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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
繊細の精神と幾何学の精神はいかにして協力体制を構築するのか
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アルール歴2179年 10月22日(+114日)

――ユーリーン司祭の場合――

「……はい。大変結構です。

 正直驚きました、ニリアン卿。随分とご健康になられておられます。

 このぶんでしたら、あと10年といわず、もっとご統治が続くかと」


 言ってから追従っぽい物言いになったと後悔したが、ニリアン卿は苦笑いしただけだった。そういえば、私が滑らかに追従を言うような器用な人間ではないことは、ニリアン卿は先刻ご存知だ。


「10年、か。たとえ体が保っていようと、頭が保ってはおるまい。

 とはいえ、孫には1日でも長く帝都で学んでほしいと思っておる。

 その時間が稼げたと思えば、馬齢を重ねることにも意味はあろう」


 記録によれば、ニリアン卿の長男は若くして亡くなっている。

 幸いその長男はレイナという子供を遺しており、彼女は卿の手で大切に育てられた。今では帝都のジャービトン派修道院大学で基礎神学と帝王学を学んでおり、かなり優秀な成績を収めているという。

 もちろんレイナ嬢はいつかこの領地を継がねばならない。そしてこの極貧の地の支配者として君臨し、統治する必要がある。その暗澹たる現実(・・)が孫を支配するまでの時間を、1日であっても先送りしてやる――それがニリアン卿にとって生きる支えとなっているのは、否定できないところだ。


 とはいえこれは何も、ニリアン卿がお孫さんを甘やかしているというだけのことではない。


 どちらかといえば、これはニリアン卿の博打だ。

 帝都きっての歴史ある大学にレイナ嬢を送り込み、そこで人脈を作らせる。ジャービトン派はボニサグス派と並んでアルール帝国皇室との結びつきが強く、その修道院大学に通う学生はみな上級貴族の子弟だ。ここで交友関係をガッチリ作れれば貴族社会における立ち位置は随分と良くなる。

 それに、優良な成績を残せば教師陣の覚えだって良くなる。あの大学は教師陣も貴族出身者ばかりだから、そちら経由のコネだってとても使える(・・・)コネになる。

 その上で、最も大きな「あたり」は、あの大学に通うような貴族の子弟がレイナ嬢を見初め、婚約にまで話が進むことだ。極めて考えにくい話だが、もしこれが成り立てば、ニリアン家はここで途絶える。つまりレイナ嬢の結婚相手となる家が、この極貧の村々を支えていくことになる。無論、その結果として村がひどい冷遇を受ける可能性はあるが、帝都基準での「ひどい冷遇」は、この村にとってみれば天から無限に慈雨が降り注ぐがごとき厚遇だろう。


「ときに例の件、ケイラス司祭が認めたそうだな」


 まだ見ぬレイナ嬢の(おそらくは苦難に満ちた)学園生活に思いを馳せながら診療器具を片付けていた私に、ニリアン卿が声をかけてきた。

 私は神妙な顔で、その問いに頷きを返す。例の件とは、昨冬行ったあの儀式の件だ。


「はい。これで昨冬の儀式はサンサ地区教会公認のものとなりました。

 もとよりかの儀式は、教理上はまったく瑕疵のない儀式です。公認にここまで時間がかかったことのほうが、あってはならぬことだったのです」


 話しているうちに、自分でも「あっこれはあまり良くないアレだな」と思うくらい、声に熱がこもるのを感じた。でもこればかりはどうしようもない。


 私達が成し遂げた儀式は、正しい儀式だった。教理に照らしても正しい儀式だったし、先例もある。その先例が「正しき信仰の成果」であるという判断が下された記録(第42回アルール・ノヴァ大会議での議事録)まである。

 ここまで条件が揃っていれば、普通なら1ヶ月も待たずに公認の判断が下されるはずなのに、認可にほぼ半年かかったというのが信じられない。


「ははは、私はむしろケイラス司祭に同情するね。

 私がケイラス司祭の立場なら、ひたすら難癖つけて却下するか、のらりくらりと判断を保留し続けただろう」


 いや、私だってその理屈は分かる。それくらいのことは、わかっている。


 豊穣の儀式を行うことによって教会が得る寄付金は、教会の運営にとってなくてはならないものだ。もしその儀式が地域の住民たちによって成し得るとなれば、教会が被る経済的損失は途方もない規模のものとなるだろう。


 だが、それのどこが悪いのか?


 そもそも神に仕える我々にとって、清貧は智慧と並んで重視すべき最も重要な美徳だ。ジャービトン派のボンボン(・・・・)坊主たちの奢侈っぷりは論外だし、それを上から目線で「腐っている」と批判しながら自分たちもまた優雅なティータイムだけは絶対に欠かさない審問会派だって同じ穴のムジナに過ぎない。


 そりゃあ我らボニサグス派だって、カネがいらないとまでは言わない。「そもそも教会は大自然の中にこそあり、人が教会を造作するのは信仰に背く」とか言い出すミョルニル派の自然主義者や、「カネは啓示の到達を阻む異端の兵器」とか言って憚らないメリニタ派の啓示崇拝者のような主張は、理解できないとは言わないが、やはり無理があると思う。

 むしろ我々ボニサグス派としても、カネはあればあるだけありがたいというのが本音だ。知の保全と探求には、膨大な金銭が必要になるのだから。


 けれど知に果てはなく、それゆえこの「もっとカネがあれば」という欲にも果てはないことを、ボニサグスの徒は熟知している。だからこそ清貧という枠組みでもって、知の探求が知の渇望に陥らぬよう節制することが必要なのだ。

 今の教会は、いくらなんでもカネに執着しすぎている。これでは神が創り給うた真理への道を探求しているのか、それとも、もっと儲かる方法を探求しているのか、分からないではないか。


 ――といった思いが内心で荒れ狂ったが、それをニリアン卿にぶつけても仕方ない。なので私は卿が知っておくべきことだけを端的に要約して、伝える。


「自らの未熟を晒すようでお恥ずかしい限りですが、ナオキさんが骨折ってくれなければ、ニリアン卿のご指摘どおり、公認は得られなかったかもしれません。

 ナオキさんは、昨冬の儀式にかかった経費と、春小麦の今年の収穫量、前年との比較などなど、そのあたりの数字を見やすくまとめてケイラス司祭に説明して下さいました。私も帯同しましたが、ナオキさんは実に堂に入ったものでしたよ」


 ニリアン卿は、ふうむ、と唸ると、真っ白な顎髭をしきりに撫でた。


「ナオキか。確かに、奴にはこの10年ほどの税収資料をすべて見せてやったが……とはいえ、それでどうしてケイラス司祭が納得した?」


 私は軽く肩を竦める。


「私にはなんとも。

 ケイラス司祭はナオキさんの説明を聞いて、大いに満足されました。私にはなぜあの方があんなに上機嫌になったのか、分かりません。ともあれケイラス司祭はナオキさんが作った資料の写しを受け取って、それから2ヶ月ほどであっさり公認の判定が下りました」


 実にお恥ずかしい話だが、私には未だにナオキさんのあの説明でケイラス司祭が教会の利益を大きく損ねる「公認」の判定をしたのか、理解しかねている。

 ただ、ケイラス司祭はジャービトン派で、ナオキさんはやり手の大商人だから、きっと何か相通じるものがあったのだろう。さもなくば、あまり考えたくはないが、莫大な金額の寄進(・・)が渡ったとか。


 その謎を、ニリアン卿はあっさりと解明したようだった。


「ふむ……なるほどな。そういうことか。

 奴め、恐ろしいほど人間というものを知悉しておるな――」


 思わずまじまじとニリアン卿の顔を見てしまう。私はいったい、何を見落としたというのだろう?


「これは私の推測でしかない。だが、大きく間違ってもおるまい。

 ナオキは数字を見せた、と言ったな? そこが落とし所よ。

 昨年の冬、ユーリーン司祭のみならず、我が領民たちが冬の間ほとんどかかりきりで働き続けたことで、豊穣の儀式は完成した。

 これは逆に言えば、冬の間に領民たちは、ほとんど他の手仕事をしていなかったということだ。ここでは一応、干し柿が名産品ということになっているが、昨冬は干し柿作りにまで手が回せた領民はあまりいなかった」


 ……そうだ。言われてみれば、今年は干し柿の奉納がほとんどなかった。例年はとても私一人では食べ切れない量が収められるので家族と恩師に送りつけていたのだが、今年もそのつもりで奉納品を片端から発送したら、私のぶんが残らなかった。


「もちろん、豊穣の儀式によって収穫は大いに増えた。

 ユーリーン司祭だけでなく、ライザンドラ君も献身的に巡回をしてくれたことで、冬の間に死ぬ人間もぐっと減った。

 ふもとにまで降りてきた熊をザリナ君が屠ってくれたのも、大きかった。

 だがそれらすべてを合算しても、この村はそこまで豊かになったわけではない。ナオキが領民に払ってくれた手間賃を、もし私が払ったとしたら、むしろ前年よりマイナスの結果になったはずだ」


 なるほど。私は儀式の成功だけを見ていたが、純粋に金勘定だけで見ると、実はあの儀式はトータルで赤字だったのだ。

 ナオキというスポンサーがいたから良かったものの、普通にやったら豊穣の儀式を実行した結果として領民がより貧しくなるという結果に終わる可能性が高い。

 そしてそういう数字を見せられたなら、ケイラス司祭はむしろ安心して儀式を公認できる――と思ったが、ニリアン卿は私のその理解を否定した。


「その数字だけでは、ケイラス司祭は納得しなかっただろう。

 私だってそれで納得などしないさ。

 1つ目、まずそもそもその数字は偽りかもしれない。

 2つ目、儀式が徐々に効率化されていけば、赤字を脱する可能性もある」


 ……確かに。ではなぜケイラス司祭はあの儀式を公認したのだろう?


「ナオキはその数字が示す未来(・・)を、ケイラス司祭に予測させたのだよ。

 私も領主であるからには、本格的な豊穣の儀式がもたらす恵みの大きさと偉大さは、この目で見たことがある。それに比べると、我が領民が成し得た儀式によってもたらされた恵みは、分相応のものだと言わざるを得ない。

 無論、ユーリーン司祭の働きを批判したいわけではない。だが司祭もボニサグス派であれば、自分が目にしている恵み(・・)が、本式の儀式に比べれば貧弱であることは認めるだろう?」


 些か渋々ではあったが、私は首を縦に振る。村人たちの真摯な信仰心が批判されたようで実に悔しいけれど、目の前にある現実は認めるしかない。


「つまり、我が領民が成し得た儀式を公認することにより、教会の司祭たちが執行する豊穣の儀式の価値は高まる。我ら凡俗の言葉で言うならば、『下級の儀式』が成り立つことで、『上級の儀式』に大金を払うことには、より大きな価値と意味が生まれたのだ。

 これは断言してもいい。これまで豊穣の儀式にカネを払ってきた帝都勤めの貴族たちは、新しい儀式のあり方を絶対に採用しない。単純に税収が落ちるだけでなく、貧乏人の儀式(・・・・・・)を選ぶことを、彼らのプライドが許さないからだ。

 そしてそういう風潮が生まれれば、これまで豊穣の儀式に対して消極的だった領主たちも、自分たちのステータスを守るために儀式を依頼するようになる。帝都の連中の流行(・・)とは、いつだってそんなものだ。連中は結局、自分が格下の貧乏人だと思われることを、最も恐れるのだよ」


 そうか――なるほど、確かに。聞いていて非常に腹立たしいけれど、帝都に住む人間の行動類型として、とても納得がいく説明だ。


「一方で私のように貧乏人の儀式(・・・・・・)を選んで改良していくしかない領主は、ケイラス司祭のような連中にしてみれば、そもそも客ではない(・・・・・・・・・)

 むしろケイラス司祭は、こう考えたのだろうよ――『新しい儀式を使うことで貧乏領主どものカネ回りが良くなれば、連中だっていつか本物の(・・・)儀式を依頼してくる上客に育つかもしれない』とな。

 ユーリーン司祭、あなたもそう思わないか? ケイラス司祭のニヤケ顔が、目に浮かぶようではないか」


 ケイラス司祭は、ある意味で私と同様、サンサ地域のような辺境に厄介払いされた人間――つまりは帝都での出世ルートから完全に脱落した人間だ。

 にも関わらず帝都における最新流行の僧服を手放さないケイラス司祭が(帝都では次期教皇と噂されていたことすらあったのだからある意味で仕方ない)、ナオキの提案を前に密かにほくそ笑む顔は、あまりにも容易に予測できてしまう。その無駄にリアルすぎる予測に、思わず吹き出してしまうくらいに。


 でもひとつだけ、釈然としないところは残った。私達が成し遂げた儀式が、年月を経るなかで改良されていき、やがて本式の儀式を凌駕するような結果を生むようになったら? そのときは、ケイラス司祭は中央から叱責される程度では済まないのでは?


 その疑問は、ニリアン卿が一言で解消してくれた。


「いよいよ貧乏人の儀式(・・・・・・)が成果を上げるようになったら、手のひらを返して異端認定なり何なりすればいい。

 そういう政治的な理由による異端認定は、なにもこれが初めてではあるまい?」


 ニリアン卿の言葉に対し、私は「そんなことはあり得ません」と抗弁したが、我ながらその声には力もなければ説得力もなかった。

 教会側の人間としては、欲得ずくの異端認定など、決して存在を認めてはならない――が、知を探求するボニサグス派としては「そういうこともあった」ことは認めるほかなく、しかしそれが立場上認められないというのは、ボニサグス派にとって敗北の歴史そのものでもある。


 そんな私を哀れみを含んだ目で見ながら、ニリアン卿は言葉を続けた。


「おそらくナオキは、そこまで含めてケイラス司祭に提案(・・)したのだろうよ。

 ケイラス司祭は、愚か過ぎるがゆえに霊峰サンサを望むこの地に左遷されたタイプの人物だ。君のように賢すぎて飛ばされた人間とは、頭の出来が根本的に違う。

 つまりケイラス司祭には、いま私が説明してみせたような未来(・・)を自力で想像することなど、絶対に不可能だ。

 だとすれば、起きたことはたったひとつ。ケイラス司祭は予測したのではなく、予測させられた(・・・・・・・)のだよ。

 ナオキがケイラス司祭を巧みに誘導し、その予測にたどり着かせたのだ」


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