アルール歴2189年 6月5日(-98日)
――ニリアン卿レイナの場合――
「家の格」というのは、なかなかに難しい概念だ。
ことそれが「貴族の家」ともなると、非常に難しい。
たとえばニリアン家は帝国貴族としてサンサの地の一部を統治して久しいし、爵位も子爵位を皇帝陛下より拝領している。領地の貧しさは折り紙付きだが、伝統と格式においてはなかなかのものだ。
けれどこの伝統と格式は、あくまでも帝国中枢部から見たときの話でしかない。
ニリアン家がこの地において生まれたのは300年前。ときの教皇ピウス8世が霊峰サンサに逃げ込んだ異端者たちを包囲すると宣言し、その包囲網を形成するために帝国が協力した結果として、ニリアン家による統治が始まった。
つまり「ニリアン家」なる家系は、300年以上前にはこの地には存在していない。また初代ニリアン卿はデリク家の陪臣であり、その能力を買われて大抜擢されて子爵位を得た人物だ。初代ニリアン卿はもともと帝都のやや東にある港町で生まれた人物であるとされており、サンサ教区とは縁もゆかりもない。
その上これまで300年間、ニリアン家の婚姻相手としては帝都であぶれた男女が選ばれてきた。さもなくばサンサ包囲網を作るため、同時期に新設された他の3家との間の婚姻だ。このため歴代ニリアン卿の肖像画を見ると、やはり明らかにサンサ教区の人々とは顔の造作が違うな、と感じる(もちろん、鏡を覗き込んでも同じことを思う)。
とはいえここまでであれば、話はそこまで面倒ではない。
話がこじれるのは、ここからだ。
サンサ教区の貴族には、当然ながら、「サンサ生まれのサンサ育ち」な家がいくつか存在する。
なにせ帝国が「サンサ教区」を実効支配したのは、たった600年前のことだ。これは逆に言えば、600年よりさらに前の段階で、ここには「この地を統治する偉大なる族長ナントカ」的な「家」が存在していたということだ。
彼ら土着の指導者たちが帝国に膝を屈したことで――あるいは帝国と取引して帝国内部での地位と引き換えに「サンサ教区」を帝国が支配していく尖兵となったことで、その一部は「帝国貴族」という地位を得た。
この代表格が、サンサ教区全体に対する世俗の支配者である、エイダ伯だ。
エイダ家は600年前、帝国の本格的なサンサ侵攻にあたって中心的な役割を果たした地元の部族がもととなっており、従って公式にはその歴史は600年を誇る。ニリアン家の倍の歴史を持つ一方で、帝国2000年の歴史と同じだけの時を経てきた帝都の七名家に比べれば、「田舎の新興貴族」ということになる。
が。
容易に想像できるように、エイダ家としては「エイダ部族」だった時代を、非公式な「エイダ家の歴史」として有している。その歴史は、実に3000年前にまで遡る。
彼らがそれを公式の場で口にすることはないが、お酒が入るとこのあたりのお家自慢がポロリと出てくるということは珍しくない(ついでに言えば「エイダ部族」というのも帝国式の呼び方であり、彼ら自身は自らの家のことを〈エイダの掟〉と呼ぶらしい。なぜそう呼ぶのか、詳しい話は聞いていないが)。
かくしてエイダ家にしてみると、例えば我がニリアン家に対する公式な挨拶は「帝国の大貴族である歴史あるデリク家の陪臣として始まったニリアン家に対し、多いなる敬意を表する」といった感じの内容を美辞麗句を尽くして語ることになるが、非公式な場ともなればそのご挨拶は「南の臆病なサルどもが送り込んできたドサンピンが何をしに来た」ということになる。
つまりエイダ家の本音は「自分たちは帝国よりも長い歴史を持つ、この北の果に広がる勇猛なる大地の、真の支配者」なのだ。
このため、ニリアン家は伝統的にエイダ家とあまり上手く行っていない。
こちらとしては帝国の伯爵であるエイダ家に対し最大の敬意を払うとともに、「そうはいってもウチのボスはアンタじゃないですし、ついでに言えばウチのボスは帝国の支柱となる名家の1つです」というスタンスを守らないことには、今度はデリク家に対して申し訳が立たない。
このスタンスが誇り高き〈エイダの掟〉にとって許しがたいものであったとしても、こちらとしては選択の余地がないのだから本当に勘弁してほしい。
だから私が急にエイダ伯に面会を申し込んだときも、「いまエイダ伯はお忙しい」的なお返事を何度も拝領することになった。
でも私は、このお断りの言葉はエイダ伯ご本人の言葉ではないだろう、とも感じていた。
というのもライザンドラ司祭が精力的に改革を続けるニリアン領は、サンサ教区にとってもっともホットな土地となっている。そのニリアン領の世俗の支配者である私と「会わない」というのは、帝国の貴族たるエイダ伯としてはあり得ないはずなのだ。
そして実際、この門前払いはエイダ伯の部下が「自分の判断で」行っていたようで、ちょっとばかり違うルートからエイダ伯にコンタクトしてみたら、「すぐに会おう」という話になった。
ま、世の中こんなものだ。
この手の「ご主人様のことを思って」の判断は、帝都で学生をしていた頃にも散々味わった。
ともあれ、久々に会ったエイダ伯は、簡単に言えば大変にご立腹のようだった。
そりゃあそうだろう。私がニリアン領でやっていることは、もし私がエイダ伯の配下であれば、エイダ伯の判断を通さずにやったらエイダ伯軍を領地に送り込まれても文句が言えないようなことだ。
いかに「すべては帝国法と教会法に基づいて正当」であったとしても、教会政治に正面から喧嘩を売るようなことを部下がしでかしたなら、教会から聖騎士団が送り込まれてくる前に自分の手で処分をしたくもなろうというものだ。
けれどニリアン家の上はデリク家だから、ここでエイダ伯が「サンサ教区の世俗世界に教会の介入を招くようなことをするとは、愚の骨頂! 開戦事由など後から考えればよい! 疾く出陣せよ! 愚か者を吊せ!」と叫んで軍を出そうものなら、デリク家との正面決戦に発展しかねない。
このためエイダ伯の第一声もまた、まさに上のような心の声を、そのまま外に出したも同然の詰問だった。
つまり。
ここまでは、完全に私の読みどおりだ。
だから私は予定通り、エイダ伯に「ゲームの参加権」を提示する。
「ひとつ、ご相談があるのです。
おそらくはさほど遠からずして、我がニリアン領はデリク卿の軍勢に――より厳密に言えば、デリク卿が率いる帝国の軍勢に――囲まれることになるでしょう。
デリク卿ご本人は軍勢に先駆けて既にダーヴの街に入っておられますが、卿の配下の精兵500がニリアン領に向けて進軍中であるという情報は、まさにそのデリク卿から承っております。
そしてまた、『もし貴君らが我ら精鋭500騎の攻撃に耐え得たとしても、来年の春にはデリク家が総力を結集した軍勢がこの地に来る』とも伺っています」
エイダ伯は「それみたことか」と言わんばかりの表情を浮かべかけ、そこではたと状況の異常さに気づいたようだった。
そう。この状況は、幾重にもおかしい。
まずそもそも、デリク卿が「ニリアン領を攻め滅ぼす軍勢を動かしつつ、かつ本人はわずかな手勢を連れただけでサンサ教区に早入りした」というのが、おかしい。
それこそ私が「一矢報いる」ことだけを狙って自殺的な突撃をすれば、10回に1回はデリク卿の首が取れてしまうような状況に、彼は自らノコノコとやってきたのだ。
続いて、軍勢の規模がおかしい。
精兵500はニリアン領を焼き滅ぼすには必要十分な数だが、「帝国の命令」で動かすにしては、あまりにも小さすぎる。この戦いには帝国の威信が懸かっているのだから、それに相応しい大軍勢――最低でもスピリドの反乱を攻め滅ぼしたときと同じ、3000人規模――でなくては、政治的に見ると筋が通らない。
最後に、「500の軍勢を呼んでいる」と私に告げるのが、おかしい。
「お前を殺すぞ」と凄むのであれば、500ではなく5万とでも言っておけばいい。そこでデリク卿は「500」という、おそらくはかなり正確な数字を教えてくれた。
もちろんデリク卿は、「500と言ったが実は5000だ、油断したなフハハハ」という絵図が描けない人ではない。でもその直後にデリク卿は「500でアンタを殺せなくても、おかわりはあるからね」と宣言しているわけで、まるで辻褄があわない。デリク卿の軍事的センスは(その謀略の才に比べると特に)微妙だと聞くが、「戦力は集中して運用せよ」の大原則すら守れない人物ではないはずだ。
つまりデリク卿の行動には、別の意図がある。
そしてデリク卿は私とライザンドラ司祭との会談を繰り返すなかで、「自分の意図を読み解いてみせろ」と挑発してきている。「こちらの意図を完全に読み解き、こちらの指示なしに100点満点の回答を出してきたならば、自分の企みの手下として迎え入れてやる」という、帝国の上級貴族が下級貴族相手に対して呼吸をするように仕掛けてくる、一種のマウンティングだ。
では、デリク卿の意図とは何か?
あいにく、私にはデリク卿が何を狙っているのか、薄ぼんやりとしか見えてこない。
でも、絶対の自信をもって断言できることが、1つだけある。
ライザンドラ司祭は、デリク卿の意図を、完璧に見抜いている。
おそらくは実際にデリク卿に会う、そのずっと前から、彼の意図を――いや、この状況下においてニリアン領を滅ぼすべく差し向けられる軍勢の総責任者が心に抱くであろう、怒りと恐れと野心を、あの世紀の異才は見抜いている。
だから私は彼女に「正解」を聞いたりはしないし、彼女も私に「正解」を語らない。
なにしろニリアン領は、何から何まで不十分な、田舎の寒村だ。そこで「言葉」や「文字」にした情報は、プロの間諜たちにかかれば絵本を読むように容易く把握されてしまう。それでは、いろいろとマズい。
そのかわり私は、「この状況の行き着く先の、さらにその先を知る人」が陥りかねないくだらない落とし穴を、丁寧に埋めて回ることにした。
エイダ伯に会って、現状の話をしたのも、その一環だ。
エイダ伯はけして、愚かな人物ではない。〈エイダの掟〉を密かに信奉するエイダ家の当主として、傲慢でプライドが高く鼻持ちならない困ったちゃんだが、本質的に言えば誇り高き北の蛮族の直系として、勇猛果敢かつ奸智に長けた人物だ。
だから彼に「辻褄の合わない情報」を与えておけば、彼もまたデリク卿が私達に提示したゲームへの参加を考えるようになる――いや、考えざるを得ない。そこで何も考えないような人間に、サンサ教区の世俗社会を守る伯爵の椅子を守ることはできない。
貴族とは、そういうものだ。
貴族はありもしないところに関係性を見出し、それを現実と認識した上で、己の利益を最大化しようとする。
そしてほぼあらゆる貴族がこの行動パターンに従って行動するがゆえに、「貴族であればこそ理解できる世界」は、現実となんら変わらない強制力を持つ。
エイダ伯が私達と同じ「デリク卿のゲーム」に乗れば、私達は野蛮で直情的な危険をひとつ回避できる。
つまり「帝国がニリアン領を攻撃する」という情報を得た(今回は私が真っ先に当事者情報として伝えたが、遅かれ早かれこの情報は彼の耳に届いただろう)エイダ伯が、火事場泥棒をするなら今だとばかりにエイダ伯軍を動かしてニリアン領を焼き尽くす危険性を、排除できる。
ともあれエイダ伯の表情を見る限り、彼は「デリク卿のゲーム」に対して大いに興味を動かされたようだった。
当然だろう。よりによって「たかだか2000年程度の歴史を鼻にかけた、南の惰弱なサルのボス」が仕掛けてきたゲームの行方を読みきれなかったどころか、そこで負け組に入ってしまうようでは、〈エイダの掟〉のプライドはズタボロになる。
それこそは、彼が「人生において最も避けねばならない事態」なのだ。
だから私は、置き土産をひとつ残して、この場を去ることにする。
「事態がここに至っては、ニリアン家としてはデリク家との付き合い方を考え直す可能性も視野に入れております。
こちらに何ら責められる罪がないのに、『その罪を問うて家を滅ぼす』と申し渡される――この理不尽において、まずその不正を糾弾すべきは主家たるデリク家ではありませんか。そのデリク家が率先してニリアン家を滅ぼすと言うのであれば、いかに大恩ある主家とはいえ、つきあいきれぬということにもなりましょう。
つきましては、今後の状況次第では、ニリアン家としてはデリク家に対する臣従の誓いを破棄し、新たな主家を探したく思います。その際には、やはりこのサンサの地に最もゆかりの深い家に我らが剣を捧げてこそ、教皇猊下から与えられた聖なる任務も果たせるものと確信しております。
では、貴重なお時間をいただきましたこと、感謝致します。
天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ」




