アルール歴2193年 5月8日(同日)
――マレッタの場合――
ものすごく正直な感想を言えば、「自分はなぜここにいるんだろう?」以外、何も言えない。
私は、自分でもびっくりするくらい、普通の人間だと思う。
生まれは帝都だけど、父は貧乏な職人で、「貧乏人の子だくさん」という言葉どおりの家だった。
家が貧乏な理由にしても、ただ単に職人としての父の腕前が平凡だったというだけ(今になって振り返ると、父の仕事はどちらかといえば雑な部類に入ってたんだなあ、みたいな気持ちになる)であって、陰謀とか弾圧とかその手の難しい話は一切関係ない。毎晩大酒を飲んでは家族に暴力を振るう――みたいな話も一切なくて、むしろそれ以前の問題として大酒を毎晩飲めるような収入がなかったんだと思う。
母は毎日のように日雇いの仕事をしていて、普段は近所のパン屋で売り子をしていた。母もいたって普通の人で、ヒステリーを起こしては父に殴りかかる的な展開を見たことは一度もないし、若い男を囲っていたみたいなドラマチックな話もなかった、と思う。
兄弟は自分の上に男女混合で4人いて、私は末っ子だった。末っ子だからといってすごく可愛がられるといったこともなく、逆に虐められるということもなく、兄や姉からは字を習ったり、一緒に遊んでもらったりしていた。「お前も6歳になったら俺たちと一緒にゴミ拾いのバイトをするんだぞ」というのが、一番上の兄の口癖だったのはぼんやりと覚えている。
そんな状態だったから、同居していた祖母が突然倒れて、あとは死を待つばかりとなったとき(医者を呼ぶお金なんてどこにもなかったし、祖母もそれは望まなかった)、祖母が死ぬまでの間の身の回りの面倒を見る役割が私に回ってきたのも、必然だったと思う。
食事の準備だとか、着替えだとか、あとは下の始末みたいな仕事は父母がやってくれたけれど、それ以外の小さな雑事は私が受け持つことになった。始めのうち祖母は「すまないねえマレッタ」と言ってくれたが、2ヶ月ほどでそれを口にする体力もなくなって、倒れてからきっかり3ヶ月後に死んだ。最初は1週間も持たないだろうと言われていたから、祖母はよく頑張ったと思う。そうやって頑張ることに何の意味があったのか、今となってはまるで見当もつかないけれど。
祖母が死んだことで緊張が解けたのか、葬儀の前日になって私は急に熱を出して、寝込んでしまった。
そしてそれが、家族と私の生死を分けた。
家に呼ばれた司祭様の手で最期の儀式を受けた祖母は、屈強な葬儀屋たちの手によって運び出され、帝都のはずれにある葬儀場でいちど身体を清められた後、共同墓地に葬られた――らしい。
けれどそのとき帝都ではたちの悪い病気が流行っていて、私の一家は葬儀場でその病気を拾ってしまった。考えてみれば当たり前のことで、流行り病が帝都に死をもたらしている頃に葬儀場に行けば、高確率で流行り病のせいで死んだ死体(ないしその死体の家族)と同席することになる。
最初に一歳上の姉が血を吐いて倒れ、そこから先はあっという間だった。流行り病による死者を出したということで私を含めた一家全員が診断を受け、私以外の全員が感染していることが判明し、私以外の全員が隔離されて、そして全員が死んだ。ほんの2週間ほどで私は突然孤児になったが、あのときは驚きや悲しさを感じるより先に、がらんとした家がただただ怖かったのを思い出す。
流行り病で一家が事実上全滅した家の孤児を引き取ろうなどという、善意にあふれた市民はいなかった。ご近所さんの家も小さな子どもがたくさんいたから、誰も引き取り手として名乗りをあげなかったのは仕方ないとしか言いようがない。
私の家族が死んだことを伝えに来た教会の人は「3日以内にまた来る」と言ったけれど、結局その人が再び姿を見せることもなかった。
でも私は、自分にゆっくりと迫りくる死より、誰もいない家のほうが怖かった。
だから私が住んでいた家のあたりを縄張りにしていたギャング、〈5B〉団が私を妹として引き取ってやると聞いたとき、喜んでその言葉に従った。両親からは「ギャングに関わっちゃダメ」ときつく言われていたけれど、一番上の兄は〈5B〉のメンバーになったことを誇らしげに自慢していたから、私にしてみれば〈5B〉は「兄のお友達」だった。
そこから先は、話が早い。
私がまっさきに覚えたのは、盗品を運ぶ仕事だった。それもハンマーとかノミとかいった、地味な仕事道具の盗品だ。盗品の運び込み先には工事現場が指定されていて、たとえ衛兵に捕まって質問されても、「兄の忘れ物を届けに行く」と言えば即座に解放された。一度だけ親切過ぎる衛兵が「一緒に届けてやろう」と言ってついてきたが、工事現場ではちゃんと兄たちが待っているから、嘘がバレる心配はない。
私には才能があったのか、徐々に運ぶ盗品のランクは上がっていき、それにあわせて私は帝都の裏路地をくまなく暗記するようになった。
8歳のときには兄の一人にレイプされたけれど、泣きながら一番上の兄に訴えたら、翌日には私をレイプした兄は帝都の運河に浮いていた。そしてそれからというもの、私は小さくて高価な盗品を、自分の膣に入れて運ぶようになった。
でも幸福な日々は長くは続かず、私が9歳の誕生日を迎える前に〈5B〉は〈ホワイト9〉との全面抗争に負けて、兄たちも姉たちも皆、殺されるかヤバイ売春宿に売られた。
その頃には私にも妹たちがいたが、私は彼女たちと一緒にその手の売春宿に放り込まれ、それからは立ちんぼとして客を取らされた。地獄そのものの毎日だったけれど、私が逃げたら妹たちにも客をとってもらうと脅され、どうしようもなくなった。一番下の妹は、まだ6歳だった。
それからも「白いお姫様」ことハルナさんのお屋敷で遊んでもらったり、教皇が次々に暗殺されたりと、目まぐるしい毎日が続いた。私は客に殴られたり蹴られたりしながら、どん底の毎日を送っていた。
でも下には下があって、よく分からない理由で衛兵に捕まった私は、南のネウイミナ領に流された。そこでは帝都での毎日がまだマシと思える日々が続いたけれど、やがて大きな戦争が起こって、酔っぱらいたちが勝った負けたと大騒ぎしているうち、いつの間にか帝国軍がネウイミナ領を占領して、私は異端審問官から簡単な質問を受けた後で、放り出された。
教会の人たちなんて、だいたいこんなものだ。自分たちが放り出した人間がその後で野垂れ死のうが、彼らには関係のないことらしい。
私は同じように放免された(あるいは追放された)人たちと一緒に帝都を目指した。途中でバタバタと人が死んだけど、いまさらそんなことで足を止める人はいなかった。
帝都が近づくにつれ、だんだん文明らしきものが戻っていって、私は身についた技術でなんとか食い扶持を稼げるようになった。関所を越えるときに違法な物品を隠して越えたい自称商人は結構いて、彼らのブツを運んでやると、その夜は彼らを相手にもうひと稼ぎできた。
でもそうやって北を目指した私達は、結局、帝都に入れなかった。私に限らず、誰もが前科持ちで、かつ身元保証人がいなかったから。眼の前で帝都の門を閉ざされた翌朝、ここまでの苦しい旅を耐えてきた数人が、眠ったまま死んでいた。
目的地を失った私たちはバラバラになって、思い思いの土地を目指した。親戚縁者を頼る人もいれば、次に大きな街を目指す人もいた。
惰性で北を目指した私は、帝都を後にしたその日のうちに偶然〈ホワイト9〉のメンバーに出会った。なんでも、彼らも今では別のギャングの傘下にいるそうで、そのメンバーはよく見ると左手の親指がなかった。彼は麻薬をクローニア市まで運ぶように命じられていて、「こんなにやまほどヤクを持ったままクローニアの門を越えられるはずがねえ、俺は死ぬんだ」とひたすら繰り返していた。
私は彼を慰めながら一緒に旅をしたが、最初の夜に彼が私をレイプしようとしたので、彼の腰に刺さっていたナイフを奪って殺した。この程度のことができないようでは、ネウイミナ領では生きていけない。
かくして幸運にも幾ばくかの現金と「やまほどの麻薬」(ネウイミナ領なら兵隊が昼食の後に一服する程度の量だ)、そして麻薬の配送先を手に入れた私はクローニア市を目指し、神様に祈りながら麻薬の包みを肛門の中に押し込んで関所を越えると、あとは何事もなく配送先まで麻薬を届けることに成功した。
その夜は私が運んだ麻薬で乱痴気騒ぎが始まったので、私は彼らの金庫からそれなりの金額を頂戴すると、再び北を目指した。幸い追っ手はかからず、私は旅商人に「このお金で行けるところまで」と言って盗んだカネを渡して、あとはその商人の選択に任せた。
この行き当たりばったりの旅の果てでアンヘル母さんに出会えたのは、もはや偶然とかそういう言葉では表現できない、奇跡だろう。
盗んだカネを預けた旅商人は、アンヘル母さんとも顔なじみだった。そして年齢にしてはあり得ない量のカネを持っていた私の事情を察した彼は、私とアンヘル母さんを引き合わせ、いろいろと変わったやりとりの末、アンヘル母さんは私を「自分の娘」として引き取った。
こうして始まった幸福極まりない毎日(その途中でライザンドラ師匠に出会った)も、やがて終わりを告げた。
よく分からない理由で始まった戦争のせいで、私達が住んでいた村にも兵隊がやってきた。彼らは村長に「アルフレッド陛下による正義の戦いのために協力せよ」と命令し、村長は村人に命じて食料や水を供出させたが、兵隊たちはそれでは満足しなかった。
夜が明けると兵隊たちは村を包囲し、村人を皆殺しにしていった。私は眠っているうちに(おそらく何かの薬を盛られたんだと思う)アンヘル母さんが「こんなこともあろうかと」用意していた庭の穴蔵に母さんの手で閉じ込められ、目が覚めたときにはすべてが終わっていた。
村は焼け野原となり、村の中央広場に立っていた樹にはみんなが首に縄をかけて吊り下げられていた。そこにはアンヘル母さんの姿もあった。私は母さんを地面に下ろすこともできないまま、穴蔵に残されていた旅装一式に着替えて、再び北を目指した。
なんとか夏のうちにダーヴの街までたどり着いた私は、街の門で不審人物として捕らえられたが、なんだかいろいろあった後、ホフマン司祭(正確には司祭ではないらしいが、街の人はみな司祭と呼んでいる)の下で働くことになり、やがてライザンドラ司祭と再会し、今に至っている。
自分で言うのも何だけど、平凡の極みみたいな私にしては、とんでもなく変わった人生を歩んでいるなあ、と思う。
でも、いま目の前で起こってることは、もう「とんでもなく変わったこと」程度では済まないだろう。歴史と伝統ある大会議がこんなことに成り得るなんて、誰に予想できただろうか? 私はライザンドラ司祭から「こうなる」と事前に聞いていたけれど、それを真に受けられるほど純真ではなかった。
私はナオキさんの顔を、それからデリク卿の顔を、そして最後にライザンドラ司祭の顔を盗み見する。みな、さして驚いたような顔ではない。つまりは予定通りということだ。改めて、自分は「壮絶に普通じゃない人たち」に囲まれているんだなあと実感する。
本当に、なんで私はここにいるんだろう?
■
大会議の公開討論は、ライザンドラ司祭の登壇でスタートした。
私が勉強した範囲で言えば、この手の討論は格上が先に登壇し、格下が後から登壇することになっているはずだ。だからライザンドラ司祭が先に登壇し、教皇が後から登壇するということは、教会はライザンドラ司祭のほうが格上だとみなしていることになる。
帝都市民にもそのあたりの伝統を知っている人はいるらしくて、最初にライザンドラ司祭が登壇したその瞬間から、市民の間ではざわめきと歓声が絶えなかった。
そのざわめきは、ライザンドラ司祭が第一声を発すると、ほとんど悲鳴のようなものに変わった。ライザンドラ司祭は「今日のこの場において、ライザンドラには語るべき言葉が見つかりません。ですのでライザンドラの代理人に、この場を預けたいと思います」と口にすると、振り返ることもなく壇から降りたのだ。
「代理人だと?」といった類のざわめきは、市民たちからだけでなく、反対側に立っている教皇たちの間からも漏れ聞こえた。帝都市民は仕方ないとしても、教皇の関係者がそこで疑問を呈するのは勉強不足にもほどがあるだろう。「大会議において登壇者は代理を立てることができる」というルールは、教会法大全にしっかりと明記してある。
ほとんど間を置かずに壇上へと上がったのは、ナオキさんだった。
みすぼらしい男が栄光ある公開討論の場に現れたことに、市民はもちろん、教皇側からも激しいブーイングが上がる。
けれどもナオキさんは、普段からは想像もできないほどよく通る声で、決定的な一言を口にした。その言葉はあまりにも劇的すぎて、誰もが完全に押し黙ってしまった。「そういうことを言う」と聞いていた私ですら、思わず息を呑んで壇上のナオキさんを見てしまう。
「神の教えを解釈するにあたって、正義は常に教皇猊下と共にある」
ナオキさんは、そう言ったのだ。
普通に考えれば、これは完膚無きまでの敗北宣言だ。いままさに揉めている〈天の門〉問題は聖書の解釈にまつわる問題だが、そこにおいて「正義は教皇にある」のであれば、勝敗はそこで決してしまう。
教皇側の人々はあまりの展開に呆然とし、市民たちは何が起こっているか理解できないという顔のまま、壇上のナオキさんを見つめた。
その一瞬の静寂をかすめ取るかのように、ナオキさんが口を開く。
「そして教皇という地位に至った聖職者は、代々その時代における最高の聖職者であり、つまりは人間としてもっとも完成された人物だ。
神は過つことなく、ゆえに教皇も過たない。
神が完璧であるように、教皇も完璧である。
諸君、考えてみたまえ! 現教皇テシウス11世が教皇に就任して以来、太陽は日々正しく東の空から昇り、西の空へと沈んでいく。麦はよく実り、家禽は肥え太り、我ら人の子は平穏な日々を送っている。これはすべて、教皇猊下の御威光あってのことである。
嘘だと思うならば、アルール帝国が発行しているこの資料を確認すればよい。麦の収量は3年前に比べ12%増大し、帝国の人口は0.5%増えたとある。諸君、我々は教皇猊下のご尽力により、日々豊かになりつつあるのだ!」
ここに至って、市民たちの間で不穏なざわめきが広まり始めた。「3年前に比べて良くなった」というのは、事実ではあるが、実態ではないのだ。
3年前に起こった〈アルフレッドの乱〉により帝都の経済は大混乱したし、サンサ教区から帝都までの間にあった所領では、たくさんの地域において農業が壊滅的な被害を受けた。兵士はもちろん市民の間にも死者は多く、「3年前と比較して人口が0.5%増えた」というのは、「この3年間の復興政策はほとんど機能していない」ことの証明でしかない。
「実際、歴代の教皇猊下は常に正しかった!
諸君も良く知る聖ユーリーンは、かつて地の果てニリアン領へと左遷された。聖ユーリーンのような学究肌の司祭であれば、普通なら3年も持たずに肺炎で死ぬ、そんな過酷な地だ。
しかしその地において帝都では得られぬ体験を積み、帝都では知り得ぬ生きた知見を得た聖ユーリーンは、諸君らも知るような偉大なる聖職者となって帝都に戻ってきた。
これが教皇たる人々の千里眼でなくして、なんなのか!」
ようやく、教皇側の人々が色めき立ち始めた。さすがの彼らにも、ナオキが「教皇」という存在を褒め殺そうとしていることに気づいたのだ。
だが、甘い。公開討論における登壇は、最低でも1時間の発言が許される。それは教会が長年に渡って積み重ねてきた、栄光ある伝統の一部だ。
「そしてまた、諸君らが敬愛するライザンドラ司祭もまた、幼くして魔女と不当に断じられ、サンサ教区はダーヴの街で最低の生活を余儀なくされた。俺はダーヴの街で商売をしているから、あそこのことはよく知っている。普通なら3年も持たずに病気で死ぬか、自殺するような、そんな生き地獄だ。
しかしその地においてライザンドラ司祭は余人の想像を絶する経験を積み、万人が途中で投げ出す辛苦に打ち勝って、審問会派からは一度は特捜審問官として認められ、今ではミョルニル派から司祭と認められる、当代切っての聖職者となった。
これが教皇たる人々の叡智でなくてして、なんなのか!」
市民たちの間からは明白なブーイングが出始めた。教皇の関係者からも「止めさせろ」「引きずり下ろせ」といった怒号が聞こえる。静かなのは、私達だけだ。
ナオキさんの流れるような弁舌は、ざわめきを圧しながらも、さらに続いた。
「あるいは、諸君らを異端の害悪から守り抜く偉大なる審問官、カナリス2級審問官と、ハルナ3級審問官もまた、彼ら2人だけでは到底達成不可能な任務を与えられ、彼らをして絶望と苦難に喘がせることとなった。公式な記録に残る最期の戦いにおいては審問会派の特別行動班数名と共に出撃したが、軍資金にしても政治的支援にしても、万全からは程遠かった。
だが圧倒的な困難と戦い続けた彼らは、もはや神の加護としか言いようのない獅子奮迅の働きをみせ、今なおこの世界のどこかで我々を異端から守るべく戦い続けている。
これが教皇たる人々の英断でなくして、なんなのか!」
……私は、ナオキさんがいま語った「カナリス2級審問官最期の戦い」こそがナオキさんを殺すための戦いであり、ナオキさんたちはその戦いに勝ってカナリス審問官を殺したと聞いている。
改めて、ナオキさんは化物だと思う。その事実の当事者でありながら、ナオキさんはわずかな揺るぎも見せずに、この長口上を劇的に語ってのけたのだ。
もちろん彼自身の演技力も、凄まじい。登壇した直後は胸のあたりで手を組んで、両手で1つの握りこぶしを作るような姿勢で語り始めた(それと、若干猫背だった)ナオキさんは、いまや力強く背筋を伸ばし、両手を大きく広げ、両の手も指先に至るまでピンと伸ばしている。市民の多くは、壇上で熱弁するナオキさんの姿が「どんどん大きくなっていく」ような錯覚に陥っていることだろう。
そしてこの演技をして、ナオキさんの仕掛けの本命ではない。
これはあくまで、助走に過ぎない。
「言うまでもなく、テシウス11世もまた歴代教皇と変わらぬ胆力と知性を備えておられる。
そう――諸君らは知っているか? テシウス11世はある日突然、異端者として火刑に処せられた夫を持つ貧しい未亡人に許しを与えられ、それどころか大いなる愛まで下賜された。
さあ、ガーベラ夫人。あなたがテシウス11世にいかなる恩義を受けたのか、市民の皆様に伝えなさい」
ナオキと同様に、ミョルニル派が着るような粗末な茶色いローブを頭まですっぽり被っていた女性が、ナオキの声につられるようにして壇上に登った。
ガーベラ夫人はものすごい美人というわけではないし、どちらかと言えば地味な顔立ちだが、間違いなくチャーミングな女性だ。
ナオキの横に立ったガーベラ夫人は、震える声で、「テシウス11世から受けたご恩」を口にした。
「私はテシウス様が帝都のはずれに所有されておられます、大きなお屋敷に招かれました。そしてそこで毎日のように、テシウス様のご寵愛を頂きました。
私が子供を妊娠すると、テシウス様は私に薬をくださいました。その薬を飲んだ私は意識を失い、次に目が覚めたときには流産していただけでなく、二度と子供を産めぬ体になったことを知り、また私がお屋敷から永遠に追放されたことも知りました。
私はもう、自分がどうやって生きていけばよいのか、わかりません。ですがこれもまたテシウス様が私に与えてくださった試練と思い、精進していこうと思います」
それからも、次々に似たような女性が壇上に招かれた。彼女たちはガーベラ夫人同様、自分たちの夫を暴力によって失い、自身は強引に拉致され、もて遊ばれるだけ遊ばれてから、妊娠すると何もかもを壊されて捨てられたという経験を語った。
そして彼女たちの言葉の最後は必ず「この苦しさはテシウス様が与えてくださったチャンス」「この悲しみは自分がより大きく成長するチャンスとしてテシウス様が与えてくださったもの」といった類の美辞麗句で締めくくられた。
言うまでもなく、新たな女性が登壇するたびに、場の空気は急激に悪化していった。神聖なる公開討論の場は怒号と罵声が飛び交う修羅場と化しつつあり、登壇した人々の声がどこまで届いているのか不安になるほどだ。
だがおそらく、もう彼らの言葉が聞こえる必要はないのだろう。ナオキさんの仕掛けは、究極的に言えば、言葉には依存していない。
そしてついに、場が完全に決壊した。
きっかけとなったのは、一人の男性だった。ただの聴衆として最前列を確保していた彼は、列を守っている衛兵を押し倒すと、壇上へと駆け上がったのだ。
「俺にも言わせてくれ! 俺はハロン、しがない仕立て屋だ!
俺はついさっき話をした彼女が着る服を作るよう、テシウス様に直接のご命令を受けた。こんな光栄なことがあるだろうか? 俺は予算の範囲をギリギリまで使って、一世一代のドレスを仕立てた。テシウス様は大いに喜ばれ、俺のドレスを彼女に下賜された。仕立て屋として、これ以上の幸せはない!
だからその後いつまで経っても支払いがなく、浅ましい俺が支払いをお願いする手紙を出したら次の日には神聖騎士団員が俺の店に押し寄せ、何もかも根こそぎ押収していったことを、今の今まで俺は恨んでいた。
借金の支払期限は明日だし、明日までに俺にできることは首を吊るくらいだ。だがこの困難は、テシウス様が与えてくださった、成長のためのチャンスだったんだ! ありがとうございます、テシウス様! テシウス様、万歳!」
絶叫するかのようなハロンさんの告発が終わると(さすがにこれが慇懃無礼な告発でしかないというのは、誰の目にも明らかだ)、また衛兵の壁が一部で崩れて、別の男が壇上へと駆け上がった。彼もまた、教皇にカネを騙し取られた男だった。
そうやって壇上に登る告発者が2人、3人と増えるにつれ、大聖堂前広場に集まった群衆は、徐々にただの暴徒へと変わっていった。あちこちで屋台が引き倒され、衛兵の一団が市民を棒で追い立て、出動した騎馬警備兵が市民を追い散らし、それでも市民たちは敷石を剥がして投げつけることで彼らに対抗した。血が流れ、悲鳴と怒号があちこちで木霊し、その合間合間には告発の叫びと「異端者め」という絶叫が飛び交った。状況が一瞬で制御不能に陥ったことを悟った教皇たちはその場から逃げるように消え去ったが、それを見た市民たちは「教皇が逃げたぞ!」と叫び、それに呼応するように「教皇を逃がすな!」という正義の雄叫びがあちこちで連呼された。
いまや公開討論の場は、混沌と暴力と絶叫が支配する、地上の地獄と化した。
私はただ、その地獄が徐々に帝都全体へと広がっていこうとしていくのを、ライザンドラ司祭たちと一緒に見守ることしかできなかった。
野火のように燃え広がっていく狂熱を見ながら、私は恐る恐る、ナオキさんに質問する。いつの間にか、彼は私達のところに戻ってきていた。
「なぜ教皇猊下は、こんな醜態を晒すことになったんでしょうか?」
この疑問は、今回の計画をライザンドラ司祭の隣で聞いている間、ずっと私の心の中にわだかまっていた謎だ。
ナオキさんが最初に指摘したように、教皇というのは聖職者の頂点だ。いくら帝国や教会がダメになったからといって、ここまでのダメ人間が教皇の名を帯びるというのは、私にはどうしても信じられなかったのだ。
ナオキさんの答えは、とてもシンプルだった。
「人材の消費が早すぎたんだ。
これまで、教皇はどんなに短くても10年は在位期間があった。だがハルナが教皇をぶっ殺し、その直後にオットーの旦那が次の教皇をぶっ殺してからこのかた、10年で12人の教皇が立った。
そんな勢いで『教皇にしても大丈夫な人物』を消費すれば、テシウス11世みたいな奴が教皇になるのも不思議じゃあない。
それにテシウス11世だって、私生活はクズの極みみたいな男だけど、騎兵隊を指揮させると天才的らしいぜ? 神聖騎士団の暴力に期待する連中が増えたいま、テシウス11世は理想的な教皇ってわけだ。
ま、繰り返しになるけど、私生活は救いようのないカス野郎だけどな。旦那を亡くしたばかりの若き未亡人がストライクゾーンのど真ん中ってのは個人の趣味としても、『本当に男のことを愛している女なら、男が望まないのに妊娠などしない。それなのに妊娠するのは女の身勝手』とか言い出すのは、さすがに頭がおかしい」
なるほど。
しかしそれにしても、振り返ってみるとぞっとするとしか言いようのない策だった。
事前に教皇の被害者を集めておくというのも綱渡りなら、そうやって被害者を集めているという情報が漏れないようにするというのも薄氷を踏むような工作が必要になる。デリク卿がガルシア卿の援助を引き出すことに成功したから辛うじて成立し得たものの、バレたら簡単に対策されてしまっただろう(例えば「今回の公開討議では代理人の登壇は許さないものとします」とか)。
本番にしたって、ナオキさんの立てた「公開討議の場で、討議をしない」という常識外れなプランは、十分に失敗する余地があったと思う。
脆弱性の筆頭としては、暴力の差が挙げられる。
デリク卿は教皇側が暴力でナオキさんを排除しようとしたときに備えて近衛の最精鋭を集めたけれど、教皇側が神聖騎士団を現場につれてきていて、騎士団を使ってナオキさんと告発者たちを排除しようとしたら、そこでゲームセットだっただろう。
でも結果的に言えば、ナオキさんとデリク卿は事前の情報戦を完全に制し、教皇側は「公開討議の場で、ライザンドラ司祭を相手に討議して勝つ」ことにすべてを投じてくれた。
彼らが誇りも名誉も捨てて先手を譲ったのは、その象徴だ。彼らは彼らなりによく調べていて、ライザンドラ司祭がかつてニリアン領において「後手の有利を活かして神前討議に勝つ」という戦術をとったことを知っていたのだ。
けれどナオキさんは徹底的に「討論」を避け、教皇側が「討論」のために用意したリソースをすべて空費させた。巧妙と言えば巧妙、悪辣といえば果てしなく悪辣な、卑劣極まりない策だ。デリク卿も、ライザンドラ司祭も、レイナ様も、皆がナオキさんを「卑怯」と全力で認めつつ、それでもナオキさんのことを信頼する理由が、よくわかった。
もっとも、ナオキさんの真似をしたいとか、ナオキさんから学びたいとか、ナオキさんのようになりたいとか、そういうことはまったく思わないけれど。
そんなことを考えていると、そういえばという風情でデリク卿がナオキさんに質問した。
「ナオキ。私からも一つ、聞きたい。
私は、4人目か5人目の告発者が登壇したところで、群衆は暴徒に変わるだろうと踏んでいた。だが実際には、前もって仕込んでおいた新たな告発者たちが群衆の間から飛び出し、彼らの告発を始めるまで、群衆は群衆のままだった。
なぜだ? 群衆の怒りに火をつけるために、あの女性たちの訴えでは足りなかったというのが、どうしても信じられないのだ」
デリク卿らしい、そこはかとなく正義感の強い問いだ。
でもナオキはその正義感を、あっさりと両断した。
「問題の本質は量じゃあない。質なんだ。
教皇だの皇帝だの大貴族だのから始まって、市長だの部隊長だの商会長だの、とにかく『人の上に立つ』のが仕事な連中は、似たような利点と弱点を共有してる。
利点は、ある程度までなら私利私欲に走って私腹を肥やしても、まぁだいたいなんとかなるってことだ。ピンポイントで怒りを買ってぶん殴られることはあるが、そういう馬鹿げた恨まれ方をしていない限りはスルーされる。これは最底辺で喘いでる側だと、なかなか得難い利点だな。
弱点は、私利私欲に走っていいジャンルに、一定の制限があるってことだ。男性優位な社会での一般論で言えば、カネか女、そのどちらか一方しか、私利私欲が許されない。
面白いことに、これがカネか女のどっちかだけなら、許容量が意外と大きいんだよ。『困ったところもあるけど、仕方ないな』程度のもんだ。場合によっては『あのだらしないところは、人間的な魅力でもあるな』くらいまであり得る。
だがカネと女の両方を無節操に乱獲されて、それでも『仕方ない』で許してくれる奴はいない。いま暴れてる連中も、アホ教皇は女だけじゃなく、カネにもド汚いことを知って、堪忍袋の緒が切れた。
似たようなことはいろいろな組み合わせで起こることがあるが、俺の経験から言えばカネと女の組み合わせが一番燃えやすい」
なるほど。言われてみれば、確かにそうかもしれない。
ギャングのメンバーだった時代には、大きな仕事を成功させて「これで俺はカネも女も自由にできる」とイキった兄を何人も見たが、それを口にした人はたいてい長生きできなかった。
「ま、だからってわけじゃあないが、レイナ様におかれましては、どうか旦那様の手綱をしっかりと取って、浮気以外の放蕩には手を出さないようにコントロールして頂ければ、大変にありがたい。
浮気は、まあ、大貴族の甲斐性というのもあるだろうし……そのあたりの取捨選択は夫婦で話し合ったらいい。タチの悪い詐欺師につけ込まれないよう、非公開討論がオススメだ」
ナオキさんがそう言うと、思わず皆が笑った。
そうやって私達は、暴力の坩堝と化したアルール大聖堂前の広場を眺めながら、皆で笑っていた。




