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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
繊細の精神と幾何学の精神はいかにして協力体制を構築するのか
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アルール歴2180年 1月5日(+5日)

――ニリアン子爵の場合――


「大変申し訳ございません、遅参いたしました」


 ユーリーン司祭がライザンドラ君を伴って執務室に入ってきた。彼女が時間に遅れるのは、とても珍しいことだ。


「申し訳ございません。エッカルト家のヒルダさんが本日早朝に突然産気づきまして、その対応をしておりました。

 1時間ほど前にヒルダさんは無事男子を出産。母子ともに健康です。

 ユーリーン司祭様が祝福を授け、あとのことは村のご婦人方にお任せしてまいりました」


 なるほど。ついこの前までよちよち歩きの幼児だったヒルダ嬢も、気がつけば母となったか。なんともはや、歳を取ると月日が流れるのが早くなる。


「そういう事情であれば、遅刻も仕方あるまい。いや、むしろ私は感謝すべきだ。

 ユーリーン司祭にライザンドラ君、我が領民たちに新たな生命と明るい知らせを授けてくださったこと、まことに感謝する」


 私は二人に向かって軽く頭を下げる。二人は大いに恐縮したが、彼女らが医学に明るくなければ、領民が1人増えるのではなく1人減る可能性だって十分にあった。本来であれば報奨金を渡すべき功績とすら言える。

 が、遺憾ながら、彼女らに失礼にあたらず、かつ領主の威厳を保てる程度の報奨を用意できぬ以上は、せめて領主が頭を下げることで謝意を示すほかない。


「エッカルト家には祝いの品を用意する。あとでアランに運ばせよう。

 さてナオキ君、目出度い話を聞いたところで、あまり目出度くなさそうな話を聞くとしようか」


 遅刻した二人に手で着席を促しつつ、私はナオキの方を見た。彼は「目出度くないってほどじゃあないですよ」とかブツブツ言っていたが、目出度いと断言しないということは、そういうことなのだろう。彼の背後に立ったままのザリナ君も、その持って回った言い回しに苦笑いしている。


「まぁ、ではニリアン卿からのご指名もあったことですし、皆様もおそろいのところで改めて状況の報告と、今後についてのご提案をさせて頂きます」


 相変わらずのどこか人を食ったような口調で、ナオキは報告を始めた。


「さて、まずは良いお話しからです。

 この村といいますか、厳密にはこの村の教会に臨時収入のアテができました。

 昨年、ユーリーン司祭の主導によって復活させたマイナー版の豊穣の儀式――まぁ口さがない人もそうじゃない人も今じゃ皆〈貧者の儀式〉とか呼んでますが――が無事サンサ地域の教会における公認の儀式となったことで、あちこちの領主から指導その他のご依頼を頂いております。

 で、ですね。これに個別に対処してるとユーリーン司祭がカロウシしかねませんので、事後承諾になってしまって恐縮なんですが、ダーヴの街で説法と理論講演と技術指導をまとめてやってしまえるように手配を進めております。

 ユーリーン司祭はもしかしたら不本意かもしれませんが、ダーヴ市長をはじめとした街のお偉方に、ダーヴ教会のラグーナ副司祭様、あと『貧者の儀式』を復活させた現代の賢者ユーリーン司祭に対する個人的なファンの方々から、様々な形でのご寄付・ご寄進のご提案も頂いております。

 私見を申し上げれば、是非これらのご寄進を寛大な心でお受け頂けますと、こちらとしてはいろいろ助かります」


 ……なるほど。いまや〈貧者の儀式(・・・・・)〉として知れ渡ることとなったあの儀式は、同じように貧しい村々を抱えた領主にとってみれば垂涎の的だ。そうなれば当然、領地づきの司祭だって「〈貧者の儀式〉であれば自分でも指導できます」と言えなくては、いろいろマズイ。

 そしてその緊急の需要に対し、商売人ナオキは見事、最高のステージと集金装置を用意してみせたというわけだ。

 しかし、ユーリーン司祭はボニサグス派の中でも特に清貧を重んじる派閥の出身だと聞く。ボニサグス派が神の次に重視する技術や知識をカネで売るというナオキの方針に、果たして彼女が首を縦に振るかどうか。


「分かりました。喜んで――とは申し上げられませんね。条件付きでお引き受けいたします」


 ほう。あのユーリーン司祭がイエスかノーかではなく、条件付きときたか。


「ナオキさんには、教会づき学校の設計、施工、消耗品の補充に関する計画の立案をお願いします。教会の敷地には使われていない古い建物がいくつかありますから、そちらを修繕していただくのが良いかと。生徒は最大で20名程度。教師は基本的に私が務めますので無給で計算してください。

 この計画の見積もりと実現のために、ダーヴの街からの寄進を使います。それでも構わないというのであれば、説法と講演、各種研修の件、お引き受けいたします」


 ユーリーン司祭の提案に、ナオキは少し驚いたようだった。だが「願ったり叶ったりですよ」とつぶやくと、「こちらこそその条件で是非とも進めさせてください。ま、一応こっちも商売ですので見積料は頂きますが、業者の斡旋や消耗品の納入についてはマージンは頂きません。正直、ウチの商売的にも些か門外漢なところがありますから、信頼できるプロと直接やって頂くのがよいかと」と一息でまくしたてた。

 しかるにそこまで話が進んだところで、ユーリーン司祭が私に向き直る。


「ニリアン卿。いまお話したとおり、私はこの村における教会学校の復興を考えています。

 生徒は原則として村の子供たちですが、希望があれば大人もお引き受けします。

 無論、これによって彼らの労働時間は減少せざるを得ません。そして1年や2年で結果が出るものでもありません。ですが――」


 私は苦笑しながらユーリーン司祭の言葉を遮る。


「わかっておる。私が死ぬまでに、その学校が具体的な結果を出すことはないだろう。

 だが孫のレイナがこの村に帰ってくる頃には、あやつにとってより統治しがいのある地となっておろうな。

 その計画、私も賛同する」


 もとより、治外法権を有する教会の敷地内にユーリーン司祭が何を作ろうが、私が口を挟む権利はない。が、学校となれば教会と領主の協力は不可欠だ。そしてこの協力の依頼に乗らないほど、私は暗愚ではないつもりでいる。

 私の言葉を聞いて、ユーリーン司祭はほっとしたような笑顔のようなものを浮かべた。


「ありがとうございます。

 ではナオキさん、よろしくおねがいします」


 ユーリーン司祭はナオキに向かって頭を下げる。ナオキは何度も何度もペコペコと頭を下げ返した。あれが彼の癖だというのはこの1年でよくわかったのだが、どうも不愉快な癖だな、という印象は抜け切らない。

 そして案の定、ナオキは大きな爆弾発言を投げてよこした。


「承りました。ところでこれはあくまで確認なのですが……いやその、本当は確認するまでもないと思ってはいるんですが、司祭様にひとつだけお尋ねしたいことがありまして。

 村人が聖句を書き写した木片なんですが、あれがどうしてもほしい、売ってくれと言ってくるバカどもが山ほどいるんですよ。いやね、ダーヴの街じゃあ、〈貧者の儀式〉を復活させたニリアン領そのものが、今では英雄視されているというか、幸運の村として羨ましがられているというか、まあ、その、そういう状況でして。

 でもこれ、カネで売買されたとなったら、相当マズイですよね?」


 ナオキの言葉に、一瞬でユーリーン司祭は沸騰した。当たり前だ。


「はい!? 今なんと!? いえ結構、そのような話を二度聞きたくはありません。

 かの木片は、村人たちの信仰の結晶であり、それを神がお認めになったという証です。

 それは断じて金銭で取引してよいものではありません! あなたは信仰をカネで売るおつもりですか!」


 ナオキはいかにも「怒号に縮み上がった」かのようなそぶりを見せつつ、抗弁する。


「いえいえ、私がそういうことをしようと思っていたわけでは、ないんです。

 ただ、ダーヴの街にはそういう需要が生まれてしまっているということを、お伝えしたかったんですよ。ああいう大きな街では、その手のよこしまな欲望が跋扈するものです。

 最大の問題は、そういう要望が私の耳に入ってきている、ということです。具体的な数字まで一緒になって、ね。つまりそういう商売をしている不埒な輩が、もうすでに存在するってことですよ。

 で、ですね。これはダーヴの街だけの問題じゃあないんです。要はこの村の善良な人々がダーヴの悪徳商人に騙されて、おそらくはタダで例の木片をくれてやってるケースがあるはずなんです。ダーヴからやってきた行商人に『病気の母が、死ぬ前に奇跡の札をひと目見たいと言っている』とでも言われれば、ここの村人なら喜んで木片を渡すでしょう? そいつが高値で取引されてるってことなんです」


 実にもっともらしい説明だが、実際、そういうことなのかもしれない。

 ナオキはいかにもこの手の姑息な商売に手を出しそうな人間だが、私の見たところ、彼はもっと遠く(・・)を目指している。ユーリーン司祭のみならず、厳格な教会関係者の目に触れればその場で破門と火あぶりが即決するような商売に手を出すとは、到底……いや、あまり……いや、もしかしたら……ありそうだが……

 一方で、ユーリーン司祭は私とは別の方向性で思い悩んでいるようだった。この1年で人間的にも随分と成長したとはいえ、彼女は所詮、学究の徒だ。ナオキのように海千山千の商売人相手ともなれば、あっさりと思考を誘導されてしまう。


「……そうですか。これは――私の失態です。『個々人の信仰は個々人のものであり、それを隣人に譲ることはできない。さもなくば隣人を愛することと、隣人を崇拝することを、取り違えることになる』とは教えてきたつもりでしたが……伝わっていなかったのですね」


 まったく。そんな難しい概念が、この辺境で貧困にあえぐ村人たちに伝わるとでも思っていたのだろうか、彼女は?


「ともあれ、状況は理解しました。ダーヴの街での説法ではその点を強調しますし、ダーヴの司祭様にも強く進言します。さすがにあの(・・)ケイラス司祭といえど、秘蹟売買に対しては厳格であるはずですから」


 それはどうかなという言葉が喉の奥から出かかったが、心の中に留めておくことにする。

 あの(・・)ケイラス司祭なら、「たかが貧民が書いた木片程度」が高値で売れるなら、喜んで売買の許可を出しそうな気もする。そしてその商売にナオキが一枚噛んでいる――このほうが、よほど想像しやすい。

 が、そのことをこの場で言ったところで、ユーリーン司祭の心には響くまい。それに私としても、この程度の小賢しい小銭稼ぎを巡って神学論争を戦わせることには、まるでメリットを感じない。そもそも私は世俗の支配者でしかなく、ナオキがコソコソ進めている商売が「貧民が字を書いた木っ端を売る」というだけのことなら、そのどこに違法性があるのかと問わざるを得ない立場なのだ。


 よしなしごとを心に巡らせる私の思いを知ってか知らずか、ナオキはユーリーン司祭の言葉に何度も頷くと、報告を続けた。


「ともあれ、ダーヴの街の件についての報告は以上です。

 で、ここからがあまり良くない報告でして――このままですと、どうやら今年の儀式も、トータルで見ると赤字になりそうなんです」


 やはりか。今年もナオキは完成した木片を買い取る形で領民に報奨金を渡していて、やはりそこは領民たちにとっても大きなモチベーションとなっている。

 なかには「自分はカネなど受け取れない」と言い出した領民もいるそうだが、そういう領民に対してはライザンドラ君がちょっとした食料や調味料といったもので報酬を渡している状態だ。そうしないと領民の間でも「カネを受け取る派」「受け取らない派」がはっきりと分かれてしまい、最終的にはナオキが提示する報酬があればこそギリギリこの儀式に参加できている極貧の領民たちが割を食うことになる――だいたいこういう派閥抗争は「カネを受け取らない派」(=そんな小銭を貰わなくてもやっていける派)が勝つものなのだ。


「ただ、良いニュースもあります。

 今のペースで儀式が進めば、昨年よりも15日ほど早く目標が達成できそうです。妙なたとえになってしまいますが、安息日には儀式を休んでも、昨年と同じペースで儀式は完成するってことですね。この調子で行けば、あと5年くらいで冬の手仕事と儀式を並行できる可能性もあります。そこまで来れば、なんとかトントンってとこまでは行けると思いますね。

 儀式で得られた神の恩寵のおかげで、村人が病死する数も明らかに減っています。このまま順調に進めば、20年くらいでニリアン領は成長段階に入れるかな、というのが現状です。もちろん、私の援助抜きでね」


 20年、か。私がその頃の領地の姿を見ることは、決してあるまい。

 だが300年に及ぶ絶望の日々が、たった20年ちょっとで希望と未来を描ける日々に変わると思えば、これこそまさに奇跡というほかないだろう。

 とはいえ、私は統治者だ。あらゆる――そしてあまりにも明白なリスクを指摘せずに、無邪気に未来を信じるわけにはいかない。


「ナオキ君。それは極めて望ましい未来図だが、ひとつだけ問題がある。

 その問題とは、君だ。

 20年の間、君は援助を続けられるのか?

 仮にそれが可能だとして、君がこの20年の間に死ねば、すべては振り出しに戻るのではないのか?」


 意地悪といえば、意地悪な質問だ。

 私が採算を度外視して孫のレイナを帝都の学校に通わせているのは、様々な政治的理由はあれど、最大の理由は「帝都で暮らすことが最も生存率を高めるから」という極めて現実的な理由に依ったものだ。レイナ以外に後継者がいない以上、彼女の命はすなわちニリアン家とニリアン領の統治継続性に直結する。

 つまり我々統治者側ですら、20年の統治の保証をするために膨大なコストを支払っている。それを一介の商人にすぎないナオキに求めるというのは、あまりに酷と言えよう。

 案の定、ナオキは首を横に振った。


「そこなんですよ。

 所詮、自分は商売人です。いまは幸い、いろんな歯車が噛み合っているから、多少の赤字を吐き出す事業でも投資し続けられる。でも商売ってのは水物ですから、もしかしたら明日は道端で物乞いをしてるかもしれない。こればかりはもう、いかんともし難いんですよね。

 もちろん、今日の夜にでも突然、雷に撃たれて死んでしまうかもしれない。こっちもやっぱりいかんともし難いところがあります。

 あー、まあ、ライザンドラはとても有能ですが、あくまでここでの事業を進める上でのパートナーであって、私の事業全部を任せられるかというと、まぁちょっと時間がかかるなと思いますし。ああいや、そういう話じゃあなかった。いや、半分はそういう話なんですが。

 そこで、です。ちょっとばかり、新しい事業を試してみたいんですよ。干し柿よりずっと儲かって、かつ、流行り廃りのない需要があるモノを、この村で作れないかと思ってるんです」


 そんなことが可能なら、話は早いのだが……という私の反論を遮り、ナオキはとんでもない事業計画(・・・・)を口にした。


「ここの領民は、儀式を通じて聖句を模写するすべを覚えました。

 だったら聖句を模写するだけじゃなくて、みんなで分担して聖書そのものを模写していくことだって、可能だとは思いませんか?」

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