第10章 代替ワリニ叶ウ者
1.
玲瑯舎大学での爆発から1週間。あの事件は『大学構内での車両爆破テロ』として警察から発表され、いまだにマスコミをにぎわせていた。幸い大学構内は無人であったため死傷者は無く、事件直後のメディアには、虫の知らせで難を逃れたと主張する人々のコメントがあふれかえっていた。
それらの記事をチェックしながら、陽子はじっと考え込んでいた。朝のコーヒーがすっかり冷めてしまったことにも気づかずに。
……理佐の変貌を目撃して以来、すっかり彼女の日課となってしまったSNSのチェック。それをあの日も行っていた。その前に、教官から出された課題もきっちりこなして。SNSのチェックに時間を割くため、逆に彼女は課題やレッスンに熱中するようになっていた。
玲瑯舎大学近辺が警察に封鎖されている。その情報を掴んで、陽子はためらわなかった。大学が自宅に程近いことも決断に作用したのだろう、スマホだけでなくデジカメも引っつかんで――万が一警察と揉めた時に、スマホを取り上げられたら困る――外に飛び出したのだ。
なるべく警官のいなさそうな路地を選んで、忍び足。以前試みた時は、封鎖線よりはるか手前で警官に遭遇してしまい、注意を受けて帰宅せざるを得なかったのだ。大嫌いなランニングシューズまで履いて、抜き足差し足で大学に接近を試みた。
5分ほど進んだ路地裏の暗がりで、マップを確認した。
「だいだい、いつもこのあたりから出動しているはず……だから……」
あの日から3週間あまりの調査で、理佐とその同類は2通りの現れ方をしていることが分かった。
1つは、バラバラの方角から現場に集まってくるパターン。目撃される時間もバラバラであるため、先日の理佐のように突然呼び出されてくるのだろうと思われる。
もう1つは、一定の地点から現場にやってくるパターン。これはある程度まとまった人数で移動している場合があるため、分かりやすい。恐らくその地点に、アジトがあるのだろう。
玲瑯舎大学とその地点を結ぶ中間点に急ぐ。見つけた!
「理佐さんだ……」
そう、白い奴と青い奴が屋根伝いに大学へと向かっていた。少し遅れて、黄色い奴が同じく屋根を跳び移っている。それらを写真に収めた。
(まだ来るかな……もう少し待ってみようかな)
そこから5分待ったが、誰も来ないことに落胆した。だが、彼女は気づいていないのだ。彼女のお目当て以外の人もまた――帰宅を急ぐ通行人すら誰も来ないという異常な事態に。
そして、彼女自身もまた逃げようと考えない、この事実に。
また少し考えて、大学に近づこうと決心した。物陰に隠れながら移動すること数分、陽子は異音に気づいた。
(泳いでる……何かが……)
急いで辺りを見回しても、川どころか下水の側溝すらない。でも彼女には聞こえるのだ。大型の何かが泳いでいる音が。
そして電柱の影に、それは現れた。地面からすっと、1本の筒が突き出たのだ。凝視したまま動けない陽子の3メートルほど前で。
その筒は3秒ほどで沈んだが、陽子は即断し、音を頼りに追跡を始める。それが大学のほうへ向かっているという確信が、彼女の足を動かしているのだ。筒などという人間臭い道具を使っているのだから、魑魅魍魎の類ではない。そういう直感もあった。
忍んでいるはずの自分の足音が、やけに大きく聞こえる。だからランニングシューズは嫌いなんだ。
そしてたどり着いた先には、警察のものも含めた車両が多数駐車されていた。もちろんそんな場所にのこのこ出ていくわけがない。
隠れて、こっそりカメラを構える。カシャリというシャッターの電子音に心臓が跳ねた。素早く隠れて耳を澄ましながら、陽子は失敗を悟った。デジカメを取り上げられたら、データを消去されてしまう。スマホで撮影して、すばやくオンラインストレージにアップロードしたほうがよかったと今頃気づいたのだ。
だが、近づいてくる足音は聞こえない。陽子は少しだけ待って、もう一度隠れ場所からのぞいた。警察官たちに動きは見られないことに安堵する。そして、安堵は次のアクションを生んだ。大学の構内から聞こえてくる音に耳を澄ます。方角は、建物越しに瞬くあの光で分かる。
(燃える音……悲鳴……水の流れる音……叫び声……なんだろう、このシャワシャワって音……気持ち悪い……)
警察官たちに動きがあった。大学の構内から誰かが出てきたようだ。構えたデジカメのディスプレイ越しに見えたのは、揃いのスタッフジャンパーを着た男女だった。担架らしき物を担いできた彼らは、大型のバンに待機していた同じスタジャンの女性に後部ハッチドアを開けてもらうと、担架をそこから積み込み始めた。
ズームの操作をする指が少し震えている。光学ズームでは追いつかず、電子ズームまで使って最大望遠にした粗い画面に映っていたのは、目を閉じてぐったりと動かない理佐だったのだから。
走り去るバンを見送って、彼女もまた自宅への帰途についた。大爆発が起こったのは、その5分後であった……
もう登校時間だ。陽子は立ち上がって冷めたコーヒーを飲み干すと、スマホをつかんだ。カバンに放り込もうとして、改めて凝視する。帰宅してさっそく取り込んだあの写真を。
車体の横に大きく『あおぞら』と書かれたバンの写真を。
夜。レッスンを終えて、陽子は意気揚々と街を歩いていた。
ついさっき個人レッスンを施してもらった先生は、いや大学の担当教官も、彼女の上達に眼を見張っていたのだ。殊に彼らが言及したのは、技術ではなく、曲への理解とその表現の巧さについてだった。
自分でも分かる。あの日以来、自分には以前にも増して、音が理解できるようになった。聞こえてくるものだけではない。感じるもの全てに、表情を感じる。気配が読める。それをピアノで再現するのだ。
「もっと技術を磨かなきゃ……」
まだまだ足りない。ピアノという、ある意味自由で、別の意味で不自由な楽器を使って感じているものをアウトプットするためには、今の技術では、まだまだ。
浮かれた彼女のパンプスが止まった。スマホに表示されたアクセスマップを確認し、もう一つ、次のブロックへ。
「ここか……」
4階建てのビルには、『介護ボランティア あおぞら』と書かれてあった。
別に、乗り込もうと思って来たわけではない。今後はここを目印にして調査する。そのための現地確認だ。
調査してどうするのか。自問は数日前に答えが出ていた。
面白いから。ただそれだけ。
この組織の裏の活動に関する情報を、警察を初めとする公的組織が隠蔽しているのだ。それをのぞき見する、快感。それが彼女の心をいたく刺激していた。
長時間立ち止まっているのも不審がられるだろう。帰るか――
「いらっしゃい」
仰天して身体ごと振り向くと、そこには赤黒い髪をうなじでまとめた女の子がいた。中学生くらいだろうか、しかし声には幼さは残っていない。
「浦永陽子さん、だね? 初めまして。『あおぞら』の会長です」
会長?! この子が?
そっちにまず疑念が湧き、ついで彼女は敗北と危機を悟った。フルネームまでバレているということに思い至ったのだ。
ついで会長は、またも陽子の意表を突いた。彼女の腕を取って、
「さ、入って入って」
にこやかにとんとんとん、と外付け階段を上がる会長。その音に底意を感じず、陽子は素直に従った。
重そうな金属製の扉を、会長は難なく開けた。そこで立ち止まって、どうぞと手で示されて。陽子は少し逡巡したが、つばを飲み込んで足を踏み入れた。
そこで待っていたのは、陽子より少し小柄な女の子だった。同い年くらいだろうか、活発そうな顔つきで、こちらを品定めするように見つめている。
扉を閉めて、会長が声を発した。
「凌ちゃん、この子で間違いない?」
「はい」と答える女子。その後に続いた言動は、陽子を愕然とさせるに十分なものだった。
「確かにこの子です。わたしの後をつけてきたのは」
「……あの、初対面だと思うけど?」
凌はそれを聞いて、黙って胸の前で両手の指を組み合わせた。そのとたん、
「?! え? ウソ……」
凌はオレンジ色の薄い絨毯がひかれた床に、すっと沈みこんでしまったのだ。正確には、床に投げかけられた陽子の影に。
すぐに凌は床の影から飛び出してきて、にっこり笑った。
「影の中を泳いでるわたしをつけてきたでしょ? あなた」
肝を潰して、コクコクとうなずくことしかできない。
「どうしてわたしのことが分かったの?」
「お、音が……」
「音?」
またうなずくと、陽子は説明した。
「なるほどねぇ」
と腕を組んで感心しきりなのは会長。難しい顔になってしまった凌に笑いかけた。
「あなたの修練が足りないのか、陽子ちゃんの耳がいいのか、どっちだろうね?」
さあ行こうとまた腕を取られたのを振りほどいて、陽子は会長と距離を置いた。
「どうやってわたしのことを知ったんですか?」
会長にとって、それは予期された質問だったのだろう。よどみなく答えてくれた。
『あおぞら』の活動に気づいて探ってくる人間が、定期的にいる。その身元を探り、災い為す者ならば"ご理解"をいただいているのだと。
ご理解とはどういう意味かとの問いに、笑う会長。
「……邪悪な笑い声ですね」
「へぇ、音で分かるんだ」
凌が言いながら、陽子の予想とは裏腹に、会長の後ろに回った。てっきり、逃げられないように扉とのあいだに回りこんでくると思っていたのに。
「でも、あなたは違うわ」
「……どう違うの?」
凌への問いに、会長が答えた。
「あの部屋に行けば分かるわ」
それは、大きな会議室のようだった。中から大勢の雑談が聞こえてきたから。
会議室の中の雰囲気は、悪くない。会長と凌の醸し出す雰囲気も。陽子は意を決した。
2.
沙良が会議室に入ってきて開口一番、
「お待たせ! リクルートしてきたよ~!」
という言葉に続いて、理佐が立ち上がって上ずった声で叫んだ。
「陽子ちゃん!」
注目を一身に浴びた彼女は固まり、その表情で隼人は記憶を呼び覚ますことに成功した。
「ああ、横浜の時の……」
満瑠・千夏ペアのコンサートで横浜のコンサートホールに行った時、隼人の目の前で通路の段差を踏み外して転びそうになってた子だ。
同時に、苦笑を禁じえない。支えようととっさに手を差し出したことと、『いやぁぁぁ!!』と物凄い形相と絶叫でそれを拒絶されただけでなく、突き飛ばされたことも思い出したのだから。
向こうもこちらを視認したようだ。たちまち気色が悪化するが会長は気にとめず、沙耶に話を振った。
「この子は見学だから。始めてちょうだい」
それを受けて、会議室の上座に座った沙耶が立ち上がり、反省会の開始を告げると、
「まず初めに、琴音ちゃんの入場よ」
ざわめく室内の気分を、隼人も共有した。あの事件以来、琴音と連絡がつかなかったからだ。鈴香にも同様で、あのコンビに何があったのかと支部でも話題になっていたのである。
戦闘で受けたダメージが、思っていた以上に深刻だったのか。でも鈴香は戦闘には参加していないし。
みんなであれこれ推測しても埒が明かないと優羽や瞳魅に尋ねても『反省会でお話があります』の一点張り。失礼ながら口の軽そうな優羽ですらそれなのだ。大人しく今日を待つしかなかった。
あらかじめ打ち合わせしてあったのだろう、会議室の扉はすぐに開かれ、
「!! 琴音ちゃん、どーしたのその髪!」
るいの素っ頓狂な叫びは、誰よりも早かった。
肩甲骨を過ぎた辺りまでのロングストレートだった彼女の青黒い髪が、うなじの上まですっぱり切られていたのだ。注目されて頬を赤らめるさまは可愛いが、それにしては表情が暗い。
回答は、沙耶から出た。
「琴音ちゃんは今日まで謹慎なのよ」
親族が4人戦死した場所で、その直後に牛頭と馬頭相手にはしゃいだことが原因だと説明された。母である当主からの告発と聞いてさらに驚く周囲を尻目に、隼人は手を挙げた。
「俺たちもはしゃいだという意味では同罪です。琴音ちゃんだけ罰せられるのは不公平だと思いますけど」
「いや、あたしははしゃいだというよりビックリのほうが強かったんですけど……」
と万梨亜から異議が出たが、支部長にたしなめられた。
「記念写真に写ってる時点で、言いわけは難しいわよ」
悪くなりかけた場の雰囲気を察したのか、琴音が声を張った。
「全てわたしの責任です。皆さんはわたしの悪乗りに乗せられただけなので、処罰が及ばないよう、母には申し上げてあります。本当に、申しわけありませんでした」
沙耶も続いて頭を下げた。その場で止めなかった彼女にも責任が発生するため、口頭で厳重注意処分が下されたとのことだった。
上座の2人から頭を下げられて収まらないわけにもいかず、どうにか静まった場の中から、今度は優菜が手を挙げた。
「じゃあ、これで謹慎終了ってわけですね?」
首を振る沙耶。そして、びくっと震える琴音。まだ何かあるのだろうか。
「謹慎は、鈴香ちゃんの現実を説明することで終了よ。だから反省会を、謹慎最終日である今日に設定したんだもの」
「現実……?」
意味ありげな単語の登場に続く説明を待ったが、かわされることになる。鈴香がこの場にいないことについても、一言の説明も無く。
「まず初めに、鷹取家を代表して、今回の戦闘における『あおぞら』の皆さんの働きに感謝します。栗本を行動不能にしてから蒼也君が疫病神を剥がすという戦術プランを、よくぞ遂行してくれました」
それから、と言葉が継がれる。
「治癒を担当してくれた人たちにも。おかげで一命を取りとめた親族や庭師が大勢いたことは、本当にありがたい。皆そう感じています。残念ながら親族が4名命を落としましたが、以前に比べれば雲泥の差です。これからも、よろしくお願いします」
隼人の周囲の顔に、さまざまな色が揺れた。
理佐や万梨亜など、途中でリタイアしてしまった者のくやしさが滲んだ顔。
習得したての治癒スキル連発で貢献した京子の、上気した朗らかな顔。
ミキマキや凌の平然とした顔。
「じゃあ、映像を見ながら話をしましょうか」
そう言いながら、沙耶の眼がいたずらっぽいものに変わる。
「沙良様が無人機をぶち壊すところまでだけどね」
会長の膨れっ面は、照明が落とされたおかげで隠れた。
「この、右手から出てるのはなんですか?」
無人機による録画映像は、エンデュミオール・ブラックが琴音を抱いて――優羽に肘をつねられた隼人がもがいているうちに――退場したあとの場面となっていた。
沙耶が流血した右手を振るうと、飛び散るはずの血が空中に留まり、何かの丸い紋様――無人機撮影のワイド映像では判別できない――を形作った。その中央に沙耶が右ストレートを打ち込むと、円錐型に変形した紋様が渦を巻く。直径で優に沙耶の身長を超える大きさの渦が。それは止まらず高速で回転して、錐揉み状に直進。黒い霧で防いだ栗本を霧ごと吹き飛ばしていたのだ。
「魔塵画血紋の一つ、螺壊拳よ」
沙耶の解説によると、自らの出血を利用して紋様を形成し、鷹取の巫女が持つ鬼の血力をダイレクトに攻撃手段へと変換する古技とのこと。沙良が遂行している古技復活プロジェクトの一環で、講習を受けた沙耶が『この際だから』と試してみたのだとも。
「ぶっつけ本番にしてはうまくいったわ」
という締めの言葉に驚いていると、不思議そうな顔をされた。
「だって、練習でいちいち流血なんてしてられないじゃない?」
「そりゃそうですけど……」
呆れたのは、教えた側の沙良も同様のようだ。
「ぶっつけ本番であの巨大な螺壊拳ってところが、沙耶ちゃんらしいけどね……」
隼人はふと思いついて、すまなそうに口を開いた。
「じゃあ俺、戻ってきてから治癒しちゃいましたけど、迷惑でしたか?」
「え?! あ、ううん、あれでいいのよ」
意表を突かれたのか眼を見開いた沙耶は、すぐに微笑んでくれた。
「血も血力も無限じゃないから。その……ありがとう」
「あ、ここ!」
横で突然声を上げて、優羽が会話に割り込んできた。場面は妖魔の増援が穴から這い出してきたところに移っている。
「穴を塞ぐほうに人を割り振るべきでしたか?」
瞳魅の質問に沙耶はしばらくあごに手を当てて考えていたが、首を振った。
「現場にいた人たちでは、妖魔との戦闘をしながら穴を塞ぐのは無理ね。仕方がないと思うわ。私もそっちには行けなかったし」
琴音がますます萎れるのを隼人は見たが、声をかける間もなく、スピーカーが壊れそうなほどの大音響が鳴り響いてすぐ無音となった。無人機がカラミティのエナジー・バーストの余波で吹き飛ばされて墜落し、全壊してしまったからだ。
「「で、うちらと凌ちゃんの大活躍は伝聞記録、と」」
ミキマキのユニゾンにびくっとしている陽子の姿が視界の端に映ったが、あえてコメントは控えた。初対面の時に受けた仕打ちを考えると、余計なことは言わないほうがいい気がする。
(それにしても落ち着いてるな……会話の半分も理解できてないと思うけど……)
いや、半分どころじゃないか。そう考えているうちに、まったく別のことを思い出して口にしてみた。
「そういえばミキマキちゃん、建物の上から飛び降りてきたけど、階段とか崩れてなかったの?」
エナジー・バーストの衝撃に耐えた建物だから大丈夫かと思っていたが、翌日のニュースでは『建物は半壊』と報道されていたのだ。
「「ううん、外から登ったんよ」」
「外?」
真紀と美紀は驚愕の輪の中で、平然とした顔を崩さない。周りの樹木が爆風で全て薙ぎ倒されていて飛び移れなかったようだが、
「「壁にな、ちょうど手と足がかかる穴が開いてて、それが屋上まで続いてたから」」
謎の穴の正体は、上座から明かされた。
「ああ、私が開けたのよ。上から攻撃したかったから」
「……ドリルかなにかで、ですか?」
「ううん、素手で、こう」
沙耶の手刀を突き入れるモーションに、乾いた笑いが広がる。
「……コンクリの打ちっ放しでしたよね? 壁」
「ええ、鉄筋が入ってたから、指が掛かりやすくて助かったわ」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「フリークライミングにもほどがあるね……」
そうつぶやいた京子が手を挙げた。
「あの栗本って人、何者なんですか?」
上座の空気が、その質問で一変した。琴音の表情を見て、
(ああ、今日の本題だな)
と悟った隼人たち。だがその内容は、まさに驚天動地というべきものだった。
3.
4年前。隣野市の南部に広がる商業地域に突然現れた栗本は、地獄から疫病神を召喚した。彼の目的は現世の滅失であり、鷹取家への報復でもあった。
一族の末裔を自称した彼は、その以前から鷹取家に対し、同族としてふさわしい待遇を求めてきていた。それを、総領は無視したのだ。親類を名乗って悪事を企む輩は、年に1人は現れる恒例行事であり、相手にしていてはきりがない。総領の判断を誤りであったと断じることはできないだろう。
だが、今回はそれが裏目と出た。疫病神と妖魔はたちまちのうちに周辺を破壊し、地獄からの穴は広がり続けた。
鷹取家も遅まきながら総掛かり令を発動し、疫病神の手勢と交戦。沙耶を筆頭に琴音たち若手巫女の奮闘で、どうにか妖魔を討滅することに成功したのである。
そして、疫病神を捕獲。これについては、蔵之浦蒼也という特殊能力持ち――本来なら触れられないはずの疫病神に接触可能で、その本体を丸めることで制圧可能という――がその力を偶然発揮できたことが大きいだろう。なにせ、そんな能力があるなど本人ですら気づいていなかったのだから。
こうして乱は終息し、栗本も逮捕された。だが1年後、栗本は脱獄に成功。警察と鷹取家の捜索網にも引っかからず、先日再び姿を現したというのが顛末であった。
しばらく、情報を咀嚼するための沈黙が続く。やがて、支部長が手を挙げた。
「脱獄したということは、あの時点では彼は疫病神には接触していないということですよね? じゃあ、これで彼も一巻の終わり――「いいえ」
琴音が口を開いた。反省会が始まってから初めての発言は、重く、湿った口調であった。沙耶のほうをちらりと見やってから、また重い口が開く。
「奴は、また逃げました」
脳の処理が追いつかないところへ、また衝撃波が来た。
栗本を載せた救急車が病院へ向かう途中襲撃を受け、彼を奪われた。おまけに現在も発見されていない。それが、あの現場で隼人たちが地獄の獄卒たちと邂逅していた時間の出来事だった。
「どうして? あれに触れたヒトは心を奪われて、廃人になっちゃうんでしょ?」
いち早く上がった理佐の問いにうなずくスタッフが大勢いたが、琴音はその問いに直接は答えなかった。
「その説明をしますので、これを見てください」と言い、手元の端末を操作したのだ。
録画映像に代わって映し出されたのは、琴音と鈴香のツーショット写真だった。高校1年生の時の物だと説明を受けて、
「若いな」「当たり前でしょ」
などとさえずっていたスタッフの声がすぐに已む。その理由は、隼人にもすぐに分かった。鈴香の髪だ。長さは今と変わらないながら、色が違う。茶髪と言ってもいいくらい明るいブラウンなのだ。
「気がつかれましたね? そう、今の鈴香は黒髪です。正確に言えば、黒髪にされたんです……」
(生徒指導に、じゃないな……)
それは、琴音がこぼした涙で一目瞭然だった。
「疫病神に……取り憑かれたんです。栗本の、あの男の行った術式によって」
もはや言葉もない一同を前に、琴音は訥々と話し始めた。
疫病神は自立できず、移動すらできない。よって現世に顕現する時は、ヒトに取り憑くことになる。このあいだの栗本のように。でも、それならば栗本はなぜ、疫病神に取り憑かれたまま意思を持って会話ができたのか。それは、震える琴音の代わりに沙耶が表示させた言葉で説明された。
『代替ワリニ叶ウ者』
という8文字に、目が吸い付けられる。
「ダイガワリニカノウモノ……その素質を持ち、疫病神に……いえ、カミに取り憑かれたヒトは、その魂を植え付けられます。同時に、カミの能力を発揮できるようになります。徐々に……徐々に身体を慣らすために……」
「徐々に、って……」
顔を手で覆い泣き伏してしまった琴音に代わって、沙耶が説明役を買ってでた。憂いと悲しみを表した顔で。
「以前、スタッフさんの控室で、真紀ちゃんと美紀ちゃんが鈴香ちゃんに挑んだでしょ? どちらが姉か妹かって」
隼人が横目で見た双子の顔は青くなっていた。
「疫病神の眼には、隠蔽や虚偽は通用しないの。あなたたちにはそんなつもりはなくても」
「「じゃあ、うちら……とんでもないこと……」」
双子はしょげてしまったが、沙耶は口元をかすかにほころばせると、首を振った。
「鈴香ちゃんが普段から言ってるのよ。『そんなつもりがなくても、やってしまう』って。……そう、使ってしまうの。疫病神の力を。そしてそのたびに、徐々に疫病神の魂は鈴香ちゃん本来の魂と融合していって――」
沙耶もまた、目頭を押さえた。
「いずれ……いずれ、次代の疫病神として代替わりしてしまう……」




