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第8章 宿怨の帰還(中篇)

1.


 琴音が発した緊急コールを、沙耶は大学からの帰路に受信していた。

 首をかしげ、次いで運転手に命じて車をコンビニの駐車場に入れさせる。そのまま待機を命じ、待った。

「来ない……妙ね」

 詳報が来ない。送信者は琴音なのだ。よもや戦闘にかかりきりになるとは考えにくい。

 沙耶の決断は素早かった。運転手に、大学に急いで取って返すよう命じたのだ。

 参謀部の当直に確認の電話を入れるも、やはり詳報は届いていないとのこと。琴音の端末に呼び出しを掛けるよう指示して、座席の背もたれに身を預けた。

(鈴香ちゃんが一緒にいないのかしら?)

 だが、鈴香も電話に出ないではないか。おかしい……

 やがて、疑問を抱く必要はなくなった。

 車が大学の近縁まで近づいた時、沙耶は窓の外を逆行する人の群れを見て唖然となった。どの人も一様に、真っ直ぐ前を向き、ひたすら足を速めているのだ。

 あれは、危機から逃れようとする本能に従って身体を動かしているのである。恐らく、何から逃れようとしているのか自分でも分かっていないだろう。

 琴音の緊急コール。本能のままに逃れゆく人々。そして何より、彼方から感じる圧倒的な瘴気。

 答えは一つ。

 急いで参謀部を呼び出す。

「いい? 今から言うことをよく聞いて。大学の構内にいるのは、恐らく疫病神よ」

 電話口の参謀が息を飲むのに構わず、諸々の指示を出した。最後に、少しだけためらう。だが、雑念は捨てなければ。

「蒼也君をよこして。手はずどおりに」

 一旦切って、総領の携帯にかける。そこで、自分の手がわずかに震えていることに気づいた。

「母様、疫病神です。鷹取家総懸かりを発令してください」

『! 分かったわ……沙耶?』

「はい?」

『死なないで。無理と思ったら引きなさい』

 微笑で承って、運転席に呼びかけた。

「ここで降りるわ」

 人だけでなく車両も加わって渋滞が始まったのを見て、沙耶は車を止めさせた。降りてすぐ、怯えた表情の運転手に優しく告げる。

「すぐに戻りなさい。人が溢れてるから、気をつけて」

 そして、人の波を逆行し始めた。なかなか進まないのに苛立ちながら。

(エンデュミオールならピョンピョン跳んでいく場面ね、これ)

 いくら耐久力と筋力が増しているとはいっても、それと身軽さはイコールではない。かといって、弾き飛ばしていくわけにもいかないし。

 参謀部からのメールを受信。『西東京支部のスタッフが現地へ急行中』との文面に思わず声を上げてしまい、注目を集めてしまった。

(無茶よ……いくらなんでも……)

 だが、

『当方も止めたのですが……沙良様のご指示だそうです』

 袴田主任参謀の言葉に耳を疑う。了解して、今度は沙良に。通話の連続で歩く速度が落ちることに苛立ちながら10秒ほど、電話がつながった。

『ええ……彼らの力が必要なの。妖魔の掃討は、あおぞらが引き受けるわ』

 沙良はあと15分ほどで現場に到着する見込みだと告げられて、しばらく考えたのちに了解と答えた。

 スマホをしまうのと前後して、大学の構内に足を踏み入れる。もはや人気の消えた暗闇の向こうで、戦闘の音と気配が濃くなってきた。

「――あっちか」

 沙耶は疾走を開始した。


2.


 琴音の状況は、悪化しつつあった。

 疫病神が取り憑いた栗本への攻撃は、大月輪と突光(とつこう)のコンビネーションも通じなかった。こうなれば、サークル棟に栗本がたどり着くのを阻止しなければならない。あそこでは鈴香が他のサークルメンバーと、新入生歓迎会の打ち合わせ中なのだ。

 彼女を、殺らせはしない。

 サークル棟とのあいだに立ち塞がるため回りこんだのを見透かしたように、疫病神は両手を振り上げた。

「くっ! 来たか!」

 栗本の背後の歩道に漆黒の穴が開き、妖魔が這い上がってくるのを歯噛みして見つめることしかできない。それらへの迎撃は栗本によって防がれてしまうだろうから。

 そして、必然的に逸らした視線を、栗本は見逃さなかった。

「そぉれ!」

 栗本が右手を振り上げると、その身にまとった黒い霧が鏃状に形を変え、なんとも嫌な音を立てながら琴音に襲いかかってきた! 気づいて飛び退くも、左腕に食らってしまう。羽衣でいくらかは防いだものの、鋭い痛みを残して黒い霧は消えた。

 皮膚と肉をまれて流血する左腕に構う間もなく、妖魔が群れをなして襲ってくる。

「舐められたもんだわ」

 それでも叩いた減らず口を、栗本は聞き咎めたようだ。口の端を歪めて、

「私が?」

「そうよ」

 と言いながら、血力の壁を右手に生成し、至近まで来た長爪2体をまとめて殴り飛ばす。

緋角(ひかく)どころか金剛すら出してもらえないなんて」

 それは失礼、と慇懃無礼な礼を取る栗本。それを見る暇もなく、1対15という数的不利での立ち回りが始まった。

(く、やっぱり壁は……)

 壁の生成には多量の血力を必要とする。そのうえ、琴音は壁の生成が不得手であった。だが、まとめて吹き飛ばさないと、サークル棟へ行かれてしまう。左腕に激痛が走っている中での即断――あるいは恐怖――が取った攻撃だった。

 長爪たちに包囲されぬよう動き回り、1体ずつ削っていく。建物に挟まれてさほど広くない通路ゆえ、長爪たちがお互いを邪魔にしあっているのが琴音を助けていた。

「ふむ、二手に分けたほうが、効率がよくはないですかな?」

「それもそうだな」

 奮闘する琴音を見て、栗本と疫病神は妖魔に指示を飛ばした。

「そんなこと……させない!」

 これで血力が切れても、構わない……!

 琴音は反転してダッシュした。背中に長爪の追い討ちを受けても、なお。

「ふむ、いいのかね? 防衛ラインを安易に下げて」

「ええ――」と不敵な顔をして見せる。

「こういう手もあるのよ!」

 十分な距離を取って佇立し、痛む左腕に無理をさせて、胸の前で印を結ぶ。つい先日の講習会で沙良から教えを受けて、ほぼぶっつけ本番の古技を。

「出でよ!」

 琴音が叫ぶと同時に、眼の前がくらんだ。まるで血が大量に抜けていくような感覚を覚える。

「ほう……血分け傀儡(くぐつ)とな」

 疫病神の感心したような声と、栗本の狼狽した唸りと。その眼2対は、琴音の背中から生え始めた琴音自身(・・・・)に注がれていた。

 セミの成虫が殻から抜け出るように、えびぞりになって顕現する琴音の傀儡2体。殺到する長爪たちは間に合わず、地に降り立った傀儡は本体の意思に従って長爪に突進した!

「や、疫病神様! なんですかあれは?! 私は知りませんぞ!」

「ぬしら鷹取の者が昔使(つこ)うておった技よ。最近見なんだゆえ、絶えたと思うておったが」

 本体に半ばする戦闘力ではあるが、長爪を押し始めた傀儡。それを見つめながら、琴音は油汗を掻き始めていた。

(講習会の時は、3体出して20分持った……血力がもう余りないけど、2体でなら単純計算で1.5倍は持つはず……)

 その時、疫病神ののんびりとした声が聞こえた。

「おおぅ、すっかり忘れておったわ」

「は?!」

「血分け傀儡を出している時は、あの印を解けぬ」

 今、わたしはどんな顔をしているのだろう。絶望に歪んでいるのか。あるいは、時間が稼げた達成感に輝いているのか。出血のせいか、あるいは血力が切れようとしているのか、意識が朦朧とし始めた琴音には分からない。

 哄笑とともに栗本の手が振り上げられ、黒い霧が迫る。傀儡を消してももう遅く、もはやその不快な音すら耳に届かない。琴音は目を閉じた。

(母様、姉様、鈴香、ごめんなさい……)

 その時、絶叫が轟音とともに聞こえた。

「いっけぇぇぇぇぇぇ!」

 聞き覚えのある大声に目を開けると、建物の屋上からとしか思えない角度から飛来した光の束が、黒い霧と激突した! 光の束は黒い霧の勢いを打ち消し、見る見るうちに滅失させていく。

「あああ……」

 思わず漏れた安堵の吐息と気合いに従って印も解けてしまい、傀儡は薄れ消滅してしまった。

 背後に誰かが降り立つ。だが、振り向く余裕はもうない。身体に血が戻る感覚が後ろへと重心を移動させ、あおむけに倒れてしまった。

 だが、琴音はこの後に及んで計算していた。いや、甘えたというべきか。その身はがっしりと、想像と違って柔らかい身体に抱きとめられたのだ。

「琴音ちゃん、大丈夫か?」

「隼人さん……じゃなかった、えと……」

「それはいいから。よくがんばったな」

 とエンデュミオール・ブラックが笑い、続いてアスールとルージュの悲鳴が聞こえた。

「うわなにあれキモっ!」

「おっさん、憑いてるぞ頭に」

「琴音ちゃんを安全圏に退避させる――「させんぞ小僧!」

 疫病神の号令一下、生き残りの妖魔がこちらに向かって進撃を開始した。

「マジかよ!」「ルージュ! 琴音ちゃんを護るよ! 囲んで!」

 戦力はエンデュミオール3名。敵は疫病神と長爪6体。このままでは、突破されてしまう。鈴香が、やられてしまう。

 自分ががんばらなきゃと身体に力を込めようとした琴音だったが、すぐに力を抜いた。なぜなら、()が彼女を抱き締める力を増してくれたから。が、力と意志を込めた眼で私を見つめてくれるから。

「無理しなくていい。俺が護るから」

 ああなるほど、みんなこれにやられちゃうのね。

 琴音は弱々しく微笑むと、空を指差した。

「うれしいですけど、もう大丈夫です」

 指差すほうを見たブラックも、釣られたルージュもアスールも。いや、敵までも。

 そろって口をあんぐりと開けて、眺めていた。

 沙耶が6階建ての屋上から飛び降りてきたのだ……!


2.


 また羽衣で着地かというブラックの読みは外れた。沙耶は多数の月輪を生成して撃ち下ろすと、自身は巨大な赤き光の壁を作り出し、疫病神に上から叩きつけたのだ!

 殴打の反動を利用して落下の勢いを殺し、細断された長爪の肉片が散乱する場に着地する。一瞬痛みに顔をしかめるのが見えたが、疫病神と栗本が計4本の腕を振り回そうとするやいなや、大月輪を8本生成。全周攻撃のため放った。

 慌てたのは栗本。疫病神に攻撃を任せ、自身は口から黒い霧を吐き出した。霧は彼の身の回りに、まるで操っているかのように取り巻き、大月輪の同時他方面攻撃を全て防いでしまった。

「マジかよ……まったく効いてねぇじゃん」

 ルージュのつぶやきに同意するアスールの声を聞きながら、黒い霧の中に閉じこもった敵を見つめる。

(出てこない……実はダメージが通ってるのか?)

「今のうちに琴音ちゃんを下げて」

 沙耶もまた黒い霧の塊を見つめながら、指示を出してきた。その表情を見て、ブラックはようやく事態の深刻さを悟った。かつての戦闘時の悠然というか超然とした物腰は影も無く、戦意と敵意が向き出しになっているのだ。

 琴音が沙耶の言葉に反応したのか、身じろぎをした。

「沙耶様、鈴香が、サークル棟に……」

 その言葉に、ブラックたちは顔を見合わせた。この事態に気づいていないのだろうか、鈴香は。

「ブラック、悪いけど、琴音ちゃんをサークル棟まで運んで、ついでに鈴香ちゃんの様子を見てきて」

 承って、でもその前に、アスールに沙耶の治癒を依頼した。

「? なんで?」

「沙耶さん、肘と肩痛めてるから」

 最初の攻撃以来、気にしているような仕草と表情が見えたのだ。

 驚いた顔の沙耶は、すぐにこくりとうなずくと、ブラックに背を向けた。

「来るわよ」

 ブラックも琴音を抱きかかえたまま踵を返し、全速力で走った。様々な光と黒い霧が激突する戦場を後にして。

 あの沙耶の攻撃すら通じない強力な敵の出現に、暗澹たる不安を抱きながら。



 琴音に道を教えてもらいながら走って3分ほど、安全灯の光でもおしゃれな概観が分かる2階建ての建物にたどり着いた。

 残念ながらゆっくりと眺めて回る暇はなく、ここで琴音を下ろして治癒を施したあと、オカルト研究会の部屋へと急ぐ。

「大丈夫? 琴音ちゃん」

「大丈夫です。大丈夫」

 そうは言いながらも、階段を登る足の運びが時々怪しくなる琴音。たった独りであの数の敵と戦ったのだ。

「これだけの負傷で済んでるんだから、すごいな……」

「? なんですか?」

 聞き咎めた琴音に今の感想を伝え直すと、照れたような表情でうつむいてしまった。

「ありがとうございます……」

 またよろけた琴音を支えつつ、たどり着いた部室には、

「……鈴香? 鈴香?!」

 肝心の尋ね人の姿がなかった。6畳ほどの室内には、パイプ椅子や、何に使うのかブラックには分からない道具類などが全て整然と整えられている。それが整いすぎているのが、逆に怖い。琴音の話では、鈴香ほか3名ほどが残って作業をしていたはずなのだから。

「実はもう帰ったあととか……」

 そうブラックが言いかけたところで、彼は心臓が縮み上がる体験をすることになる。

 琴音がふらつきながら向かおうとした奥の小部屋の扉が、ゆっくりと開いたのだ。ギギギギギギ、と効果音付きで。

「……鈴香ちゃん?」

 そう、小部屋の暗闇からゆっくりと姿を現したのは、鈴香だった。だが、

(なんだこれ? この雰囲気……)

「鈴香、ここにいて」

「そうはいかない」

 この雰囲気満点の登場に驚かない琴音もそうだが、黒髪をくゆらせて首を振る鈴香のまとっている雰囲気がおかしい。いつものはつらつさがまったく消え失せているだけではない。

 瘴気。そう、瘴気だ。あれ(・・)と同じ。さっき現場で対峙した……

「琴音を傷つけたのは、あいつだな?」

 そして、声が違う。伸びやかさなど欠片もない、割れ鐘のような、ひどい声なのだ。

「だめ、鈴香ダメ! それは――」

 琴音の懇願などお構い無しに、すがりつこうとした彼女の身体を押しのけて、こちらへ歩んでくる。

「どけ」

「どかない」

 腹を決めて、立ち塞がる。鈴香の目がわずかに細められた。

「お前は、まだ殺さない」

「? は?!」

「この娘の意思だ」

 どういう意味だ? 別の人格?

『ブラック、ブラック、応答願います』

 参謀部から通信が来た。

「すみません連絡が遅れました。鈴香ちゃんの身の安全を確認。でも、様子が変です」

 そばで聞いて、にやりとする鈴香。

(しまった、目の前にいた……)

『それは気にしないで』

 と無茶を言う参謀部に少し笑うと、指示が返ってきた。至急現場に復帰してほしいと言うのだ。

「このまま琴音ちゃんも置き去りにしてですか?」

『そうです。エンデュミオールも巫女も、多数がリタイアしているんです』

 パイプ椅子に座りこんでいた琴音も聞いていたのだろう、立ち上がろうとした。が、そのまま椅子の上端に両手を着き、重い溜息を漏らす。

 しようがねぇな。

「はいはいはいはい」

「?!」

 ブラックは琴音に近づくと、もう一度、今度はお姫様抱っこの要領で抱え上げた。

「鈴香ちゃん、悪いけど、パイプ椅子をそこにもう2つ並べて」

「……この私を雑用に使うとは、神をも恐れぬ不届き」

 そうブツブツ言いながらも鈴香は要望どおりの仕事をしてくれた。

「ちょっと隼人さん恥ずかしいです恥ずかしいです!!」

「ここで寝てて」

 そう言って、パイプ椅子でこしらえた即席の寝台に寝かせる。

「こんなの嫌です!」

「うん、ごめんな。寝心地悪いけど我慢してよ」

「いやそーゆーことじゃなくって……」

 なんだろう、目が潤み始めたぞ?

「ここで休んでて。動けるようになったら来ればいいから。ね?」

 そう念を押すと、やっと黙ってうなずいてくれた。さて行くか、と駆け出そうとしたのに、鈴香が腕を絡めてくるではないか。

「ふふふ、そういうわけで、許可も出たことだし。行こうか」

「いやあの、腕を絡める意味がどこに――」

 鈴香はブラックの顔を見上げると、にっと笑った。

「この娘の意思だ」


3.


 なんとか鈴香に同行を思いとどまらせて、ブラック独りでたどりついた戦場では、激闘が展開されていた。

 疫病神と、その取り憑いた男は健在。地面に開いた穴からまた召喚したのだろう、妖魔が十数体はいる。先ほどとは違って金剛の姿も見えた。

 対するに鷹取家からも、巫女とエンデュミオールの一群がブラックの退場と入れ違いに到着していたようだ。疫病神との対峙を沙耶に任せ、妖魔とがっぷり四つに組み合っている。それは、負傷している巫女と、それを担いで後方へと下がらせる庭師の数が物語っていた。

 沙耶もまた、腕から流血していた。その白い手の先からぽたぽたと垂れている鮮血に驚いて、辺りを見回す。が、いるべき人が見当たらない。そこへルージュの苦しげな声が耳に飛び込んできた。

『アクアとアスールがやられちゃったんだ』

 治癒を施しているのを見られて、栗本に狙い撃ちされたのだという。

 現在ここにいるエンデュミオールは、ブラック、ルージュ、トゥオーノ、ブランシュの4人。治癒スキルを持っているのが自分しかいないことに思い至って、ブラックは気を引き締め直した。すると案の定、

『ブラックは負傷者の治癒に回ってください。アンバーが一人で治癒を受け持っていて、手が足りないんです』

 了解とつぶやきざま、スライスアローを連打! 攻撃を受けて後退した沙耶に追い討ちをかけようとした栗本を牽制するためだ。

 疫病神に触れた(あるいは触れられた)ヒトは心を奪われてしまう。そんなこと、させるわけにはいかない。

 わざと他方向から標的に向かうように飛ばした光鏃は、当初敵に動揺をもたらさなかった。ただ少し速度を緩め、防御の黒い霧を吐き出させたのみ。だが、

「なにっ?」「霧を!?」

 スライスアローの当たった部分が、ぽっかりと穴が開いたのだ。しかしこれでは、

(くそ、霧しか破れねぇ……)

 それを横目で見ながら、救護所と思われる地点へ向かって走る。ついでと言ってはなんだが、通りがけに沙耶も治癒して。

「あ、ありがと……危ない!」

 背面からの攻撃に直感で跳んだ結果は――

「ガッ!」

 間に合わず、右の足首に激痛が走った! 勢い余って倒れて転がったあと、痛みに耐えながら起き上がろうとしたブラックが見たもの。それは、沙耶の制止を振り切って、こちらへ迫ってくる栗本と疫病神の姿であった。

 妖魔の群れの向こうにいるルージュやブランシュの悲鳴が聞こえる。追撃を放とうとする沙耶の顔は切迫感に満ちたもの。だけでなく、悲鳴じみた掛け声とともに、栗本にタックルをかましたのだ!

 幸い疫病神との接触はせずにすんだようだが、共に転倒し、しかし立ち上がるのは栗本のほうが早い。頭上の疫病神の眼が怪しく光ると、黒い霧が鏃型に凝縮される。狙いは、今のやりとりでどこかを打ちつけたのか、立ち上がりが遅れている沙耶だ……! 巫女たちの絶叫が建物に反響する!

「沙耶様!」「させるかぁぁ!」

 そうだ、させねぇ!

 ブラックは一瞬痛みを忘れて跳び起きると、光の盾を生成して突撃! シールドバッシュを栗本にかました!

 くぐもった悲鳴を上げながらたたらを踏んで後退する栗本。だが疫病神は健在なのを素早く見とめて転倒を無理やりこらえ、もう一撃ではなく、

「プリズム・ウォール!」

 栗本の周囲を光壁で囲った!

 気を抜くと痛みを思い出すのは、当然の理である。しゃがみこんだブラックに沙耶が近寄ってきた。

「大丈夫?」

「沙耶さんこそ……大丈夫ですか?」

 問い返しが予想できなかったのか、きょとんとした沙耶に構わず、彼女を治癒する。光壁が破られ始めているのを見て、急いで自分の怪我も治し、ブラックは立ち上がった。

「救護所に行ってきます。すぐ戻りますから。それと――」

 首をかしげる沙耶の肩に手を添えて、あえて厳しい顔をする。

「無茶しないでください」

『なんで沙耶さんから先に治癒するかな……というかなにあの手』

『まあブラックだしな。まったく……』

『ルージュ、気になるならあっちのバトルに参戦したらどうですか?』

『なんでわたしを省くの?』

 ブラックはあえてエンデュミオールたちの会話にコメントせず、救護所に向かって走った。

 展開が早過ぎて、打開策が全く思い浮かばない。だからとりあえず、自分にできることをするしかない。そう心に決めて。

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