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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
人が神を殺しうる可能性について人が議論する意味はあるか
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アルール歴2177年 5月17日(+7秒)

――神城ナオキの場合――

 目の前でぶっ倒れたライザンドラが目をしっかりと閉じたのを確認した俺は、大急ぎで部屋の窓という窓を開け、換気をする。タオルでしっかりと口と鼻を覆い、彼女が座っていたソファの近くで炊いていた香立てに水をぶっかけた。

 やれやれ。こっちの世界でタバコを見つけたとき、タバコがあるなら絶対にコレもあると踏んではいたが、案の定だ。


 香立てで燃やしていたのは、乾燥させた「素性の悪い葉っぱ」を含んだアレコレだ。

 たいして強いものじゃあないが、彼女は酒も茶も飲まないとマダムから聞いていたので、この手の刺激物は微量でも相当効くだろうと山を張った。正直ヒヤヒヤものだったが、結果オーライというところだろう。


 俺は床で胎児の格好をしたまま気を失っているライザンドラの体を持ち上げ、ベッドまで運ぶ。彼女の体は、驚くほど軽かった。


 ともあれ、これで彼女に「超越的体験」を刷り込むことには成功した。

 彼女は薬物で正常な判断力を失っているところに、心的外傷に関わる強いストレスを受けた。どちらも精神的なものというよりは、事実上生理的な働きかけだ。で、それに呼応して彼女は「普通ではない体験」をした。死んだ蛙の足に電極をぶっ刺したら跳ねました的な、そういう仕組みだ。

 だが彼女が目を覚ましたとき、今の体験がただの生理的反応に過ぎないなどとは、彼女にはまず理解できない。こればっかりは、「そうだ」と前もって知っていないと、対抗するのが難しいのだ――というか、彼女のように頭のいい人間ほど、この手の生理的反応でコロリと落ちる(・・・)


 マダムからは、彼女が自分の知性を他人に見せることに、強い拒否感を持っていると聞いた(その理由も聞いた)。マダムは「その壁を彼女が越えられるとは思えない」と言っていたし、実のところ俺も同感だ。

 だがいま、異常な生理的反応のど真ん中にあって正常な判断力を喪失した彼女は、俺の誘導に乗って「知性を他人に見せる」選択をした――いや、選択をしたと思い込んだ(・・・・・)

 要は、彼女は「壁を越える」体験を、超越的体験と同時に得たわけだ。この手の体験を、俺の業界では「啓示」とか「神託」とか「高次元へのアクセス」とか実に麗々しい名前で呼ぶ。その効果は言わずもがな、だ。


 もちろん、これはかなりヤバイ橋だ。ライザンドラは結構いい確率で死んでたよなコレ、と無責任な感想を口にしたくなるくらい、ヤバイ橋だった。なにせこの手の危険な薬物は、人によって強すぎる反応を惹起したり、最悪アレルギー的な反応を引き起こして死んだりする。


 それでも、俺は彼女を自分の支配下に起きたかった。

 彼女の外見、経歴、そして能力。

 そのすべてが、俺の計画に完璧にフィットするのだ。


 彼女はそもそも、世が世ならお姫様だった。実際、6歳くらいまでは、歴史と伝統ある大貴族の家で、お嬢様として教育を受けてきたという。

 しかしながら有為転変は世の習い。ライザンドラの家は没落し、彼女は養女として他家に迎え入れられた。そして事実上の下女としてこき使われ、12歳のときにその家の主人にレイプされる――しかも悪いことに、その現場を奥方様に目撃されてしまう。

 かくして、体面のために事実は捻じ曲げられた。お偉い異端審問官様が座長となって行われた魔女裁判(・・・・)において、12歳の彼女は「その奸智と淫猥なる弁舌の才をもって主人を誘惑した」加害者で、ご主人様は「魔女の被害者」となった。罪の重さは100:0。ライザンドラは魔女として奴隷に落とされ、マダムが彼女を買って今に至る、というわけだ。


 「賢い」ことを罪とされ、強姦の被害者だったのに加害者として罪人の烙印を押された彼女は、世界に絶望した。

 透き通るような白磁の美貌も、アイスブルーの宝石のような瞳も、輝くようなプラチナブロンドの髪も、すらりと綺麗に伸びた細い手足も、そしてそれらすべてを内側から輝かせる類まれなる知性も、何もかもが「邪悪なる淫靡さ」として否定されたのだ。頭を下げて、身を小さくして、ただ人生が過ぎ去るのを待とうとしたのは、やむを得ないことだろう。


 だが、そうやって人生をドブに捨てられては、俺が困る。


 俺には世界を変えられないし、神も殺せない。

 だが彼女なら世界を変えられるし、神だって殺せるはずなのだ。


 持って生まれた美貌に、貴族階級の一員となるべく幼い頃に刻み込まれた気品。それを存分に活用すれば、そこらの野心家なんぞ鼻くそ程度にしか見えなくなるほどのカリスマを発揮するだろう。飛び抜けて品の良い美人であることとカリスマ性との間には関係などないが、カリスマと呼ばれる能力と競合し得る能力のことは、カリスマと呼んでしまってなんら問題ない。

 そのうえ「零落して辛酸の限りを舐めた元貴族令嬢」という物語(・・)は、彼女の姿を直接見ていない人間の心をも動かす。その影響力は、計り知れない。


 彼女が神殺しになるために、足りないのはたったひとつ。

 そしてそのひとつは、外から押し付けることができる。


 と、そのとき、ベッドの上で横になっている彼女が、小さくうめき声をあげた。目を覚ましたようだ。


 さあ、最後の仕上げだ。俺は彼女の顔を覗き込み、「なにもかもわかっているよという優男の表情」と俺が勝手に命名している表情に切り替えた。人を支配したければ、最初と最後は徹底して優しく、中間地点は荒く扱えというのは、俺の業界界隈では常識の一つだ。


「私は――」


 彼女がポツリと呟く。その声は微妙に湿っていて、思わず背筋がゾクリとしたし、俺の中の男性が激しく刺激されるのを感じる。

 後者の感覚は、危険だ。俺はさっさと話を先に進めることにする。


「君は悪くない」


「でも……」


「君は悪くない」


 古典的な手法。だがこれは彼女のような人間には、良くも悪くも、確実に効く。信頼できる相手から徹底的かつ無条件に肯定されるという経験は、自分の価値を完全に見失った人間にとって、麻薬よりも遥かに効く(・・)


「でも――でも……神様が……神様が、私を――」


 この世界の裁判が一種の神明裁判であることは確認済みだ。そして、それがときにガチで真実を明かすということも。なにせこの世界にはマジで神の加護があるからな!

 けれどそういう実績があればこそ、彼女が受けた魔女裁判のように、その信頼性を悪用する連中も出てくる。


「なら神が間違ってる。神は間違わないと、誰が決めた?

 それとも、12歳の君が抱え込まされた真実は、実はやっぱり間違いだったんですと、今更また言うつもりか? そうやって真実に逆らった嘘をついて、何が変わった?」


 彼女が虚を突かれたかのように絶句する。そらそうだ。この世界の人間に、「神が間違える」なんて概念はあり得ない。必然的に混乱する彼女の思考に対し、ついさっきの超越体験を回想させてやると、彼女は見事に押し黙った。


 沈黙は、5分も続いただろうか。彼女は救いを求めるように、俺の目を見ながら弱音を吐いた。


「私は――どうしたらいいんですか?」


 こういうことを言い出したとき、その人間の中ですでに答えは決まっている。だからこちらからそれを与える必要はない。むしろ人は「自分で発見した答え」に強く執着するから、彼らに自分で発見させてやるのが一番だ。


「これは君の人生だ。君はどうしたいんだ?」


 再びの沈黙。でも今度の沈黙は、予想通り、短かった。


「私は……私は、怖かった。恐ろしかったんです。痛かった。辛かった。苦しかった。早く終わってほしかった。背中が床で擦れて、それでも無理に乱暴にされて、痛くて、泣き叫んだら、ハンカチを口に押し込まれて、息が苦しくて、怖くて、死にたくないって何度も思って、でももう死ぬんだ、もう駄目なんだって、でも死にたくない、誰か助けて、お父さん、お母さん、神様、助けてって、神様、どうか、どうか助けてくださいって、何度もお祈りして、でも、神様は助けてくれなくて、私は魔女だって神様は言って、違うって言えば言うほどお前は悪い魔女だ、神様のお告げに逆らう悪い魔女だって、だからもう、なんであのとき私は死ななかったんだろう、なんで神様は魔女を殺してくれなかったんだろうって、何度も、何度も泣いて、でも誰も助けてくれなくて……」


 最初はゆっくり、躊躇いがちに語られた言葉は、やがて奔流となり、嗚咽のなかで濁流となっていった。俺は本能的に彼女を抱きしめたくなったが、決死の覚悟で我慢する。

 ここで彼女を抱きしめれば、しかるべきことが起き、しかるべき関係になるだろう。だがそれでは不味い。俺は彼女の恋人ではなく、導師でなくてはならないのだ。

 だから俺は、彼女の手をそっと握って、脈絡なく飛び出る言葉をすべて受け止める。あくまで、道に迷う彼女(こひつじ)を導く者として。


 長年に渡って鬱積した思いを言葉と涙という形で吐き出し続けた彼女だったが、20分ほどして疲れ果てたのか、少し落ち着きを取り戻し始めた。そのタイミングを逃さず、俺は話題を誘導する。


「少し眠るといい。なに、今晩もこの部屋は抑えてある。

 一晩ぐっすり眠って、落ち着いたところで、もう一度よく考えればいい。

 今の君に最も必要なのは、体と心に平穏を取り戻すことだ」


 ゆっくりと、赤子に諭すように語りかける。

 彼女は素直に頷くと、俺の手をしっかり握りしめたまま、目を閉じた。やや色の薄い唇が微かにわななき、またしても俺の精神に良くない影響を及ぼす。だがここが踏ん張りどころだ。なぜなら彼女は、まだ眠ってはならない(・・・・・・・・)筈なのだ――彼女はまだ、すべてを吐き出せていないのだから。


 予想通り、1分ほどで彼女は目を開けた。

 そして俺の目を見て、はっきりと宣言する。


「私は、間違っていませんでした。

 間違ったのは、神様です」


 俺は軽く笑ってみせる。


「そう言ったろ。君は悪くない。間違ったのは神だ。

 だが――まあ、あまり大声で言うことではないかもな」


 彼女は意外だ、と言わんばかりに目を大きく見開かせた。


「どうしてですか?

 もちろん、神様の正しさに異議を唱えることが、社会的にとても危険だというのは、分かってます。

 でも神様も間違えるというのは、真実です。

 『真実を知った以上、人はそれを語らねばならない。それが人にとって最も大きな義務だから』と言ったのは、あなたなのでは?」


 彼女に対する支配が予定通り機能していることに安堵しながら――どこの馬の骨とも知れない男が語った言葉を、神の正当性と同じレベルで語ることに彼女が違和感を感じていない以上、洗脳は完全に成功したと考えていい――俺はわざと厳しい顔をしてみせる。


「神も間違えるという真実を語れば、それは最悪、いまの社会を根底から破壊することになる。

 それどころか、『間違えるような神ならいらない』と皆が言い出し、結果的に神を殺すことになるかもしれない。

 君には、神を殺す覚悟があるか?」


 彼女は決然として頷いた。もともと、彼女の頭の回転は極めて早い。神の無謬性に異議を唱えることが何を意味するのか、理解していないはずがない。


「たまには間違えることもある程度で見放される神であるなら、誰かが殺すべきです。

 それに、人は神なしで生きていけるほど強くはありませんから、たとえ誰かが神を殺したとしても、必ず次の神を見つけます。ならば神殺しを躊躇う理由もまたありません」


 この結論を彼女が発見(・・)するであろうことは、予測していた。そのように誘導したわけだし。

 だが俺は内心で、彼女の強烈な闘争心に驚いてもいた。

 もとより、彼女は非常に強い(・・)人間だろうとは予測していた。世界中の人間に寄ってたかって人生を玩具(おもちゃ)にされ、それに対して抗議の声を上げることも許されないような日々にあって、麻薬の類はもちろん、酒も茶も飲まないなど、普通は考えられない。一般論で言えば、彼女のような立場に追い込まれれば、麻薬や酒で身を持ち崩して早死にするものだ。


 予測に違わず、彼女は強い。

 だが、まさかこれほどとは。


「――ゼロじゃないどころじゃねえぞ、これは」


 俺は興奮のまま、ついそう呟いてしまう。


「……はい?」


 きょとんとした顔の彼女に向かって「いや何でもない」と苦笑いしつつ、俺は計画を本格的にスタートさせる決意を固めた。

 いざ始めるとなると、我ながら恥ずかしいほどに膝が震えるけれど、ここが最初の分水嶺だと己の弱い心を叱咤する――そうしながら、顔だけは厳つい表情をキープして、彼女に最初の命令を与えた。


「お前が神を殺したいなら、俺はその道程を示してやる。

 遠からず、お前は必ずや神を殺すだろう――だが、今は眠れ」


 彼女は小さく頷くと、戦場に身を置く戦士たちが束の間の眠りを貪るがごとく、一瞬で眠りに落ちた。


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[良い点] こんな口悪い主人公があなたなんて言い方するか?って思ってたんやけど、、、、こういう題名の付け方好き
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