アルール歴2180年 8月6日(+13日)
――ニリアン子爵の場合――
「――いやいやいや、そこはライザンドラさんが壇上に出るべきだと思うんですよ!」
最近村にやってきたばかりの審問官が、ライザンドラ君に向かって熱弁する。3級審問官ということだが、審問会派もこんな小娘を現場に出すとはいよいよ人材が払底したか……と思ったが、ハルナと名乗った彼女はあのシャレット家のハルナだという。なるほど、帝都の政界のバランスを脅かしたというあのハルナ君であれば、この年齢で現場に派遣されるのも不思議ではない。
ハルナ3級審問官の推挙に対し、ライザンドラ君は上品な笑みを浮かべつつも首を横に振った。
「お言葉はありがたい限りですが、私は説法をする資格を得ておりません。
ナオキさんのように、間違ったことをさも正しい主張のように言いおおせるだけの演技力もありませんし、いつもどおり舞台裏を守らせて頂くのが良いかと思います」
その言葉に何とも言えない苦笑めいたものを向けたのはユーリーン司祭だ。
「これはあくまで独り言ですが、ライザンドラさんより教義を理解していない司祭のほうが多いような気もしますけどね。ボニサグス派の司祭ですら、ライザンドラさんと教理問答したら一方的にやりこめられてしまう人のほうが多いかもしれません。
ましてや……」
ユーリーン司祭の率直過ぎる発言を、ハルナ審問官が手を振って遮る。
「はいはい、審問官の前でその発言はマジやめてください。ほんとマジで。
立場上、ユーリーン司祭の明察に『私もそう思いますね』とか『超同感です』とか言えない私の身にもなってください」
ここはハルナ審問官の言うことのほうが正しい。
神学世界においてはまったくの素人であるはずのライザンドラ君のほうが、大抵の司祭よりも教理を理解しているということになれば、教会の秩序は崩壊しかねない。そんなことを秩序の守り手たる審問会派の審問官が認めるわけにはいかないだろう。
「まぁちょっと話を戻しますけど、別にライザンドラさんに説法しろって言いたいわけじゃあないんですよ。審問官がそんな横紙破りを提案するわけないじゃないですか。もう。
そうじゃなくて、ライザンドラさんがご自分の理解を語るのであればまったく問題ないでしょうって話なんですよ。その理解が正しいかどうかを、ユーリーン司祭が判定されればいいんです。
これがダメだっていうなら、司祭を育成するシステム自体が成り立たないでしょう? 自慢じゃないですが、私も見習い時代はさんざん師匠に噛み付いては論破されまくってましたから」
あくまでライザンドラ君の登壇にこだわるハルナ審問官の熱弁に、ユーリーン司祭もまた乗り気なそぶりを見せる。
「確かに、その形式であれば問題はないですね。
私としても、できればライザンドラさんに壇上に出てほしいと思っています。ライザンドラさんは村の人達にも飛び抜けて人気がありますし、なにより私やハルナ審問官が語るとどうしても観念的になってしまいがちな部分を、非常に正確な例え話でカバーしてくれます」
その通りだ。ライザンドラ君は端的に美女だというだけでなく、その穏やかな人柄や、村人に対する献身的な態度、私やユーリーン司祭あるいは村の老人たちといった「目上の人々」を深く尊敬する姿勢などなど、どこをとっても完璧としか言いようがない。
これだけ飛び抜けた人物であれば普通なら嫉妬を抱く者もいて当然なのに、少なくともこの村の者どもにおいては、彼女を嫉妬しているようなそぶりを見せるものはいない。若い男にとっては「崇拝の対象」、若い女にとっては「憧れの相手」、歳経た者にとっては「よくできた娘」、子供たちにとっては「優しいお姉さん」――それがライザンドラ君だ。
それゆえに、彼女にこそ複雑な教理をわかりやすく語ってほしいという希望が、本職の司祭から飛び出すのも無理はない。
私はちらりと、ライザンドラ君の横顔を盗み見する。
ライザンドラ――正確にはライザンドラ・オルセン。いまはなき名家オルセン家に生まれ、幼くして「オルセン家を1000年の繁栄へと導く」と太鼓判を押された才能を示した元伯爵令嬢。陰謀の末にオルセン家が潰されたのも、他の伯爵家がライザンドラ・オルセンの時代が来るのを恐れたからだというのが専らの噂だ。
彼女が自らの出自を私にさえ秘していたというのは、彼女の半生を思えば理解できる(ユーリーン司祭に対しては自分の過去を明かしていたようだが、司祭は告解の内容に対して絶対的な守秘義務を有すればこその告白だろう)。
オルセン家の生き残りが――よりによってその最も優れた一人が――世を忍びながらもまだ命を永らえているとなれば、肝が冷える思いをする者も少なくはあるまい。この情報が無制限に拡散すれば帝都の政界が再び大きく揺れる可能性があるし、その結果として暗殺者が彼女の命を狙いにやってくる可能性すらある。
まあ、私にしてみれば中央政界の動向など「知ったことか」の一言に尽きる。
実際、ライザンドラ君がライザンドラ・オルセンではないかと私に向かって言い出したのも、ハルナ審問官だ。ライザンドラ君は、ハルナ審問官の問いに対しストレートに「その通りです」と認め、その場に居合わせた私もライザンドラ君の正体を知ることになった。そして知った以上は、帝都の阿呆どもがライザンドラ君の命を狙って暗殺者を送り込んでくるようであれば、相応の対応をさせてもらおうと心に決めている。
老骨の空元気はさておき、ユーリーン司祭の援護射撃にハルナ3級審問官は一層勢いづいた。
「ほらほら! ていうか来週はいよいよ〈原初〉最大の難関、第6章3節ですよ。伝家の宝刀アムンゼン説が否定されてる、無謬性問題ですよ。っていうか未だに私、無謬性問題では師匠と喧嘩っていうか論争になるんですよ。だから解説役はパスさせてください。ほんと。ぶっちゃけると私は超越的無謬説派なので、ユーリーン司祭と討論するとたぶん全員を全力で置いてけぼりにします。そうなってもいいんですか? 良くないでしょう?」
ハルナ審問官は説得なのだか脅迫なのだかよくわからないことを訴える。
とはいえ、無謬性問題は私ですら「厄介な問題」と知っているくらいに厄介な問題であり、それをどう簡単に説明するかという議題で揉めるのもまた理解できる。
理不尽なまでの大自然の猛威によっていともたやすく人々が命を失う我が所領においては、無謬性問題は主に「神はなぜ我々を救ってくださらないのか」という疑問として噴出する。神が決して間違えないとなると、過酷な自然がもたらす残酷な死もまた「間違いではない」ということになる。ゆえに、「神はそのような悲惨な死を認めているということなのか?」という疑念は避けがたい。
だがこの問題は、これまでであれば、大きな問題にはなり得なかった。
まずそもそも、人々は現実との戦いに疲れ果てているから、そんな高尚な疑問を抱かない。自分たちが惨めな日々を送っていることを、自明として受け入れてしまうのだ。
それに、派遣されてくる司祭たちは基本的に博識で、弁舌も巧みなことが多い(口下手なユーリーン司祭だって、博識という点では疑いようもない)。だから万が一、領民の間から(あるいは領主から)神の無謬性を疑うような声が出たとしても、司祭たちは「それはそのようなものである」ことを人々に納得させることができる――ダメだった場合は異端審問官の出番であり、やはり問題は解決する。
けれども我が領民が〈貧者の聖書〉を作る職人となったいま、彼らは自然な成り行きとして聖書の言葉そのものに興味を抱くようになった。
これは良いことではあるが、危険な状況でもある。半端な知識で聖書を「理解」する領民が出ようものなら、それは容易に異端につけ込まれる弱点となる。そしてもはや〈貧者の聖書〉の生産計画が止められない以上は、領民たちを正しく教育し、異端への耐性を高めねばならない。
かくしてユーリーン司祭が「正義」、ナオキが「悪」を演じる寸劇という形で――ユーリーン司祭は演技しようとすると固まってしまうので、教理問答という形式に模様替えしたが――領民たちに何が正しく、何が間違っているかを教えるという計画が始まった。
娯楽の少ない辺境のこと、客観的に言えばスタイルの良い若い女性であるユーリーン司祭が、うさんくさい異端者を演じるナオキを折伏するという展開は、大いに喜ばれた。ユーリーン司祭の助手としてライザンドラ君が側に控え、問答の進行をアナウンスするのも良い趣向だ。
まあ、おかげで村の子供たちはナオキのことを本物の邪悪な異端者と信じるに至ったようだが、それはそれで仕方あるまい。彼にはあの手の悪役の才能がある。
しかるに最近ではこの寸劇に、「旅の審問官」を自称するハルナ審問官がキャストとして加わっている。
ハルナ審問官は、旅の審問官とはいうが、つまりは我が所領を監視に来たのだろう。審問会派の連中が旅する理由などたったひとつで、どういう理由かは知らないが、彼らは我が所領に異端の気配があると考えたのだ。まったく、忌々しい!
しかし、気がつくとハルナ3級審問官はすっかりこの村に馴染んでいた。ユーリーン司祭は専門的な教理問答ができる相手が得られたことにご満悦だし、領民たちも若く凛々しい女性審問官に夢中だ(ハルナ審問官自身が、審問官とは思えぬほど気さくだというのも大きい)。
一方でハルナ3級審問官はライザンドラ君にご執心で、金魚のフンのように彼女の後ろをついてまわっている。ライザンドラ君も利発なハルナ審問官に慕われるのがまんざらでもないのか(それとも自分と似たような境遇なのを哀れんでいるのか)、なんのかんので都会っ子に過ぎないハルナ3級審問官の世話をなにくれと焼いている。
かくいう私自身、所期にハルナ3級審問官に対して抱いていた嫌悪感はもうすっかり抜け落ちていて、むしろ「審問官として大成したいなら、もっと威厳を持った言動をしたまえ」と説教してしまうような始末だ。彼女にはどこか人のガードを下げさせる天性の才能があって、それはそれで審問官として大きな強みと成り得るだろうが、脇の甘さにしかならない危うさも感じてしまって、ついつい老人の説教をしてしまう。
……などと埒もないことを考えていると、ライザンドラ君はついにハルナ審問官の説得に応じることにしたようだ。
「わかりました。
では次回は、私がユーリーン司祭様とナオキさんに質問する形で進行させる、というのはどうでしょうか?
ユーリーン司祭様は神の無謬性の基本を語っていただき、私がそれを質問で具体的に補足します。
ナオキさんには、神も間違えることがあるのではないかという説を展開して頂きます。それに対して私はユーリーン司祭様への質問と同じ質問をして、これによってユーリーン司祭様の正しさが対照的にはっきり理解できる、という筋書きではいかがでしょう?」
なるほど。しかしまあ、「神も間違えることがある」とはまた、斬新な発想だ。ライザンドラ君にはまるで似合わない発想だが、ナオキあたりが口にすれば実にそれらしくなるだろう。いつも通り胡散臭い説で人を煙に巻こうとするナオキをライザンドラ君の真っ直ぐな質問が追い込み、ユーリーン司祭がとどめを刺すという筋書きなら、領民たちも大喜びするに違いない。
その予想図は、ハルナ審問官の脳裏にも明確に描けたようだった。彼女は椅子から立ち上がると、ライザンドラ君の両手を握りしめた。
「やったあ! 期待してます、ライザンドラお姉さま! じゃない、ライザンドラさん!」
……やれやれ。
私は軽くため息をつきつつ、勝手に筋書きを決められたナオキの方をちらりと見る。
彼もまた、苦笑しながら軽く首を振っていた。「蚊帳の外にいるうちに何もかも決まったか……まったく、仕方ないな」という呟きがその口から漏れる。
ふむ。では次回もせいぜい頑張り給え、〈異端者〉ナオキ君!




