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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
人が生きようと選択することが政治の本質であるならば、なぜ人はそこで死ぬのか
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アルール歴2182年 7月8日(+8日)

――パウル一級審問官の場合――


「この件、やはり厄介なことになってきたのう……

 こんなことは言いたくないんじゃが、カネか人を追加せんことには、困ったことになるかもしれん」


 5日前のランチミーティングの折にイッケルト大司祭がそんなことを言い出したとき、僕の胸中には脊髄反射的に「またこれが始まったよ」という思いがよぎった。イッケルト大司祭は、彼の肩書がイッケルト一級審問官だった頃から、こんな感じで何かと追加予算を要求してくる悪癖がある――そしてその追加予算のほとんどは彼のポケットへと消えていく。

 そういうカネが必要なのは、わかる。僕だってそういう裏金の用意がないかと言われれば、ありますね、と答えるしかない。なにせあのカナリスですら多少のカネは懐に仕舞いこんでいるのだから、たぶんまったくこの手の不正(・・)をやってない審問官なんていないはずだ。僕らの捜査には、帳簿には明記できないカネがどうしたって必要になるシーンがあるのだから。

 とはいえ、イッケルト一級審問官のそれ(・・)は、度を過ぎていた。なにせ審問会派の会計監査から「もうちょっと隠す努力をするように」というお達しが出たくらいなのだ。


 ……という僕の思いは、そのままイッケルト大司祭にも伝わっていたようで、大司祭様は苦笑いを浮かべた。


「口で説明しても、わかるまい。

 貴殿が直接、厄介(・・)と会って交渉するがよかろう」


 かくしてそれから5日が経過し、僕は内心で苦虫を千匹ほど噛み潰しながら、表向きはにこやかな笑顔を浮かべて来客を出迎えた。


 本日この良き日にわざわざ審問会派本部の第1応接室までお越し頂いたのは、合計4名の栄誉あるクズどもだ。いまの帝都でクズ野郎ランキングをつければ、この4人で間違いなく上位10位までを独占できる。1人3スロットくらいずつの分担で。


 まずは第1のクズ野郎。病的な肥満体を抱えた天性のサディストにして、帝都でいま最も身の程をわきまえない男ナンバーワンに輝く、ローランド司祭。

 彼はコネとカネを使いまくって帝国神学院に進もうとしたが、教会にとっては幸いなことに、最終諮問で義憤に駆られたユーリーン司祭の猛反論を受け、最後は興奮のあまり卒倒して退場した(この勇気ある行動が、彼女に大いなる不幸をもたらしたのは言うまでもない――噂によればローランド司祭は親の権力を使ってユーリーン司祭をサンサ教区へと追放する前に、何かとてつもなく非道なことを彼女に対して行ったらしいのだが、今のところその件をもってローランド司祭を逮捕できるほどの確たる証拠が集まっていない)。


 続いて第2のクズ野郎。40中盤を過ぎてから「ジャービトン派青年改革期成同盟」なる組織を立ち上げ、それから10年近く経った今も組織のリーダーとして君臨する、ガルドリス司祭。あなたは「青年」という言葉の定義を正しく知っているのかと問いただしたい。

 そしてまた、彼らがいうところの〈同盟〉がまた、問題児の塊のような組織だ。組織の目標としてはジャービトン派をふくむ教会全体の改革だそうだが、要するに彼らはそこそこの格式を持つ貴族の家に生まれた四男坊や五男坊の集団だ。本家から見ると「家内奴隷として身を削って働くのでなければ、どこかにそっと消え去ってくれると嬉しい」的な扱いを受けてきた連中が群れた結果できたのが〈同盟〉という次第なのだ。

 彼らの境遇に、同情はする。だが「改革」を叫ぶだけにとどまらず、教会から異端の疑いありとして追放された聖職者を援助したり、あるいは異端者として処刑された連中を賞賛したり、ときにはその手の異端者のシンパに直接資金援助したりとなってくると、審問会派としては看過できない。手っ取り早く目立つ(・・・)にはその手の愚行が一番いいというのは分かるのだが、青年と言うには歳を食いすぎた連中がそんな火遊びをしているのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。


 これだけでもうかなり満腹な気分だが、さらに第3のクズ野郎。今回のメンツのなかでは最も若い、アガノ・シャレット。まだ神学校の学生だが、その素行の悪さは今はなきエミルとタメを張る。これがまた顔の造形だけは良いうえに、シャレット家ならではの物腰の柔らかさがあるものだから、身分の上下を問わず年頃の娘たちがコロリと騙される。

 最近の彼がお気に入りの遊びは、お忍びで庶民向けの居酒屋に通い、若い庶民のカップルに目をつけ、まずは男のほうを経済的に追い込んでから、しかるに女のほうに「自分と寝たら大金をくれてやる」と持ちかけるという、俺が親なら即刻打ち首にしてやるような遊び(・・)だという。


 そして最後に控える超大物にして最高品質を誇るクズ野郎が、当代のシャレット家当主、つまりシャレット卿だ。

 個人的にはアガノ・シャレットを手打ちにしていないというだけで評価マイナス2万点と言いたくなる男だが、この男の中身を全部ひっくるめて採点すればマイナス200万点には達するだろう。なにをどうしたらこの男を父親としてハルナ・シャレットが生まれ得たのか、神のいたずらにもほどがある。

 彼が成し遂げたマイナス198万点ぶんの内容を語ると1年はかかるだろうから、最も腐りきった事績だけをピックアップすれば、本来はデリク家に嫁ぐはずだったシャレット卿の妹君、アオバ・シャレット嬢にまつわるスキャンダルが挙げられるだろう。

 当時のデリク家の次男と相思相愛だったアオバ嬢は、いよいよ挙式も近いという時期になって妊娠していることが発覚。デリク家とは清い関係を維持していたこともあり婚約は即座に破棄され、失意のうちにアオバ嬢はこの世を去った。事故とも自殺とも言われているが、死因は明らかではない。

 だが、どうしてもアオバ嬢の突然の妊娠と死に納得がいかなかった男がいた。長年に渡って婚約者として清らかな付き合いをしてきた、デリク家の次男(当時)だ。疑念と執念に駆られた彼は私財を投じてメリニタ派の魔女と接触。人の道に外れた方法を使ってアオバ嬢の遺骨を手に入れ、メリニタの魔女に占ってもらった結果、アオバ嬢が孕んだ子の父親はシャレット卿であることが判明した。

 理性のバランスを失った彼はシャレット卿を殺すべく、年越しのミサの席でナイフを抜いて襲いかかり、シャレット家の衛兵によってその蛮行は即座に鎮圧され――そして何もかもが闇へと葬られた。僕が事件の真相を知っているのは、こう見えても僕が審問会派の重鎮だからであって、この件は今なお黒い沈黙の向こう側で守られている。


 ともあれ、だ。いまこの第1応接室に神の裁きの雷が落ちてきて、僕を含めた5人全員が突然死んだとしても、僕としては悔いはない。むしろ「神様はいい仕事をした」と言い残して死ねる自信がある。それくらい、こいつらは腐りきっている。


 かくして始まった交渉(・・)もまた、彼らのプロフィールに負けず劣らずの、腐り果てた展開を迎えた。


 連中の主張によると、教会の秩序を乱したユーリーン司祭はジャービトン派によって裁かれる立場にあり、審問会派が即刻彼女の身柄をジャービトン派に引き渡すべきなのは自明(・・)である、らしい。

 その上で、それはそうとして(・・・・・・・・)〈同盟〉は審問会派とシャレット家の和解を進める準備があるし、その証拠としてわざわざシャレット卿にもこの場に同席頂いている、という。

 しかるに、最後になるが「審問会派がケイラス司祭(・・)の正統性を認めたことについては、まるで手遅れだとはいえ、一定の評価をしたいと思う」だ、そうだ。


 死ね。


 ……という二文字で終わりにしてしまいたい交渉(・・)だが、シャレット卿がいるとなるとそうもいかない。八名家の当主がご出馬してきたのに、「死ね」の一言で追い返したとなれば、さすがに政治的にNGだ。たとえそれが、近親相姦願望を抑制できない最悪のロリコン野郎だとしても。

 というわけで僕は「何を仰られたいのか、非才の身には測りかねますね」的な美辞麗句を並べてお茶を濁しつつ、連中がいったい何を考えているのかを必死で読み解くことにした。いや実際「何を言われてるのか、まるで分からん」というのは、僕の本音でもある。


 かくして不毛な言辞のやりとりを5分ほど繰り返しているうちに、だんだん、彼らがどんな妄想を抱いたのかが見えてきた。

 要するに彼らは、僕やイッケルト大司祭が行っている工作の中心に、自分たちが存在していると思い込んでいるのだ。


 僕としては「ケイラス司祭が帝都にいた頃は、極端な思想を持ってはいたけれど、異端とまでは言えなかった」という証拠を(師匠(老マルタ)の深慮遠謀を得て)掴めたので、それを材料としてジャービトン派(・・・・・・・)と交渉しているつもりだった。

 つまり僕の視界には、「ジャービトン派青年改革期成同盟」なんていう泡沫組織は存在しなかった。彼らの主張から逆算するとケイラス元司祭は〈同盟〉の中核的同志にして精神的指導者だったらしいけど、「ケイラス司祭に異端の疑いあり」という段階から彼の調査をした1級審問官として言えば、ケイラス司祭と〈同盟〉の間に明確な関係性はない。


 ここから推測できるのは、ケイラス元司祭と〈同盟〉は審問会派を巧みに欺きながら連絡を取り合っていた――のではなく(そんなことがあり得るものか!)、この年季の入った青年たちは帝都時代のケイラス司祭の辻説法を聞き、一方的に「ケイラス司祭こそが我らを導く人物」と思い込んできたのではないか、ということだ。

 俗に言うコミュ障が多いボニサグス派では「目があったら親友、挨拶したら大親友」という冗談が語られるが、ケイラス元司祭と〈同盟〉の篤い絆(・・・)も、そういうものだったのだろう。


 けれどそうやって澱のように溜まった妄想は、いつしか現実(・・)にも影響を及ぼしていく。

 つまり、彼らのインナーワールド的には、「我々の偉大な同志にして精神的指導者であるケイラス元司祭が、帝都で活動していた時期においても異端であったか否か」は、極めて大きな問題となっていったというわけだ。


 そしてそんなワンダーランドに棲む彼らにとって、僕の提案(・・)は、スイートスポットど真ん中のものとなった。なんたる偶然か、僕の進める政治工作は、彼らの妄想を爆発させる一打となってしまったのだ。


 うわなにこれめんどくさい。


 しかも彼らは――そしてシャレット家もまた――審問会派はシャレット家に対して借りがあると確信している。だから彼らは「審問会派がシャレット家に対する借りを返す手伝いをしてやるから、俺たちが異端ではないと明確に宣言しろ。しかるにそれはそうとして、ユーリーン司祭は俺たちが殺す」という提案が交渉(・・)になり得ると判断した。


 うわなにこれガチでめんどくさい。


 なるほどなあ……イッケルト大司祭が「カネか人をもっとよこせ」と言い出したのも、分かる。ここまで壮大な馬鹿どもを相手にしていたら、今の予算組では(個人的な財布が)大赤字になってしまう。


 とはいえ、このクソみたいな展開にも、ちょっとだけ良いところはある。この馬鹿げた会合は、シャレット家の動向をかなりの精度で把握できるパイプを作る、大きなチャンスでもあるのだ。

 当主がどんなにクソ野郎だったとしても(あるいは家の財政がどんなに傾いているといっても)、シャレット家が八名家の一角を占めるのは揺るがざる事実だ。オルセン家復興計画にあたって、彼らに表立って敵対されるとなると、状況は一気に混迷する。願わくばシャレット家とは中立、ないし協力関係でいられるのが、理想なのだ。


 と、なると。


 まずは、対面に座っている連中の数を減らすとしよう。これから先、何度も何度もこの人間の形をした肉塊と会って話をするなど、御免こうむる。

 なので僕は、彼らの熱弁が一瞬止まったスキをついて、僕からの確認(・・)をねじ込むことにする。


「――ええと。ひとつ、ガルドリス司祭に確認させて頂きたいのですが。

 ユーリーン司祭の身柄はジャービトン派が引き取るべきだと先程から主張されておられますが、これはジャービトン派としてのご見解ですか? それとも青年改革期成同盟のリーダーとしてのご見解ですか?」


 わかりやすく翻訳すれば、これは「あんたは勝手にジャービトン派の総意的な雰囲気でゴタゴタ語ってるが、そっちがその気なら俺はジャービトン派の上層部に直接『この主張って、ジャービトン派の総意ですかね?』と聞きに行くぞ? それでもいいんだな?」という恫喝だ。


 無論、ジャービトン派上層部の主流としては、イッケルト大司祭が反体制派として孤軍奮闘しているものの、「これを好機としてユーリーン司祭を吊るしてしまえるなら吊るしたい」が本音だろう。

 けれどその主張を、たかがそこらの平司祭が「ジャービトン派の見解として」声高に訴えたとなると、話は変わってくる。ジャービトン派のお偉方としては「ガルドリス君、僕らの頭を越えて話を進めるとは、君は随分と偉くなったものだね?」と言いたくもなろう。そうなったら、ガルドリス司祭の政治的生命はサドンデスを迎えてしまう。


 案の定、ガルドリス司祭はさあっと顔を青ざめさせると、ボソボソグネグネと言い訳をし始めた。


「いえ――その、これは……青年改革期成同盟の見解と言いますか――いや、むしろ私個人の、私的な、ですね……」


 そして案の定、煮え切らない言葉を吐くしかないリーダーに対し、ローランド司祭が怒りの表情を浮かべる。「ここは一歩も後に引かずに戦って、ジャービトン派上層部との交渉は後から辻褄をあわせればいいではないか」とでも言いたげだ。

 いやさ、そりゃそうかもしれないけど、その「後から辻褄をあわせる」って仕事、ローランド君は自分でやる気がないでしょ? それがわかってるから、ガルドリス君も踏ん張れないんだよ? 恋人の迷いくらい、もうちょっと分かってあげよう?


 ともあれ、敵陣のチームワークが揺らいだのは間違いない。僕は一気に陣地(・・)を広げるべく、次のターゲットに切り込む。


「いやいや、ガルドリス司祭、これは失礼。ちょっと言葉に棘が残りました。

 ガルドリス司祭の見識には、自分も感服しております。それゆえ、僕のような小者は、つい虚勢を張ってしまう。なんとも惨めなものです。

 そうそう、そういう意味ではアガノ・シャレット君も実に才気煥発なようで、素晴らしいですね。審問会派の一級審問官として、アガノ君を教理課にスカウトしたいくらいです。いや、冗談ではありません! わりと本気のご提案ですよ?」


 教理課というのは、審問会派では数少ない内勤の部門だ。メンバーとしては、ボニサグス派からの出向や転籍が多い。

 彼らと真面目に付き合うにはユーリーン司祭やライザンドラ君級の頭脳が必要になる――そのため精神に失調をきたす教理課職員もいる――が、給料は非常に良く、名誉ある地位でもある。


 そして案の定、アガノ君は僕の提案を真に受けたようで、その整った顔がぱあっと笑顔で輝いた。一応、口では「審問会派の教理課など、僕のような人間では務まりません」と言えただけ大したものなのかもしれない。

 けれどアガノ君が大喜びしている雰囲気(・・・)は、ローランド司祭とガルドリス司祭のプライドだとか名誉だとか誇りだとかいったものを、縦横無尽に切り裂いた。ローランド君あたりにしてみれば、「シャレット家につながりがあるというだけの理由で連れてきてやったのに、俺達は何も得られず、アガノの若造だけが美味い汁を吸おうとしている」とでも言いたいところだろう。

 ダメだよ、アガノ君。こういうミエミエの分断工作に乗るようでは。君は教理課どころか、審問会派見習いにすら、能力的に足りていない。


 僕の狙い通り〈同盟〉の同志諸君3人の間がギスギスしてきたところで、改めて僕はシャレット卿に向き直った。


 ここからが本番だ。


「さて、教会内部の話は一旦さておきまして、シャレット卿におかれましては、まず私からお礼を申し上げねばなりぬことがあります。

 シャレット家のハルナ嬢――つまりハルナ3級審問官は、幾多に渡る異端との戦いにおいて、神とその信徒に対し比類なき献身をしました。

 審問会派はハルナ3級審問官の勇気と奉仕を、神の御代の続く限り、忘れることはありません。

 類まれなる戦士を審問会派にもたらしてくださったこと、深く御礼申し上げます」


 僕のこの言葉は、審問会派が喪われた(・・・・)審問官の身内に対して示す、ごくごく一般的な謝辞だ。そして僕自身、ハルナ3級審問官を失ったことには、いまなお胸が痛む。ここには表の意図も、裏の意図も、まったく介在しない。


 だが、シャレット卿はこの言葉をどう理解するだろうか?

 僕がシャレット卿であれば、きっとこの言葉は脅し(・・)だと理解するだろう。そう受け止めてしまうくらい、彼の内面は腐りきっている。


 そして案の定、彼は僕の謝辞に脅威(・・)を感じた。

 わずかな瞳の動き、頬の震え、手の動き。

 そういった細かなサインを、審問官はけして見逃さない。


 さて、僕の言葉が脅しになり得るとしたら、それはひとつの可能性しかない。

 つまり僕は通り一遍の謝辞を述べながらも、「審問会派はハルナ3級審問官が先走った単独行動を行い、その結果として現地の協力者を多数死なせ、それでいて本人は無様にも異端者たちに捕らえられ、廃人になるまで陵辱の限りを尽くされたことを、永遠に語り継ぐ準備がある」と暗示し、脅しをかけた――その可能性だ。

 まったく。貴族という生き物は、あるべきところにあるべきものを見ず、己がうちにある歪んだ水鏡に映った怪物(・・)に怯え、備え、そして戦おうとする。これが神の家が置かれた帝都を支配する責任者の一人かと思うと、暗澹たる気持ちにしかなりようがない。


 ともあれ、シャレット卿は僕の脅し(・・)に怯え、真意を図ろうとし、それからこんな不躾な言葉をかけてきた僕に対して敵意を剥き出しにした。彼の落ち窪んだ目の奥で、闘争心の炎が燃え上がるのが見える。

 こうなれば話は簡単だ。人間、敵に飛びかかろうとして前のめりになった瞬間に、一番大きな隙ができる。


「シャレット卿。私としては、審問会派はシャレット家に対して借りがある、と申し上げたい。ハルナ3級審問官が成し遂げた偉業は、シャレット家での基礎教育なしにはあり得なかったものです。

 口約束など信用できぬと言われてしまうかもしれませんが、私としては――いえ、審問会派としては、なんらかの形でシャレット家に報いたいと思っています。

 そのご相談をさせていただくことは、できませんか?」


 実際、僕らがサンサ教区で成し遂げたことは、審問会派の成功事例(・・・・)として分析・研究され、一級の資料として永年保存されるクラスの偉業だ。だから僕とカナリスのぶんもまとめて、3人前の特別報奨をハルナ3級審問官に(つまりシャレット家に)追贈するというプランは、遠からぬうちに審問会内部でも決済が通るだろう。審問会派は、そういうところでケチケチする派閥ではない。

 で、これは逆に言うと、シャレット卿に提示できる賄賂(・・)の上限が、僕にはだいたい把握できているということでもある。金額についてのご相談(・・・)を頂くことは、十分に可能というわけ。


 案の定シャレット卿は、虚を突かれたような顔になった。当然だろう。無礼極まりない脅しを受けたと思ったら、次の瞬間には180度方向転換してカネの話が始まったのだ。おそらく彼は、僕がどこに話を落ち着けたいのか、測りかねている。

 ふむ。ならばいささか乱暴だが、本命のラインに話の筋を持ち込むとしよう。この手の交渉(・・)においては、相手が混乱しているうちに、鼻先をつかんで引きずり回すのが基本だ。


「――申し訳ございません。いきなりこんな話をするのは、礼を失していますね。

 ですが実はいま、私も少々難渋している事案がありまして……シャレット卿のことですから、お耳には届いているかと思うのですが」


 師匠に聞かれたら「そんな子供みたいな話題転換があるか」と叱られそうな節回しだが、いやですね、なんていうかですね、現場ではこれくらい強引にいったほうが効果的だったりするんですよ。本当です師匠。いや本当なんです。


「……パウル1級審問官どの。貴殿らがガルシア家と組んで、オルセン家の復興を目指しているというのは、私の耳にも入っている。

 実に、困難な目標だな。価値ある試みだが、それだけに、乗り越えるべき難関も多いだろう」


 ほら! シャレット卿が話に乗ってきたじゃないですか!

 ……などと内心で師匠に弁明しつつ、僕はシャレット卿の言葉を引き取る。


「その通りです。オルセン家の復興は、帝国皇帝陛下の威光を増すだけでなく、教会の権威も高めます。ガルシア家は我欲を悔い、行き過ぎた政争の結末がオルセン家の滅亡で終わったことを嘆いています。であれば、教会としてはガルシア家の懺悔を受け入れる準備があります。

 ただ、これはあくまで世俗の問題です。ガルシア家以外の八名家のご意見も伺わないことには、オルセン家の復興は絵空事に終わるでしょう。八名家のご協力を少しでも得るために何が必要なのか、シャレット卿のご見識を得られれば勇気百倍という目論見は、自分としても持っております」


 僕の言葉を聞いて、シャレット卿はいよいよ混乱したようだった。ま、そりゃそうだろう。僕はあえて、事態の本質を外したことを語っているのだから。

 そうこうするうち、話が前に進むようで進まないことに苛立ったのか、シャレット卿はしびれを切らしてストレートな質問を僕にぶつけてきた。


「お題目は結構だ、パウル1級審問官どの。

 それでいったい、審問会派はこの企てによって何を得る? ガルシア家のみならず八名家のほとんどすべてに恩を売るべく立ち回って、そのために膨大な労力を投じ、それで審問会派に何の得がある?

 そこがはっきりしないのでは、あなた方に腹蔵なく協力する者は、誰ひとりとしているまい」


 ま、そこですよね。僕としても、それを聞いてほしかったんですよ。

 だから僕は勢い込みすぎないように注意しつつ、用意していた答えを返す。


「我々は、サンサ教区における異端との戦いが終わったとは考えていません。

 確かに我々は、ダーヴの街に300年の長きに渡って浸透していた異端教団を暴き、その末裔を滅ぼしました。

 ですが本件に直接関わった審問官はみな、異端の()を潰したという感触を得ていません。言葉を換えれば、我々には大魚を逸したという確信のみがあるのです。

 前教皇に対して下された、大異端の啓示。かの啓示が示す大異端は、今もどこかで機会を伺っています。ダーヴで負った傷を癒やし、再び縦横無尽に活動できるようになるまで、どこかの暗がりに潜んでいる。

 私は一人の審問官として、この戦いから引くつもりはありません。

 ですが教会の上層部――それどころか審問会派の上層部すら、本件は終わった(・・・・)ことにしたがっています。教会内部の政治(・・)のために、です。

 で、あるならば。私は八名家――いえ、九名家の力を借り、大異端の追跡を続けます。それが、神が私に与えたもうた使命ですから」


 長口上になったが、言いたいことは簡単だ。

 つまり、僕が動いている背景には、世俗政治の利害は関わっていないということ。

 それから、もし僕を後援してくれたなら、僕が大異端の首級を挙げた暁には、後援者たちは教会に対して強みを持てるということ――つまり教会のお偉方に向かって「あなたがた教会はいつも偉そうにしているが、大異端を掃滅する戦いにおいて、その最先鋒に立った猟犬を支援したのは我々ではないか」と主張できるということ。


 一方で、シャレット卿はここでもう1つの選択肢も示されていることにも気がつくだろう。

 それはつまり、現時点をもってサンサ教区の件は終結とし、大異端は滅びた(ないし完全に新しいメンツで捜査チームを再編成する)ことにしたい、教会の上層部に恩を売るという選択だ。

 この場合、教会上層部は「帝都の世俗権力が自分たちに協力するのは当然」程度にしか思っていないから、協力したところで彼らがどれくらいそれを恩義と感じるかは、実に怪しい。

 でも教会上層部と対立した挙句、僕が大異端を捕らえそこねましたという結末があり得ることを考えれば、ローリスク・ローリターンを選ぶのも、十分に合理的な選択となるだろう。


 だが僕の読みが正しければ、シャレット卿には選択肢など、ありはしない。

 そしてその予想を裏付けるかのように、シャレット卿はあっさりと結論を出した。


「いいだろう。シャレット家は、パウル1級審問官どのの計画に協力しよう。

 もとより、個々の聖職者に対する寄進を禁じる法はない。教皇周辺の連中が何を言おうが、私自身の信仰を証だてるため誰に寄進するべきかにまで、口を挟まれる所以はない」


 その通りだ。つまりシャレット卿としては、「教会の上層部に楯突いた」という明確な事実を残さないまま、僕の計画に一枚噛むことができる。

 そしてさらに言えば、シャレット家は経済的に見ても、ご子息たちの顔ぶれを見ても、あまり先行きが明るいとは言えない状況にある。このまま現状を維持する――要は教会に対して頭を下げ続けているだけでは、ジリ貧なのだ。

 だから、僕という猟犬に投資して、大きな獲物を捕ってくることに賭ける——彼にはそれ以外の選択肢などない。そして投資に必要となる短期的なキャッシュは、ハルナ3級審問官に贈られる3人前の特別報奨金という形で保証されている。


 ともあれ、これでシャレット家は当面、僕らの側についたと思っていいだろう。


 ……と思っていたら、その隙間を突くかのように、シャレット卿は協力のための条件(・・)を提示してきた。


「ただし。協力するには条件がある。

 ガルシア家が主導するオルセン家復興計画の主導権を、シャレット家に移譲してほしい。ガルシア家にとって最大の目的は、どうせ『名目上の自家の勢力を、適度に小さくする』といったあたりなのだろう? ならば我が家がオルセン家復興を主導しても、彼らが失うものは何もないはずだ」


 おっと。まあ、それは十分に妥協できる範囲にあるだろう。

 実際、オルセン家を潰すにあたって主導的な立場にあったガルシア家がオルセン家を復興させますという筋書きより、オルセン家とも比較的親交があったシャレット家がオルセン家を復興させるほうが、世間的にも理解されやすそうだ。

 ただしガルシア家の末端を新オルセン家に送り込んでガルシア家をスリム化するという計画は守る必要があるから、そのあたりは要折衝というところか。


「それから、これは貴君にあるまじきミスだと思っているのだが、オルセン家復興計画からはライザンドラ・オルセンを外さねばならない。

 そもそも、かつて『オルセン家が潰れてもやむなし』という覚悟で我々が政争を仕掛けたのは、ライザンドラ・オルセンの才能を恐れたがゆえのことだ。

 ライザンドラ・オルセンを本件に関わらせる限り、彼女は決定的な破談を招く要因にしかなるまい」


 うーむ、まあそれも予測はしていた。

 彼女をオルセン家復興計画の中心に据えているのは、簡単にいえば、彼女以外に適切なオルセン家の生き残りがいないからだ。あと、なぜか彼女がガルシア卿に気に入られたというのも、ある。

 ただ、もしそのあたりがなんとかなるなら、僕としても有能な助手(ライザンドラ)は手元においておきたい。


「幸い私は、オルセン家の継承権を持っていた人物を、庇護している。

 控えめに言って酒浸りのろくでなしだが、むしろそのほうが八名家としては安心してオルセン家を任せられるだろう」


 なるほど、そういう先行投資があったか。

 オルセン家にとってはお先真っ暗な話ではあるが。


 というかシャレット卿が「ろくでなし」と評するような人物が、この世に存在し得るとはねえ……


「それからもう一つ。オルセン家が自立するまでの政治的な(・・・・)後見は、シャレット家が独占的に行う。この条件が飲めないなら、シャレット家はオルセン家復興計画に協力できない」


 ふむ。これもまた、主張としては妥当なところか。協力するから総取りさせろというのは、交渉のスタート地点としては実にありふれている。だから僕としても、この条件への対案は用意があった。


「そこはすぐにはお約束できません。

 こちらの条件は3つ。

 まず、シャレット卿が他の6家に対してもある程度まで――具体的な数字をお出しすることになると思いますが――利権を保証して頂くこと。

 次に、オルセン家復興計画における最大のスポンサーとなるガルシア卿と、各種利権の調整をして頂くこと。

 そしてその約束を書面で残してくださること。

 以上をお認め頂けるのであれば、僕としては復興オルセン家の政治的後見をシャレット家にお任せするに、やぶさかではありません」


 つまり、「オルセン家を背後から操る利権を独占するというならここで破談だが、その利権をどう分配するかの胴元になりたいという話であれば、考えなくもないですよ」という話だ。

 この落着点はシャレット卿も予測していたようで、僕の提案にすぐ頷いた。


「私もそこまで愚かではない。

 ガルシア家の先代の愚行を繰り返すがごとくオルセン家がもたらす利権を我らが独占すれば、それこそガルシア家が音頭をとってシャレット家を滅ぼしにかかりかねん。

 私はこのゲームに、博徒(ギャンブラー)としての参加はできない、と言いたいだけだ。

 ガルシア家がこのゲームのスポンサーとなるのであれば、私には胴元の席を保証してほしい。そこが約束されるならば、シャレット家の力は貴殿のためにある」


 ふうむ。えらく聞き分けが良いな。さすがにここまで賢い選択(・・・・)を連発されると、シャレット卿は何かを隠しているのではないかという疑念が湧き上がってくる。

 だが、彼と握手をするなら、今だ。このタイミングを逃せば、握手するための条件が悪化したとしても、良くなる可能性はほとんどない。零落傾向にあるとはいえシャレット家の持つキャッシュは大きいし、極論言えばガルシア家とシャレット家の2家に協力してもらえるだけでも、帝都の世俗政治はほぼ支配下における。彼らに唯一対抗し得るデリク家は、エミルという重犯罪人にして異端者を出した以上、しばらくは黙って頭を下げているしかないのだから。


 そう。だから僕は、今すぐシャレット卿に手を差し伸べて、握手を求めるべきだ。


 でも何かが、引っかかった。

 このキング・オブ・人間のクズが、こんなに物分りのいい反応を示し続けるはずがない。

 何か。何かが、そこにはある。

 何か驚天動地の、人倫のすべてを踏みにじるかのような策を、このそびえ立つ糞の山は、己が背後に隠しているはずなのだ。


 だが、それでも――


 それでも……


 僕はテーブル越しに手を伸ばした。

 シャレット卿は僕の手を取り、僕たちは我ながら気味の悪い愛想笑いを浮かべながら、憎悪の渦巻く部屋の真ん中で、硬い握手を交わした。


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