アルール歴2180年 7月24日(+24日)
――ハルナ3級審問官の場合――
「ハルナ様。まもなくニリアン卿のお館がある村に到着します。
長旅、どうもお疲れ様でした」
窓の外を監視していた護衛の兵士が、私に声をかけてきた。
私は目を開くと、「ありがとうございます」と一声返す。
言うまでもなく、私はここまで眠っていたというわけではなかった。
原則として、審問会派はペアないし1人で旅をする。専門の護衛がつくことは、ない。
けれど自領を異端審問官が通過すると聞いた領主たちは、競って腕利きの護衛をよこしてくる。自領で異端審問官が不審な死を遂げたなんてことになろうものなら、間違いなくその領主は面倒なことに巻き込まれるからだ。
かくして3級審問官である私にもまた、サンサまでの長旅の間は最高の宿と最高の馬車(ないし船室)が提供され、土地それぞれの護衛によってしっかりと身辺を警護されることとなった。これまでは師匠に同行しての潜入調査がメインだっただけに、窮屈と言えば窮屈、快適と言えば快適な旅だ。
まぁその何ですよ。別にね、裸を見られるくらいでいちいち悲鳴をあげたりするほどヤワに育てられたつもりはないですよ? でもねえ、レディース・デイ絡みの情報を師匠と共有するのは、正直キツかったっす。
ともあれ、私が寝たふりをしていたのには理由がある。
護衛につけられた兵士が、ダーヴの街の衛兵たちだからだ。
ダーヴの街を支配しているのはエルネスト男爵で、エルネスト男爵はデリク伯爵の配下という点ではニリアン卿と同格だが、家の格で言えばニリアン卿のほうがずっと上ということになっている。
とはいえダーヴの街は近隣にある港町エロナを経済基盤とし、芸術および工芸品の製造と流通で大いに栄えている。ぶっちゃけトークをすればエルネスト男爵がちょいとお小遣いをひねり出す程度でニリアン領をまるまる購入できるくらいの経済格差があって、要はエルネスト男爵はニリアン子爵を「名前だけ立派な老害」程度に考えている、らしい。
……といった情報は事前にも調査していたが、なにしろ帝都にある最新の資料が2年前のものなので鵜呑みになんて絶対にできない。かくして実地調査するしかないのだけれど、異端審問官の称号をぶら下げた人間が何を聞いたところで公式見解しか返ってこない。
というわけで私は寝たふりをすることで、あまり士気も高くなければ練度も微妙な衛兵たちが退屈に耐えかねて愚痴トークを始めるのを待ち、案の定愚痴大会を始めた彼らから上記のような確定情報をゲットしたというわけだ。
ちなみに彼らに言わせてみるとニリアン領の美点は3つだけで、1つめは教会の司祭が巨乳なこと、2つめはその助手が超美人なこと、3つめはニリアン卿の孫娘さんがこれまた印象的な美人なことだそうな。死ね。死んでしまえ。脳味噌が下半身に詰まった連中はみんな死んでしまえ。
衛兵の感性と知能に関する個人的な感慨はともかく、窓の外に広がる風景は「でもそういう下卑た意見が出るのも仕方ないか」と思わせる状況ではあった。
遠くに見える霊峰サンサは厳として人を寄せ付けず、サンサから吹き下ろす寒風が直撃する麓の村々はあまりに貧しい。荒れ地同然の原野の只中を貫く街道はかろうじて整備されているものの、馬車の乗り心地は最悪に近い。寝たふりをしていた私ですら心のなかで何度か「これってマジですか師匠」と呟いたのは秘密だ。ちなみに今も思わず声に出そうになった。
しかし、それにしても村人にまったく出会わない。確かに今日は日曜だけど、ミサがあるような時間でもない。何か特別なお祭りでもあるのだろうか?
この手の疑問は地元の人間に聞くに限る。私はなにげなく護衛の兵士にそのあたりを聞いてみた。
「村の人の姿を見ませんけど、今日は何かあるんですか?」
衛兵たちは互いに顔を見合わせ、「さあ……?」と気のない返事。うおーい。これでもし村が異端に乗っ取られてて、いままさに怪しい儀式の真っ最中だとかいうことになったら、私はもちろんだけどあんたらも生きて帰れないんですよ? そのあたりわかってます? まぁ私は異端審問官っていうか審問会派に入った段階で自分がベッドの上で死ぬことはないっていう覚悟があるからいいけど、あなたたちは違うでしょ?
などと思いつつも、「教会で集会でもあるんですかね? ちょっと先に教会に向かってもらえますか?」と提案。
とても面白い――もとい忌々しいことに、異端というものはなぜか教会を根拠地とすることが多い。もし啓示が示す大異端がニリアン領を本拠としている場合(その可能性はあまり高くないけど)、その地域で最も大きな教会がその感染源になっていると考えるべきだ。
であれば、まずは教会に接近し異常がないか確認すべし。私だって異端審問官のはしくれ、異端の兆候は外からでも分かる。明らかにアウトということになればその場で馬首を返してダーヴの街を目指して全力で逃げれば、もしかしたら生きたまま師匠に情報を伝えられるかもしれない。ま、その途中で私が護衛もろとも死体になればなったで師匠はそれを証拠として異端を全滅させるだろうけど、その様子を側で見れないとなると些かの悔いが残ってしまう。
そんなミーハーな覚悟を心の奥底に封じ込めて護衛の皆様に伝えた提案は、「また小娘が面倒なことを言い出した」みたいな表情コミコミで受け入れられた。あー、もう。コイツらが護衛じゃあ、500m前で異端の兆候を掴んだとしても死ぬなー。
半ば諦めつつ、半ば呆れつつ、半ば「でもまだ全然異端って決まったわけじゃないし」とか思う私を乗せて、教会へと続く小道へと馬車は舵を切る。
教会が近づいてくるのと同時に、教会の前に人だかりができているのも見えてきた。護衛の連中は「お祭りみたいっすね」とか適当なことを言っている。アホか。ニリアン領がこんななんでもない日にお祭りができるほど豊かなものか。
むしろあれは……なんだろう、説法か――さもなくば……とにかくその手のものだ。
でも、こんな時刻に説法だなんて考えにくい。朝イチならともかく、もう時刻は昼過ぎだ。それにそもそもこんなど田舎の貧農たちが、司祭の「ありがたいお話」を聞きに教会に全員集合するとか、絶対にあり得ない。帝都だってそんなことはあり得ないというのに。
ということは、やはりあの教会には何かがあるのだ。
この村の人々の心を捉える、何かが。
ここで引き返すべきか?
それとも、もう少し接近して、詳細を知るべきか?
方針を固めきれないまま、馬車は悠然と教会へと近づいていく。ああもう、こういうとき師匠ならどうしたんだろう? 自分で何もかも決めなくてはならないとなると、いよいよ自分の未熟さを痛感して死にたくなる。
でもそうやって死にたくなっているうちにも馬車は進み、教会前に集まった村人のうち数名が馬車の接近に気づいたのが、こちらからもわかった。どこにでもいそうな貧農たちが数名、ちらちらとこちらに視線を向けている。逃げるとしたら、ここがラストチャンス。
判断が遅れた己の無能さを呪いつつ、私は腹をくくることにする。
やっぱり現場は難しい。ここを生き延びたなら、次はこんな醜態を晒さないようにしないと。だからこそ、今は一番危険な選択をする。わりといい確率でここが現世における私の経験の終焉となるのだから、最も大きなリスクを踏んで、最も大きな経験を得る。それが祖父から学んだシャレット家の生き様。
私の緊張は、護衛たちにも伝わったようだ。居心地悪そうに身じろぎし、今更武装を確認している。
でも、もう遅い。もうそれは何の役にも立たない。
あるいは、そもそも必要ない。
馬車が教会前に到着した。
生か死か、さあ、どっちだ。
ひとつ、深々と深呼吸してから、私は馬車を降りる。近くにいた貧農たちが、馬車と私のほうをちらりとみて、それからすぐに視線を前に戻した。
彼らの視線の先は、教会の前庭だ。演壇が2つ出ていて、左の演壇には司祭服(あれはボニサグス派だ)を着た女性司祭、右の演壇にはいまひとつ風采の上がらない男が立っている。左側に立っている女性司祭は禁欲的な僧服の上からでもわかる立派な胸囲をお持ちなので、おそらく彼女がこの教会を受け持つ司祭なのだろう。うーん、あれはすごいな。私は特にその手のコンプレックスはない系なんだけど、あれはすごい。なるほどすごい。
いやそうじゃない。今はそれが問題じゃあない。
みたところ、構成としては一般的な教理問答だ。司祭はボニサグス派らしいガチガチの理論派で、使っている用語もわりと専門的。男は――もしかすると素人なのだろうか――用語も概念も非常に曖昧だが、ボニサグスの巨乳司祭に比べると圧倒的にわかりやすい。
問答の焦点は〈原初〉の第2章、いわゆる天の門に関する議論だ。
〈原初〉2-11「祈りこそは天の門を開く唯一の鍵である」という記述は、古来から無数の説を産んできた。現状では巨乳司祭が語るように「鍵が正しくとも鍵を持つ者が邪心を抱く限り天の門は閉ざされる」というアムンゼン説が最有力だが、実はこれはこれで弱みもあって、〈原初〉2-14「正しき祈りは邪なる魂を浄化する」をバカ正直に捉えると、
・邪なる魂の持ち主が正しき祈りを行う→魂が浄化される
・浄化された魂が正しい祈りを続ける→天の門が開かれる
……という具合に、「何をやっても正しく祈っておけば天の門が開かれる」というトンデモ解釈が爆誕することになる。
この問題についてもアムンゼン説はちゃんとカバーしていて、アリア書4.21「罪とは魂の足跡である」を踏まえたいわゆる罪業説によってその手のトンデモは否定されているのだけれども、この罪業説というのが賢者アムンゼンらしい難解さを誇っているせいで、学者にも僧侶にもなれそうにない貴族のボンボンが罪業説を無視した論をぶち立てては失笑されるという事案が帝都の学院ですら毎年2~3件発生し続けていた。
そういった諸々を踏まえ、63年前に「何をやっても正しく祈っておけば天の門が開かれる」的なトンデモ解釈は異端であるという決議が成された。審問会派が中心となって作り上げたこの決議案に対しボニサグス派は「誤りだが異端ではない」と食い下がったが、社会の安定を考えれば異端として塞いでしまったほうが望ましいという審問会派の主張は、最終的にボニサグス派以外の全派閥から賛同された。
それだけに、右側の演壇に立った風采の上がらない男が「〈原初〉に書かれた『祈りこそは天の門を開く唯一の鍵である』という言葉、そして『正しき祈りは邪なる魂を浄化する』という言葉をあわせて読むと、悪いことをした人であっても正しく祈ることでその罪は綺麗になり、天国への門が開かれるように思えるのですが?」と言い出したとき、私は大声で「それは異端です!」と叫んでいた。
叫んでから、私の中にか細く生き残っていた世間的な常識とやらが「やらかした!」と警告を発したが、異端を目の前にしてそれを看過するなど審問会派の存在意義に関わる問題だ。「今は見逃しておいて後で討伐する」というのは一見すれば賢いが、審問会派内部に異端が入り込む隙ともなる。異端と接触した審問官は、その異端を掃滅するか、さもなくばそこで死ぬ。それが異端との戦いの最前線に立つ(つまりは異端の影響を最も受けやすい)審問会派を異端から守る、最も賢い戦術なのだ。
そんな覚悟を込めて叫んだ言葉は、しかしながら、まるで予想外の反応を引き出した。私を取り囲む村人たちが私の方に視線を向けると――一斉に拍手をしたのだ!
えーっと。これは、いったい?
と、壇上にいるボニサグスの巨乳司祭から手招きされる。私は微妙にキョドりながら、招かれるままに彼女のもとへと向かった。村人たちはどうやら私に敬意を抱いているようで、横を通り過ぎる私に頭を下げる人すらいる。
巨乳司祭の前に立つと、彼女は丁寧な一礼をした。
「私はボニサグス派のユーリーン司祭と申します。
その紋章は、審問会派の方とお見受けします。今の彼の主張のどこがどのように間違いであり、それがどのように人の心を蝕むのか、ご説法を頂いてもよろしいでしょうか?」
……ええと。ま、まあ、その、なんだか良くわからないけれど、ここは従っておこう。
ということで私は聴衆に向き直り、軽く息を吐く。頭のなかにはたくさんの専門用語と引用、各種基礎聖典の章と節番号が浮かんだが、それを言ってもこの聴衆に対しては無意味だ。
「――祈りによって、悪いことをした魂でも浄化されるというのは、本当です。
でも“悪いこと”というのは、魂に染み付いた匂いのようなものなのです。
祈りによって魂を洗濯しても、それだけで匂いがすべてなくなったりはしません。
皆さんがお洗濯するときも、ひどい匂いはなかなか落ちませんよね? それと同じです」
聴衆のなかの、特に女性陣が何度も頷く。
「神様はお優しいですから、祈っても消えないようなひどい匂い――つまり、ひどく悪いことをしでかした人にも、償いの機会をくださいます。
ですがそれはあくまで神様が直々に、それぞれの罪人に対して申し渡されるものですから、ただ祈ればそれで償われるというわけではありません。人によっては、この世で他人に与えた苦しみの数倍、数十倍の苦しみを地獄で味わうことで、罪の償いとなることもあります。逆に祈りどころか、神様にもう一度頭を下げるだけで許されることだってあるでしょう。
でも、大事なことだからもう一度説明すれば、どうやって償うか、つまり魂に染み付いた悪い匂いをどうやって消すかは、神様がお決めになられるということです。人が勝手に『祈ればいいんだ』と決めてよいものではないんです」
聴衆の間から、「なるほど」「確かに」と、小さな囁きが聞こえる。
なんだろう。この、妙にしっかりとした手応えは。自分の場当たり的な説法が、この貧しい農民たちの心にちゃんと届いているという、そんな奇妙な(そしてあり得ない)充実感がある。
「ここをおろそかにすると、例えば他人から物を奪ってから、いざ衛兵に捕まると『俺は神様に祈ったから罪はない』と言い出す、とても困った人が出てしまいます。これがおかしいことだというのは、神様にお伺いをたてるまでもなく、明らかなことではありませんか? 当然ですが、神様だってそんな身勝手はお許しになられません。
このように、身勝手な解釈は、身勝手な行動を呼び、身勝手な結果を生むのです。皆様がいかにして生きるかを悩んだときは、必ず、司祭様に相談してください。司祭様はきっと、一番正しい道を示してくださいます」
ここまで言って、私はちらりとユーリーン司祭のほうを見る。
「……まあ、その、ユーリーン司祭様はいささか真面目すぎる方のようですから、皆様がすぐに納得できる言葉で説明してくださらないかもしれません」
ユーリーン司祭を軽くいじったところで、聴衆は大いに沸き立った。司祭はかっと赤面して、うつむいてしまう。あら可愛い。
「ですが、正しいのはユーリーン司祭様です。
決してこちらの男性のような、曖昧な言葉で適当な解釈を語る詐欺師に騙されないようにしてください。その先に待っているのは、地獄だけです。
私からの説法は以上です。これでよろしいですか、ユーリーン司祭様?」
終わりの宣言にあわせて聴衆は立ち上がると、一斉に拍手。ユーリーン司祭も、うさんくさい男も、その拍手にあわせて盛んに手を叩いた。
うーむ。
……で、この教理問答は、何なのだろう?
というか――この村ではいったい、何が起こってるのだろう?




