アルール歴2189年 9月11日(+126日)
――アラン村長の場合――
ライザンドラさん――いや、ライザンドラ司祭がニリアン領に戻ってきて、それからたった1年ほどの間に、この小さな村はとてつもない変化を遂げた。
最初の変化はホフマン司祭の追放による変化だった。
ホフマン司祭によってもたらされた、なんとも言えない澱んだ穏やかさは、あの夜を境に完全に消え失せた。また、村人たちはライザンドラ司祭に導かれて〈貧者の儀式〉と竹簡聖書の作成に着手し、村にはかつての活気が戻ってきた。
それは確かに、「これからどうなるのか分からない」という不安と背中合わせの活気ではあった。けれど同時に「これからどうなるのか分からない」という期待もまた、そこには熱く息づいていた。
長く厳しい冬が終わり、春の兆しが見え始めた頃、次の変化が訪れた。シーニーさんが率いる傭兵団である「翠爪団」が、村に到着したのだ。なんでもライザンドラ司祭の依頼に応えるものだ、という。
翠爪団の面々はシーニーさんの指揮のもと、おそろしく効率よく村を作り変えていった。具体的に言えば村の周囲にはちょっとした環濠が掘られ、その内部に板塀による壁が建てられ、数本の物見櫓が建設された。工事は領主であるレイナ様の館にも及び、もともと砦のような風情があった館は、いまや完全な砦となった。
なんともものものしい雰囲気に村人は若干の不安を隠しきれずにいたが、ライザンドラ司祭の「いま帝国の治安はひどく悪くなっていて、私達もまた自衛しなくてはならない」という説明で納得した。実際、「大きな野盗の集団によって村が焼かれた」といった類の噂は、旅の商人たちを介してこの辺境の村にも届いていた。
村の防備が整って、村人たちも新たな風景に慣れ始めた頃、再び大きな変化が――今度は外から――訪れた。帝都の大貴族であるデリク卿が、ニリアン領を訪れたのだ。
デリク卿はまず教会でライザンドラ司祭と長時間に渡って話し合い、それからレイナ様とも随分長く話し合っていた。デリク卿は村で一晩を過ごしてからダーヴの街へと帰っていったが、帰路についた卿の表情はひどく固く、なんにせよ話し合いが上手くいかなかったことを思わせた。
そういう話し合いは、それからも何度か行われた。
そしてそのたび、デリク卿の額に寄る皺の深さは増していくようだった。
そして7月になって、村は次の大きな変化を迎えた。デリク卿が率いる兵隊が、村を完全に包囲したのだ。
だがシーニーさんはこの情報を察知していたようで、デリク卿が村を包囲する一週間前には、翠爪団の精鋭たちが大量の兵糧や武器と一緒に村に入っていた。
村を包囲したデリク卿の要求は、たったひとつだった。
「皇帝陛下の命令により、ライザンドラ司祭を捕縛する。
司祭を引き渡せば、包囲は解除する」
この要求に対しどう対応するべきか、レイナ様は村人全員を教会に集め、意見を募った。
皇帝陛下の命令である以上、拒否すれば帝国の軍隊は我々を皆殺しにするだろう。この村が生き延びるためには、ライザンドラ司祭を引き渡すしかない。
けれど村人たちは全会一致で、ライザンドラ司祭の引き渡しを拒んだ。
これは僕に言わせてみれば、それしかないというべき選択だった。というか、いくらなんでも帝国は僕たちを舐めている。
ここでライザンドラ司祭を引き渡したところで、連中は必ず僕たちも皆殺しにする。ネウイミナ男爵領で起きたスピリドの反乱において、デリク卿が反乱軍を鉱山に追い込み、その全員を溺死させたのは有名な話だ。デリク卿が「捕虜は不要だ」と命じたという一幕は、吟遊詩人の歌に乗って、ニリアン領にも届いている。
どうせ殺されるなら、「あいつらはバカだ」と嘲笑されるような死に方はしたくない。「要求通りにライザンドラ司祭を引き渡し、かつ帝国軍に皆殺しにされた」というのでは、僕らは帝国全土で「愚かな田舎者」として語り継がれることになるだろう。
もちろん、「勝算」というべきものが見えている、というのも重要なポイントだ。
デリク卿が率いているのは、せいぜい500名程度の兵隊だ。翠爪団は50名ほどが村に入っていて、シーニーさん曰く「敵に援軍が来ない限りは、この村は落ちない」という。
となると、僕らには負けない目算が立つ――11月まで籠城できれば、ほぼ疑いなく雪が降るからだ。
こうなってしまえば、帝国軍は「村を包囲」などしていられない。500の凍死体が雪に埋まる事態を避けたいなら、デリク卿は軍をダーヴの街まで下げるしかない。
そうやって包囲が解かれれば、女子供を中心とした村人の一部をサンサ山に逃がすことが可能になる。けして安全な旅ではないし、現実的な見方をすればサンサ山に向かった半数は死ぬと考えたほうがいいが、それでも半数は山にたどり着くだろう。
サンサ山には人間のクズのような山賊どもが巣食っているが、連中とは先代からのつきあいがある。それにサンサ山は暴力が支配する土地だけれども、こと暴力においては翠爪団という心強い味方がいる。
無論、そこから先も困難な生活が待ち構えているのは間違いないが、僕たちはおそらく、全滅だけは避けられる。この極限の土地サンサに生きる者の魂に刻まれた掟に基づいて言えば、つまり、僕らは負けずに済む。「生きている限りは負けていない」のは、この地を生きる僕らにとって永遠のルールだ。
かくしてデリク卿が率いる帝国軍を相手に、籠城戦が始まった。
デリク卿はとても慎重な用兵をするようで、攻撃は遠距離から弓矢を浴びせてくるだけだった。乏しい知識をかき集めて言えば、こういうときは大型の攻城兵器が使われるものだ思う(物語ではそういう展開が多いはずだ)のだけれども、そういった兵器は姿を見せなかった。
一方で、シーニーさんも同じくらい慎重な用兵を徹底した。弓矢による攻撃が続く間は、村人はもちろん、翠爪団の兵士も教会か領主の館に立てこもった。シーニーさんをはじめとした数名の兵士が物見櫓で状況を偵察していたけれど、彼らにしてもそこから敵軍に撃ち返すことはしないようだった。
この消極的な対応には村人の間から不満の声も出た(血気盛んな連中はけして少なくない)が、レイナ様に強く叱責されたこともあって、いまでは「そういうもの」として理解されている。
実際、帝国軍からの弓矢の雨は3日ほど続いたが、4日目には攻撃自体が行われなかった――矢のストックが尽きたのだ。なるほど、彼らに合わせて矢を撃ち返していたら、僕らは貴重な物資を浪費することになっただろう。事実上無限に補給が続くであろう帝国軍に比べると、こちらの補給には明らかな限界がある。
そんなこんなで包囲が始まって1ヶ月ほどが経過し、いつしか僕らはこの状況に慣れた。
シーニーさんたち翠爪団は、相変わらず積極的な反撃こそしないものの、見張りの精度は圧倒的だ。帝国軍が弓矢による攻撃を準備し始めた段階で避難を命ずる鐘が打ち鳴らされ、全員がいつもの避難所へと逃げ込む。足の悪い老人たちは最初から避難所生活をするようになったが、これはこれで「我が愛しのボロ屋よりも、レイナ様のお館で寝起きするほうが、ずっと楽だ」と言い出す始末。レイナ様も彼らには随分と良くしてくださっていて、老人たちの間ではむしろ笑顔が増えたかもしれない。
それに何より、僕らにはライザンドラ司祭がついてくださっている。
たとえここで死ぬことになったとしても、僕らは「ライザンドラ司祭を守って死んだ人間」として、誇りをもって死ねる。
英雄として死ねるとまでは思わないけれど、名もなき辺境の貧農の一人として意味もなく死ぬのではなく、この世界に対して何か意味を残して死ねる。
そんな思いは、ライザンドラ司祭に合わせて「天に自由を、地に希望を、我らの魂に平穏あれ」と唱えるたびに、高まっていった。
帝国軍による包囲は2ヶ月続いたが、9月に入ったある日の朝、デリク卿が率いる500の兵士は綺麗サッパリ消え失せていた。
シーニーさんは「敵は夜のうちに撤退したのだろう」と判断し、「罠の可能性があるから、勝手に村の外に出ないように」と村人全員に厳命した上で、その厳しい表情をほんの少しだけ緩めて「厳しい2ヶ月だったが、我々は勝った。諸君らは、よく戦った」と宣言した。
勝利。
その言葉はあっという間に僕らの間を駆け巡り、村は歓呼の叫びで満ちた。
それからはまた、忙しい毎日が始まった。
予想より早く敵軍が撤退した理由の一つとして、急激な気温の低下があったのは間違いない。9月も初頭だというのに、日が暮れると雪でも降るのではないかと思うくらい、空気は冷え切っていた。老人たちは「今年は早めに雪が降りそうだ」と口々に語り、レイナ様はその見解を支持した。
かくして僕たちはサンサ山へと避難するメンバーを選び、彼らが山でちゃんとやっていけるよう、準備を進めた。
誰が村に残り、誰が山に逃れるかを決めるにあたっては、ほとんど論争らしき論争は起きなかった。村に残れば間違いなく死ぬが、山に逃れても高確率で死ぬし、死ななかったとしても「死んだほうがマシだ」と思うような日々が待っている。どちらが楽かと言えば、村に残って死んだほうがマシだろう。
ライザンドラ司祭は「村に残る」と宣言したが、またしても村人の全会一致で、山に逃れる集団のリーダーとなってもらうことにした。代わりに、村の総指揮はレイナ様が取るという段取りだ。ライザンドラ司祭は少し抗弁しようとしたけれど、最終的にはこの判断を受け入れた。
そんなこんなで慌ただしい毎日が続くなか、1日1日と冬の気配は強まっていった。
老人たちの予想すら裏切って、今年の初雪は随分と早くなりそうだ――そんな予感が、村人の間には漂っていた。
でもそんなある日、僕らの予想を完璧に越える事件が起こった。
白旗を掲げたデリク卿が、ごくわずかな部下だけを連れて、村の門の前に立ったのだ。




