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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
人が神を殺しうる可能性について人が議論する意味はあるか
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アルール歴2177年 5月2日(はじまりの日)

――ライザンドラの場合――

「なんかね、変な人がいるのよ」


 そんなひどくあいまいな噂を聞いたのは、まだ水に冬の清冽さが残る季節のことだった。


「この店に来るお客なんて、みんな変な人でしょ?」


 私はルームメイトのドロシーを適当にあしらいながら、洗濯物に集中していた。この時期、太陽が中天にある時間はまだまだ短い。さっさと洗濯を済ませて干してしまわないと、大変なことになる。


「そりゃそうだけどさ! そっちの意味で『変』なんじゃなくてさあ。

 なんかねー、ネックハンギングツリー? みたいな?」


 ネックハンギングツリーというのは、ドロシーが幼いころに住んでいた田舎に生えていた、変わった樹木の名前だ。動物を捕食して栄養にするタイプの植物で、育ちすぎたネックハンギングツリーは大の大人ですら食べてしまうという。

 ……と、いうことは、ドロシーは何やら抜本的な勘違いをしている。さすがにそんな怪物じみた樹を店に持ち込んだなんてことになれば、もっと具体的に大騒ぎになっているだろう。


「――ヘッドハンティング?」

「そう、それ! さっすがリジー!」


 当てずっぽうだが、正解だったようだ。


「なんかね、その人、お店の一番いい部屋をずっと抑えてるんだって。

 でさ、一晩に一人ずつ、その部屋に女の子を呼んでるらしいの。

 でもね、なんかね、わけわかんない質問されるだけで、それ以外はなんにもしないんだって。

 お金は一晩ぶん、しっかり払ってくれるんだけどさ」


 洗濯物を干し終えた私は、下着が右から左へと綺麗なグラデーションを作っているのにちょっとだけ満足してから、ドロシーに向き直った。


「それ、マダム・ローズにちゃんと話、通ってるの?」


 マダム・ローズというのは、この界隈でいくつもの娼館を経営している、やり手のマスターだ。私やドロシーが働く〈緋色の煉獄〉亭(その名の通り、かなり特殊な趣味を持った紳士淑女が通うタイプの店)も、そのひとつ。


「どうなのかな? 通ってると思うけど?

 ていうか通ってなかったら、そのひと今頃、魚の餌じゃない?

 そうじゃないってことは、話が通ってるんじゃないかな?」


 ドロシーの言葉は実にまどろっこしいが、言われてみればなるほどその通りだ。

 こんなあからさまな引き抜き工作、マダム・ローズの耳に入っていないとは思えない。にも関わらず噂の主である「変な人」がまだ生きているということは、マダム・ローズが公認ないし黙認している、ということになる。

 私は「それもそうね」と頷くと、狭苦しいベッドに横になった。薄くてゴワゴワする毛布にくるまり、少しでも暖を取る。


「もう寝ちゃうの? ご飯、食べに行かない?

 朝市の屋台、そろそろ店じまいで値下げする時間じゃない」


 私は小さく首を横に振ると、目を閉じた。ドロシーは「もう」と少し不機嫌そうな声を出したが、すぐに気持ちを切り替えたのか、「じゃ、あたしはご飯食べてくる。おやすみ」と言って部屋を出ていった。擦り切れた毛布をぎゅっと握りしめながら、私は「いってらっしゃい、おやすみ」と返事する。


 ドロシーが部屋を出ていったら、急に室温が下がったような気がした。

 私は毛布を一層強く握りしめて、早く自分が眠ってしまうように祈る。


 結局、この世の中はこんなふうにしてできている。

 毎日何かが変わり、何か新しいことが起こるけれど、それは私には関係ない。関係するとしたら、何か悪いことが起きるときだけだ。

 だから私は頭を低くし、体を小さく丸めて、「何か」が通り過ぎていってしまうのを、ひたすら待つ。そうしていれば、今より悪いことにはならない。


 希望を抱かなければ、未来を欲しがらなければ、人は平穏無事に日々を暮らせる。

 そのように神様は世界を作り給い、世はそのようになっている。


「天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ」


 自分でも意識しないうちに、祈りの言葉を何度も呟いていた。

 理由も何もなく、ただ、祈っていた。

 祈る以外、私には何もなかったから。


 そしていつしか、私は眠りの底へと沈んでいった。

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