アルール歴2181年 12月2日(+16日)
――ユーリーン司祭の場合――
マダム・ローズが審問会派によって拘束されてから(公式発表としては尋問が続いていることになっている)というもの、慌ただしい日々が続いた。ナオキ商会からマダムに対して譲渡されていた賭博ビジネスは、契約書に基づき一時的にナオキ商会に権利関係が戻っており、ナオキ商会幹部の仕事が激増したというのが、その最大の理由だろう。
「サンサ教区およびダーヴにおける異端に対する共同戦線統一会議」(以下、統一会議)の場所と基幹機能を提供しているのがナオキ商会である以上、ナオキ商会が慌ただしくなれば、統一会議もまた慌ただしくならざるを得ない。そこに加えて審問会派側でも一気に仕事が増えたとあっては、統一会議は事実上の戦時下と言っても過言ではない状況にあった。
と、様々な人々が様々な激務に追われるなか、私はニリアン領における定期巡回の予定が入っていたので、粛々と司祭としての仕事を優先させて頂くことにした。正直、事ここに至っては、私の出る幕などないと思うし。
ダーヴの街における異端掃滅の戦いが最終段階(あるいは始まりの終わり)に差し掛かっているとはいえ、それによってありふれた善男善女たちの毎日が終わりを告げるわけではない。そういった弱き神の僕を守ることこそが、司祭にとって最大の任務だ。
そんなこんなで2週間の旅を終えてダーヴの街に戻ってくると、街は曰く言い難いざわめきに満ちていた。ダーヴの街における世俗の支配者であるエルネスト男爵が大麻所持の現行犯で審問会派によって逮捕され、大麻使用の疑いもかけられているとあっては、当然のことだろう。
通常、審問会派は世俗の罪をもとに人を裁く権利を持たないが、大麻所持は神と教会が定めた法に違反している。男爵といえども、審問会派に対して「教会権力の横暴」を訴えることはできない。また男爵の庇護者たる帝都の上級貴族たちにとっても「そこまで馬鹿なことをしていた子分(しかもその尻尾を証拠付きで押さえられるような愚図)の面倒まで見れないし、むしろ可能な限り自分たちにまで責任が及ばないよう審問会派と交渉する」ことを選ぶべき状況だ。
とはいえ、審問会派は実に大胆な手に出たものだ、とも思う。
これだけの大捕り物になれば、行方をくらませているケイラス司祭やエミルが強引にダーヴの街を脱出する可能性もある(冬のサンサ地区を移動するなど半ば自殺行為だが、私がニリアン領とダーヴの街を往復できたように、優秀なガイドが確保できて、かつ往復する側が雪と寒さに慣れていれば、不可能ではない)。というか普通に考えれば、彼らはそれを目指すだろう。
だが審問会派は、「その恐れはない」と断定した。理由は様々だが、一番大きな理由は「もし万が一彼らを逃したとしてもそれは状況を決定的には覆さず、かつ、逃げた彼らがこの冬を生き延びれる可能性は皆無」という実に合理的な判断だ。
確かに、ダーヴの街に巣食っている〈古き教え〉を一掃する体制が整った以上、ケイラス司祭やエミルが見つからなければ、エルネスト男爵を浄化して話にケリをつけるのでも十分だろう。ケイラス司祭とエミル君はダーヴの街に蔓延っていた〈古き教え〉の犠牲者であり、保護の後、思想汚染が見られれば手厚く対応する――少なくともパウル・ザ・バットマン的には「めでたしめでたし」な物語だ。
……という政治的な配慮が進む一方で、カナリス特捜審問官としてはケイラス司祭とエミルの捕縛に向けて容赦のない手を打ち続けている、らしい。「らしい」と言ったのは、私自身、あまり関わりたくないからだ。
なにしろこの街には異端そのものである〈古き教え〉があり、形骸化していたとはいえそれを精神的支柱としていた〈結社〉がある。そのメンバーは、マダム以後、芋蔓式に明らかになってもいる。彼ら異端者を尋問して、ケイラス司祭らの動向をつかむというのは、文字にすればシンプルだが、実作業としては、うん、その、あまり直視したくない。
ともあれ、カナリス特捜審問官側の情報を総合すると、ケイラス司祭はだいたい昨年の夏くらいから露骨におかしくなり始め、それに歩調を合わせるかのように大麻樹脂を始めとした各種大麻加工品が大量に流入するようになったという(ザリナさんも、今年の1月頃からナオキが大麻の流入を気にするようになったと証言している)。
問題はその後だ。
カナリス特捜審問官による「異端の疑いのあるケイラス司祭の召喚と審問」が今年の8月11日に発令されてからというもの、〈結社〉はケイラス司祭とのコンタクトを完全に失ってしまったという。現状で最後にケイラス司祭との接触(厳密に言えばケイラス司祭名義の手紙の受取)があったのは、8月12日。ここがケイラス司祭を追跡できる、最後の日付となる。
それからもダーヴの街における麻薬禍は広がり続け、その広がりは11月初頭にパウル1級審問官と特別行動班が到着するまで続いた。これは純粋に取り締まる側のマンパワーが拡散する側のマンパワーを上回ったという見方もできるが、「拡散させる側が何らかの理由で拡散を意図的に止めた」可能性もある。
つまり、ケイラス司祭たちが何を意図しているのか、私たちは未だに把握できずにいる。
ボニサグス派の私としてはこれほど気持ちの悪い状況もないのだが、審問会派も赤牙団も、「もう今さら連中の意図を探るだけ無駄」という点で一致しているようで、なんとも口出ししにくい。ちょっと前まではハルナ3級審問官やライザンドラさんがケイラス司祭らの意図について激論を交わしていたと思ったのだけれど、「状況が変わった」と言うことなのだろう。
それもあって、久々に参加した統一会議における最大の議題は、わりと実務的な話だ。
ダーヴの街における〈結社〉がサバトの場として選んでいたのは、地下墓地だという。私もこの街に地下墓地があることは知っていたが、教会に残されていた記録に従って入り口を調査したところ、入り口が完全に崩落しており、危険だったこともあって閉鎖を指示したっきりになっていた。
だが、やはりと言うべきか何というべきか、教会に残されていた資料はフェイクだった。地下墓地に通じる安全な入り口は、別の場所に作られていたのだ――よりによって、教会付き司祭の、私室に。作り付けの本棚の背後に隠し扉があることを見せられた私は、呆れ半分、恐怖半分でその扉を見つめることしかできなかった。
ラグーナ副司祭を殺した暗殺者は、おそらくこのルートで侵入・逃亡したのだろう。そして私自身、普段はこの部屋で寝泊まりしていた以上、彼らがその気なら殺されていた。
ちなみに「教会のどこかに隠し部屋、ないし隠し部屋に通じる通路があるはず」「領主の館にもあるはずだが、規模から言って教会を先に調べた方がいい」と最初に主張したのはライザンドラさんだった。
ライザンドラさんがマダムに「ケイラス司祭の行方に心当たりがないか」と聞いたとき、マダムは「知らない」と返答したが、ライザンドラさんいわく「あれは嘘」だそうだ。長年の付き合いから、あのときマダムは「深い恥と後悔を感じつつも嘘をついた」のがわかった、という。
ライザンドラさんに対しマダムが深く恥じた理由は、誓いの不履行だ。マダムは「ドロシー殺しのような悲劇が二度と起きないことを強く願うとともに、そのために行動する」という誓いをライザンドラさんと交わしたが、本当には行動を起こさなかった。マダムはどこかの段階で行動することを諦めたのだ。
なぜマダムが諦めたのか? それはマダムとラグーナ副司祭の関係が物語っている。マダムは自分が管理する夜の娘の一人であるドロシーが大麻に溺れることを、許しているのだ。
ダーヴの街における賭博と売春の利権を一手に握っていたマダムは、事実上、ダーヴの夜の顔役の頂点にいた。けれどラグーナ副司祭の要求に彼女が逆らえなかったように(そしていみじくもパウル1級審問官が指摘したように)、マダムたりと言えども正統なる政治権力とは戦えない――つまり街の統治者や、教会や、その両方を相手にしては、抵抗できない。よって逆順で考えると、ケイラス司祭らは街の統治者ないし教会の向こう側にいることが推測できる。だからライザンドラさんはマダムに向かって「ケイラス司祭の居場所は分かった」と言い放った。
ライザンドラさんの推理は審問会派による尋問によって裏付けられ、最終的にはハルナさんが教会をざっくりと測量して、不自然な閉鎖空間の存在を突き止めた。
隠し扉の先には地下へ降りる階段があって、階段の先にしつらえられていた分厚い鉄の門扉にはダイヤル式のロックが仕掛けられていたが、ライザンドラさんは4桁の暗証番号を一発で突破した――番号は0502、つまりドロシーさんの誕生日だ。
かくして開放された地下墓地へと審問会派の特別行動班が踏み込んだが、捜索開始15分にしてカナリス特捜審問官は捜索の中止を決定した。地下墓地に踏み込んですぐの段階で、教会に残されていた地図とその実情が、まるでかけ離れていたからだ。
現状、地下墓地に入る例の門扉は厳重に閉鎖され、24時間4交代体制でわずかでも物音がしないかと見張りが張り付いている。
この情報をもとにエルネスト男爵を尋問したところ、男爵も自宅に隠していた地下墓地への通路の場所を自白。こちらもまた同様の警戒態勢で警備が行われている。
というわけで、統一会議の議題は「地下墓地攻略とケイラス捜索作戦の策定」となっている。私も会議に参加はしているものの、ここまで話が実務的な内容となると、完全に置物といったところ。皆の話を上の空で聞きながら、ライザンドラさんが用意してくれた茶菓子をもそもそとつまむのが主な役割といった状況だ。
会議は難航した(なにしろ教会と領主の館だけに「出口」があるとは限らない)が、完璧な包囲を追求してこれ以上の時間を使う方が(目標が逃げるにせよ、待ち伏せを仕掛けるにせよ)リスクが高まるというカナリス特捜審問官の意見で場はまとまった。
普段はカナリス特捜審問官と意見を違えないシーニーさんがまだ何か言いたそうな顔をしているのは気になるが、ここは性格の違いというところだろう。私の目からみてさえ、シーニーさんは完璧主義者に過ぎるところがあるから。
方針が決まったところで、次は具体的な人員配分の検討となった。教会側と領主の館側で、部隊を分散させるのか。それとも片方は物理的に封鎖して、最小限の見張りを置くだけにするのか。物理的封鎖が妥当として、どちらを封鎖するのか。議題は尽きる気配を見せない。
とはいえ、ここまで議論の方向性が詰まってくれば、結論が出るのも早い。
原則として部隊は分割せず、領主の館側の入り口を封鎖して、最小限の見張りのみを残す(教会側の入り口を物理的に封鎖ということになると、さすがにこの街における日常的な教会業務にも支障をきたす)。
〈結社〉のメンバー2人を相互に隔離して連れて入り、いわゆる司法取引的な交渉をもとに、サバトが開かれていた場所まで誘導させる。2人を隔離した状態で連れていくのは、情報の精度向上と、口裏をあわせられなくするためだ。
なお、状況が流動的に変化する可能性が高いので、赤牙団は赤牙団、審問会派は審問会派でチームを組むべきではないかというシーニーさんの提案は、特に討議もなく却下された。仕方がないところだろう。私ですら赤牙団(つまりナオキ商会)には未だに尽きぬ疑念があり、彼らが先にケイラス司祭を見つけて殺してしまえばあらゆる真相が闇に葬られるという危惧感を審問会派が抱いているのは、よくわかる。
そんなこんなで次々に決議が進むなか、私はふと、大事な伝言を頼まれていたことを思い出した。状況を鑑みると、いまこれをこの場で切り出すのは実に不本意だが、仕方ない。
私は「討議中、失礼します」と言って挙手する。案の定、皆の目が一斉にこちらを見た。普通に考えれば、こんな武張った議論に、荒事に関してはド素人である私が口を挟む余地はない。
それでも私が口を挟んだということに危機感を抱いたのであろうパウル1級審問官が、「なんでしょう、ユーリーン司祭?」と聞いてきた。私は内心で重たいため息をつきながら、伝言を口にする。
「ニリアン領を巡察していた折、ナオキ氏から伝言を受け取りました。
彼曰く、『どんな状況であれ、エミルの死体が出ていない限り、ハルナ3級審問官にはザリナを護衛につけるべきだ。可能であればニリアン領まで呼び戻し、ニリアン卿の庇護下に置いたほうがいい』だそうです」
私の言葉に、会議の場は騒然となった。ハルナ3級審問官は彼女にしては珍しく怒気をあらわにしているし、パウル1級審問官も「なんだそりゃ」と呆れ顔だ。カナリス特捜審問官とシーニーさんが「検討に値する」的な顔をしていて、ザリナさんは「やっぱりか」みたいなことを呟いたけど、伝言を口にした私自身、「なんだそりゃ」というのが偽らざる感想。
「恥ずかしながら、私にはまだまだ世俗の人々の心の動きを理解できていないところが多々あります。ですので、ナオキが何を恐れているのか、私にはわかりません。
ただ彼は『エミルのような男は、必ず、あなた方のような賢い人間の裏をかく。必ず、だ。あのチームの中で、それに対抗できるのはザリナしかいない。さもなくば、ニリアン卿のような人でなくては無理だ』と、何度も繰り返していました。
私からの報告は以上です」
報告を終えると、会議室は微妙な静けさに包まれた。
最初にその静寂を破ったのは、パウル1級審問官だ。
「確かに、エミルがハルナ君に懸想しているというか、プロポーズまでしたというのは聞いているよ? でもこの状況で、彼がその欲求を優先するかな? よしんば優先したとして、実現性がどれくらいある?」
そんなこと、私に聞かれても困る。なので私は両手を広げ、「お手上げ」のポーズ。パウル1級審問官はそんな私を見て「失礼」と苦笑した。
代わって口を開いたのは、シーニーさんだ。
「私はナオキの主張を支持します。
これは個人的な経験ですが、私がまだスヴェンツ王立軍事学院生だった頃、教官の一人から執拗に関係を迫られたことがあります。学内委員会に訴えたところ、その教官は免職となりましたが、それでも私室の机の上に恋文が置いてあったり、食事に薬物が混入されたりと、干渉は数年に渡って続きました。スヴェンツ王立軍事学院のMPが鉄壁の警備をしてなお、です。
あの手の人間を、決して甘く見てはいけません。むしろ我々が攻勢に出る今だからこそ、危険度も高まっています。まったくスキを見せずに攻勢に出るなど、不可能なのですから」
シーニーさんの告白は、場の全員を軽く動揺させるほど衝撃的なものだった。
規律と規範を徹底的に叩き込むスヴェンツ王立軍事学院は、カネのある貴族が次男坊以下を送り込む先として非常に人気がある。また、「尼僧院より厳しい」と言われるほど徹底した風紀の維持がなされていることから、女子学生も多い。
そんな場においてなお、狂気に染まった不埒者は、侵入を成功させるというのだ。
だがカナリス特捜審問官は、別の問題を指摘した。
「――話は分かったが、現実問題として、ザリナ君を守備的なポジションにつけるのは不可能だ。
最大級の抵抗が予測できる以上、ザリナ君にハルナ3級審問官の安全を意識しながら戦えと命じるのは、あまりにも要求が高すぎる」
その言葉に、ザリナさんも深々と頷いた。
「ハルナ審問官の腕前を軽んじるわけじゃないけど、ヤク中の群れに殴り込む最先鋒のご指名をもらってる状態で、『後ろも一緒に守ってくれ』ってのは、キツイね。むしろあたしが誰かに背中を守って欲しいくらいなんだから」
それを受けて、ハルナ3級審問官はいささか不本意げな声で提案する。
「じゃあ、私がザリナさんのサポートとして、一緒に最前線に突入するというのでは? その手の下世話な欲求を充足させる手段としてどんなものがあり得るかってのを考えると、最前線で戦ってるほうが安全なような気もしますが?」
その提案を、ザリナさんはとんでもない角度から一蹴する。
「それはダメだ。エミルが死姦趣味に目覚めてたら、むしろあんたに攻撃が集中する。
そんな状況であんたを守り抜いて、かつケイラスやエミルを確保すべく動くなんて、絶対に無理。無理すぎる。
ええい、ナオキのやつめ――確かにここにいるメンツは、あの手のクソどもがどれくらいぶっ飛んでるか、経験がなさすぎるぜ。となると、やっぱあたしが張り付くしかないか……今からニリアン領に送るったって、そこを狙われたらひとたまりもないしなあ……」
悩むザリナさんに、ライザンドラさんが声をかける。
「ですがザリナさん、ここまでの間、エミルはハルナ3級審問官に何も仕掛けてこなかったのでは?
だとしたら、この期に及んで何か仕掛けてくるというのも、ちょっと不自然な気がします」
私としても非の打ち所のない指摘だと思えたライザンドラさんの言葉に、ザリナさんはむしろ絶望したようだった。
「うへ、サンドラ! あんたまでダメか! あんたは行けると思ったんだがな……。
いいか、『この期に及んで』じゃないんだよ。『このチャンスがあればこそ』なんだ。
今年の夏にさ、ハルナとカナリスを襲ったヤク中どもがいただろ? あれさあ、あたしはずっと『おかしいな』と思ってたんだよ。
普通ならあんたら、あの段階で死体になってたはずだったんだ。
シーニーはよくやってくれたけど、間に合うわけないんだよな。
でもあたしは間に合った。なぜ? おそらくあいつらは、ハルナを生け捕りにしようとしてたんだと思う。少なくともまだあの段階では、な」
しぶしぶ、といった風情でカナリス特捜審問官が頷く。彼もまた、ザリナさんとおなじ推論をしていたのだろう。
それを片目で見ながら、ザリナさんは口上を続けた。
「あれ以降に襲撃がなかったのは、こっちに予備がある状態で仕掛けても無駄だと踏んだからだよ。
訓練されてんのか、それとも動物的なカンか、はたまた狂気の淵でたどり着いた悪魔の囁きか、なんでもいいけど、とにかくヤツは待つことにした。
こっちがおおきく振りかぶって一撃を繰り出そうとする、その瞬間を、ひたすら待つことにしたのさ。
だからね、ヤツは完璧な準備を整えて、待ち伏せしてる。ナオキはあたしなら守れると思ってるみたいだけど、あたしだって絶対に守れるかって聞かれたら、保証はできない。
あたしも相当、業が深い人間だっていう自負があるけど、エミルはもしかしたらあたしよりもっと酷いクソ野郎かもしれないからね」
ザリナさんの言葉に、会議室は再び静かになった。私は密かに、新たに示された知見に感動する――なるほど、人は高さを支えとして勝負するだけでなく、低さに依って勝負することもできるのだ。そして、日々高みを目指して研鑽を重ねる人々は、ときにして低さ比べで足元を掬われる。かつて無垢だった私がやらかしたように。
そして残酷なことに、それがどのような勝ち筋であろうと、往々にして勝ちに貴賎はないのだ。
重たい沈黙を破ったのは、またしてもパウル1級審問官だった。
「ザリナ君の主張は、よく分かった。ならば現実的にどう対応するかを考えよう。
まず、こちらの手札を明かそう。
審問会派としては、ケイラスとエミルの捕縛を、できるかぎり実現したい。これは異端討伐としても、政治的課題としても、極めて自明な任務だね。
その上で、ハルナ君の安全も、可能な限り確保したい。本人としては不本意かもしれないが、彼女がシャレット家の人間であることは、動かしようのない事実だ。本件は政治的に見て非常に難しくなることが確実な案件なだけに、不安定要素を増やすのは極力避けたい。
だがこの2つに優先順位をつけるなら、ケイラスとエミルの捕縛が優先される。ハルナ君は――それを言えば僕やカナリス君もそうだけど――しょせんは審問会派の現場担当で、その死は起こるべくして起こることでしかない。
さて、以上が前提条件だ。シーニー君なら、これをどう読み解くかな?」
話を振られたシーニーさんは、しばし悩んでから、答えを出した。
「ハルナ3級審問官を、前線司令部付きの補佐とします。
今回の作戦は、これまでになく複雑なオペレーションが必要です。私としてはライザンドラさんに補佐に入ってほしいくらいです。でも戦闘訓練を受けていない人間を前線司令部においておけるほど、安全な作戦ではありません。
ですので、ハルナ3級審問官に、私の仕事をお手伝いして頂きたく思います。
前線司令部からハルナさんが略取されるような事態というのは、つまり司令部が敵によって襲撃され崩壊しているという状況ですから、作戦が根本的に間違っていたということになります。
――これでいかがでしょうか?」
シーニーさんの提案にパウル1級審問官は強く頷き、周囲を見渡した。彼の視線にあわせるように、カナリス特捜審問官が、ザリナさんが、そして渋々とハルナ3級審問官が、賛意を示す。
それを見て、パウル1級審問官は大きく1度、手を叩いた。
「よし、ならば本件はこれで決着としよう。
さて、では次の議題に行くぞ」
会議はなおも続き、深夜の鐘が鳴ったところで、旅の疲労が抜けきっていなかった私は不覚にも船を漕ぎ始めていた。統一会議の皆が「司祭はお休みください」と言ってくれたその言葉に甘え、私はナオキ商会の応接室に仮設されたベッドに倒れ込むと、そのまま夢も見ずに眠った。




