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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
無関係であるという関係があると定義することは詐術なのか
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アルール歴2181年 2月4日(+116日)

――ザリナの場合――

「おい、ナオキ。ちょっと話があるんだが……」


 そう言いながらナオキの執務室に入ると、ナオキは机にうつ伏せになってぐっすりと眠っていた。そういえば去年の夏の終わりくらいから、こいつは何やら細々と動き続けている。そらまあ、居眠りするくらいには疲れるだろう。

 無防備なナオキの寝顔を見ているのもいいが、あたしにも報告すべき案件はある。仕方ないのでナオキの肩を揺すると、彼は低く呻きながら目を覚ました。


「……すまん、寝てた。なんだ、ザリナ?」


 あたしは手短に状況を説明し、報告を聞いたナオキはしばし考え込んだ。


「やはりルートは掴めない、か。

 海路だと思ってたんだが、こうなると見当がつかんな」


 ナオキが問題視しているのは、最近になってダーヴの街に麻薬が出回ってきているという案件だ。マダム・ローズもこの件は懸念していて、なんとか流入路を特定しようとしているが、今のところ有効な手が打てていない。

 いましがた報告したのは、流入ルートをエロナ港からと決め打っての封鎖作戦が、見事に失敗に終わったという件だ。伝統的に言うとサンサ地区では麻薬の生産は行われていない(もともとサンサ地区は異端を封じ込めるために発達した軍事拠点なわけで、なんのかんので違法な商いに対しては厳しい風土がある)ので、ダーヴの街にはっきりそれと分かるくらいに薬物が流れ込んでいるとなれば海路が本命だろうとナオキは踏んだのだが、見事に空振った形だ。


「麻薬って言うが、要するに大麻なんだろ?

 そのあたりに自生してるのを使って、誰かが悪さしてるんじゃないのか?」


 あたしのありきたりな推測に対し、ナオキは首を横に振る。


「このあたりは麻がほとんど育たない。そういう歴史があるんだよ。

 簡単に言うと、サンサ山は異端の中心地だっただろ? で、連中は麻を育てて生活にも利用してたし、食い物にもしてたし、当然だが麻薬も生成してたわけだ。

 それに対して時の教皇猊下は神の奇跡を乞い願って、このあたりを麻の育成に適しない土地にしてもらったらしい」


 なんとまあ。そこまでして兵糧攻めしたとはねえ。


「だからこそ、いまダーヴに出回ってる大麻の出処が分からん。

 自生はしていない、海路はハズレ。陸路も考えにくい」


 そりゃそうだよなあ。夏場ならともかく、こんな大雪が降る時期に麻薬を陸路で密輸なんぞ、自殺行為もいいところだ。


「それにもうひとつ、不思議なことがある。

 だがまあ――これはもうちょい、調査が必要だ。まだ迂闊に話せる内容じゃないが、確証が得られるか、危険性が明らかになったらお前にも伝える」


 まあ、それはそれで構わない。ナオキは秘密主義の極みみたいな男だが、それでもあたしの仕事に絶対に必要な情報だけは、必要なタイミングで教えてくれる。

 だからあたしは別件について確認しておくことにする。


「麻薬関係はさておくとして、聖書のほうはどうなんだい?

 本当にあんなものが売れるのか?」


 ナオキは軽く笑うと、「ヤバいな」と一言。


「今のところ、生産がまるで追いつかん。

 まったく、デリク伯爵はたいした商売人だよ。俺でもあそこまでの勝負には出れん」


 ほほう。あんな残念な感じの聖書がバカ売れするとはね。世の中、酔狂な客はいるもんだ。


「今年の夏から秋にかけて、デリク伯爵はミョルニル派の修道士たちと手を組んだらしくてな。ミョルニル派って言えば野蛮人の群れってイメージだが、まぁ、中にはちゃんと話せる連中もいるらしい。

 デリク伯爵がミョルニル派と組んで仕掛けたのが、『大自然の中での礼拝ツアー』だ。まずコイツが大当たりした」


 なんだそりゃあ? 礼拝なんて、帝都の連中なら大聖堂があるだろうに。


「要はさ、金持ちにとって最大の敵は、退屈なんだよ。帝都の金持ちどもは、大聖堂でのミサに参加して喜捨を置いてくっていうイベント(・・・・)に飽きてたんだ。

 デリク伯爵は、そこを狙った。ものすごい大金をぶち込んで、『清く貧しい礼拝の旅』をパッケージングしたのさ。

 帝都近隣に残ってる風光明媚なポイントは、ミョルニル派の連中が知り尽くしてる。そういう名所まで安全に旅して、絶景を見ながら豪華な酒と食事を楽しみ、しかるに神様にお祈りする。こいつは、大聖堂での絢爛とした儀式に飽きてた貴族どもの心を見事に捉えた」


 ……死ねよお前ら、って感じだな。


「気持ちは分かるが、デリク伯爵の仕掛けにはもうちょっと先がある。

 去年の9月だったかな。この礼拝ツアーのクライマックスとして、サンサ教区で作られた最初の竹簡聖書がアルール大聖堂に奉納された。奉納したのはもちろん、デリク伯爵だ。

 〈貧者の儀式〉を復活させたサンサ教区が、今度は〈貧者の聖書〉を作ったっていうニュースは、そりゃあもうバカウケした。今じゃ〈自然回帰〉と〈清貧〉は、帝都の流行の先端らしいぜ?」


 「ほんとに死ねよ」以外の言葉が出てこないな、それ。


「俺も同感だね。だがこのブームは、俺たちにとってみると追い風だ。

 自然回帰と清貧ブームに湧いている帝都じゃあ、〈貧者の聖書〉は本物の辺境(・・・・・)からやってきた本物の清貧(・・・・・)なんだよ。清貧ブームの先頭を争う貴族どもにとってみると、〈貧者の聖書〉は喉から手が出る逸品なんだ」


 すごいな。こっちにとっても美味しい話なのに、「やっぱり死ね」以外の感想が出てこねえのが、一番すごい。


「ともあれ、だ。ちゃんとした良い話も進んでる。

 まずは、ニリアン領の村がしっかり連携できるようになったのがデカイ。お膝元の村では竹簡への視写が中心だが、竹を切り出して加工する専門の村とか、竹簡をつなぐ紐を専門に作る村とか、そんな感じで役割分担ができてきた。おかげで原材料費は下がるし、原材料のストックも安定するしで、商売としてはありがたい限りだ」


 なるほどなあ。ニリアン卿のお膝元はともかく、他のニリアン領の村は相変わらず悲惨だったからな。あれも、今年から変わっていくのか?


「ああ。今年の頭に、俺の財布からガツンと投資した。

 だから今年の冬に死人が減るのは俺の支援が理由だが、村の連中は自分たちが必死で竹を削ったり、紐を編んだりした成果だと思うだろう。そうやってこれから真面目に手仕事に励んでもらえるなら初期投資なんざ安いものだし、一度生産ラインが回り始めりゃあどの村も大いに潤う」


 そりゃあ確かに、いい話だ。


「それからもう1つ。聖書が超高額な貴重品になってる現状には、疑問を感じてるプロの聖職者も少なくない。そういう連中がニリアン領で進んでいる計画を聞きつけたらしく、ニリアン領に移住してみたいっていう打診が入ってきてる。

 ガチの聖書を作る技術者が移住してくれば、巨乳メガネがやりたがってる教会学校も教師不足っていう抜本的な問題を解決できる。村の連中の教育レベルが上がれば視写の速度も精度も上がる。精鋭を選りすぐって、竹簡じゃなくて羊皮紙に視写させてガチの聖書を作るビジネスだって立ち上げられるだろう。

 ま、相当先の話にはなるだろうが」


 なるほどなあ……あたしではちょっと想像が追いつかんが、とにかくすごい話だってのは理解した。目出度い話じゃないか。


「まあな。

 もっとも、聖書の複製は〈貧者の儀式〉よりずっと多くの人間の恨みを買う。もしかしたら麻薬の件も、その手の嫌がらせの最先鋒なのかもしれん。

 それにハルナはドジキャラに見えるが、中身はガチの異端審問官で、マジものの天才だ。あいつにずっと監視されてるってのは、そんなに心楽しい状況じゃあない。

 ケイラスの件も片付いてないし、エミルがケイラスの下にいるってのも大きな火種だ。デリク伯爵とケイラスが繋がってるのか、それともこれから繋がりができるのか、まるで読めん。とてもじゃあないが、あのケイラスが帝都での清貧ブームを真似していい子(・・・)になったとは、到底思えないからな。

 つまり、まだまだ前途多難も多難、むしろ一寸先は闇ってことだ」


 いいじゃないか。どうせ人生なんていつでも前途は多難だし一寸先は闇だ。

 それより聖書で大儲けすりゃ、あんたは好きなだけ贅沢ができるんだろ? 折角だし、とびきりの美女でも囲むか? あたしはあんたが新しい女を作っても文句はいわねえぞ? ていうか、手始めにシーニーあたりはどうだ? ベッドの上ではあり得ないほど素直だから、ツンケンした普段とのギャップは最高だぞ?


「……誤解があるようだが、俺はお前以外に手を出すつもりもない。

 ライザンドラはあくまで弟子だし、シーニーも御免こうむる。

 女は、お前だけで十分すぎる」


 唐突な告白に、すこし鼻白む。

 けれどよくよく考えてみれば、ナオキはその気になれば望む女を好きにできるカネと地位を持った男だ。あたしがシーニーにも手を出してるみたいに、ナオキだって何人か囲ってても全然不思議じゃあない。つうかそういうの(・・・・・)はナオキみたいな金持ちの嗜みというか、甲斐性みたいなものだと思ってた。

 だからあたしは、率直な疑問をぶつけてみた。


「なんであたしなんだ?

 つうかさ、なんであたしだけでいいんだ?」


 ほんの少しだけ、ナオキは絶句した。

 黙り込んだ彼からは嘘をつく寸前の汗の匂いがしたが、その匂いはすぐに消えた。


「――お前には、取り繕っても仕方ないな。

 ロマンのかけらもない答えで悪いが、保険だよ。

 俺がお前だけを選んでるのは、俺にしてみると、保険なんだ」

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