アルール歴2189年 9月11日(+83日)
――デリク卿の場合――
「まったく、なんとも度し難いな」
うっかりと口から漏れ出てしまった愚痴を耳ざとく聞きつけた副官が、少し不安そうな目で私を見た。いかん。部下に無用な心配をさせるとは、我ながららしくない。
とはいえ口を閉ざしたからといって、「度し難い」という思いが消え去るわけではない。口を開いてもその思いは消えないのだから、まだしも閉じていたほうがマシだということは、頭では理解できるが。
まったく、なんとも度し難い。
ケチのつきはじめは、エイダ伯がラウレンツ皇太子を保護したことだ。
確かにあの段階において既に、「アルフレッド副皇太子は切るしかない」と判断すべき状況ではあった。副皇太子が権力を掌握すれば教会と帝室の大喧嘩が始まるだろうとは踏んでいたが、だからといって過去の命令や事業まで遡及的に撤回させようとするほどの大馬鹿だとは、さすがに予測できなかった。
しかもデリク家としては、「皇帝と教皇の双方から全権を委任された極秘案件」に対して横槍を入れられた形になった。
これは、私としては「イキがるのもいい加減にしろよ若造が!」と部下の前で叫んでみせるレベルで即応が必要な、重大案件だ。「皇帝と教皇からの全権委任」の内実がどんなに腐り果てた謀略で満ちているにしても、形式的に言えばこれは地上において臣下が受けうる最高の名誉であり、それを「やっぱりやめた」でひっくり返されることを許していては帝都で貴族などやっていられない。
結局、アルフレッド殿下は一番大事なことを理解できていないのだ。
皇帝も教皇も大貴族も、結局は「ヒトのシマに土足で踏み込むたぁ、覚悟があるんだろうなぁ!?」というセリフがお似合いのゴロツキだ。
アルフレッド殿下がそう思いたがっているほど、彼はそういう自然な状態で戦った経験がないし、そこで叩きのめされた経験もない。なにせ彼は王族であり、彼を囲む環境はすべて彼に成功体験を刻み込むことを目標として、慎重に調律された、不自然なものばかりだったのだから。
とはいえ、完全に彼を見放してしまうには、あの段階ではまだまだ時期尚早だった。
アルフレッド副皇太子を導いているのはエレオノーラだから、どこかの段階で副皇太子も現実と正面から向かい合うようになる可能性は残されていた。エレオノーラからの合図があるまでは、アルフレッド殿下を完全には見放さない――それが本来の筋書きだったのだ。
だがエイダ伯がラウレンツ皇太子を得たことで、状況は一気に先に進んでしまった。
ラウレンツ皇太子という旗印なしには、アルフレッド副皇太子を簒奪者だとして打倒する計画は機能しない。まったく無理とは言わないが、あまりにも危険な賭けになってしまう。大義名分のない戦いに参戦したがる野心家はそれほど多くないし、その手の愚かな野心家に支えられた軍を率いて戦うなど、私が殺したレナートの愚行となんら変わらない。
その「生きる大義名分」であるラウレンツ皇太子をエイダ伯に抑えられてしまった以上、私はあの場でアルフレッド副皇太子を見限るという判断を下すほかなかった。
さもなくばエイダ伯は私の準備した状況を最大限に利用して、「簒奪者アルフレッドを倒す正義の軍」を動かすことになっただろう。そうなってしまえば、この正義の戦いの舞台裏を知る私はエイダ伯にとって不倶戴天の邪魔者となり、私はたった500の手勢で己の命を守らねばならなくなる。
あの場で「簒奪者アルフレッドを倒す正義の軍」の主役はエイダ伯であり、かつ最大の利益をエイダ伯に約束することで、私は「ラウレンツ皇太子による正義の戦い」を仕切る現場監督の椅子を許された。なにせこの計画のすべては私が采配しているのだから、エイダ伯としては私に「ここから先もすべてを任せる」のが最も安全かつコストパフォーマンスの良い選択となる。
もっとも、「ラウレンツ皇太子を旗印とした内戦を引き起こし、最小限の被害でアルフレッド副皇太子を排除する。その過程と結果をもって地方分権化の契機とし、デリク家もそうやって立ち上がっていく地方軍閥の一員となる」という計画は、事前に描いていたプランのひとつだ。
それにラウレンツ皇太子軍のなかでエイダ伯が「救国の英雄」となるのは、完全に既定の路線でもある。サンサ教区における世俗世界の元締めがエイダ伯であり、かつラウレンツ皇太子による反撃の狼煙がサンサ教区で上がる以上、エイダ伯が英雄となるのは、当初のシナリオどおりだ。
つまり。私が事前に描いた絵図を踏まえて言えば、現状は「計画通り」と評価できる。
それだけに、この現状は度し難い。
現状はあくまで、シナリオの内側にある。
本来ならシナリオが破綻して当然のアクシデントが起こったというのに、不気味なくらいに状況はシナリオの内側で進んでいる。
そして、そんななかにあって、私は(部分的にとはいえ)シナリオを選択する権利を失った。
これはシナリオが崩れるより、もっと憂慮すべき状況だ。
常識的に言えば、エイダ伯がラウレンツ皇太子を発見できる可能性はゼロだった。
ラウレンツ皇太子は愚昧ではなく、現状において「自分がサンサ教区にいる」と世界が知ることは、すなわち己の命を重大な危機に晒すことだと理解していた。そしてその理解を踏まえて、私は可能な限りの隠匿・保護措置を施した。
だからラウレンツ皇太子を発見するためには、ラウレンツ皇太子は必ずやこの地にいるという確信を抱く昏い知性と、その確信を微塵も疑わずに動く有能な部隊が必要になる。が、客観的に評価してエイダ伯にはその双方が欠けている。
つまりこの地には、私の計画を看破し、かつ私の計画を破壊することなく「時計だけを進める」ことができる人間がいる。
いや――そんなことが可能な人間は、もはや人間とは呼べない。
人智の及ぶべからざる、忌まわしき怪物の類だ。
まったく、なんとも度し難い。
神と悪魔が戦った神代の世ならいざしらず、この現代においてそんな怪物がいるはずなどなかろうに。
おそらく私は、いくつもの偶然の重なりを、怪物だと思いこんでいる。
私も帝都で長い時間を過ごしてきた人間だ。この手の「悪魔の悪意」としか言いようがない偶然の連鎖を体験するのは、これが初めてではない。
だが。
だが、それでも、これは……。
そんなことを考えていると、面会を申し込んだ相手が部屋に入ってきた。この2ヶ月に渡って私が偽りの包囲攻撃を行ったニリアン領における神の代理人、ライザンドラ司祭だ。そのすぐ背後には、世俗の支配者であるニリアン卿が続いている。
白旗を掲げた我々は、彼らが立てこもっていた村に入ることを許された。そしてしばしの待ち時間の後、要塞化された領主の館において首脳会談が実現したというわけだ。
ともあれ、こうして改めてライザンドラ司祭と向き合ってみると、「美しい女だ」というストレートな感慨がこみ上げてくる。世の中には「ぞっとするほど美しい」という言葉があるが、彼女以上にそれにふさわしい人物はいないだろう。
全員が着席したところで、私は本題を切り出す。
「さっそくだが、単刀直入に要件を申し上げよう。
我々はエイダ伯らの協力を得て、急速に部隊を増強している。諸君らはよく戦ったが、これ以上の抗戦は無意味だ。降伏することを強く推奨したい。
包み隠さず言えば、私はこの地を焼き尽くし、人々を異端者として滅することを求められている。だが本件における神学的課題に関する特別顧問に就任したハーマン司祭の見解によれば、諸君らには異端の疑いはないという。
ゆえに私は現場の政治的な責任者として、『ニリアン領とその異端を炎で清めた』という最低限の証拠をもって、本件の決着点としたい。
具体的に言えば、15歳以下の村人に関しては、ダーヴの街に新たな名前と家族を用意することを約束する。彼らが不当な扱いを受けることはないこともまた、約束しよう。
返答は、いかに」
一応は「受け入れられる余地のある和平案」という体裁はとっているものの、この提案の内容はさしたる意味を持たない。これは絶対に「喜んで」と即答できる内容ではなく、「話し合わせてください」という回答を引き出すための条件設定だ。
私としては「結論は10月末日まで」といったあたりで期限を切りつつ、降雪によって戦いがいったん棚上げになるのを待ちたい。こちらとしてはそろそろ本格的に対アルフレッド副皇太子戦の詳細を詰めていく必要があるし、雪が降って交通が寸断される前に直接会っておきたい人物も多い。
要するに、私にはもうこのまやかしの戦争に関わっている暇はない。それに有能な伝令たちを、ダーヴと包囲陣の間で往復させて疲れ果てさせるような愚も、これ以上は続けたくない。
だがライザンドラ司祭の第一声は、完全に予想を裏切っていた。
「寛大なご提案、喜んでお受けします」
思わず、まじまじと彼女の顔を見てしまう。脳内でエレオノーラが「そうやってすぐ顔に出す」と叱咤してきたが、この返答を聞いてなお平静でいられるほど、私は人間を辞めてはいない。
そんな私に、ライザンドラ司祭はさらに追い打ちをかけてきた。
「――という返答は、デリク卿が一番望んでおられない返答でしょうから、避けることにします。
私のような未熟者がデリク卿に意見するのも恐縮ですが、デリク卿は少し休息されたほうがよろしいかと。
今の和平の提案に対し、私やニリアン卿が『喜んで』と返答してしまえば、デリク卿の策は瓦解してしまいます。心身ともに壮健なデリク卿であれば、こんな迂闊な言葉を発しはしないでしょう?」
首筋を、嫌な汗が流れた。
私は何かを言おうとして、言葉にできないまま、再び口を閉じることしかできずにいた。
「我々はデリク卿に協力する準備があります。
具体的に申し上げれば、まずはこちらから具体的な反撃は一切行わないこと、また夜陰に乗じて村人を逃がすといったことも行わないことを、お約束します。私を含めた村人の一部を村の外に逃がすという計画はありますが、これは破棄することを誓います。
これでしたらデリク卿は現在休止中の包囲戦を、ご自身の指揮で再開する必要もありますまい? ご多忙な身を、こんな無意味な戦闘指揮の場に縛り付けておかざるを得ないのは、あまりにも非合理的です。伝令の方々の負担も高まっているでしょうし」
何だ、これは。
私は何を言われている。
この女は――何を、言っている。
「また、審問会派の専横には、そろそろブレーキが必要ではないでしょうか。
異端の兆しなしとボニサグス派の司祭が認める辺境の寒村を、教会内部の序列闘争のみを理由として焼き滅ぼそうとする。その走狗として、帝国の軍隊が派遣される。いくらなんでもこれは横暴の極みですし、『帝国軍』の名を背負った軍隊にとっては汚辱というほかないかと。
無論、偉大なるアルール帝国皇帝の勅令をもって動く、栄えある帝国軍が、罪なき民草を殺すことを名誉と思うのであれば、また話は別ですが」
……そう。そうだ。
私は、「教会と帝国が無辜の民を虐殺するための軍を発した」ことを、証明できる。そのことが明記された文書は、まだ私の手元に残されている。
そして現状の政治的状況を鑑みれば、アルフレッド殿下を殺すことで教会に恩を売りつつ、私が受けた勅令の理不尽さを訴えるという筋書きが見えてくる。ここ最近、まるで良いところがないジャービトン派の中枢に接触し、現状の審問会派による教会支配を覆す計画として売り込めば、彼らは喜んで私と手を組むだろう。
むしろそうやって教会の政治状況を変えないことには、いまの審問会派はアルフレッド副皇太子という政敵を殺した猟犬である私を、「用済みだ」とばかりに薬殺しようとしかねない。
いや、連中は絶対にそうする。実際、この勅令そのものにしても、ニリアン領の領民を虐殺しライザンドラ司祭を殺した私を、教理の面から後付けで処分できるように作られていたではないか。
そもそも私がアルフレッド殿下を扇動したのも、連中のこの策に対抗するという側面が大きかった。教会にとって「緊急かつ明確な敵」を作ってやることで、その敵を倒して恩を売るなり、その敵と組んで教会を叩くなり、なんらかの策が必要だったからこそ――
――いや、待て。
待て。
今は――今は、そんなことを考えるべきときでは……
「デリク卿。卿はお疲れなのです。ひどく、お疲れなのです。
最初にデリク卿はエイダ伯の名前を出されましたが、あれも不用意でした。
私は比較的長くこのサンサの地で暮らしましたが、原則的には帝都で生まれ、大貴族の一員として教育を受けた人間です。それはニリアン卿にしても同じことで、彼女の人生もまた、帝都で勉学に励んだ時間のほうが長いでしょう。
そんな人間に対して心理的優位に立ちたいのであれば、出すべき名前は皇帝陛下か教皇猊下の御名でしょう。いかに実力があるとはいえ、エイダ伯のような土豪の名前では意味がありません。
つまり目下のデリク卿の心労の原因は、エイダ伯にあります。だからつい、重要な意味を持った名前としてエイダ伯の名前を出してしまった。違いますか?」
息が、詰まる。
この女はついさっき、明らかに私の思考を誘導した。
それだけでなく、またこうして心理的な奇襲を仕掛けてくる。
どうにかして。
どうにかして、立て直さなくては。
「デリク卿は『エイダ伯らの協力を得て、急速に部隊を増強している』とおっしゃられました。これは、我々に対する攻撃を隠れ蓑にして、軍に動員をかけているという宣言に他なりません。現実的な話をすれば、今の500騎前後でデリク卿がこの遠征を勝利のうちに終わらせ得るのは、この戦いの現場にいる誰の目にも明らかですから。
ではなぜ、デリク卿は今更エイダ伯の協力を得て軍を増強しているのか?
言葉を換えれば、このエイダ軍は、誰と戦うための軍なのか?
エイダ伯領の広さと人口を考えると、動員しうる軍勢は相当な規模に登ります。そして、確実な勝利のためには大軍が必要になるが、『軍を動員している』ことに強い疑念の目を向けられたくはない――そんな敵は、数が限られます」
どうにも、息が詰まる。
首筋に流れる汗が、止まらない。
「ここで再び、デリク卿が皇帝陛下や教皇猊下の名前を出さなかったことが、決定的な裏付けとなります。
デリク卿は、本質的には誠実で、理論を重んじる御方です。人間の善性を信じ、生きる喜びを信じ、いまは乗り越えられない苦難であっても、いつか、あるいは誰かが乗り越える。そういう、まっすぐな視線をお持ちです。
だからデリク卿は、これから戦う相手の名前を出して、『援軍が来る』とは言えなかった。皇帝陛下と戦おうとするいま、『皇帝陛下からの援軍が到着する』という、デリク卿にとってみれば途方もなく不誠実で支離滅裂な嘘は、吐けなかった」
私は必死で呼吸を整えながら、反論にもならない反論を口にする。
「なぜ私が、皇帝陛下に弓を引くと決めつける?
あなたの推論に則れば、私が教皇猊下、ないし皇帝陛下と教皇猊下の双方に弓を引く可能性もあるではないか」
安っぽい抗弁は、ライザンドラ司祭の豪奢な唇から放たれた言葉で一蹴された。
「教皇猊下、つまりは教会と直接軍事対決するような、明らかに勝算のない戦いにエイダ伯が噛んでくるはずがありません。そしてなにより、デリク卿はそんな愚者ではありません。
聖職者を殺せば、地獄行きは確定です。聖職者の群れである教会の聖騎士団を相手に戦おうなんていう人間は、狂信的な異端者以外にはあり得ません。エイダ伯軍を総動員しても、『敵は聖騎士団だ』と分かったとたん、軍勢は雲散霧消するでしょう」
激しい動揺と同時に、絶望感のようなものがこみ上げてくる。
自分はこんな自明なことを説かれるくらい、まともな判断ができなくなっている。
「デリク卿。あなたには休息と、なんらかの助力が必要です。あなたは実務においても、あるいは倫理的な面においても、あまりに多くを背負い込み、あなたが実感しているよりずっと深く疲弊しています。
あなたは誠実な方ですが、同時に帝国の大貴族として、何が必要か、何がなされるべきか、そしてそのためにはどの程度の犠牲が許容されるべきかを、冷静に計算できる方でもあります。
ですから現皇帝に奇襲を仕掛けるにあたっても、エイダ伯をコマとして使う立場ではなく、エイダ伯に気を遣う立場で戦わねばならなくなったことは、それだけであれば問題になり得なかったでしょう。
なぜなら、この戦争はあなたの勝ちだからです。過程に多少のブレはあっても、結果に有意な差は発生しません。
この戦争によってあなたが得る利益という論点においても、エイダ伯のような視野の狭い田舎者が口出ししてくる領域と、あなたに見えている世界が、交差するとは思えません。
つまりあなたは、計画どおりの結末を手に入れようとしています。
あなたを本当に悩ませているのは、自分がこの戦争にどんな立場で参与するかなどという、些細な問題ではないのです」
気がつくと、私は立ち上がっていた。
知らず、右手が剣の柄にかかっている。
自分でも驚くほどの震える声で、私は目の前の女に警告を発していた。
「やめろ。そこまでだ。
それ以上は、何も言うな」
だが女は何の躊躇もなく、言葉を発した。
「あなたの心を本当に悩ませているのは、もっと別のことです。
おそらくは――帝都に残した、あなたの協力者のことです」
私は剣を抜き、切っ先を女の首筋に押し当てる。
「やめろ」という言葉は声にならず、私の手は小刻みに震え続けた。
女は、悠然と言葉を続けた。
「あなたのように深謀遠慮を極めた方が、皇帝陛下に弓引く計画を立てた。そして事実、その計画は成功した。
でも、そんな大それた計画を成功させるためには、帝都に協力者たちが必要です。しかも、あなたにとって完全に信頼できる、極めて有能な協力者たちが。
そのうち幾人かが失われたとしても、それはあなたにとって『許容できる損失』かと思います。でも全員ではない。あなたはそこまで非情ではないし、優れた人材を使い捨てるような愚者でもない。むしろ反乱という大事を成就させるにあたって、才気あふれる人材は世界最高の宝玉よりも価値を持ちます。
だからあなたは、そういった協力者がなるべく多く帝都を脱出できるような計画を立ててきた。違いますか?」
手に、力が入らない。
剣は虚しく机の上に落ち、膝が派手に笑う。
まるで他人事のように、身体が椅子に崩れ落ちるのを感じた。
「けれどエイダ伯が計画よりずっと早く事態を進展させてしまった結果、当初の想定以上にあなたの仕事は増え、予定は前倒しになり、協力者が帝都を脱出する手はずを整える余裕がなくなってしまった。
協力者の帝都脱出プランは、ひどくデリケートな案件です。不運ひとつで、そこから反乱計画自体が露呈し、すべてが破綻する可能性すらある。
だからトータルでのリスク管理を考えたとき、あなたは協力者たちを見捨てるしかなかった。
反乱を確実に成功させるため、『帝都で死んでくれ』と命ずるしかなかった。
そのことを、あなたは今も悔いている。
どうしても協力者たちを助けられないことを、悔いている。
そして今からでも何かができるのではないかと、悔いている。
そして結局、どうか無事に生き延びてくれと祈ることしかできない自分の無能さを、悔いている」
ようやく、私は、悟った。
「そのどうにもならない後悔に、あなたは疲弊している。
どうにもならないから忘れようと努力することに、疲弊している。
そして気がつくとちゃんと忘れて仕事ができている自分に、疲弊しきっている」
この世には、怪物がいる。
ぞっとするほど美しい、怪物がいる。
だから私は、ヒトとして精一杯の勇気を振り絞って、問いを発する。
「ライザンドラ司祭。
あなたは、いったい、何を求める?」
金色の怪物の、透き通るようなアイスブルーの瞳が、こちらを見た。
「デリク卿。
私――ライザンドラは、世界を変えることを欲します」
馬鹿げている。まるっきり、狂人の妄想だ。
そう、思った。
けれど私はそのとき、この怪物は必ず世界を変えると、確信していた。
気がつくと、私は自分の馬車に戻っていた。
窓の外を見ると、馬車はダーヴの街に向かっているようだった。
一瞬、あの会見は夢だったのではないかと思った。
馬車の中で眠っている間に窓の外を流れる風景のようなもので、限りなく夢に近い何かではないか、と。
でも、かの怪物が最後に放った言葉は、甘美な呪いのように、今なお私の頭の中を木霊していた。
「デリク卿。
ライザンドラは、世界を変えることを欲します」
「あなたは違うのですか?」




