アルール歴2182年 7月19日(-6時間)
——イッケルト大司祭の場合——
「遅くなってすまぬな、イッケルト大司祭よ。
では、これより〈最高評議会〉を開催する。イッケルト大司祭、報告を」
ジャービトン派の中枢たる〈最高評議会〉。その報告の席に、私は立っていた。
ジャービトン派における重要な決裁は、最終的にこの〈最高評議会〉の承認を受けることによって、実行に移される。
私がかつて采配した対審問会派宣伝工作も、いまパウル1級審問官と組んで遂行しているガルシア家復興計画も、〈最高評議会〉の議決によって承認された事案だ(後者は事後承諾となったが、その程度には現場の裁量も認められている)。
私は軽く咳払いすると、報告を開始した。
ちなみに評議員たちの姿はすべて分厚い黒カーテンの向こうにあり、こちらからその姿を確認することはできない。なんともジャービトン派らしい秘密主義と仰々しさだとは思うが、何でもかんでも師弟関係で解決しようとする審問会派に比べれば、どちらがより文明的かは言うまでもない。
「まず最初に、シャレット家についての現況報告です。
シャレット卿は、こちらの提案を全面的に受け入れました。またハルナ・シャレットは既に妊娠しており、準備も万端とのことです。彼女の腹が目立つようになる前に、速やかに結婚式を挙げるべきかと。ある程度まではドレスの型で隠せますが、早いに越したことはありません」
黒カーテンの向こうから、小さな嘲笑と、いくつかの嘆息が聞こえた。評議員たちは口々に、名門シャレット家の衰退を嘆く。
「シャレット家も、衰えたものよの。
こんな実現可能性皆無な策に、全面的に乗ってくるとは」
「いえいえ、ここはシャレット家を貶めるより、その衰えを見抜いたイッケルト大司祭を賞賛すべきかと。
見事な策でした、イッケルト大司祭」
「まったくだな。
これでシャレット家は当面、我々ジャービトン派の言いなりになる。
せいぜい大量に貸しを作って、シャレット家の内部改革が我々の手で行えるレベルまで、影響力を浸透させねばなるまい」
私が評議会に示した策は、さほど複雑なものではない。
ハルナ・シャレットを孕ませた上でスタヴロス・オルセンに嫁がせ、新オルセン家の世継ぎをシャレット家の血筋が手に入れる——こんな馬鹿げた策は、どう考えたってどこかで破綻する。しかも破綻を食い止めれば食い止めただけ、次々に破綻が広がっていく。これはそういう、下の下ともいえる策だ。
だが、経済的に見るとそろそろ突然の破綻が見え始めたシャレット家(見せガネは多いが、所詮は大貴族と商人相手の見せガネに過ぎない。ジャービトン派は、そのあたりの懐事情にも詳しい)にしてみれば、こんな泥舟であっても、勝ちの配当が十分に大きい限りは、乗るしかない——そして事実、シャレット卿はこの泥舟に喜々として乗ってきた。
しかして言うまでもなく、この策はどこかで破綻する。必ず、だ。
そしてそれこそが、私が仕掛けた策の本質となる。策が破綻しそうになるたびに、我々ジャービトン派がシャレット卿を援助するのだ。シャレット卿はこの援助を断れず、ズブズブと我々に対して借りを作り続けることになる。
「ワンと吠えてみろ」と言われたら「ワン」と犬の鳴きマネをせざるを得ないところまでシャレット卿を追い詰めたら、計画は次の——そして本命とも言えるステップに入る。屋台骨が傾ぎきったシャレット家を、ジャービトン派が内部から改革するのだ。
ジャービトン派は、これ以上帝都の大貴族たちの社会が混乱することを、断じて望まない。
大貴族の社会が乱れれば、貴族社会全体が乱れる。貴族社会が乱れれば、下々の者どもの世界も乱れる。俗世で困苦に喘ぐ無知蒙昧な貧者たちをまとめて救うには、大貴族たちの間で起こっている軋轢を解消するのが、最も効率が良いのだ。
幸いジャービトン派の内部には、貴族社会に生まれたもののゆえあって教会に入ったという、若き英才たちが大量にいる。彼らをシャレット家に送り込み、腐りきったシャレット家を内部から浄化する——それが私が構想した計画の、最終ステップとなる。
そしてこの最終ステップで大きな間違いをしないためには、ジャービトン派もまた、それまでに多少の掃除を済ませておく必要がある。
「もうひとつ、報告すべきことがあります。
ジャービトン派青年改革期成同盟の案件です」
またしても、黒カーテンの向こう側から、ため息と嘲笑が聞こえた。
「あの馬鹿どもは、何をしている?」
「あんな人たちとお話をするなんて、イッケルト大司祭も大変でしょう……私では彼らのアジトに火を放ってしまいそうだわ」
「同感だな、バーベキューをするときは私も呼んでくれ。
それはそうと、報告を聞こう」
私は内心であのさして若くもない青年たちの顔を思い浮かべ、少しだけ彼らを哀れに思ってから、報告を始めた。
「元1級審問官として申し上げれば、彼らはもはや申し分なく異端の徒となりました。
最近では、似合いもせぬ鎧兜を身にまとい、武器の鍛錬に余念がありません。
しかも訓練時における掛け声は、『天誅』という、実に独創的かつ異端思想の極みのようなものです。彼らはどうやら、天に代わって自分たちがユーリーン司祭という大異端を誅伐する——これを『天誅』と称している模様です」
案の定、この報告は黒カーテンの向こうになかなかの動揺を与えた。
「天誅——か。愚かな。なんと、愚かな!
奴らはそこまで堕落していたというのか……」
「ちょっと信じられない思いですね。
いくら彼らが愚者とは言え、ここまで堂々と神に挑戦するような言葉を吐くとは……」
「危険だな。コントロール不能になる可能性はないのか?」
彼らの危惧は、実にもっともだ。私自身、連中の組織に忍び込ませた間者から「天誅」なる言葉を聞いたときは思わず呪詛を吐いてしまったくらい、狂った言葉としか言いようがない。
そもそも「天に代わって」という段階で、傲慢としか言いようがない。確かに我々聖職者は神の代理人ではあるが、我々の本質は「神がその力を大地におろすにあたってのパイプ役」であって、我々が神を騙って何かをする、という話ではない——我々が神ではないことくらい、3歳の子供でも分かることではないか!
とはいえギリギリ、「天に代わって」は許容できなくもない。「ちょっと言葉が過ぎました」で平身低頭謝罪するか、あるいは「状況的に見てそのような強い言葉を使うしかありませんでいた」と釈明するか。逃げ道はゼロではない。
だがそれと「誅伐する」を組み合わせたら、もう駄目だ。
正義の執行という行為は、教会にとっても、帝国にとっても、極めて微妙な行為となる。「審問会派は世俗権力に対する一般的な捜査権を持たない」という一言だけでも、この論点が持つ厄介さは理解されよう。とにかく、多数の問題と利権とメンツとが複雑に絡み合った先にあるのが、「誅伐する」という実行力の行使なのだ。
それを、仮にも司祭位を持った(しかし実行力を行使する権利は持たない)人間が口にするばかりか、組織のスローガンとして受け取られても仕方ない場面で連呼する。とうてい、「言葉が過ぎました」では片付かない。
だが、その危険性を誰よりも理解しているのは、この私だ。そして最も効率的に対策が打てるのも、この私なのだ。
「ご安心ください。既に審問会派の上層部には話を通しています。
彼らも老マルタ派の独断専行には、眉をひそめております。このあたりで大きな実績を上げて、彼らの影響力を削ぎたいと思っている者は多いのです。
いずれにしても遠からず〈同盟〉のメンバーは、ジャービトン派の起案に基づき、審問会派との共同作戦を通じて、逮捕されます」
つまりは、そういうことだ。
〈同盟〉はジャービトン派の膿であり、適切な切除が必要だ。だが膿出しをするにしても、考えるべき効率というものはある。
どうせなら〈同盟〉には派手に動いてもらい、彼らに共鳴するような馬鹿どもを吸い寄せてもらう。今後、シャレット家に対しジャービトン派から有望な若者を送り込むにあたって、そこに馬鹿や愚図を大量に混ぜるわけには——完全に排除はできないとしても——いかないのだ。
そうやって馬鹿の誘蛾灯となった〈同盟〉には、最後は派手に燃えてもらう。ジャービトン派はそうやって新陳代謝を繰り返してきた。
しかしながら今回の件については、ひとつだけ余計な要素がある。
私はその点について、念のため確認をしておく。
「ただ、ひとつだけ問題があります。ユーリーン司祭をどうするか、です。
〈同盟〉に彼女を殺させることで、彼らの死罪を回避不能なものとするべきか。それとも彼女を救助して、老マルタ派に恩を売るか。
私としては前者が妥当と考えていますが、最終的な決裁を願います」
私の問いに対し、解答は迅速に帰ってきた。
「彼らには、ユーリーン司祭を殺させよ。
賢人会議からも、彼女の抹殺を期待されている。
老マルタ派はこの貸しを貸しとも思わぬだろうが、賢人会議はこの手の貸し借りを必要以上に重視する。
どちらを優先すべきかは、自明だ」
予想通りだ。
老マルタ派が庇護しているせいで、未だ罪が確定していない——つまりは現状において無実であるユーリーン司祭を、天誅を叫ぶ集団が私刑して殺したとなれば、世俗法に照らしても、教会法に照らしても、最低で死刑、最高で異端者として火刑まであり得る。〈同盟〉にはみせしめになってもらわねばならぬ以上、彼らに対する刑罰は可能な限り派手なものでなくては困る。
この大前提がある上に、賢人会議からユーリーン司祭の死を期待されているからには、まずは〈同盟〉には勝利の美酒に酔ってもらうとしよう。
それに運が良ければ、ユーリーン司祭を守ろうとしたカナリス2級審問官やパウル1級審問官が、巻き添えで死んでくれるかもしれない——彼らがいかに卓越した審問官であるとしても、さすがに〈同盟〉全員を相手にして生き残るのは不可能だ。
だがまあ、そこを明確に意図するのはリスクが高すぎるし、協力者を裏切ることを前提に計画を進めるのは破滅への片道切符だ。このあたりは「運が良ければ」程度で考えておくのが、ちょうどよい。
……ああ、もしかしたらユーリーン司祭を殺すというのは、老マルタ派の利益を損なう裏切り行為かもしれない。
だが私は彼らの目標として「ナオキ容疑者の捜査を継続したい」ということしか聞いていないから、彼らがユーリーン司祭の死をこちらの裏切りだとして批判するのは、筋違いもいいところだろう。
ともあれ、方針は定まった。
この計画が最後まで上手く行けば、私は一足飛びに枢機卿の椅子を得られるかもしれない。けして、失敗は許されない。
私はジャービトン派に鞍替えし、大司祭の椅子を手にすることで、審問官としてはどうしても手が届かなかったシャレット家の腐敗を一掃できる可能性を得た。
枢機卿の椅子を得られれば、より大きな腐敗を駆逐できるようになる。そうすれば、1級審問官では救えなかった人々をも、救うことができる。
だから、けして、失敗は、許されない。
そうやって私が決意を新たにしていると、女性評議員から声がかかった。
「ところでイッケルト大司祭。ひとつ、気になっていることがあります。
今回あなたが描いた構図は、卓越したものであると評価しています。しかしながら、必要なこととはいえ、そこで行使される手段レベルについて言えば、けして万人が賞賛するものではないでしょう。
このすべては、あなた個人の脳髄から生まれたものなのですか? それともどなたか、そういうアドバイザーがいらっしゃるのかしら」
なるほど、そこは説明していなかった。私は大いに頷くと、状況を報告する。
「ご想像のとおり、アドバイザーがおります。
確かに私は元1級審問官として、この世の邪悪をさんざん見てきました。ですがその経験から思い知ったのは、『卑劣さに下限はない』ということです。私の想像力では、本物の悪党が呼吸するように思いつく計略に、到底追いつけません。
しかして今回シャレット卿を説得するには、そういう発想が必要だと判断しましたので、プロを雇うことに致しました。皮肉にも、そのプロを最初に紹介してくださったのは、シャレット卿であります」
ここで言うプロとは、サヨコとかいう輩だ。〈同盟〉に出入りしているシャレット卿の息子が、父親に紹介したという、占い師。女占い師と名乗っているが、私は女装ではないかと疑っている——が、そんなことはどうでもいい。アウトローにはよくある話だ。
最初はシャレット卿とのつきあいの必要上、彼女と話をすることになったが、話してみるとこれがなかなか頭が良い。試みに私が抱えている状況を例え話で説明し、「ここにおいて絶対に失敗する計略を作るとしたら、貴女なら何をどう仕掛ける?」と聞いてみたところ、ハルナ・シャレットを使った策謀が出てきたのだ。
彼女が語った策はあまりに穴だらけだったが、多少修正すれば使える、という手応えもあった。それに、穴だらけなだけに、〈同盟〉の馬鹿どもを処分する策と両立させるルートもあり得ると感じた。
あとは具体的な案を詰め、人と人をつなぎ、話し合い、おだて、けなし、持ち上げて、カネを渡し、女を与え、地位を約束し、名誉を保証すれば、結果はご覧の通り。
「当然ですが、そのプロも、処分する手立ては打っております。
処分の確実性につきましては、元審問官の腕前を信頼ください、と申し上げておきましょうか」
私の報告を聞いた黒カーテンの向こうの評議員は、それなりに納得したようだった。ひそひそと何かを相談する声がした後、改めて女評議員から声がかけられる。
「理解しました。
ですが、万が一にもあなたの計画が破綻するとき、そのプロの処分にしくじったところから計画が崩壊するというのが、我らジャービトン派にとって最もダメージの大きいパターンとなります。
本日中にそのプロの情報を評議会に提出しなさい。あなたの手腕を信用しないわけではありませんが、あなたも元審問官であれば、我らの手の長さもまたよくご存知でしょう。
3週間以内に、そのプロに神の裁きを受けさせます。あなたがまだ、そのプロから何らかの助言を必要としているなら、急いだほうがいいでしょう。
ただし、接触するならよくよく注意なさい。もし裁きの現場にあなたが居合わせてしまったら、あなたもまた神の御下に向かうことになります」




