アルール歴2181年 7月20日(+1日)
――ハルナ3級審問官の場合――
師匠と2人で死を覚悟したその翌日もまた、朝からのサプライズで1日が始まった。ナオキさんが「ケイラス司祭から送られてきた手紙」を、私たちにこっそりと公開したのだ。しかも「ちょっとした気分転換に、近所のカフェで一緒にメシでも食いませんか」と誘われた、そのカフェの個室で。
少し寝不足気味のナオキさんは「まったく面目ない話なんですがね」と言いながら、事情を説明してくれた。
なんでも執務室に誰もいなかった一瞬のタイミングを狙って、ケイラス司祭からの手紙が机の上の置かれたという。些か信じがたい話だが、ザリナさんが「事務所の警備責任者とも話し合ったが、侵入者があったとは考えにくい。内通者が紛れ込んでいる可能性が高い。なるべく生かして捕らえたいので、協力を願いたい」と言ったその言葉には圧倒的な説得力があった――ナオキさんの愛人であり直属の護衛でもあるザリナさんは、パートナーが暗殺され得る状況を許したことに対し、マジで怒り狂っている。
ザリナさんが示した「内通者の炙り出し」は、古典的ながらも確実な方法だ。なのでそれについては師匠も二つ返事で協力を受け入れた。
一方で手紙の内容に関しては、師匠も私も大いに疑念を抱くしかない説明だった。最初に声を険しくしたのは師匠だ。
「まず2つ、確認すべきことがある。
1つめ。これは実に迂遠ながらも、『ナオキ君が大量の嘘をついているということを自分は知っているぞ』という、ケイラス司祭からの脅迫状と理解できる。そしてまた、君がこの手紙を私に見せるしかない以上は、脅迫状にして告発状であるとも言える。
この点について、君の弁明を聞こう」
ナオキさんは「ですよねぇ」とボヤキつつ、頭を掻いた。
「最初にはっきりさせておけば、確かに俺は嘘をついたことが何度もあります。まぁ100回なんてもんじゃあないですね。
ご存知かと思いますが、俺はダーヴの賭博王と呼ばれてます。まったく嘘をつかない聖人君子が頂けるようなあだ名じゃないってのは、言うまでもないでしょ?
商売人としては、できるかぎり誠実にやってきたつもりです。商売ってのは何より信頼が大事ですからね。ただまぁ『賭博王』ってあだ名のせいで、こっちは最善を尽くし、取引先もそれで納得してるんだけど、街の噂としては『賭博王ナオキが商売でもまたカモから巻き上げたらしい』って噂になっちまったってことは、それこそ無数にあります」
師匠が少しイラつきながら、「要点を言いたまえ」と先を促す。ナオキさんは師匠に向かって、慌てて何度も頭を下げた。
「すみません。要は俺は、成り上がる段階であるとか、商売の都合であるとか、そういう段階でいくつも嘘ないし嘘と判断されてしまうような言葉を吐いてきました。そしてケイラス司祭とも取引はありましたから、彼が俺のことを嘘つきだと思っていたとしても、申し開きようはないです。あとなんだ、まあ、ちょっとばかり彼をカモったのも事実です。
ただダーヴの街での事業をマダム・ローズに預けて、ニリアン領のお手伝いを始めてからこのかた、ケイラス司祭との接触は1度しかありませんでした。
すごく簡単に言うと、商売相手としては、とてもじゃないけど付き合いたくない相手だったんですよ。なのでこっちとしては、教会に払う税金だの寄付金だのを払ったら、それっきり敬して遠ざける扱いでいくってのが方針でした。
で、ですね。カナリス審問官とお話をしている範囲で言えば、カナリス審問官に嘘をついたことはありません。ていうか、カナリス審問官に嘘を言っても、見抜かれるでしょ? 俺も仕事柄、話し相手が嘘をついているかどうかをチェックする癖がありますけど、カナリス審問官も俺の目線とか仕草とかを非常に丁寧にチェックされている。そのチェックを欺ける自信なんてありませんよ」
やや見過ごせない発言があったので、あわてて私はナオキさんの長口上を遮った。
「ちょっと待ってください。
いま『カナリス審問官と話している範囲で言えば』って言いましたよね?
ってことはなんですか、私には気楽に嘘をついていた、と?」
ナオキさんは苦笑いしながら、素直に頷いた。
「そりゃあ、気楽な範囲で言えばいくつか嘘をついてますよ。『昨晩はザリナさんとお楽しみでした?』とか聞かれて、素直に『はい、とても』と答えたことはないです。
ただそういう社交辞令の範囲を越えた嘘をついたことはないと思いますね」
私としては今少し追求したいところの残る証言(いつぞや『貧乳は希少価値と言う地方もあります』とか言いやがったあれも社交辞令の範囲の嘘ってことですかね!?)だが、師匠はナオキさん同様に苦笑しながら私の肩を叩いた。
「ハルナ3級審問官。君は人間を観察するスキルを磨く必要がある。
ともあれ、今のナオキの証言に嘘はなかった。君は少なくとも私に対しては嘘をついていないし、ハルナ3級審問官に対しても社交辞令を越えた範囲の嘘はついていないという言葉を、私は信用する。
それゆえに、次の点についても君の正直な答えを期待する。手紙は『同志ケイラス』と結ばれているが、君とケイラス司祭の間には同志と呼ばれるような紐帯があるのか?」
ナオキさんは「そこなんですよね」と呟きつつ、また頭を掻いた。
「俺の視点から言えば、ケイラス司祭は同志なんかじゃあありません。絶対に違う。あんな奴と志を同じくしているだなんて、冗談じゃない。
でもまぁ、ケイラス司祭から俺を見ると、同志だと思われる理由があるんでしょう。彼の目から見ると、彼と俺は同じような立場にいるように思える、的な」
師匠は再び鋭い視線をナオキさんに向けた。
「また2つ、聞かねばならん。
まず、君はなぜケイラス司祭をそこまで嫌う?」
ナオキさんは「奴がまったく尊敬できない坊主だってのは、それだけでひとつ大きな理由ですが」と前置きしながら、渋々といった感じで証言を続けた。
「ケイラス司祭が麻薬に関係しているのは、ほとんど疑いがないでしょう?
俺は麻薬が嫌いなんです。大嫌いだ。あんなものを使うのは、人間として間違ってる。最低の人間がやることですよ」
そこでふと言いよどんだナオキの背後から、ザリナさんが口を挟んだ。
「――護衛の立場で発言するのを許してほしい。
ナオキは、最初の恋人を麻薬で失っている。麻薬中毒患者に恋人を殺されたんだ。願わくば、その部分にはあまり深く立ち入らないでもらえるだろうか? もしどうしてもそこに関する証言が必要だというなら、教会の懺悔室をお借りしたい。それくらいは要求してもバチはあたらないと思う」
師匠はザリナさんをしばらく睨みつけていたが、やがてナオキさんに視線を戻すと「すまない。仕事とはいえ踏み込んではならない領域だった。謝罪する」と言って頭を下げた。あわてたようにナオキさんも師匠に向かってペコペコと頭を下げる。
「さて、では最後の1つだ。
ケイラス司祭はなぜ、君を同じ立場の人間だと考えた?
それに対して君はどのように推測する?」
ナオキさんは「うーん」と一言唸ってから、少し考え込んでいるようだった。考えているというか、言葉を選んでいる、という様子だ。けれどすぐにナオキさんは証言を続けた。
「一応、それについても昨日からずっと考えてたんですけどね。
たぶん、なんですが。その手紙に書いてある『嘘も100回言えば云々』ってやつが、その答えなのかなって。
俺にも師匠がいるんですが――ああ、もう師匠は死んでますけど――師匠が昔、俺にこの『嘘も100回言えば真実になる』って言葉を教えてくれたんですよ。正確に言うと、もうちょっと違うんですが。えっと、そこも詳しく話したほうがいいです?」
師匠が頷くより先に、私が強く頷いて話の先を促す。ナオキさんは急に私がしゃしゃり出てきたことに少し驚いたようだったが、素直に続きを話し始めた。
「まず、ですね。『嘘も100回言えば真実になる』って言葉は、その手紙にも名前が出てるゲッベルスって男が言ったことになってますが、そもそもこれが嘘です。ゲッベルスはそんなことは言ってません。
ゲッベルスが言ったのは『大きな嘘を何度でも繰り返せば、最後には人はそれを信じるだろう』です。100回とは言ってないし、大きな嘘に話を限定してるし、『人はそれを信じるようになる』であって『真実になる』とは言ってません。
要は話が伝わっていく中で、そのゲッベルスって男の発言がねじ曲がって、いつの間にか嘘が本当のこととして残っちまったんですね。よりによって、嘘について語ってる言葉なのに。
で、ですね。ちなみに言うと、この『大きな嘘を何度でも繰り返せば、最後には人はそれを信じるようになる』ってのも、完全に本当のことではありません。例えばですけど、ニリアン領の農民たちに『サンサの山には雪なんて積もってない』と何万回言っても無駄です。人間、何が正しいことかをちゃんと知ってれば、そこで何度嘘を言われても『馬鹿が馬鹿なことを言ってる、馬鹿じゃないの?』で終わるんですよ。
もっともこれってのは逆に言うと、何が正しいか不確かな連中に向かって何度でも嘘を言えば、彼らはやがて嘘を信じるようになるってことでもあるんですが。そのあたりはまあ、異端審問官の皆様に言うだけ無駄というか、プロに向かってお説教するなんて恥ずかしい限りです。
ともあれ、こんなわけで『嘘も100回言えば真実になる』ってのは、かなりマイナーな勘違いなんですよ。俺の師匠も『この手の戯言に付き合うな』って俺に厳命してましたし。
でもどうやら、ケイラス司祭はこの勘違いをどこかで耳にして、それを真に受けてしまったんでしょう。もしかしたら俺の師匠のことも知っているのかもしれない。それで一方的に俺のことを同志だと思ってるのかな、と」
私は必死に興奮を押し殺しながら、ナオキさんに質問をぶつけた。
「ナオキさんの師匠は、なんというお名前ですか?」
ナオキさんはまた少し戸惑ったようだが、私に向かってあっさりと師の名を明らかにした。
「俺の師匠はホンジョウ・トモアキラと言いました。通称はホントモさん。
俺に博打と商売の両方を叩き込んでくれた恩人――叩き込まれてるうちは何度も死ねこのクソジジイと思いましたが、でも間違いなく大恩人です」
ホンジョウ・トモアキラ。あるいはホントモ。私はその名前をしっかりと記憶に刻み込む。と、私があまりに真剣な表情をしているのを不思議に思ったのか、ナオキが私に声をかけてきた。
「ええと。もし、話せるならでいいんですが。
俺の師匠に、心当たりでもありますか? 帝都の方に名前を知られているような、そんな立派な人間じゃあなかったんですが」
私はちらりと師匠を見て、師匠が小さく頷いたので、ナオキさんに向かって話せることを話す。
「私もその方のお名前は存じません。
でもいまナオキさんが言った『大きな嘘を何度でも繰り返せば、最後には人はそれを信じるようになる』という言葉は、近年において審問会派を大きく発展させた人物だったコーイン司祭が、幼い頃の私に教えてくれた言葉です。
ですからホンジョウ・トモアキラさんもまた、コーイン司祭と親しい方であった可能性は高いと思います」
ナオキは心底驚いたという顔で、ポカンとしたまま私を凝視していた。その驚愕に突き動かされるがまま、彼は不躾な質問を投げつけてくる。
「そ、その。コーイン司祭は、ええっと、多分ですけど、亡くなられているのですよね? ああクソ、なんとかして……生きているうちに会えれば……」
私は小さく頷くと、ナオキさんに残酷な真実を語る。
「11年前、コーイン司祭は啓示の解釈を間違った責任をとって、殉教しました。
コーイン司祭はシャレット家の入婿で、私の祖父にあたります。祖父はとても英明で、公平で、無私の人でした。私は祖父から多くのことを学び、祖父もまた私に学問や教理を教えるのを楽しみにしていたようでした――もっとも祖父は些か変わった喋り方をする人物だったため、私にも祖父特有の口癖がうつってしまいましたが」
私の言葉を聞いたナオキは、大きく嘆息した。
「――なるほど。まぁどう考えても俺の師匠はコーイン司祭のような立派な人間ではなかったですが、ともあれ俺にしてみるとまた1つケイラス司祭を嫌う理由が増えましたね。
『大きな嘘を何度でも繰り返せば、最後には人はそれを信じるようになる』ってのは、100%真実でないにしても、人間が持ってる弱点を簡潔に示した、危険な言葉です。その言葉をいい加減な形に変形させてインテリぶってるケイラスのような奴は、俺の師匠の名にかけて許せない」
勢い込んで語るナオキを、師匠が止めた。
「待ち給え、ナオキ。君の憤りは理解できるが、ケイラス司祭は未だに司祭だ。万が一、彼に対する君の個人的な怒りが、度を超えた形で具現化するようなことがあれば、我々は君もまた逮捕せねばならん。
そこについては、君のような人間であれば熟知していると思うがね」
師匠の言葉に、ナオキは陰惨な笑みを浮かべた。
「もちろん、存じていますよ。
なのでまずは俺の商会に入り込んだネズミを狩り出し、情報を吐かせます。
こっちについては、審問官様方にそのやり方のご指導をいただくつもりはありませんからね?」




