アルール歴2182年 6月22日(+82日)
――パウル一級審問官の場合――
「貴様という男は、なぜ毎度毎度、必ず女連れで帰ってくるのだ」
ほとんど1年ぶりに会った師匠の第一声は、いつもどおりのご叱咤だった。
いやその、これには事情が。ええ。けして情事じゃないです。事情です。
――という定番の切り返しをするのも時間が惜しいので、僕は一足飛びに核心に飛び込む。
「そんなことより師匠、現況を教えて頂けませんか。
少なくとも、僕は状況に2ヶ月ほど乗り遅れているという自覚はあります」
ダーヴの街での顛末を分厚い報告書にまとめ、帝都に向けて特急便で送り出したのが今年の1月。報告書は冬の大地をゆっくりと移動し、僕の予測では帝都に到着したのが4月初頭といったところか。
3月にはカナリスも、ハルナを連れて帝都に向かって移動を開始していたけれど、帝都に到着したのは5月末。4月初頭に海路でサンサ教区を旅立った僕ら(ユーリーン司祭に、ライザンドラ見習い、そして僕)は、途中での天候不良により何度も港で足止めを食いながら5日前にキーエン港に到着。そこから特急の船に乗り換えて、なんとか昨日の夕方に帝都の門をくぐった。
つまり僕は、ダーヴの街で起こったことを帝都が知ってからまる2ヶ月、特に何もできることないまま船旅を続けていたというわけだ。
師匠の回答は実に簡潔だった。
「貴様らは教会史に残る偉業を成した。
つまり、この件はこれで終わりだ」
ああ、クソ。やはりそうなったか。
だがそれではダメなのだ。それでは何も変わらない。
変化することが常に正義だとは言わないが、少なくとも今の教会には、変化が求められている。
あまりにも多くの有能な若者や、あるいはかつて有能な若者であった者たちが、その才能を押しつぶされ、社会の辺縁に追いやられている。僕自身、そうなってしまう理由は漠然としか推測できていないが、政治屋として言えば、原因はともあれ結果としてはそうなっている。
そしてそれは、とてもマズい。
賢者アムンゼンはその若き日において、「天才とは傑出した才能を意味するのではなく、その時代に対して最も適合する才能の持ち主を意味する」と語った。
この定義が正しいとすれば、ライザンドラ君やユーリーン司祭、あるいはニリアン卿のような人間が――さもなくばザリナ君やシーニー君のような天才が辺境でのたくっているというのは、本来我々がこの時代を生き延びていくために最もフィットした才能として活用すべき人材を、意図的に封殺しているということになる。その先にあるのは社会の死、つまり巨大なカタストロフだ。
それゆえに僕は、我々がこの先も生き延びていくために、変化すべきときだと思っている。たとえ、多少の犠牲を払ったとしても。
だから僕は居住まいを正し、師匠の目を真っ直ぐに見て、言う。
「僕はこの件を、大いなる好機と見ました。
このままでは教会は熟れすぎた果実のごとく、やがて腐って地に落ちます。
たとえ成らぬ賭けだとしても、誰かが賭け続けねば、この先にあるのは破滅です。
だから僕は、この件を、ここで終わらせたくはありません」
僕の訴えに対し、師匠は真面目に頷いた。
「貴様が連れてきたボニサグスの司祭――ユーリーン司祭とか言ったな。
あれが貴様の見出した銀の弾丸、というわけだな?」
ユーリーン司祭とライザンドラ君には、長旅の疲れを押して、帝都に到着した夜のうちに師匠と会食の機会を持ってもらっていた。我ながらひどい采配だが、今は時間が惜しい。
僕が小さく頷いたのを見ると、師匠は愉快そうに笑った。
「彼女は、良い。実に。
久々に儂も、教理を巡る議論において激高しそうになったよ。
ボニサグス派とは、ああでなくてはならん」
うへえ。ユーリーン司祭は師匠に向かって何を言ったんだ……
ともあれ、彼女が師匠に認めてもらえたのは大きい。
軽く安堵の表情を浮かべる僕に向かって、師匠は矢継ぎ早に質問をよこした。
「で、貴様は彼女をどうするつもりだ?
想像ついておろうが、ボニサグス派の賢人会議とジャービトン派は、彼女を今すぐにでも審問させろと息巻いておる。連中は彼女を責任者としてさらなる辺境勤務に追いやるか、さもなくば殉教者に仕立てるつもりだろうな。
彼女の命を救うだけでも大仕事になる。だがそれが貴様の狙いではあるまい?」
僕は決然と頷くと、師匠に向かって最終的な目標を告げた。
「彼女を次代か、さもなくば次次代の教皇の座に送り込みます」
僕の言葉に師匠は一瞬虚を突かれたようだったが、やがて低い声で笑い始める。
「ハハハ……フハハハハ、いいな、いい。実に良いぞ。
パウル、貴様は何かとすぐにチマチマとした小技に頼りだちだったが、極限の土地サンサが貴様を変えたか?
ユーリーン教皇! ――うむ、なんとも心躍る響きだ。
貴様の掲げる目的がその高みにあるというならば、良かろう。
儂もこの老骨にできる限りの支援をしてやる」
師匠が乗ってきた。やれやれ、これで第一関門はクリアだ。
でもこういうときの師匠は必ずお小言も忘れないんだよな……と思ったら、案の定、お小言がついてきた。
「ユーリーン司祭の件は良いとしよう。
だがライザンドラ見習いについては、貴様の釈明を聞かねばならん。
貴様が何をしたかは分かっておる。それを貴様の口から言え」
ううっ……昔から変わらない、強烈な詰問。
これで師匠が見抜いたやらかしにそぐわない解答をしようものなら、地獄の特訓が待っている。「己の罪を客観的に観測できぬ者に審問官は務まらぬ」というわけだ。
仕方ない。僕は覚悟を決めて、罪の告白をする。
「ライザンドラ見習いは、ナオキ容疑者によって洗脳がなされていました。
僕はこの洗脳を解いた直後に、彼女を再洗脳しました。
ライザンドラ・オルセンの能力は、この先、僕の仕事にとって不可欠だと判断しましたので」
つまりまあ、そういうことだ。洗脳されていた人間は、洗脳から醒めたその瞬間が、もっとも脆い。そこですかさず洗脳を仕掛けることで、人は簡単に右から左へと、真逆の側に動くことになる。
これは自らの罪を認めた異端者に対し、審問会派がかつて用いていた技術のひとつだ。これが上手くいくと、元異端者は死をも恐れぬ忠実な神の僕となって、自分が所属していた異端組織に対する潜入捜査をしてくれるようになる。
言うまでもなく、これはぶっちぎりで違法とされる捜査方法だ。なにせ改心したとはいえ異端者は異端者であり、異端者を利用してさらなる異端者を釣り出すというのは、「危険すぎる」という結論が出ている。
僕の告白を聞いた師匠はやや渋い顔をしたが、やがて「よかろう」と頷いた。
なので僕はついでに余計な告白もする。
「念のため言っておきますと、彼女とは寝てません。本当です。
いやこれは師匠にも褒めて頂きたい。是非。
僕、頑張ったでしょ? そう思いません?」
師匠は僕をギロリと睨むと、「彼女とはと言ったな?」と念押ししてきたが、それについてはスルーを決め込むことにする。ああいやもちろん、ユーリーン司祭とも寝てません。本当ですって。途中の港で乗り込んできた商人一家の情熱的なご令嬢とは、仲良くさせていただきましたが。
「まあ――よい。折檻は後だ。
それよりまずは、貴様の計画を聞かせよ。
繰り返しになるが、ユーリーン司祭はもはや政治的には死体だ。これをどう救う?
さらに、サンサにおける捜査は既に終わっているというのが、中央教会におけるコンセンサスだ。これを、どう動かす?」
さて困った。なにせそのあたり、僕はまだ現状すら完全には把握できていない。一応、昨日一晩でざっくりとした状況と、おそらくここが勘所だという案件は見繕ったのだが。
なので僕は素直にそのことを告げ、師匠はさもありなんという顔で現状の詳細をコンパクトに解説してくれた。
「我々の負った問題点は4つある。
貴様らが教会史に残る偉業を、事実上、貴様らだけで成し遂げたこと。
ハルナ・シャレットを廃人にしてしまったこと。
エミルの捕縛に失敗したこと。
異端教団の思想的根底を把握できなかったこと」
なるほど。ここまでは僕の予想どおり。
「ジャービトン派はこの状況に対し、陰険な手を打った。
連中は審問会派の英雄であるカナリスと貴様を大いに褒め称え、またそのような弟子を育てた儂を賞賛し、審問会派という組織の偉大さを言葉を尽くして絶賛した。それこそどんな小さな会議の場であろうが、どんな小さな説法の場であっても、だ。
実にあの連中らしい、汚い手だ」
――なるほど。これは予想できなかった。
ジャービトン派は我々を全力で賞賛することによって、少なくとも教会(および貴族)社会内部においては、「もうこれ以上は審問会派が本件から得る手柄なんてなくていいじゃないか、いやこれ以上を求めるならそれはもう強欲の罪に問われるべきだろう」という空気を作り上げたのだ。
まったく、実に忌々しくも、効果的な手だ。
「これに伴い、教会および貴族社会の一般的な世論としては、ユーリーン司祭の引き渡しと審判、また審問会派によるサンサ教区の捜査の終結は既定の事実となっておる。
悲しいかなら我らが審問会派内部においても、その意見が強い。バカバカしいことに、我ら兄弟姉妹の間ですら、『老マルタの派閥は手柄を独占しすぎている』と囁かれる始末よ」
老マルタ派閥! これはまた傑作だ。
老マルタは弟子を選ぶにあたって厳選に厳選を重ねることで知られており、そのメガネにかなった見習いも途中で脱落するのが9割という、虎穴の主みたいな偉人だ。当然、今でも活動している弟子の数は極めて少ない――有り体にいえば、メインメンバーと呼べるのは僕とカナリスくらいだ。この3人をもって「派閥」とは! いやはや、人間はどこまででも愚かになれるらしい。
とはいえ、まあ、「老マルタ派」という言葉そのものは、僕も嫌いじゃあない。
「現状において味方と言えるのは、ヴェルディティウス派とミョルニル派の一部かの。
ヴェルディティウス派の聖書マニアどもは、ユーリーン司祭が始めたということになっている〈貧者の聖書〉に夢中だ。
ミョルニル派はよくわからんが、いつもどおりジャービトン派の逆張りをしている、ということだろう。
いずれも政治力としてはゼロと考えてよい。
さて、老マルタ派のパウル一級審問官、貴様なら、ここからどう逆転する?」
僕は軽く腕組みをして、天井を見上げる。
実を言えば、昨晩のうちにちょっとした可能性には、行き当たってはいた。でも現状――というか現実的に考えて未来永劫――それを足がかりにして状況を攻略していくどころか、そもそもその足がかりそのものが手に入る可能性がない。
僕が無言で悩んでいると、師匠はそんな僕を小さく鼻で笑って、机の上に大きな封筒をバサリと投げ出した。
慌ててその封筒の中身を見た僕はまず絶句し、そして勝利の可能性が目の前に開けた興奮に溺れかけ、それからもう一度、師匠の顔をまじまじと見つめた。
「あの――いや、これはその……まさに僕にとって必要なものです。
そのものズバリ、もうこれ以上にドンピシャリなものはありません。
だからどうか師匠、これを師匠がどうやって手に入れたのか、教えてください! この資料は、我々の手には絶対に届かないはずの資料じゃないですか!」
師匠が投げ渡してきた資料は、あのケイラス元司祭に関する、ジャービトン派の内部資料だった(ケイラス元司祭はジャービトン派だ)。
僕だって、ケイラス元司祭がかつて帝都では若きエリートとして将来を嘱望されていたのに、何かトラブルに巻き込まれ、サンサ教区に左遷されたというところまでは知っている。
けれど彼が実際、どんなトラブルに巻き込まれたのか――あるいは引き起こしたのかは、ジャービトン派の機密資料として、門外不出の記録となっているはずなのだ。
名誉だとか外聞だとかを著しく気にするジャービトン派にとって、将来のエースと見込んだ若い司祭を辺境に飛ばすに至った事情は、派閥の傷そのものだ。派閥外の人間がその詳細にアクセスできる可能性はない。絶対に。
でも目の前の資料は、まさにその超極秘資料そのものだ。いったい師匠はどんな魔法を使ったんだ?
驚きを隠せずにいる僕に向かって、師匠はまたしても軽く鼻を鳴らして笑った。
「簡単なことだ。ジャービトン派の資料室長が誰か、知っているだろう? そう、フランスキ司祭だ。ジャービトン派にしてはなかなかに知性的な、良い男だな。
彼は4年ほど前から、年若い愛人に夢中になっておる。愛人の側としても、ジャービトン派のそれなりに重要な地位にある男に囲われているのだから、不満はなかった。
だが最近になって、愛人に迷いが出始めた。
彼女は今年の誕生日で26歳になる。いつまでも愛人のままでいいのか。それよりもここらでフランスキ司祭を見限り、それなりの地位にある貴族の側室の椅子を狙い直すべきか。そもそもフランスキ司祭が語る『愛』は、どれくらい本物なのか」
は、ははあ。
あの厳格極まりない師匠の口から、恐ろしく俗っぽい話がボロボロと出てくる様子に、僕は圧倒されるがまま何も言えず、ただ馬鹿みたいに立ち尽くしていた。
「そこで愛人はフランスキ司祭を試すことにした。今年の誕生日に自分がほしいものをくれなかったら、別れましょう、というわけだ。
フランスキ司祭は突然の試練に慌てふためいたが、あいにく、その手の問題を相談できる相手がいない。途方にくれた彼は、高級娼婦の時間を買って、彼女らに相談にのってもらっている――という情報を、掴んだと思い給え」
は、ははあ……
「そこで儂はその愛人とやらの身元を調べたところ、彼女が12歳になるまで針子見習いとして一緒に働いていたという女性に行き当たった。こちらの彼女はもう結婚もしていて、プロの針子として働きつつ、3人の子供を育てているそうだ。
儂はこの女性と、件の愛人が、偶然出会うような状況を作った。
と、案の定、彼女らは昔話に花を咲かせ、ほどなくして愛人は自分が何を課題として求めているかを、世間話として口にした」
は、は、はあ……
「答えは実に簡単だ。フランスキ司祭は愛人に対し『今は忙しいので無理だが、時間ができたら必ず連れて行く』と約束したツアーがあったそうだ。デリク卿がミョルニル派と組んで采配していたツアーだな。
あとは簡単な話よ。フランスキ司祭とは、面識もある。会議の折に茶の席に招いて、あの朴念仁でも分かるようなヒントを与えた。
かくしてフランスキ司祭は愛人が課した試練に合格し、その場でフランスキ司祭は愛人にプロポーズした。めでたしめでたしだ。40歳ほど年の差があるが、結ばれるべき男女が幸せな家庭を得たのだ。神も祝福されよう」
はー。ははー。
「その封筒は、結婚式での引き出物袋に忍び込まされていたものよ。
彼はそういう約束を破るほど、誠意のない男ではないからな」
ははー……
「なにを驚いている、パウル元見習い!
貴様には教えたはずではないか?
何かを知りたいならば、まずはカネと女からだ。
それとも、また見習いとして基礎からやり直すか?」
いやいやいや! いや待ってください、師匠!
確かに僕も、「まずカネと女を調べろ」は今も基本として大事にしてますけど、御年62歳のフランスキ司祭のカネはともかく女を調べるって発想はないですよ! てかそれって基礎じゃないでしょ!
それに、そもそもなんで僕がこの資料を欲しがるだろうと踏んだんです!? そこからして基礎でもなんでもないじゃないですか!?
「多少は知恵をつけたかと思えば、相変わらず貴様は本質的には愚かよな。
儂には時間がある。それはもう、たっぷりとな!
その時間を使って、ハルナが遺した報告書を読んだ。
儂も、ハルナの見解に同意する。かのナオキなる男は、なんとしても捕縛し、尋問しなくてはならん。万難を排して、だ。
そしてそのために打っておくべき布石の、急所中の急所が、この資料であることは考えるまでもあるまい。ナオキを捕らえるためにも、我らはまず、ケイラスを徹底的に識らねばならん」
……やれやれ。僕はいつまでたっても新たな教えを頂くばかりの師匠に向かってうやうやしく一礼し、それから手元の資料に集中しなおした。僕の読みが正しければ、これは現状を決定的に転換させる、決定打になり得るはずだ。
と、ふとそこでひとつ気になったので、僕は師匠に何気なく質問する。
「ところで、本件についてジャービトン派を仕切ってるのは誰なんです?
戦術的には合理的とはいえ、我々のことを褒めそやすなんて選択、まともな神経をしたジャービトン派ならとてもできないと思いますが?」
いたって素朴な質問を聞いた師匠は急に不機嫌になって、ギロリと僕を睨み返した。
「本件においてジャービトン派を仕切っているのは、我らが麗しき裏切り者、イッケルト大司祭だ。
貴様がサンサ教区に出張っている間に、審問会派を離脱してジャービトン派に鞍替えした、元イッケルト1級審問官よ」




