眼が笑ってないのは、どうかと思うが。
そして沙耶の、あの人を見上げる目がもう。
「恋する女の子は大変やね……」
そんな揶揄を彼方のバス停に向かって飛ばしている、俺。なんでこんな、寂しいんだろうな。
茶化してごまかそうとする気持ちは、もちろんバス停が受け止めてくれるはずもなく、隼人は自分が苦虫を噛み潰したように口を引き結んでいるのを自覚した。
春の星空。満天の星空。沙耶には残念ながら星の知識は無い。でも、大丈夫。
「あれがスピカで、その左のほうに赤く輝いているのが、アンタレス――」
彼が星に詳しいなんて、知らなかった。その横で同じ空を見上げて、彼の低くてよく通る声に聞き惚れて。同じ感嘆に浸っているであろう女学生たちをにらみたい衝動を必死に抑えて。
いつまでも、この時間が続けばいいのに。いつかは2人だけでこの星を、いや、いつでもどこでもいつまでも。
半年前は、こんな気持ちにはなれなかった。そもそも、こんな場には立てなかったのだ。そう、だからこそ――
「沙耶先生、泣いてる?」
「?! ち、違うわよ。ホコリがちょっと……」
だめよ、こんなじゃ。
彼の好みは――学生たちの噂話を小耳に挟んだところによると――明るくて可愛い女の子なんだから。
過去の情念をいつまでも引きずり続ける、じめじめした暗い女じゃないんだから。
囃し立てる学生たちを軽く一にらみすると、沙耶は涙をぬぐって彼をまた見上げた。見下ろしてくるその穏やかな笑顔。
でも、何も言わない笑顔。
どうして、なにも言ってくれないの?
(うわー、めっさ見つめあってるし)
(いたたまれないんですけど)
(いやむしろここはお邪魔虫に徹してさ)
学生たちのさえずりをすらBGMに無理やり変換して。
「あの……」
精一杯作り上げた笑顔は、中断を余儀なくされた。彼の向こうの闇から、複数の人の悲鳴とともに、妖魔の気配が膨れ上がったのだ……!
5.
隼人は警備バイト引継ぎのあいさつもそこそこに、原付に飛び乗った。帰るふりをして発車したあとしばらくして、ぐるりとUターン。物影に原付を停めるのももどかしく、坂を駆け上がる。
あの気配、妖魔に違いない。そしてその気配と悲鳴が去らないのが、隼人の脳内を警報一色に染める。
沙耶がいるはずなのに、一向に治まらない騒動。答えは1つ。彼女は一般人の前で、あの人の前で、鬼の血力を見せられないのだろう。
走りながらの揺れで苦労しながら参謀部を呼び出し、
「状況を教えてください」
息を弾ませながらの確認は、彼に覚悟を強いるものだった。
つい30分ほど前に、同時多発的に妖魔が出現。鷹取の巫女たちはその討伐に出動しているのだ。つまりこちらに回ってくるのは当分先ということになる。
「了解。なんとかします」
そう叫んで通信を切り、手間取りながらも白水晶を取り出した。一瞬、下から見られちまうかなと考えたが、躊躇はしない。
「変身!」
エンデュミオール・ブラックは疾走から跳躍に切り替えた。
逃げ惑う人々。20人以上はいるだろう。沙耶は不本意ながら、それに従って逃げ惑わざるをえない。
そんな中でも、彼女の眼は周囲を把握していた。
錯乱して闇雲に走り回っているのは、"受け入れられない"人々。わけも分からぬまま生存本能は働いているので、この人たちは心配ない。
問題は、彼。あくまで沙耶個人にとっての問題なのだが。
彼の表情からは穏やかさは消え、一瞬見とれるほど精悍になっていた。学生たちを誘導し、しかし妖魔に行く手を遮られて果たせず、すぐに方向転換を繰り返している。
(良かった、順次郎さんは……)
そんなことに気を取られていて、肝心の妖魔討伐が疎かになっていることに、沙耶は気づいていない。
たとえ気づいたとしても、彼女はできないだろう。意中の人の目前でいきなり鷹取の技を披露するなんて、とても。中学生の時のトラウマは、その後の言動を縛るからこそトラウマなのだから。
そして、窮地は直後に訪れた。逃げ回るうちにいつしか彼女たちは立ち入り禁止区域に入り込み、切り立った岩の前に追い詰められていたのだ。
蠢く闇を割って、女の声が聞こえる。
「思わぬ大物が釣れたな」
続いて姿を現した細身の女が放つ笑みには、邪悪さしか感じられない。
沙耶はすっと一歩引いて、視界を広げた。この女以外には、妖魔が長爪と金剛取り混ぜて、10体。崖の上に回りこんでいなければだが。
この程度なら、月輪の一斉射で蹂躙できる。女がたとえ鷹取の血を引く者で、羽衣や撥布で防いだとしても、次の一手で叩き潰せるだろう。
でも。
ちらりと見やった彼は、彼女とは逆に一歩進み出ていた。彼女を護るために。きっと。きっと。
精悍さは失われていないものの、顔色は月の出ていないこの夜闇でも分かるほど、青い。
「ふん、まあいい。やる気がないならこちらから行くぞ」
今度は女が一歩退き、代わって妖魔が前進を始めた。彼我の距離は10メートルほど。それが徐々に狭まり始めて、女子学生たちはある者は絶望の悲鳴を上げてうずくまり、ある者は失神して倒れ込んだ。
血力を使わなければ、皆が死ぬ。
血力を使えば、今のこの関係が保てなくなる。彼との、ようやくここまできた関係が。
どうする、どうする、どうする――
「セヤッッ!!」
聞き慣れたその掛け声が、空から降ってきた! 声に先んじて、輝く光線も。
光線は狙い過たず長爪を捉え、悲鳴とともに転倒させた。沙耶が見上げた中空には、舞い降りる黒いエンデュミオール。彼女は届かぬ飛距離を、なんと金剛の頭頂を踏み台にして再度の跳躍で沙耶の元まで来てくれた。
ブラックは、一言も発しなかった。全てを察していると言わんばかりの顔で、にこり。いつも隼人がしてくれる柔らかな笑みを見せただけで、すぐに動いた。
「プリズム・ウォール!」
スキル名の詠唱に数瞬遅れて、光の厚い壁が彼女と彼を隔てた。
ブラックは振り返ると三段ロッドを腰から引き抜き、飛来した月輪をはじくと妖魔の群れに向かって走り出した。
「各地の戦況は?」
「一進一退です」
その簡潔な報告に苛立ちと、反面奇妙な安堵を覚えて、袴田主任参謀は額の汗を拭った。
妖魔召喚アイテム――なんとも安っぽいネーミングだが、呼称が不分明な以上仕方がない――の登場により、同時多発出現の可能性が高まった。この機に乗じて疫病神が仕掛けてくることを考えても、出現地が倍になる可能性も予見されたため、対策を検討しようとしていた矢先のこの事態であった。
現在沙耶を守っているのは、あの黒いエンデュミオールただ一人。空撮映像を見る限り、やや押されつつある。
ピンチだ。鷹取家総領候補者の一人に身の危険が迫っている。
チャンスだ。眼の上のたんこぶであり、痴情沙汰を起こした凶状持ちを、自分の手を汚さずに始末できる。
袴田はまた汗を拭うと、最善を尽くした。
各地に沙耶の状況を報告し、その上で、戦力を割いて彼の地に送ろうという提案は退けた。その場を鎮圧するだけでなく、栗本の残党を(可能ならば)捕らえねばならない。そのためには戦力の減退は認められない。そう説明をして。
そう、俺は最善を尽くしたのだ。俺の出世のために。
そこはかとなく漂ってくる、部下の参謀たちからの疑念を無視して。
袴田は厳しい表情を変えぬまま、総領に述べるお悔やみの言葉と、帰宅後に開ける祝杯の銘柄を吟味し始めた。
ブラックは金剛の拳を大きく避けると後ろへ跳び、息を整えようとした。
長爪はともかく、やはり金剛は硬い。そして、あの女が隙を突いて飛ばしてくる月輪が厄介であった。そろそろ体力が少なくなってきているのを実感している。
増援はまだか。そう問いかける余裕も無くなりつつあるのだ。
そんな彼の気力を支えているのは、背後の光の壁の向こうにいる一人の女性。いつの間にか傍らの男性より前に進み出て、壁に手を突いて戦況を見つめる、沙耶だった。
折々にちらりと盗み見たその表情は、ブラックがかつて見たことがないほどやるせなげで、そのたびに気合を入れ直して奮戦していたのだが。
細身の女、妖魔の召喚主の口が、三日月形に吊り上がった。
「そろそろ仕上げといこうかな」
女が高々と差し上げた手の中に光が生まれ、溢れ、そして――
「……嘘だろ?」
女の背後に地中から沸いて出たのは、ブラックが資料映像でしか見たことがない妖魔。6足を配した腰部に人型の上半身を乗せた姿の、全高5メートルほどの異形。疫病神による現世侵略の指揮官的位置にあるとされる、緋角だったのだ。
2体が女を護衛するように両脇に進み出るが早いか、頭部左右に生えた一対の角が発光し、光弾が打ち出された!
「くっ! プリズム・ウォール!」
ブラックの張り得る最高の防壁は、残念ながら半ばしか効果を発揮しなかった。命中するやたちまち光壁を粉々にした光弾は、サイズこそ縮小したもののブラックの身を襲い、後方に吹き飛ばしたのだ!
沙耶の引きつったような悲鳴を遠くに聞きながら、ブラックは跳ね起きるのに失敗して、片膝を地についたまま大きく喘ぐことしかできない。
満点の星明かりなど意味を為さ無い絶望の暗黒が、彼と彼女を包みこもうとしていた。
悠刻のエンデュミオール Part.8 END
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。感想などいただければ幸いです。よろしくお願いします。
新キャラがいろいろ出てきまして、そのお披露目作になるのはある程度覚悟しながら書いてたんですが、4年生たち(隼人除く)の影が薄いですな、ほんとに。君たちのオールアップはまだまだ先だからと声を掛けてやりたいところです。
さて次回、絶体絶命のエンデュミオール・ブラックに援軍は来るのか? それとも、沙耶が諦めとともに敵を捻り潰すのか? お楽しみに。
……と言いたいところですが、8月公開は未定です。何一つ弾がありゃしません。うまくいけば、『繚華の龍戦師 Ⅲ』になると思いますが……状況は随時お知らせします。公開パスも視野に入れつつ、またお会いしましょう。
別件ですが、明日(5/26)『1.4!!』を公開します。お楽しみに。




