アルール歴2181年 4月27日(+4日)
――ユーリーン司祭の場合――
ナオキさんと一緒にダーヴの街に行ったはずのハルナ審問官が急行便を使ってとんぼ返りしてきた段階で、相当に大きな問題が起こったのだろうという予感はあった。
その予感は的中し、ハルナ審問官が帰ってきてから15分もたたないうちに、私はニリアン卿の執務室に呼び出されることとなった。
執務室に入ると、そこにはもういつものメンツがほぼ揃っていた(ナオキさんとザリナさんはダーヴの街だから、この場にはいない)。ニリアン卿はいつにない迫力を放っていて、その威圧感に気圧されつつも私はいつもの指定席に腰を下ろす。
「ご苦労、全員集まったようだな。
本日の招集は、ほかでもない。いまこの時刻をもって、ニリアン領は聖戦の開始を宣言する。以後、諸君らはそれを踏まえて行動して頂きたい。
ハルナ3級審問官、詳細の報告を」
聖戦!? 私は驚愕を隠せないまま、ハルナ審問官を見る。
普段のフランクな雰囲気を綺麗に消し去った彼女は、席を立つと落ち着いた声で報告を始めた。
「ダーヴの街に蔓延する麻薬の正体が、大麻樹脂であることが明らかになりました。
大麻樹脂は、およそ300年前にサンサ山に逃げ込んだ異端者たちが製造していた麻薬です。1898年の公会議で大麻樹脂の製造と所持は厳しく禁じられ、また同時にサンサ教区に対して大麻育成を封じる奇跡の降下を行った結果、それから20年ほどで大規模な大麻樹脂の取引は行われなくなりました。
ですがいま、改めて大麻樹脂の大規模な流通が確認されています。
これが異端と関係あるかないかは未だ調査が必要ですが、大麻樹脂の復活それひとつをとっても、世俗権力と教会が全面的に協力して掃滅すべき大事件です。
しかも今回は、大麻樹脂の流通経路に教会関係者の関与も疑われます。審問会派は、この方向でも厳格な調査が必要であると判断しました。既に帝都に対して増援の依頼は発せられており、遠からず最強の審問官が到着します」
私は思わず天を仰ぐ。サンサ教区の教会が大麻樹脂――大いなる異端の象徴とも言える悪魔の薬物――の復活と流通に関与している可能性があるとなれば、私もまた厳しい審問を受けることになる。
もちろん私はこんな大それた犯罪に関与していないし、己の潔白に自信もある。とはいえ「これほどまでに明確な異端的活動が、同じ教区で、同僚らを巻き込んで発生しているというのに、あなたはそれにまったく気づかなかったのか」と問われれば、己の不明と努力不足を恥じるほかない。
私は間違いなく更なる左遷対象となり、ようやく「私の信徒たち」と胸を張って言えるようになったこの村々とも今生の別れを強いられるだろう。
だが、それでも。
否、それだからこそ、私は最後まで己の義務に忠実でなくてはならない。
「ニリアン卿の発せられた聖戦の大号令、確かに拝領いたしました。
この会議が終わり次第、聖戦の祝福を行います。また日曜礼拝の機会をもって、領民に対する聖戦の祝福も行います。
それからハルナ3級審問官の捜査にも、協力は惜しみません。聖戦の祝福に必要な作業時間以外でしたら、ハルナ3級審問官の要請に対し最優先で対応いたします」
私の宣言に対し、ニリアン卿が重々しく頷く。
「ユーリーン司祭。日曜礼拝の前に、領民たちに布告すべきことがある。
あなたには、その采配もお願いしたい。
具体的に言えば、サンサ山への接近禁止令について、だ」
……なるほど。竹簡聖書の生産にあたって、サンサの麓に自生する竹の採取は必須だ。しかしサンサ山の異端との聖戦が宣言されたいま、資格を持った者でなければサンサ山への接近は厳格に禁止される。となると竹簡聖書の製造もまた、ストップするほかない。
ああ。
ようやく何かが成し遂げられようとしているのに、なぜ神はここまで重い試練を課せられるのか。
「勘違いがあるようだな、ユーリーン司祭。
もちろん儂はサンサ山への接近禁止令を発布する。
だが竹の採取活動を停止するとは言っていない」
完全に予想外の言葉に、私は一瞬、ニリアン卿が何を言い出したのか理解できずにいた。けれどすぐに、卿が何をしようとしているのかを把握する。
「――なるほど。竹の採取は、ニリアン卿が指揮する部隊が行うということですね。
確かにそれでしたら、あらゆる意味で安心できます」
ハルナ審問官もニリアン卿の計画に賛意を示す。
「審問会派もその方針に賛成します。
竹の採取が大きな利益をもたらす以上、これを無理に禁止しても、必ず禁令を破る者が出ます。自分たちだけでも竹簡聖書を作れるはずだと信じて。
そしてそれこそが異端者の望む展開です。彼らは竹の密漁と聖書の密造によって心に負い目を持った村人を、信仰汚染のターゲットとして選ぶでしょう。
また密猟者は単独行動することが増えますから、信仰汚染を狙うにあたって最高の条件が揃います。孤独以上に人の心を弱めるものはありません」
改めて、思う。普段のハルナ審問官は「ライザンドラお姉さま」にくっついてはしゃいでいる若い無邪気な娘でしかないが、それはやはり彼女の表向きの顔だったのだ。
最も古い派閥のひとつである審問会派が、千年以上かけて血と鉄と炎で鍛え上げてきた狩人の智慧を、当代きっての天才ハルナ・シャレットは完璧なまでに己のものとしている。
彼女は、最初にそう名乗った通り、異端審問官なのだ。
この日のために300年を耐え忍んできた武の家系の棟梁と、戦意を剥き出しにした審問会派。その2人を前にして、私は味方ながら恐ろしいと思うのと同時に、2人がまぶしく、羨ましく思えた。
論壇から追放され、すべての研究を破棄されたボニサグス派の私は、彼らがいま立っているような真の戦場に、二度と戻ることはない。
そんな私に向かって、ハルナ審問官は優しく声をかける。
「ユーリーン司祭。この戦いに、勝ちましょう。
司祭が何を心配されているのか、想像はできます。でも、こうも考えられませんか? この戦いに勝利し、そしてその勝利に司祭が貢献したとなれば、帝都の連中だってユーリーン司祭の功績を無視できません。審問会派は絶対に、そんな不誠実を許しません。
だから、ユーリーン司祭。一緒に戦いましょう。そして、勝ちましょう。
帝都の馬鹿どもを黙らせるくらい、圧倒的に、綺麗に勝ちましょう」
でもその言葉は、慰めにはならなかった。
私は我ながら陰惨な笑顔を浮かべながら、異端審問官に報告をする。
「残念ですが、私にとってそれは極めて実現困難な未来のようです。
実は前回の――4月15日の御前会議の直後、私はケイラス司祭に宛ててダーヴの薬物汚染を浄化するために何ができるかを相談する手紙を出しています。
最近のケイラス司祭はちゃんとダーヴの教会に常駐して、私が出す報告書にもマメに返信をよこしていましたから、この件についてもすぐになんらかの返信があると考えたのです。
実際にどの程度まで具体的な方針が示されるかどうかは疑わしいとは思っていましたが、少なくともエルネスト男爵の職務怠慢に対する遺憾の意の言質くらいは引っ張り出せるだろう、と。
ですが現状、未だにケイラス司祭本人からの返信はありません。
代わりにと言ってはなんですが、3日前にダーヴの副司祭からお手紙を頂きました――4月20日頃、つまり私の手紙が届いたであろう頃から、ケイラス司祭と連絡が取れなくなっているそうです。
もし万が一、直属の上司が異端に汚染されていたとなれば、私にも償うべき責任は発生します。そして浅ましいことに、今の私は、異端に汚染されていたケイラス司祭が危険を感じて逃亡したのではなく、私の手紙がきっかけとなって薬物汚染の調査に踏み出したケイラス司祭がなんらかの重大なトラブルに巻き込まれたことを願っています」
自分の内側に渦巻く最も醜く重たい部分を、必死の思いで吐き出す。
吐き出さなくては、そのずっしりとした醜悪さに、心が押しつぶされると思ったから。
ニリアン卿とハルナ審問官の顔を見ないようにするため、深々と礼をしながら、言う。
「私はこれで失礼します。聖戦の祝福は一刻を争いますから、準備をしなくては。
ライザンドラさんをお借りしてよろしいですか? 彼女にも是非、儀式の支度を手伝ってもらいたいのです」




