アルール歴2181年 12月8日(+3日)
――カナリス特捜審問官の場合――
大失敗と言うほかない作戦が終わっても、仕事がなくなるわけではない。
ハルナが審問会派内部で果たしていた役割は、果てしなく大きかった。パウル1級審問官は日常業務に必要な書類や記録を部下に探させようとしては、その度に「その件はハルナ3級審問官が管理していましたので……」という部下からの返答に頭を抱え続けている。ダーヴの街における審問会派の駐屯地ないし出張所(規模から言ってそう表現するのが最も適切だろう)のインサイドワークは、実のところすべてハルナが管理していたのだ。
私としては「自分がいなくなったら組織が回らなくなるようでは、プロフェッショナルの仕事とは言えない」と説教したいところだ。
いまさら、どうしようもなく、虚しい思い。
ナオキ商会も、動きが鈍くなっている。
マダムの死に伴いナオキ商会が引き取った賭博関係ビジネスは、まだまだあちこち軋み音をあげているようだ。また先の作戦で死んだ赤牙団隊員の合同葬儀の準備や見舞金の送り先確認などなど、ライザンドラ君は過労と寝不足で青い顔をしながら仕事を続けている。
個人的にも、ハーミル君を失ったのは痛い。彼は最も信頼できるメッセンジャーであり、彼が望むならば審問会派で引き取って審問官見習いとして育てたいと考えていた。それだけに、こんな形で永遠の別れを迎えてしまったのは、とてつもなく痛い。
一方で、最も復帰が早かったのは、さすがというかやはりというか、赤牙団の実行部隊だ。
赤牙団の団員のほとんどは、サンサ教区の生まれだ。そしてこの逗留で知ったのだが、サンサ教区ではしばしば冗談めかして「雪が降ったら神任せ」と語られる――事実、本格的な冬が始まって雪が積もるようになると、ダーヴの街を歩いていてすら、脈絡のない死を迎えることはある。高所からのつららの落下が直撃する、雪と氷で埋まった小川を踏み抜いての溺死するといったところを筆頭として、老人であれば凍った路上で転倒して骨折、寝たきりになってその冬のうちに亡くなるというのも珍しくない。
そんな彼らにとって、殺し合いの場に出て人が死ぬのは、語るに足りぬことなのだろう。彼らにしてみれば(そしておそらくはサンサ教区に生きる人々にしてみれば)、死は「できれば顔を合わせたくない、口うるさい親戚のおばさん」くらいの距離感しかないのだ。
そんな部下たちを率いるシーニー君も、2日で精神的な再建を果たしていた(再建する必要のないザリナ君については言うまでもない)。
もっともこの2日間のシーニー君が崖っぷちだったのは、間違いない。泥のように眠ったかと思うと、目を覚ませば錯乱したかのように泣きわめき、ザリナ君が手を握って落ち着かせるまではひたすら泣き続けた。
かといって落ち着いたからお粥でもと思って食事を用意すると、獣のようにがっついて食べた挙句、何もかも吐いて、また泣いて、泣き疲れて眠るという繰り返し。ライザンドラ君いわく「赤ん坊より手がかかる」状態だったという。
けれど、作戦終了を告げられてからきっかり48時間後、シーニー君は突如、完璧なまでに己を取り戻した。
そして「約束どおり、任務に戻らせてもらいます」と宣言すると赤牙団の司令室に引きこもり、本日早朝6時に様子を見に行ったら「急な話で恐縮ですが、本日夜に緊急の統一会議を開きたいと思います」と告げられ、今に至っている。
かくして全体的に言えば陰鬱な空気が重たく漂ったまま始まった統一会議だが、シーニー君が報告を進めるにつれ、場の雰囲気は変わっていった。
「今回の作戦で実際に起こったことを振り返ると、2つの大きな謎が浮かび上がります」と語り始めたシーニー君は、喋りながら黒板にその謎を書き出した。
「1つめ。まずはそもそも論です。
敵側の視点に立って、先の作戦で彼らが実行したことを眺め直すと、彼らは地下の大部隊を陽動としてこちらの主力を拘束。しかるにエミルが率いる別働隊が、用意周到に組み上げたトラップハウスにハルナさんらを誘引、護衛を撃滅し、ハルナさんを略取した、ということになります。
ですがハルナさんを誘拐するというのは、あくまでエミルの欲望です。ケイラスがここまでハルナさんの略取に拘る理由は、まったく判然としません。
彼らは貴重な戦力を使い潰し、相当な資金を投入してトラップハウスを仕立ててまで、ハルナさんを略取しました。なぜそんな浪費を、ケイラスは許したのか?」
この数日、私もそこは気になっていた。ハルナを略取するというのは、ケイラスにとってあまりに利益が小さすぎる。想像するだけでも吐き気がするがハルナから無理矢理こちらの情報を聞き出すにしても、今のケイラスがその情報をどれくらい活用できるかと考えると、極めて疑問だ。
もちろん、審問会派に追われる身である彼にとって、なにはともあれこちらの戦力からハルナを脱落させるということには、大きな意味があるだろう。でも、だったら略取などという面倒なことをせず、殺してしまえばよかったはずだ。そのほうがずっと低コストで実現できる。
私の疑念を見透かしたかのように、シーニー君は報告を続けた。
「私が判断を誤った大きな理由のひとつが、ここにあります。
私は、敵のトップはケイラスであると考え、そのように作戦を練り、人員を配置しました。だからこそ、敵の作戦は完璧に機能してしまったのです。
つまり、敵組織において最終的な決定権を持つのは、エミルである。そう考えれば辻褄は合います。そして敵の作戦が100%機能したという事実そのものが、この仮説の正しさを裏付けているかと思います」
……なるほど。大胆極まりない仮説を、大胆極まりないルートで証明してみせたけれど、確かにこれは説得力のある理論だ。
なんとも――シーニー君は実に果敢だ。自分たちが完膚なきまでに負けたという事実と、その敗北をリアルタイムですべて舐めつくした最高指揮官としての経験、そのなにもかもを踏み台にして敵を倒そうというのだから。
とはいえ、シーニー君の仮説には、ひとつ重大な問題がある。まっさきにそこをつついたのはユーリーン司祭だった。彼女は、荒事に関しては素人だが、理論構造に関してはこの場で最も熟達している。
「その仮説には、1つ大きな問題があります。
エミルこそが敵組織における最終的な意思決定権を持っているのではないかというところまでは、十分な妥当性があります。
ですが、エミルの経験と知識を踏まえるに、彼がこの複雑な作戦を立案できたとは思えません。ましてや指揮など不可能でしょう。ケイラス司祭にも、ここまでのことは不可能であるように思えます。
この点について、シーニーさんはどのような反証をお持ちですか?」
ユーリーン司祭の容赦ない質問に対し、シーニー君は実に平然としていた。それもそうだろう。そうでなければ「統一会議を開きたい」などと言い出すはずがない。
「ユーリーン司祭のご指摘のとおりです。そしてそれこそが、もう1つの謎でした。
ですがその謎を解くカギを、ハーミルが残してくれました」
ハーミルという名前を聞いた私は、思わずシーニー君の顔をまじまじと見てしまう。
「ハーミルはハルナさんの装備を借り受け、ハルナさんを偽装して陽動したと考えられます。結果、彼は敵にハルナさんと誤認して捕らえられ、そして敵の怒りを――つまりはエミルの怒りを買い、拷問の末に死にました。
ですがこれは、あまりにも不自然です。
エミルの視点で当時の状況を考えると、彼はついに捕らえたはずのハルナさんを目前で逃し、すべての作戦は水泡に帰そうとしているという、危機的状況に置かれていました。こんな状況で、ハーミルの拷問を優先するでしょうか?
普通に考えれば『貴様を長く苦しめて殺すのは後回し』にするはずです。そんな手間をかけていられる状況ではないのですから」
なるほど――確かに、その通りだ。
ハーミル君がその知恵と勇気を振り絞って行った欺瞞に、敵は引っかかった。少なくともその瞬間、敵方もまた、大きな危機に瀕していたのだ。
「でも実際に、ハーミルは拷問され、殺された。
彼はけして途中で諦めることなく、己の命が尽きるまで苦痛と絶望に耐え抜いたのでしょう。彼の体に残された傷を検分しましたが、あれだけの傷を残すには、数時間に渡る拷問が必要です。
つまり、エミルはあの危機的状況において、怒りに任せて貴重な数時間を浪費することを選ぶ――そんな未熟な人間なのです。我々はけして、エミルを過大評価してはならない。そのことを、ハーミルは我々に伝えてくれました」
シーニー君の指摘に、私は小さく祈りの文句を唱える。勇敢なる戦士が残した乾坤一擲の一撃はけして小さからぬ傷跡を敵に残し、そして驚くべき観察力を持つ味方の手によって、真に意味ある一撃となったのだ。
「断言します。エミルがあの作戦を立案し、指揮をとったという可能性は、できたとは思えないのではなく、皆無です。
となれば残された答えは1つ。
それができる人間が、エミルの意のままに動いている。それだけです」
だがそこで、それまで黙ってシーニー君の報告を聞いていたパウル1級審問官が、静かに口を開いた。
「シーニー君は、その有能なる敵方の指揮官に、心当たりがあるんだね?」
その問いに、シーニー君はきっぱりと頷く。
「最初に考えるべき可能性は、ケイラス司祭です。彼の力は未知数ですので。
でも、エミルごときに組織の意思決定権を横取りされるような人間に、果たしてこれだけのことがなし得るのか? よしんばなし得たとして、エミルの個人的な欲望を満たすために、ここまで献身的に働けるのか? ここには大いに疑問が残ります。
ですので私としては、別の可能性を支持します。つまり、デリク卿がエミルの護衛としてつけていた、騎士アスコーニです」
シーニー君の答えに、すぐさまユーリーン司祭が食いつく。いやはや、彼女は非理論的な展開が生理的にダメな人間なのだ。
「待って下さい。なぜシーニーさんは、その騎士……ええと、アスコーニ? が、今なおエミルに従っていると確信できるのですか?
また、なぜ騎士アスコーニには、このように用意周到かつ卓越した作戦を立案し、不測のトラブルを乗り越えて最後まで作戦を完遂できるほどの実力があると、シーニーさんは断定されるのです?」
実に手厳しい。ボニサグス派ではこれが普通の会話なのだろうけれど、一般論で言えばシーニー君を論難しているようにしか見えない。ボニサグス派が「最も多くの殉教者を出した派閥」と言われるだけのことはある。
けれどユーリーン司祭の厳しい質問を、シーニー君は斜め上と言う他ない方向に受け流した。
「私が敵の主席指揮官を騎士アスコーニだと推定する理由は、とても私的な理由です。
騎士アスコーニは、スヴェンツ王立軍事学院において、私の1期上の先輩でした。私が流しの傭兵をやっている頃、彼と戦ったこともあります。今回、ここまで完膚なきまでに裏をかかれたもう1つの理由が、これです――敵の指揮官は、私の手の内をすべて知っていたんです。
ついでに傍証ですが、〈腐り沼のスラム〉に残されたトラップの痕跡や構造も調査しました。明らかに、アスコーニの仕事でした。
ですのでそこから逆順になりますが、彼がエミルに今なお従っているのも、疑いありません」
論理的ではないが、かといって付け入る隙のない説明に、ユーリーン司祭は素直に引き下がった。こればかりは、その道のプロの経験とカンを尊重すべきと判断したのだろう。
とはいえ、なおも問題は残っている。その点を、パウル1級審問官が問いただした。
「シーニー君の分析には、恐れ入った。僕からは文句のつけようがないね。
で、だ。そうなると問題は、その先ってことになる。
敵情分析は、これ以上の精度のものは望めまい。ならば僕らはこれから、どう動けばいい?」
私は内心で「それを考えるのは貴様の役割だろう?」とパウル1級審問官に疑念をつきつけつつ、それでもつい、シーニー君に期待してしまう。彼女なら、この点についても何らかの方針を見出しているのではないだろうか?
その期待は、裏切られなかった。シーニー君は「最終的な判断はパウル1級審問官が為すべきだと思いますが」と前置きしつつ、彼女の推論の核心を手短に語る。
「この問題は、単純化すれば、『いまエミルたちはどこに潜伏しているのか?』という問いになると考えます。
この問いには、定番の解答が可能です。つまり、『密かに水と食料が得られる場所』です。
その上で、状況から鑑みてここには2つの要素が追加されます。
まずは冬の寒さをしのぐための燃料。
そして彼らの信仰の対象ともいえる、大麻です」
実に、鋭い。大麻は彼らの信仰にとって不可欠という範囲を越え、もはや彼らは大麻に強く依存していると考えるほうが自然だ。ゆえに、彼らがいるところに、大麻もある。
「水と食料と燃料を追跡するのは、困難が伴います。でも大麻であれば、ある程度まで予測が可能です。
教会と地下墓地をつなぐ隠し通路があったこと、また地下墓地がサバト――つまり大麻を消費するイベントの会場であったことを鑑みれば、当初の予測どおり、大麻が教会の馬車を使って運び込まれていたのはほぼ確定でしょう。ケイラスは教会の馬車で麻薬を街に運び込み、その積み荷は教会の隠し扉を抜けて地下墓地へと搬入された。そう考えるのが自然です」
ここで、すっとライザンドラ君の手が挙がった。教会の馬車で大麻の密輸がなされていたのではないかという推測を最初に示したのは彼女なので、生産者責任的な意味で質問をする、といったところか。
「ですが今年の8月にラグーナ副司祭が暗殺され、その後はユーリーン司祭が教会を管理するようになりましたが、それでもダーヴの街に対する大麻の流入は止まる気配を見せませんでした。
ダーヴの街での大麻の拡散が止まったのは、パウル1級審問官と審問会派特別行動班がこの街に来て、取り締まりが強化されてからのことです。そしてそれでもなお、本当に根絶まではできませんでした。
確かに、大麻の巨大な供給源とともにエミルやケイラス司祭はいるのでしょうけれど、現状からそれを特定するのは困難なのでは?」
ライザンドラ君の言葉に、会議に参加する面々が一斉に頷く。
でもシーニー君は平然として、むしろ笑みを浮かべた。
「さすがライザンドラさん、そこは最も痛いところです。実際、私もまだ最終的な結論は出せていません。
ですがそれでも推測は可能ですし、効果的な調査方法も策定できます。
まず、歴史を振り返ってみます。かつて霊峰サンサに追い込まれた異端者たちは、そこで大麻を育成していました。これに対し教会は神の奇跡を下ろし、この地域で麻が育たないようにします。
でも、大麻に依存していた異端者たちは、麻が育たなくなったからといって、それで大麻を諦めるでしょうか? それはない、と私は思います。むしろ、何が何でも大麻を手に入れようとしたのでは?
無論、最初は苦労したでしょう。サンサ包囲網は完璧で、包囲する側も士気は高かったでしょうから。大麻なり他の麻薬なりを運び込めたとしても、ごくわずかだったかと思います。
でも50年もたてば、話は変わってきます。包囲する側も、地の果てとも言うべき霊峰サンサの麓で、極限の生活を強いられ続けたんです。しかも帝都からの支援金で飼い殺しにされるような状況で。
そんななかにあって、少なくともニリアン家は、今に至るまで高潔さを保ち続けました。でも、サンサ包囲網を形成する、残りの3家は? 彼らまで、完璧に高潔であり続けられたでしょうか? 毎年毎年、領民たちが命をすり減らしながら生き、すり切れるようにして死んでいくのを目前で見ながら、『美味しい取引』の誘惑を退け続けられる領主は、どれだけいるでしょう?」
シーニー君の指摘に、パウル1級審問官が渋い顔をする。でもその表情こそが、現実を語っていた。
事実、審問会派側でも、サンサ包囲網を形成する家のいくつかが、違法な取引――おそらくは彼らが包囲する異端者的な何者かとの取引――に手を染めていることを、疑っている。
我々が実力行使に出ないのは、仮にそれで粛清のナタを振るったとしても、後釜に据えるべき貴族が見つからないからだ。誰が好き好んで霊峰サンサの麓で、極限の生活をしたいと思うだろう?
……だが、そこまで考えたところで、何かが私の心の扉を、静かにノックした。
もし。もしこの場にハルナがいれば。この違和感が何であるのか、正確に指摘しただろう。だがもう、ハルナはいない。だから私は私自身の力で、この違和感の正体を探らねばならない。おそらくは――可及的速やかに。
「もっとも、霊峰サンサに封じられたという異端者とやらも、本当に生き残っているかどうかは怪しいと思います。普通に考えれば、生き残りなんていないでしょう。
でも、だからこそもっとたちの悪い、重犯罪者や脱走兵といった連中が、霊峰サンサの異端跡地を拠点として活動している可能性がある。
なにせ霊峰サンサには未だに異端が封じられていることになってますから、世俗の官憲が踏み込むこともまたできませんからね。もっとも官憲が踏み込んだとしても、やまほど遭難者を出すだけでしょうが」
シーニー君の指摘は、ご説ごもっともといった内容だ。
ニリアン領にも、ナオキによる改革が始まったその年の冬、野盗の群れからの襲撃を受け、ザリナ君たちがこれを撃退したという記録が残っている。野盗どもがどこから来たのかと考えれば、それはつまり、霊峰サンサから来たと考えるのが最も妥当だ。
「さて、ここまでが前提となる推測です。
霊峰サンサには最低の犯罪者たちがコロニーを作っており、そして霊峰サンサを包囲する4家のうち1つないし複数は彼らと取引することで臨時収入を得ている。となれば、どこか別の場所で作られた大麻を霊峰サンサに運び込み、それをさらにダーヴの街に運び込むという密輸ルートの可能性が浮上します。
これがおそらく、我々が遮断しきれなかった、大麻の流入ルートです」
……なるほど。シーニー君が何をいいたいのかは、わかった。
わかったが、まだ私は違和感の正体に到達できていない。だから私は、あえて無意味な問いを口にする。少しでも時間を稼がねば。
「シーニー君。そこまでは、いい。忌々しいが、私も賛同できる仮説だ。
だが霊峰サンサにまで運び込まれた麻薬を、どうやってダーヴの街に持ち込む? 教会ルートが使えないなら、その最後の搬入路の困難は、解決されていないように思うが?」
シーニー君は、「そうですね」と軽く同意すると、あまりにも自明な仮説を述べた。
「その答えは、トンネル、です。
おそらくは、地下墓地のどこかから、霊峰サンサに向かうトンネルがあります。
さすがに霊峰サンサに直結はしてないでしょうが、城壁を越えて、見張りの目が届かないような距離にまで、トンネルが伸びていると思われます。
実に馬鹿げた推測ですが、掘る側としては300年という時間があったわけですし、実際のところ地下墓地からダーヴの街に上がるトンネルは最低でも3本あるのですから、密輸に命を賭ける連中ならやってのけたと思います」
当然、そういうことになるだろう。城壁の下を抜ける秘密トンネルは、この手の密輸ルートとしては定番だ。それは分かっていたから、我々も雪が降るまでの間、ダーヴの街の周辺を広範囲で捜索していた――だが、トンネルの出口はまったく見つからなかった。
しかしながらシーニー君の仮説のように、そういった常識的な距離を越える、とてつもないトンネルを作り得たとすれば、そのルートはダーヴの街に麻薬が流入し続けたルートとして、十分な妥当性を持つ。
だが。
だが今は、そこが問題ではない。そこでは、ないのだ。
「さて、以上の仮説がもし真実を捉えていれば、我々はエミルたちを追跡できます。
アスコーニは慎重かつ周到な男ですので、彼らがダーヴの街から脱出するときに使ったトンネルは、崩落させるなり何なりして、使用不能にしているはずです。そして彼らの移動ルートは、ほぼ疑いなく、〈腐り沼のスラム〉の地下からです。
つまり逆に言えば、〈腐り沼のスラム〉の周囲を徹底的に調査ないし聞き込みをして、陥没がないか、または深夜に大きな物音を聞いた住人がいないかを調べれば、彼らが使ったであろうトンネルが伸びている方向を推定可能です。
もちろん、実際にはトンネルなどなく、アスコーニはもっと奇想天外な手段を使ったのかもしれません。ですがトンネルの存在を示す証拠が出てくれば、彼らが何をして、今どこにいるかも、相当なところまで絞り込めます。
私からの報告は、以上です。敗軍の将の用兵語りで実に恐縮ですが、パウル1級審問官のご判断を待ちたいと思います」
シーニー君の報告が終わってしまったが、私はまだ違和感の根源を掴めていなかった。このままなら、パウルは素直にシーニー君のプランを採用し、新たな作戦が始まるだろう。
だが、それではダメだ。
それでは、赤牙団に捜査のイニシアティブを完全に握られてしまう。
実を言えば、私もシーニー君が我々を罠にかけようとしているとは思っていない。
彼女は実に有能だが、その有能さはいたって単機能的なもの――つまりは指揮官に特化した才能だ。彼女と直接話したことは何度もあるが、彼女は考えたことや感じたことがそのまま顔に出るタイプの人間であり、欺瞞にはまるで向いていない。
しかし、この場にいるメンバーで言えば、ライザンドラ君とザリナ君、そして今もニリアン領にいるナオキは、話が違う。彼らは歴戦の審問会派を前にして、表情ひとつ変えずに嘘をつける――いや、嘘ではないが真実でもない言葉を即興でひねり出せる連中だ。
そしてかつてハルナが指摘した通り、ナオキの潜在的な危険性は、計り知れない。ハルナの祖父にして高徳と叡智で知られた審問会派のコーイン司祭が、「その先にある世界が幸福であるか否か」を保証できなかった『誰もが聖書を読み、自分で教理を理解する世界』へと、ナオキは世界を作り変えようとしている――その指摘は、未だに私の心の一番深いところに引っかかっている。
だが――私が何かの違和感を感じてからというもの、ライザンドラ君も、ザリナ君も、一言も発言していない。ナオキはこの場にいない。つまり私は、圧倒的に嘘が下手なシーニー君の言葉のどこかに、引っかかったのだ。
考えろ。ハルナならこんなとき、いったい誰から順番に疑う?
そしてそのとき、天啓は下った。
そうだ――そこだ。そこが、論理的にねじれている。
そしてそのねじれには、ユーリーン司祭も気が付かない――いや、ユーリーン司祭だからこそ気づけない。シーニー君も同じだし、パウルもこの点については怪しい。
逆に、むしろこのねじれこそ、ザリナ君やライザンドラ君が真っ先に指摘しなくてはならないねじれだ。
……そういう、ことか。
そういう、ことなのか。
ならば――ならば、ナオキは。
あの男は――あの男こそが……
あの男こそが、ハルナをこの窮地に追い込んだ、主犯だ。
そしてそのことを、ザリナ君もライザンドラ君も、気づいている。
だからこそ、今私が為すべきは、気づいていないように装い続けることだ。奴らは、知恵が回る。武力も持っている。そうである以上、殺すときは一撃で確実に仕留めねばならない。可能であれば、背後からの一刺しで。
「いいだろう。シーニー君の方針で、調査を開始するとしよう。
では具体的な人員配置計画に入ろうか」
パウルの脳天気な言葉を聞きながら、私は傲然と燃え上がる復讐の思いを、審問会派として鍛え抜いた自制心で押さえ込み続けた。
待っていろ、悪党ども。神は必ず、貴様らの薄汚い欲望に、裁きを下すだろう。そして私はその裁きの剣にして猟犬となり、貴様らを必ず地獄に叩き落とす。
天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ。
※第26話(アルール歴2180年 8月29日)に登場した騎士「サイラス」の名前を、騎士「アスコーニ」に変更しました(26話側でも変更しています)。サイラスにケイラスにカナリスと並んでは、「これはしくじった」――ということで、ご了承ください。




