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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
嘘も100回言えば真実になるなら、真実とは何か
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アルール歴2181年 3月19日(+43日)

――マダム・ローズの場合――

 夜の街の顔役というべき仕事をしていると、ほとんど毎週のように参加を強制されるイベントがある。

 葬式だ。


 人はいつか死ぬ。これは絶対の掟と言える。

 それゆえに、つきあう相手が増え、恩義や取引のある相手が増え、接触するコミュニティの数と種類も増えていけば、毎週毎週どこかで葬儀に参列することになる。ましてやわたくしは夜の娘たちが働く店をいくつも管理しているから、それ関係で葬儀に参列することも多い。

 そんな状況だから、正直言ってもう葬儀に何かの感慨を覚えることはない。わたくしの目の前にあるのはただ、「人は死ぬ」というシンプルな事実を人々が受け入れるためには儀式が必要なのだという現実であって、それ以上でも以下でもない。


 もっとも、そんなわたくしでも、葬儀など無駄だという意見には賛同できない。


 葬儀には慣れきったわたくしだが、それでも人の死には慣れられない。年老いての大往生であっても、あるいは若くしての(ときには幼くしての)死であっても、人生において死は決定的な異物だ。なにしろわたくしたちが死を迎えたその瞬間、わたくしたちの人生は終わるのだから、これ以上の異物などあり得ない。

 そして多くの場合、わたくしたちは死という異物との遭遇にショックを受ける。わたくしをして未だに不意打ちのような衝撃を受けるし、ときには死の理不尽さを前にしばらく当惑することもある。死に接する機会がもっと少ない人であればその衝撃と当惑は計り知れないし、実際しばしば「あの人は死んだのだ」という現実と上手く折り合えない人というのは出てくる。


 だからこそ葬儀は重要だ。


 人の死という理解できぬものを受け入れ、「あの人とはもう二度とコミュニケーションができない」という現実を受容するには、そのために特化された儀式に参加するのが最も確実だ。さすがに2000年以上かけて「死をどう扱うか」のトライ・アンド・エラーを繰り返してきただけあって、葬儀は確実に一区切り(・・・・)を与えてくれる。


 それが分かっているから、わたくしは無理にスケジュールを調整して、今日のこのささやかな葬儀に列席することにした。


 質素な棺に入れられているのは、〈緋色の煉獄〉亭では古株のドロシー。ダーヴの街の副司祭とは長いつきあいで、彼女が殺された夜もご予約が入っていた。


 ドロシーは、とにかく明るくてポジティブなのが売りの娘だった。

 〈緋色の煉獄〉亭は特殊な趣味のお客を相手にする専門店で、必然的に客もそういう(・・・・)傾向に偏りがちだ。でもドロシーはどんな客であろうともフロアでは明るくハキハキと接客し、来店したときにはうつむきがちだった客が彼女と飲むうちに笑顔を見せるようになった、というケースも珍しくなかった。実際、ダーヴの副司祭様が彼女の固定客となったのも、そういう経緯があったと聞く。

 とはいえ実のところ、聖職者がご贔屓筋になるというのは、夜の娘にとってみるとあまり望ましい状況ではない。彼らがお気に入りの娘を身請けすることは絶対にあり得ないし、聖職者の間で政治闘争が起きた場合は口封じのために暗殺されることだって珍しくない。

 でもドロシーはそんな悲運ですら、「払いがいい客は良いお客ですよ」と笑って受け入れていた。そして実際、副司祭様は彼女と店にたっぷりと貢いでくださった。


 だから彼女にとっての最後の儀式をダーヴの副司祭様が執り行うというのは、列席していても胸が詰まる思いがする。


 葬儀は粛々と進行し、彼女の棺は墓地に埋められた。小さな小さな墓碑が、彼女が残した唯一の「生きた証」だ。常連客や同僚たちの間に残る思い出を除けば、彼女の短い人生は、何一つ確かなものを遺し得なかった。

 わたくしは彼女の墓碑に最初の献花をする者として、一歩前に踏み出す。ドロシーの墓碑はあまりに小さくて、それがどうにもやりきれなかった。けれど彼女を最も多く指名していたのがこの街の副司祭様であることを考えると、わたくしや副司祭様が寄付して大きな墓碑を作ってやるというのは、あまりにリスキーだ。


 なんて、馬鹿馬鹿しい。

 浮世の濁流に流された挙句、己の体とプライドを売ることで故郷の家族を養ってきたドロシーは、その死後もくだらない体面(メンツ)と政治に踏みにじられている。


 わたくしは短く黙祷すると、ドロシーの墓碑の前に、黄色い可憐な花々で作られた、こじんまりとした花束を置いた。黄色は彼女が一番好きだった色で、店のイメージを壊すから(緋色を冠する店に黄色いドレスの娘というのは、さすがにいただけない)黄色いドレスだけはやめなさいと何度説教しても、彼女の勝負服は最後まで黄色だった。


 花束を捧げた私が一歩後ろに下がると、次の一人がするりと前に出た。一瞬、誰だろうと思ったが、よく見るまでもなくライザンドラだ。彼女は賭博王ナオキに身請けされるまで、ドロシーのルームメイトだった。

 さすがに葬儀の場ということもあってライザンドラは真っ黒でガチガチにコンサバティブな喪服を着ていたが、それでも彼女の存在感は圧倒的であり、むしろ孤高の(つよ)さすら感じられた。だからそんな彼女が手に持った小さな黄色い花束を墓碑に捧げると同時に堰を切ったように泣き始めたことに、他の参列者は大いに心を動かされたようだった。


 全員が献花を終え、司祭様の導きで聖句を合唱して、葬儀は終わった。葬儀が始まる頃にはややグズついていた空も、終わる頃にはスッキリと晴れ上がっていて、それがまたドロシーらしかった。参列者たちは「ドロシーは最後までドロシーでしたね」と話し合いながら、次第に散っていった。


 でもそのとき、わたくしを呼び止める者がいた。

 そしてそれがライザンドラだったことに、わたくしはなんら驚きを感じなかった。


「2つだけ、お話を聞かせてください」


 そう訴える彼女の声には、圧倒的な自信と、強烈な熱量があった。ああ、彼女は――それが何かは知らないが――決意した(・・・・)のだなと脈絡なく思いながら、わたくしは首を縦に振る。


「ありがとうございます。

 まず1つめ。ドロシーは事故で死んだと聞かされました。でもこれは嘘ですね?」


 私は再び首を縦に振る。


 いつも通り昼過ぎに起きたドロシーは、朝食を食べに市場に向かったらしい。そこでいつもの定食屋に入ったが、店はいつものように混雑していた。そしてドロシーはその性格ゆえに、陰気な男と相席になるのを拒まなかった。

 陰気な男は、店に入ったときからイライラしていたらしい。証言によると、彼はフィッシュアンドチップスを注文したが、ウェイターは彼のところに注文を届ける前に、別の客のところにフィッシュアンドチップスを届けた(その客のほうが注文が早かったのだ)。

 そのことが、男を爆発させたようだった。彼はわけの分からないことを喚きながら立ち上がると、まずはウェイターを殴りつけ、それから周囲のテーブルを蹴倒そうとした。

 ドロシーは、自分が好きな店が突然の暴力に支配されることを嫌った。彼女は暴れだした男を押さえつけようとしてタックルし、そして次の瞬間、その背中に男のナイフが突き立った。それから男は何度も何度もドロシーの背中を刺し、店は一瞬で混乱の坩堝となった。

 現場に衛兵がかけつけ、なおも抵抗する男をやむなく斬り殺した段階で、死者5名、負傷者15名。なんのかんのでこの10年ほど平和だったダーヴの街において最悪の惨事となった。


「もう1つ、伺わせてください。

 マダム・ローズは、ドロシー殺しのような悲劇が二度と起きないことを強く願うとともに、そのために行動されるおつもりですね?」


 決然と、首を縦に振る。


 死んだ男を調べた結果、男の血液からはかなり強い麻薬の反応があったそうだ。

 ダーヴの街に大規模な麻薬の流入が起きているというのは、わたくしやナオキはもちろん、この街の夜の顔役はみな知っていることだ。そしてそれがいつか、こんな事件を起こしかねないことも。だからわたくしたちは一致団結して、麻薬の流入と拡散を防ぐべく戦ってきた。

 だがその戦況は、あまりにも芳しくない。未だに麻薬の流入経路は特定できず、それどころか最も恐れていた事件によって、よりによってわたくしの大事な夜の娘の命が、理不尽にも断ち切られた。

 一方でダーヴの街を支配するエルネスト男爵は、領内での麻薬汚染が止められないことに対する責任を回避するため、ドロシーが殺された事件を「事故」として公表。犯人を含む6人(・・)の犠牲者は、大衆食堂で起こった不幸な崩落事故による死者として記録された。


 つまりわたくしたちは、謎の攻撃者に蹂躙され、白旗を揚げつつあるのだ。


 だからこそわたくしは、ここで引くことはできないと確信している。この戦いは、頭を低くして耐えていればいつか過ぎ去るようなものではない。そう、わたくしの本能が叫んでいる。戦って勝たねば、わたくしたちは食い殺される。ドロシーはその最初の一人であって、ドロシーという不幸な生贄を捧げたからもうこれ以上酷いことは起きない、などということはあり得ない。


 わたくしは、戦わねばならない。

 わたくしの夜の娘たちのために。そして、わたくしのために。

 たとえ、勝機がどれほど薄かろうとも。

 たとえ、この生命を賭けることになったとしても。


 そんなわたくしの顔を、ライザンドラはまっすぐに見つめた。

 彼女の強靭な瞳を、わたくしは真っ向から受け止める。

 彼女もまたこの戦いに命を賭ける決意があることを、その瞳の奥底に燃える炎が語っていた。


 だからわたくしは、ただ黙って、彼女に右手を差し伸べる。

 彼女もまた黙って、私の手を取った。

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