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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
嘘も100回言えば真実になるなら、真実とは何か
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アルール歴2181年 4月15日(+27日)

――ニリアン子爵の場合――

 厳しい冬の間に分厚い氷となった根雪もようやく片付き始め、風にも少し春の気配を感じる季節が来たというのに、執務室に集まった面々の表情は硬かった。もちろん私もだ。


 ことの起こりは2週間前。春の祝福にあたって領民たちにふるまう酒の手配のため、ダーヴの街にアラン君を遣いに出したのが話の始まりだ。いまダーヴの街は治安が良くないということでザリナ君が護衛を申し出たのだが、いくらなんでもそれは大げさだと断ったのが判断ミスの始まりだった。


 アラン君は乗合馬車に乗って無事ダーヴの街につき、いつも通りの酒問屋でワインを5樽注文した。支払いは私の書いた書状を担保とした一種のツケ払い(念のため言っておけば、払うべきカネはちゃんとある。酒問屋の店主がその書状をナオキが経営する店まで持っていけば、ナオキの部下がその書状を現金と交換してくれるという仕組みだ)だから、支払いでトラブルが起こることもなく、またアラン君としても大量の現金を持ち歩く危険を犯すこともなく、無事に取引は完了した。


 だがその夜、今度はアラン君が判断を誤った。

 彼にはよくよく「ナオキが経営する宿に泊まるように」と言っておいたのだが、指定しておいた宿の門構えと料金表を見たアラン君は、そこで腰が引けてしまったらしい。その宿は決して高級な宿ではなかったが、アラン君の(あるいは我が領民の)経済感覚から言えば、「敷居を跨いだら用心棒が出てきて追い払われるような宿」だったのだ。


 かくしてアラン君は、自分が知っている馴染みの宿(・・・・・)に泊まることにした。これはもう、完全に彼の慢心というほかない。

 私の命令に従ってこれまで何度も何度もダーヴの街への遣いとして働いてきた彼の中では、「自分は他の領民とは違い、ダーヴの街にも詳しい」という根拠なき自負が育っていたのだ。

 だがアラン君が良く知る宿とは、ダーヴの街でも最低ランクの宿だ。彼は彼なりにニリアン領の財政状況を理解しており、節約の重要性もまた骨身にしみて知っている。それゆえ彼はこれまで、街でも最も安く泊まれる宿を選んできた――具体的に言えば最下層の労働者向けの、宿とも言えぬ宿だ。

 その手の宿には個室がないどころか、狭い部屋に荒縄が何本か張られているだけで、宿泊客はその荒縄にもたれるようにして眠るというシステムになっている(床に寝ると罰金を要求される)。宿泊料は露天で売れ残ったパン1個より安く、客層は最悪だ。


 かくして、起こるべきことが、ついに起こった。

 宿賃を払って汗と垢が染み込んだロープにもたれて眠ろうとしたアラン君は、隣で酒を飲んでいた別の泊り客に声をかけられたという。その男はやけに明るくて饒舌で、彼の話につきあっているうち、アラン君も彼が飲んでいた酒を一口、おすそ分けしてもらうことになったらしい。


 そしてそこから先、アラン君の記憶は途絶えている。彼が目を覚ましたときには夜が明けていて、彼は全裸で路地裏に倒れていた。衛兵が不埒な若者を拘束しようとして彼を揺り起こした結果、ようやく目が覚めたらしい。

 風紀を紊乱した犯罪者として留置所に連行されたアラン君はそこで取り調べを受け、ある意味で予想通り、彼は違法な薬物を使っているという診断結果が出た。そのまま牢獄に直行となりかけたところで私とナオキの名前を出したのは、アラン君のファインプレイと言うべきだろう。


 「ニリアン子爵の遣いで、賭博王ナオキの知り合い」という肩書の効果は覿面で、1時間後にはなんとナオキ本人が留置所に現したという。

 それからものの30分でアラン君の無罪が認められ、件の安宿には強制捜査が入って、残されていた大量の酒瓶の一部から違法な薬物の反応が出た。アラン君は重大な犯罪の被害者として丁重に扱われ、立派な身なりをした医師の手当を受けてから、親切で優しい役人たちの事情聴取を受け、しかるにナオキによって身柄を引き取られたというわけだ。


 かくしてナオキ直属の護衛たちに守られ、1日遅れで村に帰ってきたアラン君は、まずは父親にぶん殴られ、母親に頬を張られた後、号泣する2人にがっしりと抱擁された。アラン君もまた号泣し、言いつけを破ったことを何度も何度も謝罪した。


 さて、麗しい家族愛はともかく、アラン君がダーヴの街で遭遇した事件は、私としても看過できぬ事件だ。


 ダーヴの街で麻薬が横行しているというのは、ナオキ以外の筋からも聞いていた。けれどダーヴの街の治安を守るのはエルネスト男爵であり、そこに私が嘴を突っ込むのはあらゆる意味で問題がある。

 だが実際に我が領民が薬物汚染の被害者となったいま、もはやこの問題を他人事で済ますことはできない――男爵に「対策を要請し」「協力を申し出る」ための既成事実ができたとも言えるが、まあこれは同じコインの両面だ。


 かくして執務室にユーリーン司祭・ハルナ審問官・ライザンドラ君・ザリナ君・ナオキ、そして私の6人が集まり、現状の確認と今後の対策について話し合うことになった。


 会議では、まずはナオキがダーヴの現状を説明したが、改めて詳しい話を聞くにつけ、エルネスト男爵は何をしているのかという怒りがこみ上げる。先月にはライザンドラ君の古い友人が薬物狂いの男に殺されるという痛ましい事件が起こったが、男爵はこれを「事故」として隠蔽したという。己の領民に対する、信じがたい裏切り行為だ。

 だが続いてザリナ君が薬物対策の現状を説明すると、男爵の苦悩もほんの少しだけ理解できた。件の薬物の主たる原材料はこの地では育たぬ大麻であるにも関わらず、海路で街に薬物が流れ込んでいる形跡はなく、陸路は論外(厳冬期に街に出入りする馬車の数は少なく、必然的に荷物のチェックは極めて厳しくなる)。にも関わらず、街の中で発見される薬物、ないし薬物の痕跡は増える一方。私が男爵の立場なら、胃が痛くなる程度では済まないだろう――無論、それは彼の怠業を正当化しないが。


 現状の報告を聞いて、最初に口を開いたのはハルナ審問官だった。


「立場上、まず私が言うべきことを言っておきますね。

 私にはダーヴで発生している薬物汚染を調査する権限があります。また本件について、ニリアン子爵およびニリアン領に全面的な協力をする準備もあります。

 エルネスト男爵については、ナオキさんの言葉を信じるなら、神が世俗における罪業の筆頭として示された罪のひとつである悪しき薬剤(・・・・・)の濫用被害を隠蔽したわけですから、私にとっては協力対象ではなく査問対象です。よってエルネスト男爵に対しては、捜査上の必要がない限り、協力はしません」


 ハルナ審問官の言葉はいちいち尤もだが、私にはいささか引っかかりを感じるところもある発言だ。


「ハルナ3級審問官の申し出、大変にありがたく思う。審問会派の協力を得られるとなれば、これ以上に心強い支援はない。

 だがハルナ君(・・・・)。本当に私は、君に対して協力を要請しても良いのか?

 君には君で、本来の任務があるはずだ。おそらくは、私を含めたニリアン領を監視し、異端の尻尾を捕まえるという任務が。そうでなければ審問会派が審問官をこんな辺境にまで送り込んでくることなどあり得ない。

 なにしろこのサンサを望む地は、ときの教皇猊下御自ら〈異端との戦いの最前線〉とお定めになられたものの、この100年以上に渡って異端審問官の援軍(・・)が途絶えている土地なのだからな」


 案の定、ハルナ審問官は「あっちゃあ」と小さく呟いた。


「うーん。まあ、それ言われちゃうと痛いんですけどねえ。

 ただ、ですね。私としてはこの麻薬騒動って、ほぼほぼアタリっていうか、むしろこういうのを即応で追っかけられるようにするために審問官が現地派遣されてるんじゃないかなって考えてるんですよ」


 ハルナ審問官の言葉を聞いて、まずはナオキが、それからユーリーン司祭が顔色を変えた。そして、彼らの驚愕を代弁するかのように、ライザンドラ君が口を開く。


「ハルナ審問官。あなたはつまり、ダーヴの薬物汚染には異端が深く関わっている、と仰られています。

 ですがそれは、極めて危険な告発になりませんか?

 確かに私自身、それしかないと考えていた密輸ルートでもありますし、実際問題としてその(・・)ルート以外では今回の薬物汚染は説明ができません。ですが――」


 ライザンドラ君にしては非常に珍しい、持って回った言い回し。彼女が何を言いたいのか、あるいはユーリーン司祭らが何に気づき、何を具体的に言い出しかねているのか、私にはすぐには追いつけない。と、同じように話に追いつけていなかったであろうザリナ君が、ずけずけと疑問を口にした。


「サンドラ、言いたいことを言っちまえよ。

 ぶっちゃけるとあたし以外の全員が、何が起こってんのかわかってるんだろ?

 頼むから、あたしの残念な脳味噌でも分かるように説明してくれよ」


 ザリナ君の言葉に思わず頷きそうになったのを堪えつつ、私はライザンドラ君に視線を送る。ライザンドラ君は少し思案したあと、決定的な仮説を語った。


「麻薬は今も、ダーヴの街に入り込んでいます。

 そしてこの麻薬は、サンサ教区ではほぼ手に入らない原料で作られています。

 ここまでが、確定的な事実です」


 ザリナ君が小さく頷く。


「けれど陸路でも海路でも、麻薬の流入は確認されていない。

 とすれば合理的な可能性は、ほぼ1つ――決して積荷をチェックされないルートが利用されている可能性です」


 その言葉を聞いて、ようやく私も状況の危険性を把握した。それはザリナ君も同じだったようで、彼女の表情が急激に厳しくなる。


「ユーリーン司祭に対しても、ハルナ3級審問官に対しても、これから私が述べる仮説が極めて失礼な仮説であることは、前もって謝罪いたします。そして立場上、お二人がこの仮説を口にできないということも、理解しております。

 ですので、以下はあくまで、私見として申し上げます。

 ダーヴの街に入る荷馬車のうち、決して積荷を改められない荷馬車が1つだけあります。それは、教会の紋章が入った荷馬車です。

 世俗の権力は、教会の権威に干渉できない。それゆえ教会の馬車はその積み荷を調べられないし、教会の中に何が備蓄されていても世俗の権力はそれを査察できません。

 繰り返しますが、これはあくまで私の個人的な見解です。

 ダーヴの薬物汚染には、極めて高い確率で、教会が関与しています」


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