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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
繊細の精神と幾何学の精神はいかにして協力体制を構築するのか
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アルール歴2180年 5月18日(+38日)

――デリク伯爵の場合――

「いやまったく聞きしに勝るド田舎ですね、ここは。

 なるほどあんな厚かましい女が育つのも、よくわかります」


 隣でボヤく息子のエミルを視線で制して、私はニリアン卿の出迎えを待った。歳老いてなお矍鑠としたニリアン卿は、杖こそついていたが、人間にとって極限の地ともいえるサンサの辺境を守る守護者としての風格を備えている。


「これはこれはデリク卿、このような辺境までよくいらっしゃいました。

 何もないですが、まずは我が館にご案内します」


 丁寧だがけして媚びるところのないニリアン卿の姿は、帝国貴族かくあるべしと両親に教えられてきた「誇りある貴族の理想像」そのものだ。こんな凍てついた辺境ではなく、南蛮北狄と帝国が鍔迫り合いをしている国境地帯にこそ、ニリアン卿のような人物を配置すべきであろうに――そんな無意味な思いが胸中をよぎる。

 ともあれ、まずは卿の案内に従い、「館」とやらに向かう。館といっても古い軍事要塞をそのまま使った建物で、それほど快適な逗留は期待できまい。特に軟弱に育った次男のエミルなぞ、一晩過ごせば風邪を引いてそのまま天に召されかねない。無礼の極みではあるが、エミルだけは用事が片付いたらダーヴへと向かわせ、そこで待たせるしかないだろう。


 杖をつきながらも大股で歩くニリアン卿のあとを追って、私とエミル、そして側仕えの数名と護衛の騎士たちは、卿の館に入った。予想通り館の内部は質実剛健の四文字が結晶化していて、館というよりは要塞そのものだ。

 私は筆頭護衛騎士のアスコーニにちらりと視線を送る。アスコーニは小さく頷き、この極貧の地がいまなお臨戦態勢を維持していることを認めた。

 我が家系は代々軍人の家系だが、私は軍事の才能に恵まれなかった。このため、アスコーニのように何度も白刃の下を潜ってきた歴戦の傭兵や軍師たちを騎士として採用し、軍事的な問題については彼らの意見に従うようにしている。


 やがてたどり着いた応接室という名目の部屋も、どんなに良く評価しても「綺麗に掃除された兵舎」とでも言うべき部屋だった。

 だが座るように示された椅子はなかなか良いもので、クッションひとつない質素な作りのわりに、これなら長い時間座っていても疲れないだろうな、と思わせるものだった。後ほど機会をみてこの椅子を作っている職人を紹介してもらうとしよう――クッションのない椅子になど座ったことがない息子は、露骨に嫌そうな顔になっているが。


 全員が着座したところで、まずは私が口火を切る。


「本日はお招き頂いたうえ、ニリアン卿御自らのお出迎え、深く感謝いたします。

 アレシウス4世猊下ゆかりのこの地、書類上はながらく我が家の管理下ではありましたが、異端との戦いを隙なく続けてこられたのはニリアン家の働きあってこそ。

 本来であれば毎年でもこちらから伺いご挨拶すべきところを、恥ずかしながらほぼ100年以上当家の者がこの地に赴かなかったこと、先祖にも代わって深くお詫びいたします」


 サンサにおける異端との戦いの指揮をアレシウス4世から受けたのは、デリク家だった。

 だが当時から無理筋だったこの戦線に対し、当時のデリク家当主は陪臣を派遣することで対応した――それがニリアン家だ。ゆえにデリク家はニリアン家の主家筋にあたるが、とはいえ100年単位で放置してきたとあっては、その不義理を詫びるべきは疑いなくデリク家だろう。

 私はしばしば「デリク家の今代当主は安易に頭を下げすぎる」と陰口を叩かれているが(そして息子たちは皆その陰口をもとに私を諌めようとするが)、頭を下げるべき場面で頭を下げない理由が、私には理解できない。


「それからもうひとつ、お詫びすべきことがございます。

 ニリアン家の跡取りであり、故エドガー殿のご令嬢であるレイナ殿に、不肖この馬鹿息子めが手前勝手な婚姻の約束をし、あまつさえレイナ殿の純潔まで奪ったこと、本来であればエミルの首をもって贖うか、さもなくば己の成した約定を守らせるところであります。

 ですがエミルには婚約者がおります。そして遺憾ながら、当家としてはその約定を優先させねばならぬ事情がございます。願わくば、相応の補償をもってニリアン卿のご寛恕を願えませぬか。無論、ならぬということであれば、エミルの首をもって贖います」


 今回、この辺境まで足を運ぶハメになった理由のうち、1つがこれだ。

 この馬鹿息子がしでかしたとんでもない不始末の重さを、そろそろ馬鹿息子にもその身で理解してもらわねば困る。

 ――という気持ちをこめて、私はニリアン卿に視線を送る。すべてを理解したとおぼしきニリアン卿は、「ふむ」とつぶやくと、壁にかかった剣を手にした。そして杖をついて歩く老人とは思えぬ、見事な大上段の構えを取る。応接室の天井は高く――おそらく昔は本当にここは兵舎で、兵士たちが日々訓練していたのだ――刃渡り90センチ近い剣を上段に構えても、天井までには余裕がある。


「この地はそもそも異端と戦う最前線。しかるに婚姻の誓いは神への誓いでありましょう。

 神への誓いが世俗の理由で無下にされるなど、この地においては許されざることです。神との約定を人との約定をもって有耶無耶にするのであれば、それは異端の侵入を許す弱さとなりますからな。

 ではエミル殿、お覚悟」


 ニリアン卿はよどみなくそう宣言すると、裂帛の気合いとともに数歩を駆け寄り、エミルに向かって剣を振り下ろした。私は想定外のことにピクリとも動きがとれず、アスコーニをはじめとした護衛騎士すらニリアン卿の鬼気迫る気迫に圧倒されて動けずにいた。エミルに至っては何をか言わんや。


 馬鹿な。ここでエミルを殺すか!?


 ニリアン卿が振り下ろした剣の切っ先は狙い違わずエミルの首へと銀の滝のように落ちていく。私は思わず目をつぶり、息子の死を否定しようとした――何の意味もない行為だが、武の才に欠けた私の、これが限界だった。


 一瞬の、沈黙の時間が過ぎる。


 それから――ニリアン卿が、剣を鞘に収める音がした。

 私はおそるおそる目を開け、そしてまだエミルの首が胴体としっかりつながっているのを確認した。寸止め? いや違う。確かにニリアン卿は剣を振り抜いたはずだ。

 と、少し遅れて、エミルが首に巻いていたアスコット・タイがはらりと地面に落ちた。派手好きのエミルにしてはなかなかいいセンスだと思っていた、落ち着いたダークレッドのタイ。まさかニリアン卿は、それだけを斬ったというのか!?


「――ふむ。私も老いたようです。エミル殿の首を落としそこねました。

 とはいえ、エミル殿の罪を贖うための処刑の一撃が振り抜かれたのは事実。我が剣を生き延びた以上、この地ではこれ以上、罰を求めることはございません。

 無様なところをお目にかけました、デリク卿。なんとも、歳はとりたくないものですな」


 私は呆然としつつも、ニリアン卿の示した落とし所(・・・・)を理解した。

 処刑は行われ、そしてエミルは死ななかった。ゆえに、罪と罰は確定したが、すべては過去のものとなった。サンサという戦地のローカル・ルールは守りつつ、帝都での政治(・・)も尊重する――普通なら両立不可能なこの問題を剣の一振りで成し遂げたニリアン卿は、稀代の傑物というほかない。


 しかしそれだけに、何か奇妙な違和感は残った。

 ニリアン卿は、老齢だ。どんなに自信があったとしても、うっかり(・・・・)エミルを殺してしまう可能性だって、十分にあった。陪臣の家が主家の次男坊に剣を向けたというだけでも普通ならほぼほぼアウトなのに、万が一にでも殺したとなればニリアン家はおしまいだ。だのになぜ、アスコット・タイを斬るような危険を犯したのか?


 そのとき突然、私はすべてを理解した。

 目の前が昏くなるような怒りに震えながら席を立ち、硬直したまま失禁しているエミルの前に立つ。それから、床に落ちている美しいタイを手に取った。


「エミル。このタイは、お前が買ったものではないな?

 お前の空虚な頭では、ここまで品が良く、かつ華美に過ぎぬものは選べん。

 いますぐ答えろ。これを、誰から受け取った!?」


 エミルは陸に打ち上げられた魚のように何度も口をパクパクさせた挙句、一番聞きたくなかった答えをひねり出した。


「そ、その――それはレイナが……プレゼントしてくれて――」


 最後まで言わせず、私はエミルの右頬を全力で殴りつけた。

 エミルはもんどりうって吹き飛び、壁に叩きつけられる。才能はなくとも武人としての訓練だけは受けてきたこの体をもってすれば、やろうと思えばこれくらいのことはできる。


「エミル! いますぐこの部屋から出て行け!

 俺がニリアン卿に命がけで請うてその剣を借りる前に、出て行くのだ!

 この――忌々しい、恥さらしめが!」


 後ずさるようにして部屋から転げ出ていくエミルを、肩で息をしながら睨む。追いかけてケツを蹴飛ばしてやりたくなったが、アスコーニがすぐにエミルの後を追ったのを見て、彼ほどの武人に子守をさせる申し訳なさで怒りがすっと冷めた。かわりに猛然と恥ずかしさがこみ上げてくる。

 私はなんとか自制心を取り戻そうと努力しつつ、改めてニリアン卿に向き直って頭を下げた。


「なんと――なんとお詫びしたものか……

 今からでも剣をお借りし、あの愚昧で未熟な息子の素っ首を私の手で……」


 もう少し取り繕ったことを言えるかと思ったが、わりと本心がそのまま言葉に出た。

 そんな私に、ニリアン卿は穏やかな笑みを向ける。


「そのようなことをおっしゃいますな。

 この地は、家族が生き延びるため、ときに己が赤子を自ら絞め殺す父母が生きる土地。

 父が子を殺めるなど、実際に起こってみれば心が砕かれたような空虚さしか残りませぬ。

 それに――」


 ニリアン卿は軽く息を継いだ。


「愚昧で未熟、良いではありませぬか。

 デリク卿のご子息も、我が愚かな孫娘も、まだまだ若い。いっときの血の滾りにまかせて過ちを犯すのも、若さなればこそでしょう。

 加えて言えば、結局は男女の間で起きたことなれば、ご子息ばかりではなく、我が孫娘にも相応の責はあったはず。ここは痴話喧嘩両成敗と参りましょう――まぁ、さすがにあのタイだけは、この場で返して頂くことにいたしましたが」


 ニリアン卿の采配は、完璧としか言いようがなかった。まったく、なぜこんな人物が、こんなどうでもいい辺境に埋もれているのか。帝国はどうなってしまったのだ。

 と、そんな大所高所からの目線で愚痴っても仕方ない。なにせ我が身もまた「あんなクズが八名家のひとつであるデリク家の次男坊だなんて」と大所高所から批判されるべき身だ。


「ニリアン卿のご寛恕、情けないながらもすべてお受けさせて頂きます。

 いやはや、卿には今後300年かけても返せぬ借りができましたな」


 気を取り直して、政治の話に戻す。ニリアン卿は五分五分と言ったが、こちらとしては「借りがある」ことにしたい。

 なにしろ、このニリアン卿が手塩にかけて育てあげたのが、レイナ嬢だ。エミルなんぞに引っかかるあたりまだ甘さを感じなくもないが、レイナ嬢は我が身を捨てて主家に貸しを作ってみせたと考えることもできる――つまり、ハメられた(・・・・・)のはエミルだと考えたほうが、この状況をより綺麗に説明できる。

 エミルの縁談はずっと昔に決まってしまっているが、デリク家の分家であるマイス家の三男ヘイズはまだ婚約が決まっていないはず。レイナ嬢が17歳、ヘイズが8歳だから、年齢的にも悪くない。ここで思いきってレイナ嬢とニリアン家を完全に吸収してしまったほうが、デリク家の未来にとってはプラスになるはずだ。そしてそのためには、「借りを返す」形で縁談をまとめてしまうのが一番良い。


 だがニリアン卿の答えは、またしても私の予想を裏切った。


「はは、もしそうお考えでしたら、とある男に会ってみて頂けませんかな。

 身分卑しき商人ながら、私を真正面から煽る胆力を持っておるし、商売の目は恐ろしいほど確かです。

 きっとデリク卿をも驚かせるようなものを見せてくれると思いますぞ――そう、例えば〈貧者の儀式〉をいかにして見出したか、であるとか」


 ここで、このカードを切ってくるか。

 確かにこの地に来たもう一つの理由は、ニリアン卿が「昨今、ちまたで話題の〈貧者の儀式〉について、その発信源を紹介したい」という手紙をよこしてきたから、という部分がある。

 私としては、貧者の儀式そのものには、さしたる興味はない(様々な報告書を読んだが、普通に教会に頼んで豊穣の儀式を行ってもらえば費用対効果としてはそちらのほうが優れている)。だがこんな馬鹿げた思いつきを実現してしまった人物には、興味がある。

 こと、よりによってあの(・・)神童ハルナ・シャレットが帝都の社交界に戻ってきた以上、こちらとしてもその手の規格外な人材をストックしておきたいという気持ちは強い。ハルナに直接立ち向かえなくとも、時間稼ぎができそうなら、それだけで食客として囲う価値があるのだ。


 だから私は、いかにも「それは驚いた」という芝居をしつつ、ニリアン卿の提案を受け入れた。


「ほほう、ニリアン卿を相手に一歩も引かぬ商人とは、それだけでも興味を惹かれますな。

 では是非とも、その商人とやらに会わせて頂けませんか?」


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