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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
お前が神を殺したいなら、とあなたは言った
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アルール歴2189年 6月20日(+22日)

――エイダ伯の場合――

「皇帝陛下と教皇猊下じきじきの任務でご多忙なところ、わざわざお呼びつけしてしまって大変に申し訳ない。

 帝都に比べればあばら家にも等しい我が城だが、おくつろぎいただければ重畳」


 我ながら歯の浮くような外交辞令を口にしながら、デリク卿を出迎える。


「こちらこそ正式なご挨拶が遅くなりましたこと、平にご容赦いただかねばならぬ身。

 北方にこの堅城ありと名高きロカ・ブランカ城、その城門をくぐらせて頂けたこと、まことに光栄に思います」


 デリク卿もまた歯の浮くような外交辞令を口にする。

 我々は顔に笑顔めいたものを貼り付けたまま、応接室のソファに腰を下ろした。小姓たちにちらりと視線を送ると、彼らは一斉に退室する。デリク卿はそんな様子を意にも介さず、テーブルに置かれた茶に口をつけた。


「さて――本日わざわざご足労頂いたのは、ほかでもない。

 デリク卿とはなんとしても、腹を割って話し合わねばならぬことがあると思ったからだ。

 知っての通り、帝都はいまアルフレッド殿下の即位を巡って混乱が続いている。まさに帝国の統治が問われるときであり、そしてこんなときであればこそ、辺境こそが帝国の威信を証明するがごとく盤石でなくてはならぬ。

 ここまで、貴殿との間に見解の相違はあろうか?」


 私の言葉に、デリク卿は深々と頷く。

 ハン、いまの口上でもはや私の用向き(・・・)はもう察しておろうに。


「ゆえに、デリク卿には――そう、言葉は厳しくなるが、問いたださねばならないことがある。

 デリク卿はいったい、いつまでニリアン領の問題に関わっておられるのか」


 事実上の詰問だが、話としては簡単だ。


 アルフレッド殿下(あの浅学な若造を迂闊に「陛下」と呼んでしまうと、これはこれでまだまだ微妙な問題を発生させる)は、アルール帝国皇帝(・・・・・・・・)の名をもって、ニリアン領平定(・・)の勅令を撤回している。

 今の教会上層部を蛇蝎のごとく嫌うアルフレッド殿下は、「帝国と教会の合同事業」に該当するそのすべてを逐一チェックし、その何もかもに対して見直し(停止)ないし撤回の命令を発したのだ。


 もちろん教会からは強い抗議がなされたが、この手の事業の本質を言えば帝国から教会への寄進であり、はっきり言えばその大半は賄賂だ。そしてその手の賄賂は、その7割ほどがジャービトン派が預かる案件に注ぎ込まれる。

 これは別にジャービトン派が便所虫の群れだという話ではなく――私にしてみれば連中は糞虫の群れだが――ジャービトン派には貴族の次男や三男坊が所属していることが多いため、勢いこの手の公共事業はジャービトン派が管理することになりやすい、という構図だ。

 そしてそんなジャービトン派を心底嫌っているのがミョルニル派で、彼らはジャービトン派のすることなら何でも反対票を投じる。だから今の帝都においてミョルニル派がアルフレッド殿下を支持するようになったのも、当然の流れだ。

 ミョルニル派は喜び勇んでジャービトン派が請け負っている寄進(・・)に大量の賄賂が含まれていることを指摘し、殿下は大見得を切ってそのことを帝都市民に訴えた。これに対し教会は資金関係の調査と内部統制の強化に乗り出すとともに、どうしても譲れない合同事業を死守するという消極的な方針を採らざるを得なくなったというわけだ。


 しかるに教会にとって「どうしても譲れない合同事業」の筆頭であったニリアン領平定の勅令に関しては、アルフレッド殿下と教会の間で熾烈な戦いが起こったとも聞く。

 殿下としては、自分がケツを蹴っ飛ばした父親(つまり先の皇帝陛下)と憎き教会が秘密裏に遂行させていた計画など、何が何でもふっ飛ばしてしまいたい。「あいつらがそこまで憎むからには、ニリアン領はちゃんとしている(・・・・・・・・)のではないか」という疑念を公式に示すほどに。

 一方で教会としては、「断固とした対応が必要」という主張を崩すわけにはいかない。今の教会を牛耳るのは審問会派であり、ダーヴの街とニリアン領は彼らにとっての「審問会派が正義を為した地」だ。そのニリアン領の担当司祭が、かつて自分たちが派閥から追放したライザンドラ司祭にすげ変わったとなれば、もはや教義がどうこう言うレベルの話ではないのだろう。


 けれど最終的に、副皇太子とミョルニル派のタッグは勝利を収めた。


 アルフレッド殿下側には、強烈な切り札が2枚もあった。

 1枚目は、ライザンドラ司祭はミョルニル派の司祭資格を有しており、かつ教会法が定める正式な手続きを踏んでニリアン領の司祭に就任した、という事実だ。ミョルニル派としては「ウチの司祭に根拠なく因縁をつけるというなら、派閥として黙ってはいられん」という案件ど真ん中であり、しかも今の彼らは帝都市民にとって「教会の腐敗を暴いた、本物の神の下僕たち」でもある。政治力皆無なのがミョルニル派の常だが、少なくともアルフレッド殿下統治下の帝都において彼らの主張は「最も信頼できる言葉」となっていた。

 2枚目は、「公式には『ニリアン領を調査せよ』として発行された勅令だが、デリク卿に実際にくだされた勅令は『ニリアン領を焼却し、ライザンドラ司祭を殺せ』という命令だった」という、皇帝の椅子に手をかけた者だからこそ知り得た情報だ。教会としては、副皇太子に「このことを公表されていいのか」と脅されると、黙るしかない。


 つまり現状、デリク卿にくだされた勅令は、その効果を停止している。

 ゆえにデリク卿がニリアン領を攻撃する法的根拠はない。ニリアン家がデリク家にとって身内(・・)だ(そして身内としての制裁が必要だ)というのはギリギリの理由付けになり得るが、だからといって当然のような顔で我がエイダ伯領にデリク卿の軍隊を置かれるとなると、「それは明白な侵略行為だ」と言わざるを得ない。

 よってエイダ伯の名を継いだ私としては、デリク卿に厳重な注意をする必要がある。


 ――と、ここまでが簡単な話だ。


 案の定、デリク卿は私の詰問に対し、まったく動じる姿勢をみせなかった。


「エイダ伯のご懸念はもっとも。

 ですが私はコンラドゥス4世陛下およびテオドヌス8世猊下より、命を受けております。またニリアン領の問題に関して、帝国と教会より全権を委任するという命も受けております。

 コンラドゥス4世陛下のご命令に関する正当性が揺らいだ(・・・・・・・・)としても、テオドヌス8世猊下からのご下命はいまだ撤回されておりません。

 この点、私としてもあまり心楽しからぬ板挟み状況なのです。『貴様は帝国の威信と教会の教え、そのいずれに従うのか?』と問われる日が来ようとは、なんとも弱った、としか申し上げられません」


 いけしゃあしゃあと、とはこのことか。

 もし私がこの男の性根を知らなかったならば、私もまた彼の置かれた難しい立場に思いを馳せ、「協力できることがあれば喜んで」くらいの申し出はしただろう。

 だがこの帝都から来た軟弱なる南の猿(・・・)は、けしてそんな上等な人間ではない。そしてこの陰謀マニアの猿を相手にして、奴らの流儀で話をしていれば、必ずや奴らの思うがままの結果に終わってしまう。

 だから私は、〈エイダの掟〉3000年の歴史と伝統に従って、正面から堂々と勝負に出ることにした。


「帝都でしか通じぬ柔弱な美辞麗句の類は聞き飽きた。

 ここは〈エイダの掟〉が3000年に渡って統べる土地。最も強き者のみが生きる権利を持った、極限の土地よ。その大地が求める言葉で貴殿に語り、問おうではないか。

 貴殿は帝国を守ろうとするのか? それとも帝国に反しようとするのか?

 〈エイダの掟〉が統べる地で策謀を巡らすのみならず、その二枚舌に我ら〈エイダの掟〉を巻き込み、都合よく利用しようと奸計を企てるとは! 相手が貴殿でなければ、この会談が始まる前に貴殿の首が城門に晒されていただろう!」


 私の言葉にも、デリク卿はまるで動揺を示さなかった。

 軟弱な南の猿と言えど、さすがは大貴族を名乗るだけのことはある。


「――エイダ伯。

 私も言葉を飾らずに返答させて頂くなら、私は帝国に忠誠を誓っている。

 だがそのことと、帝位に座した何者かに忠誠を誓うのは、自ずから異なる。

 アルール帝国の歴史にあって、親を殺して帝位を継いだ子がいなかったとは言わぬ。だが今に至るまで『皇帝』として帝国史が認めるのは、戴冠式が成され、神の祝福によって帝位の継承が認められた者だけだ。

 現状に至ってなお、アルフレッド殿下は若き野心家に過ぎない。彼は古き時代における選帝侯の資格を引き継ぐ帝都の大貴族を説得しきれていないだけでなく、教会に自分の統治を認めさせる必要があることを理解せずに『改革』を進めようとした、まったくの夢想家に過ぎない。

 そして私は、分別がつかない子供に忠誠を誓った覚えはない」


 南の猿にしてはまだマシ(・・・・)な弁明を、私は薄ら笑いを浮かべながら聞く。


「つまりデリク卿は、アルフレッド殿下が迅速に帝都政界を掌握し、また教会と敵対しつつも教会が認めざるを得ないような人物としての立場を作り得たなら、彼を支持する可能性もあった、ということだな?

 だがかの若造を支持するには、きゃつは手際が悪すぎる。だから支持はできない。そういう理解でよろしいか?」


 私の言葉を聞いたデリク卿は、苦笑いしながらも頷いた。ここでダラダラと言い訳や留保をし始めないのは、けして悪くない。だが所詮、猿は猿だ。


「ならば私は、デリク卿に聞かねばならない。

 アルフレッド殿下が簒奪者であると指弾するにしても、貴殿直属の兵士は500ほど。来年の春に向けて貴殿の配下に部隊を動員させているようだが、それでも3000といったところか。

 たった3500の兵で、貴殿はアルフレッド殿下と戦うつもりか?」


 私がそう指摘すると、デリク卿は苦々しげに表情を歪めた。

 この、性根の腐った役者めが。


「――もしそのことをもって、私がエイダ伯を『都合よく利用しようと奸計を企てた』と糾弾されるのであれば、私は伯に頭を下げねばならない。

 確かに、私の構想の中に『理を尽くして説得すれば、エイダ伯に軍事的な協力を仰げるかもしれない』という思いがまったくなかったかと問われれば、あったと言うほかない。

 この点については、幾重にも謝罪を……」


 神妙な表情で頭を下げようとするデリク卿を、私は手で制する。

 これは交渉術の一環だ。ここで彼に謝罪させてしまえば、彼は深く恥をかく。そうなれば真の名誉のなんたるかを知らぬ南の猿と言えど、私と手を組むという選択肢は消えるだろう。

 そのかわり、私は両手を2度、強く叩いた。

 合図に応じて、部屋の外にいた執事が、客人をエスコートして入室してくる。客人の顔を見たデリク卿の目は、まんまるに見開かれていた。


「帝位継承権1位の、ラウレンツ皇太子殿下だ。

 たまたま(・・・・)我がエイダ領のとある田舎町に避難(・・)されていたのを、部下が発見し、保護(・・)した。

 帝国の現状を考えると危険な判断ではあるが、私もまた帝国貴族に名を連ねる者。デリク卿の言葉を借りれば『帝位の正統性が揺らいだいま』だからこそ、帝国法が定める継承権には最大の敬意を払う必要があると考えた。

 ラウレンツ殿下には、ご不便をおかけしていること、深くお詫びしたい」


 一般的に言えば無礼極まりない口調で話す私を苦笑しながら見ていたラウレンツ皇太子――コンラドゥス4世が最初に迎えた妻の第一子で、その妻は彼を産んですぐに死んだ――は、鷹揚に頷くと、デリク卿に向かってなんともいえない笑み(・・・・・・・・・・)を浮かべてみせた。


 つまり、そういうことだ。


 デリク卿は、ほぼ疑いなく、アルフレッド副皇太子の帝位簒奪を煽り、また支援もした。

 そしてそれと同時に、宮廷ではあまり目立たない文化人であるラウレンツ殿下をこっそりと連れ出した(こちらは本人から状況を聞いているので間違いない)。


 最初から、デリク卿は両天秤をかけていたのだ。


 そしてアルフレッド副皇太子が帝都の政治をしくじった(・・・・・)場合、ラウレンツ皇太子を発見して保護(・・・・・・)したデリク卿は「ラウレンツ皇太子を助ける義士たち」を募る予定だったのだろう。

 継承権第1位のラウレンツ皇太子を旗印とし、「弔い合戦」を合言葉として戦えば、よほどのことがない限りは帝都の大貴族ですらデリク卿の味方になる。正義(・・)がどちらにあるのか、いくらなんでも明らかすぎる。

 そして私もまた、率先してその流れに乗っていたに違いない。こんなあからさまな勝ち戦が、我がエイダ領を起点として始まるというのに、それに乗らないなどということがあり得るだろうか。


 だが我が有能な部下は、目ざとくもラウレンツ皇太子を見つけ出した。

 そして皇太子を守るデリク卿の配下を倒し、私のもとに皇太子と――なによりも貴重な真実(・・)を、もたらしてくれた。


 デリク卿は目を閉じ、何度か深呼吸していた。

 そんなデリク卿を見て、ラウレンツ皇太子はかける言葉もないまま踵を返すと、自ら退席していった。

 この数日いろいろと話しをしてみたが、ラウレンツ殿下はなかなかに思慮深い人物だ。だからアルフレッド殿下との内戦に勝てば、自分を保険(・・)として使い潰そうとしたデリク卿のことも許すだろう。帝位に就こうという人間には、その程度の度量は必要なのだから。

 だがいまこの場でデリク卿を許せというのは、無理な話だ。


 再び扉が固く閉められたのを確認してから、私は改めてデリク卿に提案(・・)する。


「貴殿の謀略に、〈エイダの掟〉は協力する準備がある。

 ただし、条件が2つある。これを飲んでもらえるなら、ラウレンツ皇太子を旗印とし、貴殿を将軍とした軍に対し、〈エイダの掟〉も兵を出そう。

 飲めぬのであれば、話はここまでだ」


 デリク卿はゆっくりと目を開けると、私の目を見た。

 その瞳の奥にはまだまだ闘志が宿っている。勝敗はついたとはいえ、ここで敗者をいたぶるような真似をすれば、手痛い反撃を受けるだろう。これもまた、北の大地の3000年が教えてくれた知恵だ。


「1つ目の条件。ことが成った暁には、サンサ教区をサンサ辺境自治区とする。

 エイダ家には辺境伯の地位を頂きたい。

 この地に『エイダ王国』を作ろうなどという大望は抱いていない。独立した挙げ句、帝国との貿易に法外な関税をかけられてもかなわんからな」


 帝国では伝統的に言って、辺境伯という地位は、皇帝と対等の交渉ができる地位となっている。形式上は皇帝の一つ下ということになるが、事実上の独立国扱いだ。

 デリク卿はしばし考え込んだ後、「私に要求するよりもラウレンツ殿下に要求したほうが確実ではあると思うし、私に決済権のある問題でもないから、無責任な返事はできない。だが貴殿がそれを帝国に要求するときには、デリク家が最大の援助をすることを約束する」と返答した。南の猿らしいもって回った言い回しだが、満足すべき約束と言えるだろう。


「2つ目の条件は、貴殿がニリアン領から手を引くことだ。

 サンサ辺境自治区が成立しても、帝都の教会が自治区で幅を利かせるというのでは意味がない。帝都の坊主どもは、根をたどれば帝国貴族に過ぎんのだからな。

 ニリアン領における信仰が異端ではないという報告は、私もダーヴのハーマン司祭から聞いている。ならば今の教会にここまで深く敵視されているライザンドラ司祭は、こちらとしては最も望ましい人材だ。

 この地にふさわしい清らかな魂を持った司祭として、彼女にはサンサ辺境自治区全体を導いてもらう。帝都の坊主どもには、口を出させん。

 そのためにも、貴殿の兵隊にライザンドラ司祭を殺されてしまっては困る」


 この条件に対しては、デリク卿はかなり長く沈思黙考した後、「1つ確認させてほしい」と言い出した。


「ライザンドラ司祭を使うのは、政治的に見て危険すぎる。

 何より、帝都の教会と決定的に対立することになる。形式的なものであっても審問会派を受け入れないことには、交渉すらできない。その点について、エイダ伯には何らかプランがあるだろうか?」


 そんなことか。私は鼻で笑って、プラン(・・・)を提示する。


「私自身、ダーヴの街において勇敢なる審問官たちと聖ユーリーンが協力して為した英雄的事績には、敬意を抱いている。またサンサ山を包囲するというピウス8世の計画にも、口を挟むつもりはない。

 ゆえに審問会派とボニサグス派に限っては、従来どおりの人事を受け入れ、支援も行う。それ以外の派閥については、ライザンドラ司祭の承認がない限り、こちらからの支援は行わない」


 世俗の支配者は、教会の人事に口を挟めない――この大原則には、例外も起こり得る。例えばこのサンサの地においては、我々世俗権力が教会を支援しなかったら、その教会を守る司祭は普通、その年の冬を越せない。村々の多くはあまりに貧しく、教会が徴収する標準的な税ではどうしたって何らかの必需品が不足するのだ。

 その上で、冬の間に地域の住民が自発的にその司祭を「養ってあげよう」と思える(そして実際に生き延びさせてしまうくらいに寄付が集まる)くらいに徳の高い人物だというなら、それはそれで素晴らしい話だ。


「ただし審問会派の司祭に関しては、〈エイダの掟〉の戦士と模擬戦を行い、5本中2本以上取れないような審問官にはお引取り願おう。

 かのカナリス特捜審問官であれば、5本中4本は取ったであろうからな」


 カナリス特捜審問官の武勇は、〈エイダの掟〉の戦士たちの間にも鳴り響いている。どうやら彼が任務中に行方不明になったらしいという噂を聞いた戦士たちは、深く嘆いたものだ。彼とその利発な助手を象ったとされる、白黒2頭の狼が掘られたペンダントは、特に女戦士たちの間で高い人気があるという。

 この地における世俗の支配者としてみると、正直なところ彼ら審問官どもは「帝都くんだりからやってきて、領内を騒がせるだけ騒がせた厄介者」ではある。だが領民たちの間での彼らの人気を鑑みると、「審問会派」という派閥ごと、無下にはできないというのが現実だ。


 私の返答を聞いたデリク卿は「なるほど」と呟くと、何度も頷いた。

 それでもなお、どことなしに微妙な顔をしているのは、おそらくはライザンドラ司祭の持つ曰く言い難い得体のしれなさを、デリク卿も感じているからだろう。私自身、ライザンドラ司祭という存在の持つ不確定要素には、一抹の不安を感じなくもない。

 だが過度に怯える必要もまた、ない。

 私がどんな妥協案を出したところで、帝都の教会はライザンドラ司祭の排除を目指すだろう。それはもはや教義や政治がどうこうではなく、プライドの問題だからだ。それゆえに私としても、いつかどこかの段階で「ライザンドラ司祭の死」を落とし所として提示できるようになる。交渉とは互いの利益ではなく、互いのプライドをすり合わせる作業なのだ。

 だからライザンドラ司祭は必ずや、我らにとっての「聖ライザンドラ」になる。そしてその死が帝都の教会が派遣した暗殺者の手によるものであるという理解が民衆の間に広がれば(確実に「そのようにする」つもりだが)、彼女の伝説は1000年を越えて語り継がれるだろう。

 そうやって伝説(・・)にしてしまえば、コントロールするのは容易なのだ。


 デリク卿もすぐに同じ結論に至ったのだろう。彼は「いいだろう」と言うと、「7月初旬からニリアン領に対する包囲と攻撃を開始する。攻撃は9月中旬まで継続する予定だが、具体的な日程は季節と準備次第になるだろう。この点については特に連絡を密に取りたい」と口にした。


 これは予想通りだ。

 デリク卿は教皇の命令どおりにニリアン領を攻撃するが、「予想以上に抵抗が激しいため」地元の貴族らに「援軍を要請」する。その要請を受けた私は、〈エイダの掟〉に属する家々に声をかけ、動員の準備を進めさせる。

 この間、動員の目的はあくまで「来年の春を目標として、ニリアン領を攻めるため」だ。

 たとえ7月に動員の準備を始めたとしても、ちゃんと戦える軍隊が揃うまで3ヶ月はかかる。10月になれば雪が降るので、軍隊を動かすのは不可能だ。ゆえに「来年の春」という悠長な準備でも違和感は発生しない――つまり我々はたっぷりと練兵の時間が取れる。

 春になったところで本格的な動員を行い、軍勢を一気に南進させる。泥濘で輜重隊が足を取られることを考慮しても、帝都までは最長で3ヶ月。行軍開始から数えて、帝都までその知らせが届くまでに最短で20日。アルフレッド副皇太子に許された猶予は、せいぜい2ヶ月だ。

 この状況において、完全武装の大軍を揃えた我軍が帝都に行軍していくのを実際にその目で見れば、日和見貴族たちは間違いなく我軍に続々と参加するようになる。その手の飛び入り勢は戦力としては期待できないが、見た目の「大軍」感には大いに寄与してくれる。そうやって雪だるま式に大きくなる我軍にとって、兵站以外に発生する軍事的課題など考えられない。


 憂慮すべきは副皇太子側(ないし教会側)の間諜だが、帝国側で最も恐れるべき謀略の達人(デリク卿)は、今回は我軍を率いている。たとえ帝都に「サンサ教区で反乱の兆しあり」という情報が届いたとしても、帝都には(特にアルフレッド副皇太子の周囲には)「そんなことはあり得ない」と主張するデリク卿の協力者が山ほどいるに違いない。

 まったく、考えれば考えるほどに、この用意周到な構図に虫唾が走る。これは南の猿どもが大好きな「戦う前に勝敗が決まっている戦争」の、究極系だ。おそらくは今なお無我夢中で踊っているであろうアルフレッド殿下が、いっそ哀れですらある。


 ともあれ、いかに勝利が約束された戦いであったとしても、油断は禁物だ。今後デリク卿がどこかのタイミングで裏切ってくる可能性も、ゼロではない。なにせ彼は、大恩を売りつけようとした次期皇帝陛下を相手に、逆に恨みを買ってしまったのだから。

 初期に想定したよりはずっと小幅なプラスにしかならないであろう戦いにおいて、デリク卿は次にどんな手を打ってくるのか。想像するだに面倒極まりないが、エイダ家にとっての悲願とも言える完全なる自治権確立が報酬と思えば、安いものだ。


 私は獰猛な笑みを浮かべて、デリク卿に右手を差し出した。

 彼は顔に笑顔を貼り付けたまま、私の手を握った。


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