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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
多くのことを予見しながら、なぜ人は後悔しかできないのか
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アルール歴2182年 8月12日

——ローランド司祭の場合——


 目が覚めると、全身にひどく重たい倦怠感があった。空気には土と泥と草の匂いが濃厚に入り混じっていて、咄嗟に自分がどこにいるのか理解できなくなる。


 だが、この感覚にも少しずつ慣れてきた。俺はパニックを起こすよりも早く深呼吸し、口の中で神への祈りを何度も繰り返す。はじめのうちはどこか遠くの教会で鳴る鐘の音のようにも聞こえるその声は、祈りを繰り返すに連れて徐々に近づいてきて、さらに一心不乱に祈ることによって祈りと自分は同化する。こうなると全身に漂っていた違和感も薄れていき、やがて俺は現世における自分の状況を完全に把握した。


 ここは、ガルドリスが親から引き継いだ、帝都郊外の農園。

 俺たちの〈同盟〉の中枢メンバーは1週間ほど前からガルドリスの農園に移動し、この地で大異端ユーリーンに天誅を下すための最終訓練を行っている。


 ——この農園は、来るべき真の信仰の時代には〈聖戦士たちの始まりの地〉として伝えられるだろう。我らの天誅とともに始まる新時代においてガルドリスはすぐに教皇の座を禅定され、何不自由なく暮らせるようになるだろうが、とはいえ己の所領が聖地として無数の巡礼者を受け入れるようになれば、そこから得られる富は事実上無限大だ。その資金があれば、新たに〈同盟〉に加わった同志たちも、自分たちの研究や研鑽を思うがままに進められる。


 その輝かしい未来へとつながる一本の道は、この農園から始まっているのだ。


 俺は枕元に置いておいた吸飲から水を一口飲み、それから軽く口を濯いだ。窓から外を見ると、時刻はもう正午を過ぎているようで、〈同盟〉の若き聖戦士たちは槌矛や槍を手に、一心不乱に訓練を行っている。


 しかしまあ、ガルドリスのことは前々から凡庸な人間だなと思ってはきたが、それでも奴には何か(・・)があるとも感じてきた。いわゆる「持っている」というヤツだ。だから俺はガルドリスが〈同盟〉のリーダーとして組織を指導することにも表立って異議を唱えなかったし、彼の優柔不断っぷりには時折イライラさせられることはあるにしても基本的には彼に敬意を示し続けてきた。


 そしてこの土壇場にきて、俺のカン(・・)は正しかったことが判明した。

 ガルドリスが見つけてきた女占い師——そう、名前を……名前をなんと言ったか——いや、名前などどうでもいい。あの占い師は〈同盟〉に対し、2つの大きな貢献をもたらしてくれたのだ。


 1つめは、まさにいまも続いているこの軍事教練の、指導者だ。


 もとより我々はアルール帝国の貴族でもあるのだから、幼い頃から武芸の鍛錬も積んでいる。皇帝陛下の剣にして盾たる人間であれという心得は、貴族にとってはいちいち確認するまでもないものだ。教会に入ってからは神の剣にして盾たる人間を目指して鍛錬を続けたが、要はこれは、より高い要求がなされるようになったというだけのこと。

 とはいえ〈同盟〉の同志たちが学んできた武芸は、必ずしも統一感のあるものではない。当然のことだ。それぞれ誇るべき家格を持った名家に生まれた我々は、それぞれの家が引き継いできた伝統の武芸を学んできたのだから——だがこのことは、〈同盟〉が神の軍勢(・・・・)となり、一本の剣として力を発揮しようとしたとき、結構な問題となってしまった。


 この課題に対し、例の占い師が紹介してくれた指導者は、実に的確な問題解決を行ってくれた。


 いかにも歴戦の傭兵然としたその男は、「今すぐ100万の敵と戦える集団にならなくてはいけない、ってわけじゃないんでしょう?」と事も無げに語ると、「要はその大異端とやら——つまりたった1人を殺せるようになればいい、と考えるんです」と指摘したのだ。

 この視点は、それまでの我ら〈同盟〉にはなかったものだ。確かに、冷静に考えれば我らは絶対無敵の軍勢であらねばならぬのではなく、大異端ユーリーンに天誅を下す短剣(・・)でありさえすればいい。


「それから、どこででも(・・・・・)万全の力を発揮できる必要もありません。

 目標(・・)をどこで襲撃するのか、先に決めておきましょう。そうすれば前もって役割分担をしておいて、各々がなすべき仕事に集中した訓練ができます。

 どう考えたって、こっちのほうが効率がいいですよ。そもそも〈同盟〉の皆さんは天誅を下した後も、ずっと武器を握り続けるわけじゃあないんでしょう?」


 そう語った男の言葉は、言葉遣いこそ洗練されぬものの、我ら〈同盟〉が抱えていた困難を一刀両断で解決する提案だと、俺は本能的に悟った。

 また、男が示した個別の訓練方法も革新的だ。


「みなさんが狙うべきは、大異端一人です。それ以外では、審問会派の特別行動班が邪魔するかもしれない、というところですか。

 でしたら、武器の実践的な訓練をするにあたっては、なるべく目標(・・)に近いものを使いましょう。木の幹を殴りつけても人を殴る練習にはならないし、なにより皆さんのモチベーションが上がらないでしょう?」


 この提案には、実は俺も最初のうちは半信半疑だった。そんなことをするよりも、適当に安い奴隷(片足を失ったり、両目が潰れたりしている壊れた(・・・)奴隷は、二束三文で購入できる)を買ってきて、そいつらを切ったり殴ったりしたほうが度胸もつくはずだ、と。

 しかし、勧めに従って藁人形を作り、それを大異端ユーリーンに似た形に整え、ボニサグス派司祭の司祭服を着せて立たせてみたところ、その日の訓練は想像以上の熱が篭ったものとなった。「天誅!」と叫びながら、大異端ユーリーンを模した人形の頭部を殴りつけ、粉砕する——この、なんと痛快なことか!

 そしてまた、この訓練(・・)は、遺憾ながら自分たちが真の興奮(・・・・)に慣れていないことをも露呈させた。同志のうち何名かは、興奮のあまり頭を殴るつもりで肩を殴ったり、胸を突こうとしてそもそも切っ先をそらしてしまったりと、思いがけない初歩的なミスを連発させたのだ。かくいう俺ですら一度、目標を捉え損なったのだから、あまり彼らのことを悪くは言えない。

 ともあれ、同じ訓練を繰り返すことにより、この問題は数日のうちに克服された。もはや同志たちの中に、興奮に飲まれて狙いを外すような者は、誰もいない。


 その上、かの傭兵は、今回の天誅にあたって最大の障害となり得る特別行動班にどう対処するかも、念入りに教えてくれた。


「ご想像の通り、俺はしがない傭兵です。ああいや、しがない(・・・・)ってことにしといてください。俺にもいろいろ事情(・・)がありますんでね。

 でまあ、傭兵ってのは本質的に、戦わないクソどもです。そのあたりも皆様でしたらよくご存知かと。

 ですがね、いくら傭兵でも、戦わなきゃこっちが死ぬって局面は、いくらでもあります。しかも、例えば立派な鎧を着て、ピカピカの鉾槍を持って、装甲付きのでっかい軍馬に乗ったような相手と。

 ま、そういうのって普通に考えればこっちが一方的に蹂躙されるわけですが、でも俺はまだ生きてる(・・・・・・)——つまり、やり方があるってことです」


 そう語った男が示したやり方(・・・)は、これまた実に具体的かつ即効性を感じられる技術だった。

 簡単にいえば、1人の相手に対し、必ず同時に3人以上で攻撃する。その際、最低でも2方向、できれば異なる3方向から攻撃する。まさにこれぞ傭兵というべき汚い(・・)技であり、騎士道精神からは程遠いものだが、「皆様が天誅を下す相手は大異端とそのお仲間なのでしょう? 豚を殺すのに卑怯もクソもありませんよ」という男のコメントは、同志たちから湧き上がった「卑怯者」の声を一気に吹き飛ばした。

 そして同志の中でももっとも腕の立つハインリヒ司祭(〈同盟〉においては一騎打ちで負け知らずだ)が、3人による3方向からの攻撃に対しては何もできないまま1本取られたことで、この戦い方は〈同盟〉における秘技(・・)として伝えられることが決まった。


 かくして大いに意気が揚がった〈同盟〉だが、俺はこれでも足りない(・・・・)と感じていた。

 確かに、3人による3方向からの攻撃——俺たちはこれを「豚殺し」と命名したが——は、有効だ。しかし冷静に考えれば分かる通り、これでは仕掛けた3人のうち1人は死ぬと思ったほうがいい。果たして実戦において、「その1人」が死んだとき、爆発的に動揺が広がったりはしないだろうか? いやそれ以前として、自分が「その1人」になりそうだと悟った時、その同志の腰が引けると思ったほうがいいのではないのか?

 そうなると実際の攻撃は2人による2方向からの攻撃となり、最悪、返り討ちに逢うだろう。俺たちが倒さねばならぬ審問会派の特別行動班はそういう、脳みそまで筋肉が詰まっているかのような連中なのだ。


 この悩みに対し、例の女占い師は秘策を授けてくれた。


 彼女が「アゴーティン」と呼ぶその薬は、5〜6粒飲むと強烈に意識が覚醒し、知覚が極めて鋭敏になり、音を立てるかのように集中力が増す。しかも疲労や眠気といったものが吹っ飛び、空腹感すらも忘れてしまう——無論、効果が切れたときには強烈な倦怠感として反動が戻ってくるが、そこは言っても仕方あるまい。

 アゴーティンは、なんでもミョルニル派の間で伝えられていた秘薬だと言う。なるほど、野蛮な生活を送る彼らにとって、この秘薬は荒野を生き延びるための大きな支えとなるだろう。


 だが、アゴーティンの効果はこれだけではない。


 アゴーティンを多めに摂取すると万能感はさらに高まり、まるで恐怖を感じなくなる——たとえ目の前で戦友が殺されたとしても、「俺は死なない」という圧倒的な自信が恐怖を押さえ込み、むしろ熾烈な復讐心を掻き立てるようになる、というのだ。


 大異端ユーリーンに天誅を下すにあたり、これ以上に理想的な秘薬はあり得ないだろう。個人の戦闘力を高め、持久力を高め、かつ、士気を極限まで高めるのだ。まさに神の加護が地上に顕現した状態と言える。


 俺は一人頷くと、吸飲からもう一口、水を飲んだ。


 間違いなく、俺たちは勝利する。天に代わって大異端を誅伐するのは、俺たちだ。一点の疑いもなく、正義は俺たちとともにある。


 窓の外では、同志たちが熱心に訓練を続ける物音がする。

 武器が振り下ろされ、悲鳴があがり、その悲鳴を聞いた同志たちから喝采が上がる。「天誅!」という気合いの乗った声が響き、ひときわ大きな悲鳴が上がり、それにあわせるようにして喝采が大きくなる。


 俺が改良(・・)した訓練法は、同志たちを真の聖戦士へと昇華させている。

 傷物の女奴隷を買い、そいつらに大異端ユーリーンと同じ格好をさせ、標的(・・)とする。しかるに同志たちは実際にその標的を戦槌で殴り、剣で斬りつけ、槍で刺し貫いて、どうすれば確実に人が殺せるかを学ぶのだ。

 標的を作るコストはやや上昇したが、藁人形をいちいち作っている時間が惜しい。


 それに、この新方式であれば、同志たちのモチベーションも高まる。


 少し静けさを取り戻した窓の外で、奴隷の弱々しい悲鳴が上がった。瀕死の重傷を負った女奴隷を、同志たちが犯しはじめたのだ。

 俺たちに「豚殺し」を教えてくれた、かの傭兵はこう言った——練習は本番のごとく、本番は練習のごとく。であるならば、大異端ユーリーンに俺たちが下す天誅と同じものを、練習のときからやって(・・・)おくべきだろう。


 ああ、間違いない。

 間違いなく、俺たちは勝利する。

 俺たちはいま窓の外で達成されたことと、寸分たがわぬことを、かの大異端ユーリーンに対して達成してみせる。

 必ず、あの豚に、天誅を、下してみせる。


 そう思いながらも、俺はふと、昨晩父親から届いた手紙のことを思い出す。手紙には「3日以内に帰参しないのであれば、勘当も考える」と書かれていた。


 バカバカしい!


 俺は少し震える手でアゴーティンの瓶を掴み、10錠ほどを手のひらに転がして、水と一緒に一気に嚥下した。途端、世界の明度が上がり、彩度があがり、あらゆるディテールがより鮮やかに浮かび上がってくる。あたかも、神がこの身に降臨したかのように。


 間違いなく、父は審問会派にでも騙されたのだろう。父も昔は偉大な人物だったが、年老いて時代の変化についてこれなくなった。そして半端に時代に追いつこうとして、ろくでもない珍説に飛びついては、このように恥を晒している。だが逆に言えば、審問会派は父をそそのかしてでも、俺たちを弾圧しようとしているということだ。つまり俺たちは、より核心に近づいている。審問会派やジャービトン派の老害どもが抱え込んだ利権を切り崩し教会を刷新するという聖なる戦いは、彼らにダメージを与え続けている。俺たちの攻撃は効いているのだ。だから怯えた彼らは俺たちを攻撃する。だがこんな反撃では、俺たちは止められない。俺たちは新時代の力を得た。個々人が個々人の意志と力をもって戦うという新しい時代の戦い方を開拓した。伝統を墨守するのではなく伝統の先にあるものを掴み取った。暴力では時代は変えられない? 馬鹿を言うな! 敵は俺たちを力づくで抑圧し、正しい信仰を踏みにじり、神の威光を汚し続けている。敵は伝統ある教会の価値を、そしてその根底原理を、小汚い陰謀と宣伝を駆使して損ない続けている。そんな奴らと戦い、そして正しい世界と正しい教会を俺たちの手に取り戻すためには、俺たちを抑圧し弾圧し言論を封殺せんとする支配者たちを打倒するほかにない。我ら力なき者がともに手を携えて反撃し、奴らに天誅を下さねばならない。そのためには、暴力では何も解決しないだの、暴力はやがて己に返ってくるだの言う世迷言を超えていかねばならない。それが部分的には真実であったとしても、もはやそんな些細なことに拘っていては、真の敵を倒すことなどできないのだ。我らは等しく虐げられた被害者であり、あらゆる手段を用いて、かくあるべき世界を恢復させねばならない。真の世界にあるべきではないものを、切除せねばならないのだ。


 決意を新たにした俺は、愛用の戦槌を握ると、外に出た。

 すると、俺の勇ましい姿を見た同志たちが、一斉に歓声を上げる。


 さあ——同志諸君! 天に代わって大異端を誅伐する日は近いぞ!


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