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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
無関係であるという関係があると定義することは詐術なのか
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アルール歴2180年 8月29日(+23日)

――ユーリーン司祭の場合――

 ニリアン子爵に呼び出されたとき、私はライザンドラさんと2人で祈祷室の掃除をしていた。呼びに来たのがハルナ3級審問官だったこともあり、思わず緊張する。ハルナさんはとても親しみやすく、また底知れない知の輝きを秘めた人だけれども、「審問官」という言葉の響きを前にするとどうしても身構えてしまう。

 掃除の続きをライザンドラさんとハルナ3級審問官に任せ(もしかしてハルナさんの真の目的はライザンドラお姉さま(・・・・)と一緒に掃除をすることだったのかもと訝しがりつつ)ニリアン子爵の館に向かった私は、あからさまな渋面をした子爵に出迎えられた。子爵は謹厳実直な老領主にして武人だが、その厳しい顔の背後には懐深く温厚な人物が隠れている。それだけに、彼がこんなにも露骨に嫌そうな顔をするというのはとても珍しい。


 執務室の扉を閉めて、指し示された椅子に着座すると、顰め面をしたニリアン子爵はとてもわかり易くその不機嫌の原因を説明してくれた。


「ケイラス司祭が視察に来るそうだ。

 正確に言えば、もうすぐそこまで来ているらしい。先程、先触れが書状を届けにきた」


 なんとまあ。私も思わず表情が歪むのを感じた。


 ケイラス司祭は、このサンサ教区においてぶっちぎりで尊敬されていない(・・・)聖職者だ。

 地位としてはサンサ教区の統括ということになっており、私から見ると上司にあたるのだけれど、彼から何か命令をされたこともなければ、彼に宛てた報告書に返事があったこともない。


 一応これでも、私としては様々な努力はしてきた。

 彼もまた、私と同様、サンサに追放されてきた司祭だと聞いている。それゆえに彼とは分かり合える部分もあるのではないか、と思ったのだ。

 けれどなんとか面会にこぎつけた私は、ケイラス司祭の絶望の深さを知るのみに終わった。


 かつて帝都では次期教皇とまで囁かれたという彼は、完膚なきまでに堕落していた。

 彼が興味を抱くのはもはや寄付金のみであり、見境なく受け入れた寄付金を湯水のように使って帝都の流行を追っているという噂は、100%真実だった。


 一番それがはっきりと分かるのは、彼の居場所だ。

 本来であれば彼は、サンサ地区の中心であるダーヴの街の教会を首座とすべき人物だ。けれど彼はダーヴを「芋どもが住む田舎町」として嫌い、港町エロナの別荘で暮らしている。

 私に言わせればダーヴはダーヴで独特の興味深い文化を育てていると思うのだが、良し悪しのすべてを「帝都的であるかどうか」で決めるケイラス司祭にとってみれば、帝都からの輸入品が最初に陸揚げされるエロナこそが「かろうじて文化の香りがある街」ということらしい。


 結果、ダーヴの街の人々は、よほどの金持ちでもない限りは「正式な司祭」の祝福を受けられないでいる。

 ダーヴの街において、死を目前にした老人が最後の告解をする相手は、ダーヴの副司祭なのだ(いやまあ、ダーヴの街では副司祭のことが一般的に「ダーヴの司祭」と呼ばれるに至ってすらいるそうだが、正式な肩書きはあくまで副司祭に過ぎない)。

 祝福を授けたり告解を聞く人物が副司祭だからダメだ、というわけではない。けれどダーヴの街では人生最後の告解が「副司祭が確かに聞きました」という言葉で受け取られると思うと、ケイラス司祭を蛇蝎のように嫌う人たちの肩を持ちたくもなる。


 そんなケイラス司祭が、ニリアン領を視察(・・)に来る。


 理由は1つしか思いつかない。

 彼は、嫉妬したのだ。帝都の政治を動かす八名家のひとつ、デリク家と取引を始めたニリアン卿のことを。


 ケイラス司祭のことだから、デリク家との取引に自分も一枚噛ませろ程度のことは呼吸をするように要求するに違いない。それどころか、取引の全体を自分が管理するべきだと主張することだってあり得る。

 何しろデリク卿とニリアン卿が取引しているのは、みすぼらしいとはいえ、聖書だ。教区での聖書の売買に、教区のトップが口を出すというのは、別段珍しいケースではない。


 けれどいま始まったばかりのこの事業に、カネと名声のことしか頭にないケイラス司祭が頭を突っ込んできたら、事業そのものが崩壊する。

 現在ですら領民の教化・教育プログラムと並行しての、危うい綱渡りなのだ。目の前の短期的利益を優先すれば、最悪、この竹簡聖書製造プロジェクトそのものが異端の認定を受けるだろう。そうなったが最後、デリク卿は知らぬ存ぜぬを決め込み、ニリアン領だけが苛烈な制裁を受けることになる。


 私は大きく息を吸い込むと、すばやく考えをまとめる。


「事情は理解しました。

 まずは私がケイラス司祭を出迎えます。正式な儀礼に則れば、ニリアン子爵がケイラス司祭を出迎えるのはその後でのことです。

 ケイラス司祭の意図がなんであれ、まずは私が彼と直接話しをします」


 私は最適解を模索しながら、言葉をつなぐ。

 けれど私の示した方針に、ニリアン子爵はすぐさま異議を唱えた。


「ユーリーン司祭。申し訳ないが、あなたがケイラス司祭と話し合っても、彼の腹を読めるとは思えぬ。

 ケイラス司祭はひどい俗物だが、ひどい俗物だけに、あなたにとっては最悪の相手ではないか」


 その通り。それは理解している。

 けれど、だからこそ私が最初に応対をするのだ。

 なぜなら私はもう、一人ではないのだから。


「ご指摘のとおりです。

 ですから、たまたま(・・・・)サンサ領に滞在しているハルナ3級審問官と、それから地域の教化に大きな貢献をしているライザンドラさんを同伴します。

 私は大義名分、ハルナ審問官は教会秩序、ライザンドラさんは世俗の智慧。この3つを束ねて立ち向かえば、ケイラス司祭がどの方向に手を伸ばしたとしても、正面から拒否できると考えます。

 しかるに趨勢が決まったところで、ニリアン卿が世俗の支配者として話をまとめてください。ケイラス司祭がいかに俗物と言えども、彼の力が及ぶのは教理の世界のみ。私達3人によって教理の世界を封じられれば、彼は必ず世俗権力に対して横車を押すでしょう。その無理筋を咎めれば、どんな交渉になろうともケイラス司祭の影響力は排除できます」


 ニリアン卿はしばし黙り込むと、私の提案を吟味した。

 たっぷり3分ほどの沈黙の後、卿は口を開く。


「よかろう。その方向性で話を進めてほしい。

 ケイラス司祭との対話は、どこで行う?」


 その点についても、既に作戦立案は終わっている。私は即答する。


「教会の主堂で。鐘楼下にアラン君を待機させてください。

 卿のご出馬を願うときは、前もって決めた合言葉を言います。主堂での発言は鐘楼下にいれば聞こえますから、ニリアン卿は宿坊でお待ち下さい。合図を聞いたアラン君が卿をお迎えに行く、という手順でどうでしょうか」


 ニリアン卿は「良いだろう」と言うと、立ち上がった。決断すれば早いのがニリアン卿だ。

 けれど執務室を出ようとしたニリアン卿は、ふと立ち止まった。


「ユーリーン司祭。ひとつだけ、こちらからもお願いしておこう。

 今の作戦は、ケイラス司祭がこちらに不利益をもたらそうとしていることを前提としている。

 だが世界に謎と不思議は絶えぬ。もしかしたらケイラス司祭は、ただなんとなく我が領地に視察にきただけかもしれん。

 万が一、そういった想定外の事態が発生したときは、その状況を私に伝える合言葉も決めておいてくれ給え。あなたの教会の宿坊を批判するつもりはないが、下手すると宿坊で夕刻まで待ちぼうけになる可能性もある。それもまた、避けたいからな」

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