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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
主よ、主よ、なぜあなたはわたしを見捨てられたのか
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アルール歴2181年 11月8日(+12日)

――ユーリーン司祭の場合――

 運命は流転するとは言うが、この数年の流転っぷりは神の僕たる私ですら思わず天に嘆き節のひとつでも届けたくなる華々しさだ。


 かつて私は、人の世の営みよりも、神が定め給うた世界の摂理のほうに、より関心を抱いていた。より正確に言えば、人の世の営みを嫌悪し、世界の摂理の探求に没頭することに慰めを見出していた。

 だから私の人生における最大の試練は帝都において開催された八百長含みの教理問答であり、そこで規定の台本に逆らって貴族のボンボンを論破したのが我が一生の頂点だったと、長らく信じてきた。

 その愚かな選択の代償として霊峰サンサを望む辺境に飛ばされた私は、数年と待たずに肺炎でも起こして天に召されるだろうという漠然とした思いを抱きながら、日々の勤めをルーチンワークで果たしてきた。言い換えれば、自分が死ぬその日だけを、待ち望んでいた。


 だがそこにナオキが現れ、大昔の記録の中にしかなかった〈貧者の儀式〉を復活させ、さらには奇想天外な方法で安価な聖書の生産を成功させた。

 私もまたその改革のなかにあって、恋であるとか、憎しみであるとか、愛であるとか、あるいは避けがたい別れであるとか、そういった教理の最も基本となる概念を問い直され続けるような日々を送ることとなった。

 薄暗い懺悔室の中で若者の恋の悩みを聞き、浮気性な(モテる)旦那に対する愚痴(のろけ)を聞き、「お母さんは何も悪いことをしていないのにどうして死んでしまったんですか?」と一直線の問いを投げかけてくる童女と相対するうち、私は人の世の営みの美しさに気付かされた。

 人間は――人が生きるということは――こんなにも不確実で、こんなにも再現性がなく、こんなにも非理論的で、けれどその混沌の果てには、確かに神の真理と愛がある。


 そういった発見と驚き、そして神の愛の深さを再確認するような充実した毎日は、それと同時に、私という卑小な人間の、最も腐った部分をえぐり出すような毎日でもあった。


 私の直接の上司であるケイラス司祭はそもそもが堕落した司祭だったが、彼は教会が定める禁忌である麻薬の密輸に関与するのみならず、異端思想による汚染ないし異端そのものであることを疑われている――いや、もはや事実上、実証されている。


 私はニリアン領に異端の侵入を許したつもりはないし、こればかりはボニサグス派の誇りにかけて断言もできる。審問会派はナオキすら異端として疑っているようだが、ナオキがまだ行っていないことについてはともかく、ここまでやってきたことに関しては、聖書や使徒伝、あるいは歴代の大会議における議決に照らして、異端と呼べる行いは介在していない。


 けれど、よりによって上司たるケイラス司祭が異端に染まっていたとなると、どうしようもない。

 なにしろ異端とまでは言わなくとも、司祭資格の剥奪くらいならいつ申し渡されても不思議ではなかった男だ。「あなたはなぜ上司の腐敗を告発しなかったのか」「もっと早めに動けていれば、ここまで状況は悪化しなかったのではないか」と言われてしまえば、抗弁のしようもない。

 私にできることと言えば、ケイラス司祭は異端なのではなく、異端者と勇敢に戦った末に強引な手段で思想汚染を受けたのであることを神に祈るという、この世で最も卑劣な祈りだけだ。


 ――という複雑きわまる毎日を過ごしていたら、今度は突然の栄転が舞い込んだ。


 ダーヴの街で長らく副司祭を勤めてきたラグーナ副司祭が殺されたので、ニリアン領とダーヴの街の司祭を兼任せよという命令が審問会派から届いたのだ。

 この命令書を見たときは、ニリアン卿の御前だというのに「勝手なことを言いやがって!」という下品な悪態を漏らしてしまったが、かといって引き受けないわけにはいかない。サンサ教区における第2位の司祭が私であるというのは事実なのだし、こうして悪態をついてる瞬間にも人は生まれ死んでいく。生まれた赤子を洗礼し、死にゆく人の告解を聞く司祭がいなければ、ダーヴの街における信仰の根底を損なってしまう。


 かくしてダーヴの街を本拠地として、時折ニリアン領に戻る(ニリアン領には竹簡聖書製造に興味を持った学者系僧侶が多数逗留しているので、実のところ私がいなくても神事や説法には事欠かない)という、ハードな二重生活が始まった。


 移動だけでもクタクタになるこの生活の中で、さらに疲労度を高めるのが審問会派との打ち合わせ(・・・・・)だ。


 審問会派は帝都からパウル・ザ・バットマンを呼んで、ダーヴの街に潜む異端者を掃滅する準備を整えている。しかもなんとも嫌らしいことに――いやそのハルナ3級審問官もカナリス特捜審問官も人間としては尊敬すべき人々なのだが――彼らはナオキを事実上の人質にすることでナオキ商会と赤牙団を傘下に収めているから、戦力は十分というわけだ。


 とはいえ急ごしらえの大所帯だけに、ほとんど毎日のように会議が開かれることになる。

 当たり前のことだが、審問会派とナオキ商会(+赤牙団)では符丁も違えば用語の概念も違う。泥沼での戦闘中に帝都出身の指揮官が匍匐前進(クロール)を命令したら、地方の港町出身の兵士たちが一斉にクロール泳ぎを始めたなんていう笑い話は、実は笑い話ではなかったりするのだ。


 で、だ。


 そういう致死的なギャップを埋めるために、会議が必要になる。

 大事なことなので思わず繰り返してしまったが、会議は絶対に必要なのだ。

 そしてその会議にダーヴの街の司祭が臨席するというのも、必要なことなのだ。


 ――ああクソ、会議なんていう概念を作った人間はきっと悪魔の使徒なのだから、審問会派は会議という行いそのものを異端認定すればいいものを!


 愚痴はさておき、実を言うと私としては、目の前で日々激論が交わされる「サンサ教区およびダーヴにおける異端に対する共同戦線統一会議」(面倒なので以後は統一会議と呼ぼう)に限って言えば、そこまで忌々しく感じているわけでもない。


 なにしろこの会議は、メンバーがいい。ハルナ3級審問官にライザンドラさんを筆頭に、カナリス特捜審問官、ザリナさん、シーニーさんと、頭の切れるメンツが揃っている。あまり認めたくはないが、コウモリ野郎(パウル)も噂通りに頭のキレはいい。

 会議という儀式にありがちな、ただ自分を大きく見せたいだけの奴とか、上司に賛成するだけの奴とか、相手の意見をはなから聞く気がない奴とか、その手の馬鹿は統一会議には出席していない。

 けれどメンツが良すぎる(・・・・)というのもまた困ったもので、たぶん頭の回転数という点では最も性能が悪い私にしてみると「え、今ので終わりなんです? 何が決まったんです?」みたいな気持ちを抱いたまま会議が終わったり(深夜12時の鐘を鳴らして、1日で最初の祈りを捧げる頃になってようやく理解できることが多い)、酷い場合はナオキ商会に到着するや否や「今日は会議しても意味がないので会議はしません」とか言われたりする。いやその会議がないのは良いことだけど、だったら今日は会議を開かないという情報をもっと早めに……。


 ともあれどんなにメンバーが良い会議だと言っても、統一会議に出席するというのは、帝都における最も下らない会議に出席するのと同じくらいには、疲弊する。


 なにせこっちは日がな一日、「ケイラス司祭が異端だっていう噂ですけど司祭代理に洗礼を受けたうちの子は大丈夫なんですか!?」と血相を変えて駆け込んでくる親御さんとか、「ケイラス司祭が異端だっていう噂ですけど司祭代理に告解を聞いてもらったうちの爺さんの魂はちゃんと天国に行けたんですか!?」と血相を変えて駆け込んでくる若旦那さんとか、そういう完全に同じ理由で真剣に悩んでいる信徒の方々に対して、「大丈夫ですよ」という一言をそれぞれの皆様が納得できる言葉で説明するという、信徒の方々には本当に申し訳ないが気の滅入るようなタスクをこなしているのだ。

 そんな感じで昼食も夕食もろくに食べられないまま気がつくと夜の祈りの時間になって教会の一般礼拝時間(えいぎょうじかん)が終了すると、今度は教会付き修道院の修道士たち相手に夜の祈りと問答(しかもここでも論点はフランシス説ばっかりで死にそうになる)があって、それが終わったらナオキ商会に向かう装甲馬車の中でサンドイッチを貪るように食べてから、一日で一番タフな会議に参加する。

 うん、やっぱりこのスケジュールには、どこか無理がある。


 何か適当な言い訳を作って会議に欠席するという方向性も、あるとは思う。実際、ハルナ3級審問官やライザンドラさんは「ご無理はなさらないでください」と言ってくれているし。

 でも世紀の才能が集う統一会議に参加するというのは、非常にリフレッシュできる時間でもある。やはり私はどこまで行ってもボニサグス派であり、知と真理こそが最大の喜びにして憩いなのだ。


 かくして私は今日も迎えの馬車に乗り、統一会議の場に向かう。


 たとえ統一会議の果てにケイラス司祭の逮捕と審問があり、そしてその帰結として私の運命が完全に閉ざされるとしても、それでもなお私はその運命を避けるためではなく、その運命がいかなる経緯で導かれ、それを導く知の働きがいかなるものであるかを知るために、きっと明日も会議へと向かう馬車に乗るだろう。


 そんなことを漫然と考えているうちに、馬車が停まった。

「回廊確保、よし!」「狙撃の射界、なし!」と、赤牙団の人たちがキビキビとした大声で安全確認の呼びかけを交わしていく。

 その声を装甲馬車の分厚い装甲板ごしに聞きながら、私はいつものように小さな声で祈った。


 ――天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ。

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