アルール歴2182年 7月19日(同日)
——老マルタ特別顧問の場合——
「集まったか。時間に正確なのは、何よりだ」
時刻はちょうど20時。大聖堂の尖塔越しの空を、盛夏の日暮れの残光が、群青とオレンジの美しいグラデーションで染め上げていた。
執務室に呼び出したのは、全部で4人だ。不詳の馬鹿弟子2人に、新弟子候補であるライザンドラ見習い(身体能力を除けば、既に彼女のほうが馬鹿弟子より上だ)と、これぞボニサグス派と言うべき傲岸不遜の化身たるユーリーン司祭。
この、てんでバラバラな異能の寄せ集めによるチームを、こんな時間に執務室に呼び出したのには、理由がある——未熟な若造どもに、説教をせねばならないからだ。
「さて。貴様らがここに呼ばれた理由は、分かっておろうな。
答えろ、パウル。貴様らはなぜ、不機嫌そうな顔をしたジジイの前に雁首揃えて並び、カミナリが落ちるのを待ち構えるハメになったのだ?」
パウルの顔が、面白いように青ざめる。だが仮にも我が弟子を名乗るだけあって、奴は自分の罪を白状した——彼が把握している範囲で。
「……師匠から見れば孫弟子にあたるハルナ3級審問官を巡る、シャレット卿の策謀を事前に見抜けなかったことは、師匠が我々を召喚して叱責するに値する不始末だからです」
儂はウンウンと頷いてから席を立つと、パウル1級審問官の背後に回って、その耳を強く捻る。「いたたたたっ」という情けない悲鳴が上がったが、力を弱めてやる理由にはならない。
「だから貴様は浅はかだ、というのだ。
言え、謀略家ワナビの阿呆めが。シャレットのクソ野郎は、猿と比較したら猿が激怒するようなチンケな脳みそを駆使して、何を企んでいる?」
パウルの表情は見えないが、それでも奴の顔色が一層悪くなったのは手に取るように分かる。こいつは昔からそういう奴だ。
パウルは半ば悲鳴をあげるようにして、最も正確な答えをひねり出した。
「申し訳ございません、わかりません!
僕には彼が腹の底で何を企んでいるのか、まるで見当がつかないんです!」
パウルの悲痛な叫びを聞いて、儂は奴の耳から手を離した。
「まあ、よかろう。
分からぬことを分からぬと言うのは、分かったふりをするより何万倍も賢い。
だがパウル、貴様は今夜、見習いたちの夜間行軍演習に参加せよ。追加荷重は無しにしてやる」
本当は明日から一週間、基礎訓練からやり直せと怒鳴りつけたいところだが、こやつらにはこやつらで為すべき仕事もある。この程度で我慢してやろう。
さて、次だ。
「では、パウルよりちっとは頭の良いであろう馬鹿に聞くとするかの。
答えよ、カナリス。貴様らはなぜ、幼年学校以来の懲罰を受けておる?」
よく鍛えられたカナリスの背中に、緊張が走る。ええい、貴様らはいいトシしたオッサンどもだろうに、今更ガキ同然の反応をするでないわ! ああいうのは年端もいかぬ子供が見せるから可愛げのある仕草なのであって、今の貴様らがやっても不気味なだけだ!
「……政治のことは分からないと最初から逃げを打たず、パウルと情報共有を密にして、私なりの視点を彼に提供すべきでした。
結果、パウルが判断を誤ったのですから、それは自分の過ちでもあります」
儂は再びウンウンと頷いてから、カナリスの肩にポンと手を置く。彼が大人しく床に片膝をついたところで、大馬鹿者の脳天に拳を打ち下ろした。
「このタワケが! 貴様の頭蓋を殴りつけたのに、中身に具が詰まっているかのような音を立てることが、信じられん! それとも最近は愚が詰まっているとこんな音になるのか? まったく、話にもならん!
さあ言え、カナリス! その御大層な『自分なりの視点』とやらを、この場で述べてみよ!」
頭を抱えてしゃがみ込んでいたカナリスの喉から、「うっ」と低い呻きが漏れた。
みたことか。こやつはこの件について語るべき「視点」など持っておらぬくせに、「自分にも詳しい報告が届いていれば、もっとマシな対応ができた」的な思い上がりをしているのだ。こういう愚行を、「知りもしないことを、知っているかのように語る」という。
「カナリス。貴様はこの説教が終わったら、『アストラーダのから騒ぎ』の第1幕を視写せよ。明日の朝までに、だ。
どうせ貴様のことだ、大昔に貸してやった本はどこかに埋もれておるのだろう? 儂の愛蔵版を貸してやる。いいか、汚すなよ?」
次だ。
「さて、ユーリーン司祭だが……おそらく貴女は、儂がこの馬鹿弟子どもを折檻した理由をお察しであろうと思うが、どうか?」
儂の問いに対し、彼女はくるりと儂のほうを振り返ると、悠然と頷いた。
だがその表情は、あまり晴れやかとは言えないものだ。
「——私としては、シャレット卿の策謀に関しましては、理論上はこれしかないという仮説を立てています。
ですが、その……理論上は、そうかもしれません。あくまで、理論上は。
しかしこんなことを実際にしでかすのは、愚者という名すら相応しくありません。先程、老マルタが仰られたとおり、猿なみの頭脳と評すれば、猿が激怒する、そんな——そんな、狂った発想です。
まさか老マルタは、シャレット卿はこんなことを本当にしでかすほど、狂気に侵されている、と……?」
ほほう。これはまた面白い。実に、面白い。
儂は人差し指を立て、ユーリーン司祭の額に軽く触れる。
「ユーリーン司祭! 貴女の言い分は、まるでそこらの腐り果てたジャービトン派の有象無象が吐き散らす妄言も同然だぞ!
貴女はボニサグス派であろう? ならば、理論上起こることは、起こることだ。よりによって貴女がそこを曲げてどうする!」
儂の言葉を聞いて、ユーリーン司祭の顔が、さあっと青ざめる。
「ご叱責のとおりです。
理論上起こることは、起こることです。そうでした——私はもっと早く、この可能性をパウル1級審問官か、カナリス2級審問官にお伝えすべきでした。
あるいは少なくともライザンドラ見習いと、その妥当性について議論すべきでした」
儂は深々と頷くと、些かズレていた彼女のメガネの位置を正してやった。
「わかれば、それでよい。こんなことを貴女に思い出させるのは儂としても本意ではないが、下衆の果てには底などないことを、貴女はその身で思い知っているはずだ。
儂は、貴女を評価している。貴女の頭脳と度胸、そして強靭な意志を、尊敬していると言ってもいい。パウルの阿呆は貴女をいつか教皇の座に送り込みたいと言うが、儂としてもその大望には全力で協力したいと思っておる。
それだけに、この老人からひとつ、忠告させてもらおう。
ブレるな。己が信じた道から、ブレてはならん。
ただブレずに歩くと決めるだけで、自ずから道は開ける」
雪よりも真っ白な顔になったユーリーン司祭が、それでもなお、神妙に頷く。
彼女がくぐり抜けた不条理極まる試練の記憶は、おそらくは一生、彼女を苦しめ続けるだろう。だがそれだけに、その記憶にただ苦しめられるだけでなく、その記憶を踏み台にして飛翔できる人間であってほしい。そうでなくては、教皇の椅子など夢また夢だ。
さて、最後の一人だ。
儂はライザンドラ見習いの正面に回り込んで、彼女の目をしっかりと見据えて、語る。
「では最後に、ライザンドラ見習いに聞こう。
貴様は儂に言い訳すべきことが、最低でも2つあることを理解しているな? その2つを、包み隠さず述べよ」
ライザンドラ見習いは、細く、長く息を吸うと、同じくらい時間をかけて息を吐き出した。それから意を決したかのように、口を開く。
「最初に違和感を覚えたのは、先月末のことでした。ハルナさんの症状に関するレポートを読み、それから念のためにと思ってサンサ教区で書かれた各種レポートを確認したところ、どうにも整合性が取れない問題があることに気づいたのです」
おっと。なんたることか、彼女のほうが儂よりも早くこれに気づいていたのか!
——という驚きを顔に出すほど、儂も若くはない。儂はあたかも「知っておったわ、痴れ者め」という表情を崩さず、彼女に話の先を促す。
「エミルが仕切っていた薬物カルトに捕らえられたハルナ3級審問官は、彼らの秘密のアジトにおいて、男からだけでなく、女からも陵辱されていた可能性が高いというのが、後に現場を精査した特別行動班の所見でした。アスコーニも、これを裏付ける証言をしています。
現場に残されていた各種証拠や、証言によって示された具体的な状況については、省略させていただきたく思います——よろしいですね?」
儂は肩をすくめて頷く。なるほど、そこから矛盾を見抜いたか。さすがは天才の名をほしいがままにする才媛だけのことはある。
「一方でハルナ3級審問官の症状を示したレポートによると、彼女はいま、男性に対して激しい恐怖を示している、とあります。
もしこの恐怖の原因が、サンサ教区での記憶に由来するものであるならば、ハルナ3級審問官は男性ではなく人間に対して恐怖するのではないか?
そう思ってカナリス2級審問官に少し質問してみたところ、ダーヴの街から帝都まで搬送してくる間には、男性恐怖症的な症状は特に示していなかった、という解答を得ました。
つまり、いまの彼女が示している男性への恐怖は帝都に来てからのものであり、かつ、帝都で新たに得た体験に依っている可能性があるのではないのか? そんな疑念が、心によぎったのです。
私が告白すべき最初の罪は、その疑念を、自分の胸のうちにしまいこんだことです」
解答としては「満点」としか言いようのない、完璧な解答だ。儂はシャレット卿があんな馬鹿な提案をしてくるまでその可能性に思い至らなかったのだから、100点満点で言えば200点くらいの点数となるだろう。
儂が心のなかで密かに採点作業をしている間にも、ライザンドラ見習いの告白は続いた。
「私の犯したもう1つの間違いは、この疑念と、そしてこの疑念が導く自明な解答を得ながら、それらをけして語らないと決意したことです。
なぜなら、おそらくは間違っていないであろうこの推理をパウル1級審問官やカナリス2級審問官に話せば、現状においても大量の困難をかき分けながら進行させているオルセン家復興計画と、それに基づくナオキ追討作戦の実行に対し、大きな障害となると考えたからです。お二人は必ずやシャレット家を計画の敵と認定し、これによって政治工作はより一層、困難を極めるようになる——それはあまりにも自明なように思えました。
また私自身、この疑念に気づいていないふりをし続けることで、シャレット卿の油断を誘えるはずだと考えた、というのもあります。こんな腐れ果てた策謀は、絶対に許せない。だからこそ、たとえ味方を騙すことになってでも敵の油断を誘い、彼らが増長して勇み足を踏んだところで逆撃する。それしか、この件に対処する手段はないとも考えたのです」
今度も満点の解答だ。
報告・連絡・相談はどうしたと言いたくなるところではあるが、パウルだのカナリスだのといった阿呆どもに報連相したところで事態は悪化しただけだっただろう。
実際、ライザンドラ見習いが密かに決意した「敵を騙すならまず味方から」という選択は、オルセン家復興計画というトンデモな陰謀をその端緒でコケさせなかった、重要な一打としてカウントしてよいのが現状なのだ。
ともあれ、採点を終えた儂は、明らかに飛び抜けて出来の良い孫弟子に対し、処分を言い渡す。
「満点の解答だ、ライザンドラ見習い。
貴様もパウルと一緒に夜間行軍演習に参加せよ。満点に免じて、バックパックは20kgで構わん」
儂の裁定を聞いて、パウルが目をまんまるにして飛び上がった。
「待ってください師匠、それは無理です! ライザンドラ見習いは夜間行軍どころか、通常の行軍演習すら完遂できるかどうか怪しいんですよ!? しかもいきなり20kg荷重って、そんなの自殺行為そのものです!」
パウルの必死の訴えに、儂は白い目を向ける。
「そう思うなら、貴様がなんとかしろ。
貴様は追加荷重を免除してやる、と言ってやったではないか。動けなくなったライザンドラ見習いを20kgの荷重つきで背負ったところで、まだ余裕はあろう?」
言葉に詰まったパウルを尻目に、儂はライザンドラ見習いに向き直る。
「さて、ライザンドラ見習い。貴様にはもう一つ、聞くべきことがある。
貴様の為した配慮は、審問会派の内部規定に則れば譴責ものだ。無論、それだけの負荷を、たかが見習い1人に押し付けた1級・2級審問官がいるとなれば、情状酌量の余地もあろうが。
しかるにライザンドラ見習い——貴様は自分が成した配慮が、それを成そうとした段階で、審問会派においては最低でも譴責、最悪なら追放まであり得るほどの重大事だと把握できていたはずだ。違うか?」
やや怪訝そうに、ライザンドラ見習いは儂の言葉に同意を示す。
「ならば問おう。
貴様はなぜ、それほどの重大事と知っていてなお、その一歩を踏み出したのだ?」




