アルール歴2189年 12月7日(+8秒)
――神城ナオキの場合――
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「その見解は、あなたの内側で矛盾しています。
いまナオキが途中まで示した未来予測は、『聖職者の権威が大いに損なわれる』という最初の予測から、たいして離れていません。
差異があるとすれば、聖職者の権威が損なわれるのではなく、聖職者以外も同等以上の権威を持ち得ることにより、権威という概念自体が雲散霧消してしまうということ。
そして、それにも関わらず多くの人は権威を求めることにより、古い権威が復活することもあり得れば、新しい権威が生まれることもあり得るし、複数の権威が分立して無限の生存競争が始まることもあり得るということ。
だから『世界は今のままではあり続けられない』という結論には、なんら変化はありません。あなたは同じ結論を二度示したんです。
だのに二度目は突然、今の状況に至ってしまった自分は、大きな間違いをしでかしたという姿勢を見せるようになった。
なぜです?」
――クソ、め。そういう、ことか。
ライザンドラは、俺にカマをかけ、試したのだ。
「そのとおりです。
ライザンドラは最初、あなたのことを『自分が何を引き起こそうとしているのか、本当には理解していない』と批判しました。
それから更にナオキが示した見解に対し、『真実の半分だ』とも評価しました。
このどちらもが、ただのハッタリです。
ナオキの洞察は、いつもどおり、見事というほかないものでした」
だが、なぜ。
なぜこいつは、俺の隠蔽を、突破できたんだ?
「何かがおかしいという違和感は、ずっとありました。
ライザンドラははじめ、その違和感の根源は、あなたの臆病さにあると考えました。そしてそれは、そこまで間違っていませんでした。
その後ライザンドラは、あなたは結局ただの詐欺師でしかなかったのだと考えました。そしてそれも、そこまで間違っていませんでした」
言われるまでもなく、俺は臆病な詐欺師に過ぎない。それは間違いなく俺の限界であり、弱点でもある。
しかし俺の弱点を見抜いただけで、俺の隠蔽策を突破できたとは思えない。
俺の弱点を見抜くことは、むしろ俺の隠蔽策を強化するはずなのだ。
「でも、根源的な謎は残り続けました。
ナオキ。あなたはニリアン領を改革するにあたって、何一つ失敗しなかったんです。教理の面から見ても、世俗政治の面から見ても、成功した商人が手がける新規事業としても、何一つ失敗していない。
唯一キズがあるとすれば教会政治において敵を作ったことくらいで、それは奇跡や聖書を商売の一部に組み込む以上、不可避のことでした」
……ああ。ああ、確かに、そうだ。
もちろん俺だって、「ちょっとした失敗」を織り込むことは考えた。
だが絶望的なまでに危ない橋を渡ろうとし始めたばかりの俺にとって、回避可能な失敗を、わざと回避しないなんてことは、できなかった。
それに将来的には「俺は異端者としてすべてを失う」「ライザンドラは審問官に取り込まれる」という大失敗を想定していた以上、それ以外の些細な失敗をするなど、とてもじゃあないが無理だった。
「ハルナさんは、その異常を見逃さなかった。
カナリス特捜審問官も、老マルタも、ハルナさんの見解を支持しました。
けれどもここにパウル1級審問官とユーリーン司祭を加えてなお、『ナオキとはいったい何者なのか』という謎は解けませんでした。
原因はたったひとつ。彼らには時間がなかったからです。
ナオキがサンサや帝都で行った工作は、見事なまでに彼らが活用できるリソースを消耗させ、分散させ、最後の最後まで意思の統一と戦力の集中を阻み続けました」
一瞬、痛烈な皮肉を言われているのかと思った。
だがライザンドラの表情に諧謔の色はない。
彼女はただ淡々と、事実を述べているだけなのだ。
「けれどニリアン領に帰ったことで、ライザンドラはこの問題をゆっくりと考える時間を得ました。
そうやって考えるうち、これはもしかしたら、あるがままに状況を捉えるべきなのではないか、と思うようになったのです」
ライザンドラは何の感情も見せないまま、語り続ける。
「ナオキはかつて『お前が神を殺したいなら』と言いました。
正確には、『お前が神を殺したいなら、俺はその道程を示してやる』、と。
そしてその後ナオキは、一切の失敗をすることなく、世界の一部を作り変えました。サンサでも、帝都でも。
つまりナオキは『神を殺す道程を示す』ために何を実現すべきかを知っており、そのための最適解も知っていて、それをただそれだけのために実行した。
しかもその実行は、実験や検証などがほとんど挟まれない、『こうすればこうなる』という事実の再現である――そう、考えてみたのです」
思わず、笑ってしまう。
人間、完膚なきまでに敗北すると、笑うしかなくなる――そんな、笑い。
ライザンドラは、俺が講じた最大の隠蔽策を真正面から突破して、真実に到達していたのだ。
俺は計画の根幹を、「常識的に考えてあり得ない」ことを組み合わせて作った。
つまり「この世界の神を殺すためにはどうすればいいか(今の信仰体系を破壊すればいい)知っている」「今の信仰の体系をほぼ確実に破壊できる方法を知っている」「そのために実現すべきことを一切の利益を度外視して実現させている」という、いずれも常識的にはあり得ないことを組み合わせることにした。
それこそが、この計画の最終的な目標である「神を殺す」という遠大な野望を最も上手く隠すとともに、逆順で俺の能力も隠すからだ。
俺が何を企んでいるのか探ろうとする奴は、ただの臆病な詐欺師に過ぎない俺が、この3つの「あり得ない」を同時に兼ね備えているかのように振る舞うことに、遅かれ早かれ気づく。
だがまともな思考能力を持つ奴であれば、最低でもどれか1つに対し、「そんなことはあり得ない」と考える。当たり前だ。俺だってこんな状況を前にしたら、3つとも「あり得ない」と判断する。
そしてそうやって現実的に考えた結果、俺の意図を探る奴は「ナオキは真の目的を隠している」と推理する。そうでないと「あり得ないこと」が起こっていることになるから。そしてその推理をもとに、俺が本当には何を知っていて、本当には何ができるのかを、推測しようとする。自分は現実主義者だとか言い出す救いがたい大馬鹿どもは論外として(人間が正確に観測できる人間の現実なんざ「人はいつか死ぬ」ことだけだ)、実際に自他の命を掛け金として勝負しなくてはならない誠実で有能な人間であればあるほど、どうしても真実から遠ざかってしまうというわけだ。
この隠蔽システムは、ずっと上手く機能していた。
だがライザンドラは、この「あり得ない」がすべて「あり得る」可能性を、もう一度検討したのだ。
「もっとも、あるがままに状況を捉えた場合、ナオキという人物はとてつもなく奇妙な人物だということになります。
特に奇妙なのは、あなたは常に、失敗に対する保険もかけてきたということです。あなたは『事実の再現』をしながらも、そこには一定レベルで失敗する可能性があることもまた、認めているのです。
つまりあなたは、余人の想像を絶する知識はあるけれど、この世界に干渉する能力としてはせいぜい卓越した詐欺師程度という、ひどくバランスの悪い人物だということになります。
でもこのアンバランスな人物像は、ナオキが己の代理人としてライザンドラを得ようと決意した、その第一歩において、既に示されていました。
ナオキはライザンドラに『道を示す』と言いましたが、『自分を手伝え』とは言っていません。
つまりあなたは、常ならぬ知識に基づいた道を示し得ても、その道を自ら先頭に立って歩み抜くだけの能力は持たない。そう、告白しているんです」
その通りだ。あまりにも的確すぎて、もう笑うことすらできない。
俺には世界を変えられないし、神も殺せない。それが俺の、この世界における出発点だった。
その甘えは、よりによって一番それを悟られてはならない相手に、初手からダダ漏れになっていたのだ。
「ではいったい、ナオキが隠し持つその特殊な知識は、どこから来たのか。
この点については、まったく特定できません。神ないし悪魔によって授けられた可能性は非常に高いです。あるいはあなたは未来からやってきた人物で、やがてこの世界で起こる神殺しの経緯を熟知しているのかもしれません。もしかしたらここではない世界で神殺しが成功していて、なんらかの方法でその知識を得ているのかもしれません」
見事。見事としか言いようがない。
そして彼女であれば、その先は追求しなかっただろう。ライザンドラにとって重要なのは、俺の正体などではないからだ。
「そう。あなたがどこから知識を得たのか――つまりナオキとは何者なのかという問いは、ライザンドラにとって真の問題ではありません。
最大の問題は、あなたのその知識は、どの程度まで完全なのかという点にあります。
神を殺す、その最後の瞬間まで、高確率で成功する『こうすべし』があるのか。
それともその知識は、ゴールに至る途中で途切れてしまっていたり、完全には機能しない可能性を有しているのか。
――ナオキ。あなたが持っている知識は、どうやら『完全には機能しない可能性がある』知識のようですね」
完璧な指摘に、俺はただ力なく首を振ることしかできない。
神殺しを目論む彼女にとって、俺の持つ価値はすなわち、俺の持つ知識だ。そして俺の持つ知識がどの程度まで有効で、どんな特性があるのか、彼女は俺を罠にかけることで把握しようとしたのだ。
今なら、ライザンドラが張った罠の全貌を、完全に理解できる。
最初は俺を師として学び、続いて俺を敵として分析し、最後に俺を謎として考察してきたライザンドラは、どこかの段階で、俺が消しきれなかった疵を見つけたのだろう。
こっちの世界に来て長いとはいえ、「俺」という人間を作ったのは前世、つまり現代の地球(特に日本のクソ田舎)だ。しかも俺は、カネ目当ての新興宗教屋だった。だからどうしても俺は、「神」という概念に向き合うとき、前世の癖が出る――つまり俺は、「神」を一種の物語として扱ってしまう。
だがこっちの世界では、神が実在するのは誰の目にも明らかだ。
そりゃあユーリーン司祭みたいな超理論派ともなれば「神の実在は証明できません」とか言い出しもするだろうが、それは俺の前世の尖った学者が「現実と言われるものがただ一つの現象に収斂できるとは断言できない」とか言い出すのと変わらない。
こっちの大多数の人間にとって、「神は実在する」のが常識なのだ。
だから俺がうっかり「神」を非実在として扱うような発言や行動をして、それがこっちの世界の常識とぶつかっていた――なんてことは、十分にあり得る。そんなことが起きないよう厳重に注意したつもりだが、ザリナ相手の寝物語でやらかした可能性は高い。
そしてナオキ商会を俺が仕切ってる頃、ザリナとライザンドラは商会のツートップとして、公私ともに息の合った友人だった。悪い条件はバッチリ揃ってるし、さっきも彼女は「何かがおかしいという違和感はずっとあった」と指摘している。
かくしてこの場に俺を呼び出したライザンドラは、「あなたが計画の前提としている神や教会のイメージは、どこかズレてはいませんか。あなたは自分が殺した人々のことを、そして彼らが信じる神のことを、本当にちゃんと見ていましたか」と婉曲的に問い、その問いを前に俺は決定的に動揺した。
そして動揺した俺は、「俺の計画は、前提部分に存在する差異を、意図的に軽視している」ことに気づいてしまった。
だから俺は、二回それぞれの推論において「世界は今のままではあり続けられない」というほとんど同じ結論を語りながら、「その先で起こること」に対してはまるで真逆の態度を示した。一回目はドヤ顔で「現代口語版聖書を利用すれば教会と帝国に引導を渡せる」という未来予想を語った俺は、二回目には狼狽しきって「何が起こるのか断定するなんて無理だ」と口走ったのだ。
それはおのずから、俺は「自分には勝利の方程式が見えている」と思い込んでいたけれど、「冷静に考えたらその方程式は勝利を確約できるものからは程遠かった」ことを証明してしまう。
どうにもならない羞恥と恐怖、そして後悔に、視界が歪む。
「ナオキ。そこで泣かないでください。
あなたに泣く権利はないし、それは許されない。
あなたが今なお現世で七転八倒しているのを、あなたが殺した人たちは苦笑いしながら見守っているでしょう。そしてあなたが愚行を積み重ね続けることに呆れながら、それでもあなたの愚かさを許すでしょう。
でも彼らをして、あなたの涙は許さない。
ユーリーン司祭ですら、『泣く暇があれば前に進め』と叱咤するでしょう。その義務が、あなたにはある」
ライザンドラの非難は、絶望的なまでに正しかった。そしてだからこそ俺は、発作的な怒りを抑えきれなくなった。
正論による批判は、羞恥心を掻き立てる。そして羞恥心が限界に達すると、人は「そんな恥ずかしい思いをさせた奴」に対する怒りを、反射的に爆発させる。怒りに駆られるがままにツッコミどころ満載の異常行動を取り、それは巨大なスキとなる。
俺が普段から愛用してきたその技術をライザンドラは正確に使いこなし、俺は理性とやらが全力で「それだけはやめろ」と叫ぶ声を意識しながら、ライザンドラに掴みかかっていた。彼女の胸を突いてベッドに押し倒し、その両肩を押さえつける。こいつ、こうすることを前提に、ベッドの端に腰掛けやがった。それでいてこいつは、物理的にマウントを取られた状態からでも、俺なんざ腕のひと振りで吹っ飛ばせる――そんなことを、どこか遠くで思う。
俺にのしかかられた体勢のまま、ライザンドラはまっすぐに俺を見た。
「あなたが作った、現代口語版の聖書。
これをあなた自身が己の知識をもとに悪用するのではなく、ライザンドラに託すことは、何を意味するのか。
それはあなたが、この世の人間が知り得ぬ特殊な知識にべったりと依存するのではなく、あなた自身の判断と意思をもってこれから先の世界をライザンドラと共に戦うという、宣言に他なりません。
それくらいに、あなたがいま踏み出そうとしている一歩は大きい。
そのことを、あなたは理解していなかった。
いえ――理解しようとする努力を捨て、さらにはその一歩を踏み出す恐怖に怯えることすら放棄してしまった。
あのナオキが、ただなんとなく、委ねようとした」
荒い呼吸が、収まらない。
落ち着け、己を取り戻せとどんなに命じても、心が千々に乱れる。
こいつは――こいつは、俺を、洗脳しようとしている。
「だからライザンドラは、あなたに問います。
――あなたには、神を殺す覚悟がありますか?」
宝石のような瞳が、俺を見て。
その瞳を覗き込んだ俺は、ようやく理解する。
今のこの瞬間に至る、ずっと、ずっと前から。
俺はこれを、予想していた。
これを、期待していた。
これを、夢見ていた。
だから、俺は、きっと、次の言葉で、落ちる。
「ナオキ。
あなたが神を殺したいなら、私はその道程を示しましょう。
どうか、あなたの力を、私に貸してください」




