アルール歴2181年 12月30日(+11日)
――ユーリーン司祭の場合――
2回の大きな荒事があって、勇敢な人たちがたくさん死に、私は彼らの魂を神のみもとに送り届けることになった。ニリアン領にいた頃でさえこの手の葬儀は心身ともに疲弊するものだったが、戦死者を弔うとなると、また別種の重い疲れがのしかかってくるのを感じる。
どんなにこれが必要な犠牲であり、彼らの死は多くの無辜なる人々の尊い日常を守るための礎になったのだと考えたところで、ならば彼らにだって尊い日常はあり、彼らを他の誰にも替えがたく感じていた人々だっていたはずではないかという、どうしても割り切れない気持ちが残ってしまう。
とはいえ、事態がここに至り、もうそんなことを言っている場合ではないというのは、さすがに私でも理解できる。
ケイラス元司祭とエミルの死によって、ダーヴの街における異端騒動は一区切りついたと市民には理解されている。
街の支配者であるエルネスト男爵や、実質この街の神事を取り仕切っていたラグーナ元副司祭は正式に更迭が決まり、その発表もなされた。前者はサンサ教区全体を取り仕切るエイダ伯爵が一時的な代官として腹心のイーロ監査官を派遣することが決まっているし、後者は来年の春になれば中央教会から新たな司祭が送り込まれてくるだろう(私の処分もその頃には決まるはずだ)。
一時は猖獗を極めた麻薬禍もすっかり鳴りを潜め、市民は「これで気持ちよく新年が迎えられる」と安心している。過ぎ越しのミサに対する期待も高まっているようで、私としては結構なプレッシャーを感じる。
だが審問会派を中心としたチームは、これとは真逆の緊張状態にある。
審問会派側の状況で言えば、エミルに誘拐されていたハルナ3級審問官の容態がいまだ安定しないというのが、一番痛い(一時はパウル1級審問官が彼女を介錯するのではないかという噂もあったが、さすがにそんな馬鹿げたことにはならなかったようだ)。
私(およびこの街の医師たち)は、春を待たずにエイダ伯領の中心地であるサルヴァージュの街に移送すべきではないかという見解で一致している。サルヴァージュの街にはクリアモン派の大きな修道院があり、いまのハルナ3級審問官のように精神に失調をきたした患者のケアに長けているのだ。
またサルヴァージュの街の近郊にはミョルニル派の大集落が成立しており、ハルナ3級審問官が過剰投与された薬物を抜くにあたっても、彼らの知見を借りるのが最も望ましい――なにせ現状では、ハルナ3級審問官が激しい禁断症状を示すたびに、医師がおっかなびっくり少量の大麻を投与するという、実に場当たり的な対処しかできていないのだ。
けれどこの提案は、いまのところ却下され続けている。
そもそも冬のサンサ教区を移動するというのは多かれ少なかれ命がけの冒険であり、そんな無理に今のハルナ3級審問官を付き合わせるのはあまりにもハイリスクだ、というのが表向きの理由だ。
しかるに、表向きの理由というからには、裏向きの理由もある。
そしてこちらの理由は、非常にややこしい。
時系列にそってこのややこしさを解きほぐすと、事の発端(実際にはもっと前からなのだろうが、ここでは考えないものとする)は、ザリナさんとその部下たちが作戦中に突如行方不明になったという事件だった。
この事件は、4日後に新たな事件として最悪の方向に展開した――ザリナさんが率いる小部隊が深夜のニリアン領に侵入。教会を襲撃すると、民兵の警備をいともたやすく突破(幸い軽い怪我人が出た程度だったらしい)。宿坊に勾留されていたナオキを解放し、どこかに連れ去ったのだ。
ナオキがザリナさんらと一緒に逃げた(そう解釈するのが妥当だろう)という大不祥事は、ニリアン卿自らが放った使者によって、事件の6日後にダーヴの街まで届いた。
パウル1級審問官は、審問会派特別行動班の一部をニリアン領に派遣、ニリアン卿ともどもナオキらの捜索にあたるよう命令したが、冬のニリアン領で誰かを探すなんてのは冒険を通り越して自殺行為であり、彼らがナオキの行方をつかむことはないだろう。
さて、ナオキとザリナさんらが逃亡したという知らせを聞いたパウル1級審問官は、前もって準備していたのではないかと思うほど手早く、ナオキ商会の接収と赤牙団の解散を命じた。命令は審問会派名義で発せられており、その日のうちにナオキ商会の看板は下ろされ、赤牙団は解散させられた。
ナオキとザリナさん(およびザリナさんと行動を共にしていると思しき隊員たち)は要注意人物として指名手配され、有益な情報を提供した者には賞金が出るという布告までなされている。
もっとも、これによる混乱は、さほど大きなものではなかった。
ナオキ商会は、「ナオキ商会」という名前こそ失ったが、審問会派が中心になってダーヴの街に作られた「ダーヴ再建会議」を運営する組織として、その組織構造は右から左に受け継がれた。ダーヴ市民もナオキ商会が完全に消えたとは思っていないし、むしろ半ば公的機関となった今、新たに取引を始めたがっている商売人もいると聞く。
また、赤牙団は解散を命じられたが、その団員の多くはダーヴ再建会議が設立した「臨時警備隊」なる組織に吸収された。この組織は非営利の準軍事組織(監督責任は審問会派)で、旧ナオキ商会の利益を使って維持されるという、パウル・ザ・バットマンの面目躍如というしかない汚い構図で成り立っている。なお、臨時警備隊のトップは、言うまでもなくシーニーさんだ(もっとも最近のシーニーさんは何かと精彩を欠いているので、不安もあるのだが)。
かくして新体制へと刷新された旧統一会議だが、旧ナオキ商会の面々にしても、旧赤牙団の隊員にしても、再建会議に再編されるにあたっては、非常に厳しい思想調査がなされた。
一部の旧赤牙団隊員は、思想調査には合格したものの、「ここまで俺のことを疑ってかかってくるヤツの命令を聞くなんてまっぴらだ」と吐き捨て、臨時警備隊入りを拒否したという。
そして、ここにおいて問題の焦点となったのが、ライザンドラさんだ。
当然と言うべきか何というべきか、ライザンドラさんに対しては特に厳しい思想調査が行われた。思想調査のレベルには13の階梯があるが、最も厳しい第13階梯が使われたというのは、私も初耳だ。
しかるに、この調査で判明したのは「やや強めの破滅願望が見られるため、指導の必要あり。突発的に致命的な自傷行為に至る可能性は否定できず、指導者には熟練者を推奨する」という、実に妥当な結果でしかなかった。
考えてみてほしい。ライザンドラさんにとって、ナオキは自分を煉獄から救い出してくれた人物であり、魔女の汚名を(カネの力で)雪いでくれた人であり、商売のやりかたを教えてくれた師匠でもある。
そんな巨大な存在が、愛人と一緒に行方をくらませてしまった。しかも、彼女にまで異端の疑いが残るような、あまり賢くない方法で。これで「強めの破滅願望」が現れなかったら、そのほうが異常だろう。
けれどこの結果には、カナリス特捜審問官も、パウル1級審問官も、納得しなかった。彼らいわく「できすぎた結果」だそうだ。いやまあ、ライザンドラさんであれば第13階梯の思想調査に対して意のままの結果を出せるかもしれないが、さすがにそれは穿ち過ぎなのではなかろうか。
ともあれ、ダーヴの街における審問会派のツートップ(つまり再建会議のツートップ)は、いまだにライザンドラさんを疑っている。彼らは逃亡したナオキがケイラス・エミル事件に深く関わっており、ライザンドラさんもそれに対し積極的に関与した人間だと確信しているのだ。
そしてそれゆえに――ようやく話を元に戻せるが――彼らはハルナ3級審問官を至急サルヴァージュの街に送るべしという医療スタッフからの意見を、拒否し続けている。
例えばだが、民間の輸送サービスに頼んでハルナ3級審問官を移送したとしよう(あるいは審問会派の特別行動班を護衛につけてもいい)。この移送部隊を、ザリナさん率いる野盗が襲ったら? 彼らにそんなことをするメリットがあるかどうかはともかく、まかり間違ってハルナ3級審問官をもう1度略取されようものなら、再建会議の威信と名誉は地に落ちる。
となると、安全を期すのであれば、カナリス特捜審問官が護衛に張り付くのがベスト、ということになるだろう。筋論から言っても、彼はハルナ3級審問官の師匠なのだから、妥当な選択だ。
でも、じゃあいまカナリス特捜審問官がダーヴの街を離れられるかとなると、これまた実に微妙な問題となる。私にしてみれば「それで決定的な問題が発生するようなら、留まっていても同じこと」なのだが、彼ら(特にカナリス特捜審問官)的には「私が街を離れたらライザンドラに対する監視が行き届かなくなる」から「そんなことはできない」らしい。やれやれ。
そんなこんなで、ダーヴの街における臨時司祭として日々の仕事をこなしていたある夜、パウル1級審問官が教会を訪ねてきた。とりあえず一番良い応接室に通してもらい、私もすぐに駆けつける。
応接室の扉を開けると、中ではパウル1級審問官が静かにお茶を飲んでいた。その表情は曇っていて、なにやら面倒な話なのだろうな、と直感する。そしてその直感は外れなかった。
「――いろいろ、面倒なことになってね」
開口一番、パウル1級審問官はそう告げた。
「話をしたいことが1つと、ボニサグス派司祭であるあなたに聞きたいことが1つある。
で、まずは僕の話から済ませてしまおう」
私は小さく頷き、話の先を促した。
「捕縛したアスコーニの証言が、まとまった。
エルネスト男爵をはじめ、他の異端者から得た証言ともつきあわせて、裏も取った。
だがこれがね、いろいろ頭痛のタネばかりでね……」
眉間にしわを寄せながら、パウル1級審問官はお茶で喉を湿す。
「最も重要なポイントだけ言うと、エミルはナオキという人間を、ほぼほぼ視野に入れていない。『ど田舎の成金野郎』程度の認識だったそうだ」
――ふむ。確かにそれは、今の審問会派的にはとても困る情報だろう。彼らが物理的に駆逐した異端教団のトップと、彼らがいま最も恐れている謎の人物であるナオキの間には、ほとんど関係がなかったというのは、あまりにも心楽しからぬ話だ。
「ケイラスとナオキにはどうも別の関係があったようなんだけど、アスコーニの証言からでは、そこのところは判然としない。なにせ彼はエミルの視点でしか状況を見ていないからね。
ともあれ、ナオキとエミルは無関係で確定だ。
で、更に話をややこしくしてるのが、ケイラスが死体になってた件でね。
あれはエミルが殺したので間違いないみたいなのさ」
彼の言葉に思わずイラっときたので、私はつい言葉を挟んでしまう。
「間違いないみたい、とは?
間違いないんですか? それとも確定していないんですか?」
パウル1級審問官は苦笑すると、「すまないね」と軽く謝罪した。
「確定だよ。エミルがケイラスを殺した。
日付まで特定できていて、今年の8月12日深夜だ。
で、その直接の引き金をひいちゃったのは、どうやらカナリスみたいなんだよねえ」
断定とも推測ともつかない言い回しにまたしても軽く苛立ちを感じたが、いちいち修正を要求していると深夜のミサの時間になっても相談事が終わらなさそうなので、表情で不愉快を示すだけにしておく。それなりに大きなこの街で司祭として働いている以上、私だってこれくらいの腹芸はできるようになった。
……のだけれど、パウル1級審問官は私の不快の表明を綺麗にスルーして、彼の話を先に進めた。
「8月11日付けでさ、カナリスは『異端の疑いのあるケイラス司祭の召喚と審問』の布告を出してるでしょ。あれが決定打だったんだよ。
それまでエミルはケイラスのことを心の底から崇拝していたし、その結びつきは通り一遍な師匠と弟子の関係を超えた、実にパーソナルなところにまで発展していた。エミルは生まれて始めて『自分がなぜ生まれてきたかを知った』と感じていたらしい。
だからエミルにしてみれば、ケイラスがちょっと普通じゃない信仰を広めていることにも、疑問を抱かなかった。むしろ『ケイラス司祭は真の信仰を知っている』と感動する始末さ」
なるほど。小さな異端コミュニティにおいては、実によく発生する状況だ。人は「これには価値がある」と確信した瞬間、これに付随するすべて――これに基いて行う活動から、これを信仰する自分自身まで、すべて――に価値があると信じてしまう。
「ところがその盲目的な愛を、カナリスの布告が吹き飛ばした。
審問会派という権威が、ケイラスがこっそり育てていた真の信仰が異端であることを、公式に認めたってわけだ。
ここに至って、エミルが育んできたケイラスに対する愛も尊敬も崇拝も、そのなにもかもが、逆転した。
アスコーニの証言によれば、エミルはケイラス司祭と口論になった挙句、『貴様はケイラス司祭を乗っ取った悪魔だろう! ケイラス司祭を返せ!』と絶叫しながら、ケイラス司祭を教会法大全で何度も何度も殴ったそうだよ」
なんとも……なんとも、ひどいことをする。確かにあの本で人の頭を何度も殴打すれば、殴られたほうはたまったものではないだろう。だが、教会法大全はそんなことのために作られたものではない。断じて違う。
「そこから先は、アスコーニが決死の覚悟でエミルを支え続けた。
そもそもエミルには、ケイラスが回してきたように秘密組織を回す能力はない。彼が発する支離滅裂な命令をなんとか現実的なラインに落とし込み、備蓄してきた麻薬を多めにばら撒くことで信者の心身をつなぎとめた。
麻薬の備蓄が危うくなると、サンサ山に巣食う犯罪者どもと連絡をとって、大麻以外のいかがわしい薬物も仕入れるようになった――まあ、このルートはケイラスの時代からあったみたいだけどね」
納得できる説明だ。そもそも大麻はいわゆるダウナー系の薬物であり、「中毒患者が大暴れ」的な行動とは(ないとは言わないが)結びつきが弱い。でも世にはびこる様々な違法薬物も流れ込んでいたのであれば、話としてはむしろわかりやすい。
「僕としては、ナオキはサンサ山の犯罪者どもとの取引もやっていただろう、と踏んでる。でもアスコーニが行った取引においては、ナオキの名前は出てこなかった。ケイラス時代のものとおぼしき取引記録にも、ナオキの名前は出てこない。
と、いうか、ね。かろうじて残っていた記録を調べた範囲で言えば、ケイラスはむしろ、意図的にナオキと関わることを避けていたような気配があるんだ。さっきは『何か別の関係がある』と言ったけど、つまりそれは、ケイラスがナオキに怯えているという関係ってわけ。
実際、ケイラスはナオキ商会からの寄進は喜んで受け取ってるけど、彼の方からナオキ商会に寄進を迫った記録はない。ケイラスの行動パターンからすると、これは明らかに異常だ。
だから、エミルがナオキと接点を持っていないというのも、師匠であるケイラスがナオキを避けていたことが大きいんじゃないか、というのが僕の推測だ。要は、結果的に師匠の地盤を引き継いだエミルは、その地盤に含まれていないナオキとも、接点を持ちえなかったんじゃないかな?」
ふうむ。ちょっと根拠が弱いけれど、筋は通っている。
でもそうなると、この話は一層、審問会派にとって痛い。なにしろ審問会派はナオキとケイラスの関係性を追っていたわけだし、エミルに注目したのもそれが発端だ。
にも関わらず、ケイラスはナオキを避けていたという傍証ばかりが集まってくる。審問会派としては「冗談じゃない」と言いたくもなるだろう。無論、人が人を避けるのには理由があるはずだから、彼らもそこを追ってはいるだろうが……
「――さて。長くなったけれど、ここまでが僕の話だ。
これを踏まえて、改めてユーリーン司祭に――ボニサグス派の司祭に、質問したい」
そう語ったパウル1級審問官の目は、これまでに見たことがないほど真剣だった。自ずと私も居住まいを正し、彼の言葉の先を待つ。
「ユーリーン司祭。異端とはいったい、何なのだろう?」




