アルール歴2181年 12月9日(-11日)
――パウル1級審問官の場合――
シーニー君の提案によるケイラスおよびエミル探索作戦は、その日の夕方には最初の聞き込みの開始という形で幕が上がった。
今朝がた一番には地盤の調査も始まり、聞き込みで得られた情報と総合することで調査班は地下トンネルが〈腐り沼のスラム〉から城壁を越えて街の外へと伸びていることを確認した。いまのところ、作戦は順調な立ち上がりと言えるだろう。
一方、とてもではないが順調とは言えない部分もあった。具体的な人名で言えば、カナリスだ。
捜索作戦が始まった夜、珍しくも彼に飲みの席に誘われた私は、ダーヴの街でもかなり高級なクラブに席を移した(最高級クラブはマダム・ローズが経営していたため、今は臨時閉店中だ)。
個室に案内され、最初の乾杯が終わったところで、カナリスはいかめしい表情のまま僕に向かって宣言した。
「ナオキ商会のカミシロ・ナオキを、正式な異端の容疑で拘束する。
ライザンドラ・オルセンとザリナも同様だ。
ただしナオキのほうが優先順位は高い」
――やれやれ。ハルナ君のことで怒り心頭になっているのは分かるが、ここまで判断力を失っているとは。僕は大げさにため息をつくと、礼儀として「証拠は?」と問いただす。
「ナオキとザリナについては、証拠など後付けでいい。
ライザンドラは、審問会派に対し協力するふりをしながら、明らかにサボタージュをしている。拘束するには十分な理由だ」
おーい。証拠を後付けって。カナリス、君がそれを言うかな。なんのかんので君はその手の無理筋を嫌っていたじゃないか。どっちかといえばそれは僕の領分だろうに。
僕が露骨に呆れた顔になったのをどう解釈したのか、カナリスは身を乗り出さんばかりにして熱弁を振るった。
「シーニー君が彼女の推理を話した際、彼女はサンサ包囲網を形成している四家に対し、その潔白性に疑義を示した。
四家が必ずしも純粋性を維持できていないのではないかという疑いは、否定のしようもない疑いだ。現に我ら審問会派もその可能性を疑っている。
だがこのときシーニー君は、四家のうちニリアン子爵家だけは純粋性を維持していることを自明として語った。そしてそれに対する異議申し立ては、誰からもなかった」
ふむ――なるほど。確かに僕も、あのニリアン卿が不正に手を染めているかもしれないとは考えていなかった。だが言われてみれば、ニリアン子爵が清廉潔白である証拠など、どこにもない。
「どうせ貴様はニリアン卿の人格を無邪気に信用したのだろう。シーニー君もな。
それから、こういう重箱の隅をつつくような整合性問題には敏感なユーリーン司祭も、ニリアン子爵と直接向き合う機会が多すぎるがゆえに、彼が腐敗しているかもしれないなどとは想像すらできなかった」
確かに。嘘をつけば百発百中で顔に出るシーニー君は、言葉通りにニリアン卿を尊敬し信用していると見て間違いない。そしてこういう小さな予断をけして許さないユーリーン司祭も、彼女がニリアン子爵を個人的に敬愛していればこそ、理論ではなく感情でありえないと判断した。
だが――
「だが、ザリナとライザンドラは別だ。
特にライザンドラは、普段通りの彼女であれば、ニリアン子爵が尊敬に値する人物であるということと、彼が不正を働いていることは両立し得ることを、迷わず指摘したはずだ。
なのに彼女は、その可能性を指摘していない。彼女は間違いなくニリアン子爵の不正を知っていて、意図的に子爵を庇ったのだ」
おそらく、その推測で正しいだろう。
とはいえ、じゃあこれを証拠としてライザンドラ君を拘束できるかと言われれば、無理だ。尋問したところで彼女は「気づいていなかった」ないし「気づいていたけれど、心情的についニリアン子爵を庇ってしまった」と答えられるし、そう答えられてしまえば、こちらにできるのは最大でも厳重注意といったところ。
いやまあ、ニリアン子爵がサンサ山中の異端と取引している証拠を掴んでニリアン子爵を逮捕、ライザンドラ君をその協力者として逮捕という筋書きは、成り立たなくは、ない。でも現実的にそれが可能かということになると、難しいと言わざるを得ない。
だから僕は、怒りに燃えるカナリスの目を見据えながら、こう答えるしかなかった。
「落ち着け、カナリス。
君は自分でもそれが不可能だってことを、理解してるんだろう?」
ライザンドラ君を巡る帝都の政治模様として言えば、今では〈悲劇の才媛ライザンドラ・オルセン〉を擁護する世論のほうが圧倒的に強い。そしてこの世論において、かつて彼女を不当な魔女裁判で有罪とした審問会派は、悪役側にいる。
この状況において審問会派がライザンドラ君を異端者として裁くとなれば、誰の目にも明らかな証拠が揃わない限り、審問会派は「ライザンドラ・スキャンダルを、ライザンドラ嬢本人の口を塞ぐことで潰した」と理解されてしまうだろう。
師匠であれば「そんな政治など知ったことか」と一蹴するだろうけど、審問会派は世俗権力との緊密な連携なしには活動の効率が大幅に落ちるのも事実なわけで、とても「知ったことか」と蹴飛ばすわけにはいかない。
……なんだけど、師匠の一番弟子であるカナリスは、当然のように激高した。
「そんな政治など知ったことか!
そこまで絶対的証拠が必要だと思うなら、貴様が神の名の下に審問の儀を行えばいい話だ!」
そこまで言って、カナリスは深呼吸した。
カナリスの言葉は、ご指摘ごもっとも、ではある。審問会派が伝える秘密の儀式を行い、神の奇跡をもって被告が異端者であるか否かを明らかにする。僕にはその〈審問の儀〉を、実行する能力と権利がある。
ただしこの〈審問の儀〉には、2つの問題がある。
1つ目は、儀式を行う司祭(この場合は僕)に対する負担が大きいこと。審問会派に残されている資料によると、「奇跡を下ろした者の寿命が5年失われる」そうだ(儀式の完成とともに天に召された司祭は結構な数にのぼっている)。
そしてもう1つ、決定的な問題がある。実のところこの儀式をしたところで、被告が異端者か否か――つまり悪魔の汚染を受けているかどうかは、確言できないということだ。
後者の問題は、審問会派でも秘中の秘となっている。
こんなとんでもない事実が明らかになれば、審問会派は終わりだ。
でも実はこの点について、ボニサグス派の一部は、長らく疑惑の目を向けている。
そして「英雄の時代における幾多の戦いが示すように、神と悪魔は等しい力を持つ。ならば悪魔がその力をもって己が刻印を隠蔽したら、神はその隠蔽を絶対確実に見抜き得るのだろうか?」という、ボニサグス派(さもなくば絶望的なくらい空気が読めない大馬鹿者)でもなければ絶対に口に出せないこの疑念は、正鵠を射ているのだ。
事実、〈審問の儀〉で「悪魔の汚染はない」と出た被疑者が、後年になってやっぱり異端者であったことが判明したという事例は、ゼロではない。そしてそういった案件は必然的に、〈審問の儀〉を行った司祭の殉教を招いてきた。
「……すまない、言葉が過ぎた。
だがパウル、それでも貴様は〈審問の儀〉を行うべきだ。
そしてライザンドラに有罪を宣言すべきだ。
それくらい、彼女は危険だ。
それくらい、ナオキは危険なのだ」
やれやれ。面と向かって「お前の寿命を5年減らせ」と要求してくるとは、さすが師匠を同じくするだけのことはある。僕だって立場が逆ならカナリスに同じことを要求したかもな、とも思うし。
でも僕としては、やはりその提案には乗れない。
「カナリス。僕は〈審問の儀〉をしない、とは言わない。だが君が提案するような形では、絶対にしない。
結論ありきで神の奇跡を望むなど、不遜にも程がある。ましてや、もし神が『その者に悪魔の痕跡なし』とお示しくださったにも関わらず、その真逆を真実として口にするなら、それこそ異端の行いじゃないか。
頼むよ、カナリス。確かに僕は、君みたいに真っ直ぐに生きる強さを持てなかった。それでも僕は、審問会派に蔓延したこの不遜なる奇跡の濫用を、改めたい。それくらいには、僕だって老マルタの弟子なんだ。
だから繰り返すけど、落ち着いてくれ、カナリス。
君ほどの理想的な審問官が、神の奇跡に唾を吐くような行為を厭わない姿を、これ以上、僕は見たくない」
僕の説得を聞いて、カナリスはしばし低く唸っていたが、やがて「貴様の言うとおりだ、パウル。俺が間違っていた」と言うと、僕に向かって頭を下げた。
だから、というわけじゃないが、僕は密かに進めていた作戦を共有することにした。
「ところで、ナオキが危険だというのは、僕も同意見だ。
君が嫌いな政治的に言えば、彼は悲劇の才媛ライザンドラ・オルセン君の騎士だから、ちょっと手は出しにくい。でも所詮は平民だし、彼の悪辣な商売の被害にあったという善良な市民からの告発も、十分な数が集まった。
とはいえ、裁判をするつもりはない。
ケイラスとエミルの隠れ家が判明し、ザリナ君ら赤牙団精鋭を連れての襲撃作戦を実施するのと同時に、審問会派特別行動班の一部が密かにニリアン領に出発。ナオキを暗殺――もとい、裁判への出頭要請に対し激しく抵抗したため、やむなく殺す」
なんとも理不尽なことに、僕の作戦を聞いたカナリスは露骨に嫌そうな顔をした。部屋の片隅に3週間ほど放置されたタオルを見つけたときのような、汚いものを見るかのような顔。
おいおい、そりゃないだろう。君もこれを望んでたじゃないか! いや実際、汚い手だけどさ!
さて。それはそうとして、僕はカナリスに言っておくべきことがある。
「だからというわけじゃあないが、カナリス特捜審問官。
君に対し、私――つまりパウル1級審問官から、強い要望がある」
急に僕が居住まいを正した物言いをしたせいか、カナリスは不審げな顔をすると「何だ?」と短く聞いてきた。
だから僕は、あまり言いたくないことを、なるべく短く伝える。
「ケイラスおよびエミルを捜索するこの作戦の過程でハルナ3級審問官を発見した場合、もし彼女がまだ生きていたならば、大いなる慈悲の心をもって彼女の魂を天に還せ。
これは命令ではない。あくまで要望だ。
でも僕は、君が模範的な審問官として、真に賢明であると信じるよ」




