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第11章 敵討ち、あるいはコンペイトウ

1.


 反省会はその後すぐに休憩となり、みんなが落ち着くのを待って、今後の方針について説明があった。

 奪われた栗本の身柄には、抑縛呪が掛けてある。そもそも重傷を負っており、生死不明という状況である。

 また、救急車を襲撃した複数犯については、救急隊員の証言から手配書を作成して全国指名手配がされている。栗本も同様である。

「――というわけで、捜査の進展を待ちましょう。地獄に戻された疫病神が活動を再開するのもそう先の話ではないだろうし、そちらへの備えを変わらずしてください」

 ほかに質問もないまま終了しかけた流れを、手を上げて遮った者がいる。支部長だった。いぶかしげな顔をした沙耶と琴音を真っ直ぐ見つめて、

「鈴香さんにお伝えください。あなたがどんな身の上であれ、我々はあなたがまたここに来てくれることを願っています。待ってますからと」

 沙耶も、立ち上がった琴音も、深々と一礼して。反省会は終わった。

 サポートスタッフたちがすぐに立ち上がって業務に戻っていく。そのざわつきの中で、隼人は目を閉じ、思索にふけっていた。

 あの日見た別人格。あれが、疫病神だったのか。

 今聞かされた現実から思い起こせば、鈴香の朗らかさの中に時折影が見えていた気までして、思わず苦笑いしてしまう。知り合って半年余り、次々と場面が浮かぶほど触れ合いがあったわけでもないのだから。

「なに笑ってるの? 隼人君」

 理佐が寄ってきたので理由を話すと、共感してくれたようだ。

「確かにね……そういえばあれもこれもってなるよね」

「「してみるとあれかな、大酒飲みなんも疫病神のせい?」」

「あれは個人の資質なんじゃないのか?」

 ミキマキの首傾げにならって傾げていると、意外な方向から声が飛んできた。

「そんなわけあるか。ロスクヴァ人でもぶっ倒れる量だぞ、あれは」

 ソフィーが一番後ろから近づいてきた。眉をしかめているので、なにか因縁があるのかと尋ねてみたら、

「大使館のワインフェスティバルに連れて行ったから、な……」

 ああ、皆まで言わなくても分かります。

「空き瓶の山が築かれたんですね……」

「そこまでして呑みたいっていうのは、もはや個人の嗜好な気がしますが」

 祐希の指摘に笑って、はたと気づいた。

「そういえば祐希ちゃん、今日は質問が無かったね」

「わたしが質問しないと、なにがおかしいんですか?」

 さっそくツンケンし始めたが、もはや様式美と化しているので気にならなくなってきている。そもそも本当に嫌いなら、飲み会での同席すら断るだろうから。

「オカルト好きとしては、疫病神関連への食いつきがあるかと思ったからさ」

 祐希の目が真っ赤なのに気づいたのは、そう指摘したあとだった。

「……琴音さんがかわいそうじゃないですか。一番親しい人が、自分のおうちの宿敵にだんだん変わっていって、それを止められないなんて」

 そんな話をされて、質問なんてできない。祐希の沈んだ口調に、隼人は彼女の優しさが垣間見えた気がした。

 それは、言及された当人も同じだったようだ。

「祐希ちゃん……ありがとうございます」

 琴音がすぐ傍まで来ていた。さっきの会話が聞こえたのだろう。続いて、

「大丈夫。私は、大丈夫だから」

 と顔を上げた彼女だったが、祐希は最後まで言わせず、その細身を抱き締めた。

「こういう時は、がんばらなくていいんですよ。もぅ……」

 祐希の細い肩に顔を伏せて、しかしやはり遠慮がちな琴音の泣き声が聞こえ始める。

「どちらが年上か分からないわね」

 そう揶揄する沙耶の顔も口調も穏やかなもの。だったのに。

「そーゆーことは沙耶ねえさまがしてあげればいいんですよぉ。年長者なんだし痛ぁい!」

 優羽の余計な一言で、むくれる沙耶であった。

(年上っての、気にしてるんだな……)

 だが凝視するとまた固まってしまいかねないので、視線を逸らしたところへメールが着信。それは、瞳魅からだった。文面は、

『いったん帰った振りをして、こっそり支部長室に来てください。沙耶様からお話があります』

 さりげなく見回したが、会議室の中にはいない。内容が内容だけに、外に出てメールを送ってきたのだろう。

「さ、じゃあ俺、帰る。お疲れ様」

 これもできるだけさりげなく伸びをして、隼人は帰路に着いた。

 一方、会議室の隅では、会長が陽子に手を差し伸べていた。呆然としているような、考えを巡らしているような、曖昧な表情の彼女に。

「理解、できたかな?」

「さっぱりです。でも――」と眼鏡を直す仕草をしてから、陽子は立ち上がった。

「要するに、あの疫病神の侵略からこの世界を守ってるってことですよね?」

「それだけわかれば十分よ」

 理佐も陽子の傍へと寄った。

「まさか陽子ちゃんとこんな場所で会えるなんてね」

「わたしこそ、理佐さんがこんなファンタジックなお仕事してるなんて思いませんでしたよ」

「ま、いろいろ世知辛いファンタジーだけどね。でしょ? 会長さん」

 万梨亜が笑いながら優菜とともに来た。ほかのフロントスタッフたちも集まって……あれ? 隼人君は?

「帰ったで」「素早かったな」

「わたし、何も聞いてないけど」

 あたしらもだよと言う優菜を無視して、電話をかける。

『ああ、ごめんな。お疲れ様って言って出てきたけど、聞こえなかった?』

「……もっとちゃんと言ってってよ」

『ん、ごめんごめん。じゃ、おやすみ理佐ちゃん』

「あ、ええ、おやすみ……」

 通話が切れて立ち尽くす理佐を置いて、会話は進む。

「それで、どうかな? やってみない?」

 陽子は少し考えるそぶりをしてから言った。

「もうちょっと分かりやすい資料ないですか?」

 会長はそれを聞いて、固まってしまった。

「……ないんすか?」「そういえばわたしらも、まともな説明って受けてないですね」

 そう言い合って、万梨亜と祐希が笑ってる。

「この際、作ったらどうですか? これからも新人が入ってくるだろうし」

 支部長の言葉に、会長は腕組みをして渋い顔をした。

「そりゃあったほうが楽だけど、そういうのって、作ると漏えいのリスクが発生するのよね……」

 部屋の隅で電話をかけていたるいが、こちらを向いた。どうやら話を耳に入れていたようだ。

「ダイジョーブ!」

「なんでだよ」

「そーぞーしてごらん? このボランティアや鷹取家のことが書かれた紙のことを」

 怪訝そうな優菜に笑いかけるるいの顔は、実に楽しそうだった。

「こんな厨二病設定を読んで、誰が信じると思う? 信じる人は、脈ありってことジャン」

 その言葉にみんな納得して、会長は資料を作ることにしたのだった。


2.


 誰かに見つからないよう警戒しながら滑り込んだ支部長室は、紅茶の香りで満ちていた。

「遅れてすみません」

「もーせんぱい遅いですぅ」

 可愛く膨れる優羽に、電話の応対に追われて遅れたことを説明した。

「なんか知らないけど、優菜ちゃんや美紀ちゃんから次々にかかってきてさ、大丈夫かって」

 そう言いながら室内を見渡したが、思わず首を傾げてしまった。

「ん? どうかした? 隼人君」

 横田の質問に、さてどう答えたものか。なぜなら、この秘密会合の出席者の構成についてなのだから。

 鷹取家は、先ほどの反省会に出席していた5人。沙耶、琴音、優羽、瞳魅、そして沙良である。瞳魅からのメールだったことから、鷹取家関連の話が何かあるのだろうということが分かる。

 『あおぞら』からは支部長と横田。これも分かる。この支部の代表とその補佐役だからだ。

 分からないのは2人。ソフィーと、誰あろう隼人自身だ。

 そのことで少し見つめてしまったせいか、ソフィーに軽くにらまれた。だが、彼女の口を突いて出たのは、

「私もこの男と同じ疑問を感じているのだが」

 というものだった。

「あ、分かります?」

「不本意だがな」

 掛け合いに苦笑して、物問い顔の一同に説明する。

「俺とソフィーさんは、なんで呼ばれてるんだろうなって」

「ソフィーさんを失うわけにはいかないからよ」

 それが、沙耶の答えだった。

「今からする話を、頭の隅に入れておいてほしいの。あなたたちも、巻き込まれる可能性が高いから」

 『あなたたち』とは、ソフィーも隼人も、支部長たちも含むのだろう。

 そう横田が確認してうなずかれ、説明は始まった。

「さっきの反省会で、琴音ちゃんを告発したのがお母様だって話はしたわね?」

 うなずく隼人たちに釣られるかのように沙耶の口から語られたのは、鷹取家内部の暗闘だった。

 鷹取一族が結婚する際は、必ず嫁や婿を迎える。つまり他所人に鷹取家に入ってもらうのだそうだ。

 問題は、その他所人たちによって起こされていた。一部の者が自分たちの待遇に不満を抱き、その向上を図るべく策動しているというのだ。

「待遇というと、具体的にはどうなっているんですか?」

 そう問う支部長の眼は、心なしか光っているように見える。そういえばこの人、こういう内幕物も好きだったっけ。

 嫁や婿の待遇。それは一言で言うなら、『いたって普通』である。

 まず、財閥系以外の企業にしか就職できない。さすがに給料はそのままポケットマネーになるようだが、鷹取や海原の持つ莫大な資産にはタッチできない。

 そして、一族の方針などを協議する場には入れてすらもらえない。それがなにより不満らしい。

 彼らを糾合しているのが、もう一人の主任参謀・袴田である。そこに一族の大物が絡んでいることによって、話は複雑化しているのだそうだ。

「誰ですか?」

 ソフィーの問いかけに顔を見合わせたあと、沙耶はややためらうそぶりを見せながらも、はっきりと答えた。

「参謀長。つまり、鷹取一族の男性で一番年配の人物ということになるわ」

 ああ、あの。というソフィーのつぶやきからするに、旧知の人物のようだ。

「私をいやらしい眼つきで見てくる老人だ」

「そっちですか」

 ご老人の気持ちはよく分かるが、ここでそのコメントはさすがに脇に逸れすぎる。隼人は自重し、別の話題を選んだ。

「その人たちの目的は、待遇改善ですか」

「給料丸々懐にってだけでうらやましいんですが」

「まあでもお金持ちのお嫁さんお婿さんだと、また違う欲が出るんじゃない?」

 だが、『あおぞら』3人組の会話に、鷹取が乗ってこない。気まずげに押し黙っているのだ。そして今回、空気を読まない役は私だとばかりに、ソフィーが眉をしかめて口を開いた。

「説明が不十分なようだな」

「ソフィーさん、それだと自分が説明役みたいです。『説明がまだし尽されてない』のほうがいいっすよ」

 そこから少し2人で日本語談義をしているあいだに、鷹取側は説明すべき点をまとめたようだ。琴音が口を切った。

「あの方々の目的は、待遇改善ともう一つ、あります」

 ちらりと見やった先は、沙耶の意外と穏やかな顔。

「沙耶様の廃嫡です」

 ソフィーに分かりやすく、後継ぎでなくすことだと説明した。すると、興味深そうな、しかし悲しげな表情になった。

「どこもかしこも、だな……」

「ええ」と受けたのは瞳魅。

「エンゲランドの侯爵家も揉めてますもんね」

「なんで揉めてるんだろーね?」

 とほっぺに人差し指で首を傾げる優羽。ほんと、あざとい仕草に抜かりがないな。

「エリザベスさんに人望が無いから、って誰かが言ってたような……」

「えーあたしベスちゃん好きだけどなぁ」

(エンゲランドの侯爵家って、ワーウルフのところでしたっけ?)

 ソフィーに顔を寄せて、かつて鴻池から聞いた情報の記憶を頼りにこっそり尋ねてみたら、正解だった。

「優羽ちゃんと馬が合いそうにないけど」

 沙耶の疑問に、優羽はにっこり。

「だってぇ、からかい甲斐があるんですもん」

 ここで、支部長が手を挙げた。エンゲランドのお話はまたの機会にと話題を戻して、

「それで、なぜ、その方々は沙耶さんを目の仇にするんですか?」

 沙耶の回答は淀みが無かった。いや、棒読みとはぎりぎり言えないくらいの抑揚の無さではあったが。

「私が2年前に犯した過ちを咎めて、総領になる資格は無いと主張しているそうよ」

 そして、じっとり。隼人は彼女のやや血走った瞳がソフィーを見すえていることに気づいた。

(ソフィーさんが関わっていることなのか?)

 だが、ソフィーの表情には疑念が見えるだけで、自分がなぜにらまれているのか分からないようだ。説明を求めるように鷹取の面々を追って視線が泳いでいるのである。

 そしてその行為に、鷹取家にホッとした空気が流れるのも感じた。

 でも、このままじゃ。

 隼人は姿勢を正すと、沙耶ではなく沙良をまっすぐ見すえた。

「このままでは意味がさっぱり分からないよ。話して。詳しく」

(搦め手を突いてきましたね)

(隼人君が頭を使ってるなんて、成長したわね)

 ひどい言われようだが聞こえないふりをして、悶える沙良を見つめる作戦、続行である。

「……2人っきりで会ってくれたら、説明する」

「その権利、買った!」「買うなバカ」

 ツッコミとともにヘッドロックを決められて悲鳴を上げる優羽を放置して、沙良を見つめ直す――前に、沙耶が口を開いた。苦しげな表情を浮かべて、ひび割れた声で。

「2年前、私は……この現世を消滅させようとしたの。全てが、どうでもよくなって」

「分かりました」

 え?! と口に出した沙耶と、出さなかったが顔には出した一同と。それら全てを見回して、隼人は微笑みを作った。

「それで十分です。要するに、それでも俺たちに事情を知ってほしい、助けてほしい。そういうことですよね?」

 答えは、沙耶の涙だった。


3.


 翌日、ソフィーは自室で主君・アンヌと久しぶりの会話をしていた。といっても、相手ははるか彼方の祖国にいて、ソフィーの前にあるのはアンヌを可愛く10センチ程度の3頭身にデフォルメしたホログラフィを投影する機器なのだが。

 そのキャラが腕組みをしたまま、ソフィーを見上げてきた。

「で、結局詳細は語られぬままか」

 うなずいて、次のお言葉を待つ。彼女には、先に問うてあったのだ。

『鷹取沙耶は、いったいどんな過ちを犯したのか』

 先日の秘密会合でサヤに見すえられたあと明かされた、中途半端な事実。そこからソフィーは推測したのだ。それほどの凶行なら、本国の伯爵家になんらかの情報が伝わっているだろうと。それをソフィーが聞き知っているのではないかと恐れられたのではないかと。

 腕組みをして逡巡している様子を見せるアンヌを見すえて、じっと待つ。姿勢を崩さぬまま。なぜなら、向こうにも同じ機器が備え付けてあって、ソフィーの姿が3頭身キャラとして立体投影されているのだから。

 アンヌの誕生日プレゼントとして――そして友好の証として――海原家より贈られたこの通信機器、初めはなぜ3頭身キャラなどわざわざ創り出すのかと主従揃って首をひねったものだが、4カ月経った今では分かるような気がする。

 ノーメイクの早朝だろうが、着替え途中の慌てた通信だろうが、リアルを反映しないのだ。ただこちらの姿勢や仕草、表情をセンサーで読み取って、向こうの登録したキャラがシンクロするだけなのだ。

(だからといって萌えキャラにする必要は無いと思うがな)

 何回目かの感想に至った時、思い定まったらしき仕草を、アンヌがした。そして聞かされた話は、恋い焦がれた末に選ばれなかった女が狂気の果てに起こした凶行未遂、であった。

「そうですか……そんなことを、あのサヤが……」

 恋は人を狂わせる。アムールの国の女としては堅物に分類されるソフィーですら、経験がある現実だ。といってもソフィーのそれは、せいぜい痴話喧嘩のレベルにとどまったのだが。

「だとすると――」とつぶやく3頭身に、追憶を中断して視線を据えた。

「ますますハヤトが呼ばれた理由が分からないな」

「そのことについてですが、思い当たる節が無くは無いのです」

 それは、参謀部内に流れる噂であった。鷹取屋敷内にある神社に祀られている祟り神が哭いたというそれは、その時当直だった常勤の参謀が確かに聞いたのだというまことしやかな証言でデコレイトされていた。

「祟り神が哭く。すなわち、鷹取が繁栄する証だと。そしてその時――」

「その時?」

「ハヤトたちが屋敷の敷地内にある桜を見物しに来ていたのです」

 あごに手を当ててしばらく、アンヌの目つきが鋭くなった。

「この件は、ミレーヌ様に報告しておく。もう少し探ってくれ」

「探って、どうなさるおつもりですか?」

「それはミレーヌ様が考えなさること。だがあえて憶測を許されるなら――」

 ソフィーは唾を飲み込んだ。アンヌのこの表情は、久しく見られなかったものだ。

「鷹取家の繁栄に力を貸せ。あるいは、ハヤトを亡き者にしろ」

 思わず上げたくぐもった声を聞かれてしまったことを悟ったのは、アンヌの表情が一変したからだ。

「いや、やはりこう進言しよう。『ハヤトをソフィーの色仕掛けでこちらの言いなりになるよう謀りましょう』と」

「お、お戯れを! どうしてあのような、そのような……」

「お戯れ?」と実に楽しげな主君の軽口は続く。

「このあいだルイが送ってきたのは、それこそお戯れな写真だった気がするが」

「ち、違います! あれはその、ちょっとお酒が過ぎましてですね……」

 言えない。『アンヌの物真似をした京子が優菜に言い寄っているお芝居を、みんなで囃し立てているシーン』だなんて、とても。

「そ、そういえば、レポートはお読みいただけましたか?」

 話を無理やり転換すると、アンヌの口調も改まった。

「うむ。治癒スキルを持つバルディオールをこの国へ呼び集めるべく、ミレーヌ様が号令を掛けている。鷹取から返還された黒水晶も有効活用せねばな」

 そこで、アンヌの顔が曇る。バルディオールのなり手がいないらしい。

「一族の者たちは『後方で治癒担当など、戦士のすることではございません』などと主張していてな」

「そんなことを言っている状況ではないのに……」

 バルディオールへの変身の才能が無いミレーヌとしては、歯がゆいことこの上ない。先年の大侵攻の時に受けた大損害を、もう忘れたのだろうか。

 その思いを口にすると、アンヌの表情が柔らかい笑みに変わった。

「変わったな、ソフィーは」

「……そう、でしょうか」

「うむ。以前のそなたなら、一族の者たちと同じことを言っていたと思うぞ」

 主君の口調は、また柔らかくなった。

「そういえば、鷹取家から感謝状が来ていたぞ」

「感謝状ですか?」

「うむ。そなたが疫病神を撃退するプランを立案したそうじゃないか。先日、参謀長殿がこちらに見えたのだ」

 感謝状だけでなく賞賛の言葉も添えられて、ミレーヌは大いに気をよくしたらしい。

「ありがたきお言葉ですが、私は叩き台を出しただけ。実行可能なプランに仕立てたのは、あの主任参謀です」

「チョビヒゲか?」

「Non,Non,Non」

 ソフィーは満身で否定した。


4.


 ソフィーがアンヌと通話をしていた、ちょうどそのころ。

 瞳魅は妖魔討伐に出動していた。午前中に動ける巫女が、近在に彼女しかいなかったためである。

 川沿いの公園は平日ゆえ人もほとんどおらず、それゆえ封鎖は容易だったのだが、

「長爪が1匹……?」

 独りぼっちの妖魔と対峙しながら、参謀部を呼び出す。尋ねると、ここ数日この辺りで戦闘は無かったとの回答だった。

「討ち漏らしじゃないのか……」

 さっくりと動いて長爪に攻撃を仕掛ける。思ったより動きが素早い相手に手こずりながらも、ローキックからのコンビネーションで粉砕に成功した。

「ふう……」

 ふと沸いた寂しさがおかしい。これが夜なら、エンデュミオールが誰かしらいて、お疲れさまと声を掛けあう流れである。年明けを期して始まった『あおぞら』との協業は、わずか4カ月で、瞳魅たち巫女にこれほどまでに心理的な影響を与えていた。

「今日は久しぶりに支部に顔を出そうかな」

 代わりというわけでもないが、死体の後始末のため近寄ってきた庭師たちに声をかけようとして。瞳魅は息を飲んだ。

 3メートルほど向こうにある雑木林。そこから沸き上がってきた、この妖気は……!

「総員警戒!」

 だが、庭師たちに襲いかかってきたのは、妖魔の鋭い爪でも硬い拳でもなかった。春の日中でも発光がまばゆい、細い三日月形の――

「月輪……?! くっ!!」

 とっさに地を蹴って立ち塞がろうとする瞳魅の努力をあざ笑うかのように、高い唸り声を上げて目の前を通過した月輪は、3本とも庭師に命中! 悲鳴とともに上がる血飛沫が、瞳魅の決意を固めた。

 何者かなど、意味のない詮索はしない。鷹取と海原の家業を支えてくれる人々を守り、傷つける者を許さない。それは、支えてもらう者の、当然の義務なのだ。

「瞳魅様!」「救助しつつ警戒!」

 自分の名を呼ぶ庭師の残りに短く告げて、瞳魅は雑木林に踏み込んだ。横合いの樹を回り込んできた月輪を撥布で弾きながら、敵の所在を探す。そうして3分ほどで、敵は姿を現した。どう考えても瞳魅にその姿を見せつけるために、悠然と。

 それは、一見普通の女性だった。30歳前後だろうか、沙耶よりも老けて見えるその容貌は、美しいとは言い難く、愛嬌があるとも言いにくい。それは、女性の顔に浮かぶ表情が険しいことからくる部分もあるのだろう。

「独りで突っ込んでくるなんて、バカなの?」

 第一声もまた、嘲弄の混じった厳しいものだった。

 バカ。そう呼ばれて、瞳魅は初めて自分の取った行動の愚かさに気づいた。敵が一人とは限らないのに。

『瞳魅様。できるだけ時間を稼いでください』

 イヤホン越しに聞こえる男性参謀の声に、少しだけ安堵した。林の中ゆえ電波の入りが悪く、ざらついた聞こえ具合だが、現状を彼らが把握しているのを察することができたのだ。

 だからあえて、声を張る。自分がまるで海原の代表であるかのように。

「何者なの?」

「マスイド。そう呼ばれているわ」

 いえ、と続けた女性の眼に、怒りの炎が宿るのが見てとれた。

「呼ばれていた。そう呼んでくださった。あの方が……それを、貴様らが……!」

 ぐっと一歩踏み込んできたマスイドの右手がアンダースローの軌跡を描き、突光が繰り出された!

 瞳魅は避けなかった。わざとなのか、あるいは激情から手元が狂ったのか。突光は彼女の左腕の10センチ以上向こうを通過していったのだから。

(月輪に突光……でも、一族じゃない……)

 彼女たちは、一族の集まりを大変大事にする。決して多いとは言えない鷹取一族の絆は、この目の前で荒ぶる女性を他所人と即断していた。ゆえに、

「へったくそ! 誰あんた? ろくに修行もしてないくせに、チョーシこいて血力使ってんじゃねーよ」

 かなりはすっぱな言葉遣いで煽ってみたら、効果テキメンだったようだ。怒りで顔を朱に染めたマスイドは、唾を飛ばしてまくし立て始めた。

「黙れ! 黙れ! ぬくぬく育ってきたお嬢様に何が分かるんだ! 呪われた血を持って散々苦労してきたあたしらのことが!」

「分かんねーし、つか呪われてんのはわたしらもだし」

 髪に手をやる振りをして、マイクの感度を最大に上げる。こちらの声も大きくなってしまうが、参謀部には我慢してもらおう。

 だが、瞳魅の小細工は無に帰した。マスイドが次に放った言葉によって。

「死ね。主、栗本の仇。鷹取と海原の全ての者よ。亡き主が作り出したる至宝によって」

 邪悪な笑みとともに彼女がジャケットのポケットから取り出したのは、あえて形容するならコンペイトウのような突起物が多数突き出た球体だった。

(爆弾? それとも呪いのアイテム的なやつ?)

 どちらであっても、羽衣で防げる。展張の構えを見透かしたようにマスイドはほくそ笑むと、球体を高々と差し上げた。

「出でよ! 地獄の眷属!」

 そして、瞳魅は自分が震え始めたのを自覚したのだ。マスイドと自分の周りに地から湧き出始めた、妖魔の一群に目を奪われて。

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