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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
嘘も100回言えば真実になるなら、真実とは何か
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アルール歴2181年 7月29日(+10時間)

――ハルナ3級審問官の場合――


 アサイチにねじ込んだニリアン子爵との交渉は、ほぼほぼ予想通りの展開だったと言える。


 現状、私たちが抱える最大の問題は人的リソースだ。師匠と私の2人だけでできることには限りがある。

 帝都の審問会派本部に向けて援軍の要請は出したけれど、手紙が届くまでに平均で15日。それから審問会派内部での審議が始まって、結論が出るまでに7日前後。増援が遠征の準備を整えて帝都を出発し、最速の便を乗り継いでダーヴの街に(より正確にはニリアン領に)到着するのに、50日程度。

 ざっと80日くらいの間、私たちは2人だけでダーヴの異端を調査する必要がある。そのうえナオキさんの監視までするとなると、これはもうまったく無理だ。


 というわけで師匠と激論を交わした末、「困難は分割すべきだ」という師匠の見解を統一方針とした私たちは、まずはナオキさんの監視を万全なものとすることを現実的な目標として設定した。

 つまり、私たち自身がナオキさんの監視をするしかないなら、ダーヴの街の本格的な調査は諦める。ナオキさんを監視しなくても済むなら、ダーヴの街での調査を続行する。

 ニリアン卿が怒りに飲まれて「ナオキを保護下に置く」などと言い出したのであればもっけの幸い、異端審問における重要参考人であるナオキさんを審問官から奪い取った――つまりは異端との戦いを妨害した――ニリアン領に対し、審問会派から正式な沙汰を言い渡せばカタ(・・)がつく。あとは「ニリアン卿に判断を誤らせた元凶」として、ナオキさんがニリアン領で主導してきた各種改革を異端認定してしまえば、ナオキさんは正式に異端者として地下に潜るしかなくなる。詰み(チェックメイト)だ。


 ニリアン卿との交渉は実にテクニカルな交渉となったけれど、ニリアン卿とて所詮は(・・・)貴族。どんなに野蛮な時代の習慣を色濃く受け継いでいる騎士と言えども――むしろそれだからこそ――こちらの誘導路にすんなりと乗ってくれた。

 ああいう高潔で峻烈な硬骨漢を地位だのカネだので動かすのはまず不可能だが、名誉をつつけば容易に動揺する。これは私が幼い頃、悪意と敵意にあふれる貴族社会を泳ぐにあたって身につけた、貴重なノウハウだ。


 実際、さすがに「ナオキを我が領民として保護する」と言い出すほど耄碌はしていなかったニリアン卿だが、それでも自分が激しい動揺を乗り越えて最高の選択肢(・・・・・・)を見い出し、そしてそれを勝ち取った(・・・・・)ことには、疑問を抱かなかった。というか、ニリアン卿ほどに頭の切れる人物であっても、こうやって「困難を乗り越えた自分が見い出し・自分が選択し・自分が勝ち取った」結論に対しては、その価値を無条件に認めてしまうのだ。

 ナオキさんの監視を維持するというのは、決して簡単な仕事にはならないだろう。けれど自分でその結論を掴んだニリアン卿は、ナオキさんの監視に執着する。そしてそれは、私たち審問会派にとって、望ましい展開のひとつだ。


 ――まぁ、簡単に言えば、アレだ。おじいちゃんがよく口にしてた「Win-Winの関係」ってやつだ。多分。


 ともあれ、そんなこんなでその日の昼にはニリアン卿直属の配下がナオキさんの監視を行うこととなった。

 直属の配下といってもニリアン領は屯田兵制で兵士を維持しているので、村長一家およびその親類から腕っぷしが強い若人たちを急ぎ招集した、といったところ。ナオキさんが外部の人間と会話したり、書類をやりとりしたりといったことがないよう、24時間体制で厳重な監視を行うという程度であれば、まあ一ヶ月くらいはバッチリ守りきってくれるだろう。それ以上は、なんのかんので素人でしかない彼らに緊張感を維持させるのは無理だと思ったほうがいい。

 そのあたりはニリアン卿も分かっているはずだから、上手くローテションを組んだりご褒美を出したり見せしめ的な叱責をしたりしてコントロールする予定、といったところか。こればかりはこちらから口を挟む権利のないこと(世俗の軍の指揮権は、世俗の支配者が有する)なので、卿の采配にお任せということになる。


 その後、ニリアン軍にとって最初の任務となった「ナオキさんに昼食を渡し、食べ終わったあとの食器を受け取る」は無事完了。その後も午後3時のお茶の差し入れ、夕食の受け渡しなどを経て、ニリアン軍は少しずつ仕事に慣れ始めたようだった(夕食のときにはわざわざ師匠も視察にやって来て、「思ったよりずっとしっかりしているな」とコメントして現場の兵士たちに敬礼されていたりもした)。


 でも、イレギュラーな事態は、イレギュラーだからこそ、イレギュラーに発生する。

 そろそろ消灯時間という頃になって、ライザンドラさんが訪問してきたのだ。


 ナオキさんが保護(・・)されている教会の宿坊にやってきたライザンドラさんの姿を一言で表現すれば、「圧倒的」だった。

 完璧に体にフィットした黒いドレスは、一歩引いた奥ゆかしさを表現する生地とディテール(あえていえば「古臭くて退屈な素材」)をあちこちに使いながらも、時代の最先端を遥かに通り越した孤高の美を体現している。唯一、誰にでも分かる先鋭的なディテールとなる、足首が見えるくらいに短くカットされた裾は、扇情的なのに少しも下品さがない。

 蝋燭の薄暗い灯りの下で艶かしく光るプラチナブロンドの髪は、首筋がはっきり見えるくらいにザックリと刈り込まれている。ライザンドラさんと初めて会ったときの第一印象は「この髪をショートカットにするのはもったいないなあ」だったが、本来は今くらいの長さでカットされていたのが自然に伸びた結果なのだろう。カットが自前のせいか、やや粗も見えるが、それでも神話の時代に幾度か顕現したという戦乙女もかくやという面持ちだ。


 完璧に武装(・・)してきたライザンドラさんを前に、夜番の兵士たちは完全に硬直してしまっている――かくいう私も出会い頭で一瞬圧倒されたのだから、彼らでは太刀打ちできまい。

 なので僅かなりともペースをこちらに引き戻すため、私はあえて軽い言葉を選んでライザンドラさんに声をかけた。


「サンドラお姉さま、こんな夜更けに何の御用ですか?

 ご存知かと思いますが、ナオキさんとの面談にはニリアン卿の許可が必要ですよ?

 そりゃまあ、見張り番で退屈しきってるハルナの気を紛らわせるためにお喋りに来てくれたんだったら、すっごく嬉しいですけど」


 ライザンドラさんは瞬くような笑みを口の端に浮かべると、素早く切り返してきた。


「ニリアン卿のご許可は頂いています。

 なので必要な許可はあと1つ、審問会派からの許可だけです。

 ナオキさんと面会するご許可を頂けませんか?」


 むう、既にニリアン卿は陥落済みか。卿はライザンドラさんには特に甘いから仕方ない。たぶん孫のレイナ嬢よりも、ライザンドラさんのほうを甘やかしてる。

 とはいえ、ニリアン卿だって馬鹿じゃあない。こんな完全武装で、何かをしでかす(・・・・)気マンマンのライザンドラさんに面会許可を出すだなんて、常識的に考えればあり得ない。

 そんな疑問を見透かしたように、ライザンドラさんは落ち着いた声で面会の付帯条件を明かした。


「ニリアン卿には、ナオキさんとは一切コミュニケーションをしない、何も渡さない、何も受け取らないという条件で、ご許可を頂きました。

 ご心配であれば、室内の灯りを消し、私は灯りがついたままの廊下で、開いた扉越しの面会でも構いません。ハルナさんやザリナさんと違って、私はそこまで目が良くはありませんから」


 なるほど。明るい廊下から真っ暗な室内を見れば、相当に夜目が効く人でも細部を判別するのは困難だ。ナオキさんがジェスチャーなどでライザンドラさんに何かを伝えようとしても、ナオキさんがよほど大きな身振りをしない限りは、正確な伝達は難しいだろう。「ベッドの上に寝転んだら○○の合図」みたいなわかりやすい符丁があったとしても、その程度で伝わる大雑把な指示ならザリナさんを交えて行った警備の打ち合わせの段階で伝達できているはずだ。


 とはいえ、この(・・)ライザンドラさんをナオキさんに会わせるのには、抵抗がある。

 でもニリアン卿が許可している以上、私が許可を与えないなら相応の理由が必要になる。そしてこの条件で面会許可を出さない合理的で説得力のある理由は、すぐには思いつかない。

 敗色濃厚だなーと思いながら悩んでいると、ライザンドラさんはダメ押しに出た。


「今のナオキがどのような状況に置かれているのか、私も理解しております。

 ひどく簡単にいえば、今のナオキは明日も生きているとは限らない状況です。

 私にとって、ナオキは大恩ある人です。ダーヴの街の娼館で朽ち果てようとしていた私を拾い、再び生きる希望を与えてくれたのは、ナオキなのです。

 私がいま着ているものは、ナオキが初めて私に買ってくれたドレスです。彼に取り返しのつかないことが起こる前に、この姿を見せたい。それが恩返しになるかどうかはわかりませんが、あなたのおかげで私はここまで来れたということを、彼に伝えたい。

 お願いします。一度だけで構いません。面会を許可してもらえませんか?」


 これは、やられた。

 見張りの兵士たちは、ライザンドラさんの容姿に圧倒された挙句、彼女が語った叙情的なストーリーに魅了されてしまっている。ここで「ダメです」と言おうものなら、ニリアン軍と審問会派の間にのっけから亀裂を作ってしまう。

 だから私は小さく両手を上げ、降参の意を表するしかなかった。


「わかりました。サンドラお姉さまがニリアン卿に示された条件そのままで、面会を許可します。

 あー、室内の灯りは消さなくていいです。一応まだ消灯時間前なんで、面会が終わったら火を入れなおさなきゃいけませんし。いやほら、消したままでもいいよねーって思うんですけど、消灯の報告をユーリーン司祭にしなきゃいけないですから……あの人、この手のルール破りにはめっちゃ厳しいですし」


 面会を許可するしかない以上、こちらとしてもナオキがどんな反応をしたかをしっかり確認しておく必要がある。「部屋の灯りを消す」というのは、実のところこちらにとって不利な提案でしかない。というわけで、適当な理由をこじつけて部屋の消灯は拒否。

 ライザンドラさんは「ありがとうございます」と私に向かって深々と一礼し、それから私のエスコートでナオキさんが監禁されている部屋の前まで向かった。


 扉をノックし、「ナオキさん。ライザンドラさんが面会に来ました。取り決めどおり、お会いになる場合は1分以内に内側からノックを2回。会わないのでしたら反応していただかなくて結構です」と室内に向かって告げる。


 しばらくの間、室内からは何の動きも感じられなかった。

 これはもう寝ているのかな? と思うくらい、静かなままだ。


 でもあと10秒で面会はキャンセルになるというところで、ドアの内側からコツコツとノックの音がした。内心で舌打ちしつつ、私は外鍵を開け、「ドアを開けますね」と宣言してから、ゆっくりと扉を部屋の内側へと押し開ける。


 扉を開けると、ナオキさんは小さな部屋の一番奥にしつらえられたベッドに腰掛けていた。


 もともとしょぼくれた雰囲気の男だけれど、薄暗い灯りのせいか、いつにも増して彼は小さく(・・・)見えた――有り体に言えば、彼は何かに怯えていた。

 恐怖と怯え、後ろめたさ、後悔、自分ではどうにもならない二律背反の思い。

 その類の感情が、彼を完全に支配していた。


 そんなナオキさんの前に、ライザンドラさんは立った。


 圧倒的に、立ってみせた。


 励ますでもなく、不審がるでもなく、心配してみせるでもなく。

 ただ、立ってみせた。


 2人とも、まるで無言だった。

 この世には言葉など存在しないかのように、まったくの無言だった。


 だがそれでも――私は確信した。

 言葉だの、符丁だのは、この2人の間には必要ない。


 かつて、おじいちゃんは言っていた。

「人間、追いつめられれば、体だけで密談するようになる」。

 その言葉を聞いたときは謎めいた訓話だなあと思って聞き流してしまったけれど。

 あれは謎めいた訓話などではなく、純粋な事実の陳述だったのだ。


 やがてライザンドラさんはナオキさんに一礼すると、私に対しても無言で一礼した。

 面会はこれで終わりなのだと悟った私は、なるべく静かに部屋の扉を閉め、施錠する。扉を閉める直前にちらりと見たナオキさんは相変わらず何かに怯え苦しんでいて、その恐怖と苦悩はより一層深まったようだった。


 ああ。

 いったい今の瞬間に、何が伝わったというのだろう?


 いや、違う。

 あの無言の時間に、ライザンドラさんは何を告げた(・・・・・)というのだろう?


 ――やはり、この2人を面会させるべきではなかった。


 私はため息を押し殺しながら、自分の選択を激しく後悔する。

 師匠と私は、抜本的なミスをしている可能性がある。

 私たちは、ザリナさんこそがナオキさんの右腕であると信じてきた。

 ライザンドラさんはニリアン領における改革を円滑に進めるためのスタッフであり、その能力には驚嘆すべきものがあるが、それ以上には具体的なオペレーションに関与していないと推測してきたのだ。

 そして事実、彼女はナオキさんにとって「相棒」でも「スタッフ」でもない可能性がある――適切な言葉はすぐには思いつかないが、例えば……そう――偶像(アイドル)


 そんな思考を巡らせながらライザンドラさんを教会の外までエスコートしていこうとしたそのとき、扉を隔ててナオキさんの大声が響いた。


「エミルだ! エミルを探すんだ!

 エミルがいるところに、ケイラスもいる!

 ケイラス最大の弱点は、エミルだ!

 ケイラスがどんなに上手く隠れようが、エミルは必ず尻尾を出す!

 エミルはけっして、潜んでいられる人間じゃあないんだ!

 エミルだ! エミルを探せ! エミルを探してくれ!」


 とんでもない違反行為に、思わず私もライザンドラさんも足を止める。

 互いに見合わせた顔は、同じくらいに渋い表情だったと思う。


 ライザンドラさんはため息をつくと、軽く天を仰いで、呟く。


「今のナオキの言葉は、聞かなかったことにします」


 私もまたため息をついて、天井に視線をやりながら、呟く。


「私はそういうわけにもいきませんから、師匠とニリアン卿に報告します。

 もちろん、『今の(・・)言葉については聞かなかったことにする』という発言も含めて報告しますよ、ライザンドラ・オルセン」


 私の言葉に、彼女もまた、こう答えた。


「そのようにお願いします、ハルナ・シャレット」

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