アルール歴2188年 12月3日(同日)
――ホフマン司祭の場合――
物心ついてからずっと、「立派な人間」になりたかった。
私の母は、ガルシア家の人間だ。それも本家の血を引く、いわゆるご令嬢と言うべき人物だった。
母は大貴族の令嬢として高度な教育を受け、また技芸や礼法も徹底して叩き込まれた。
ガルシア家は典雅で知られる家であり、そんなガルシア家の一員として、母は絵画の方面で頭角を現したという。
けれど、それが仇となった。
貧しい平民を題材とした作品を得意としていた母は、あるときモデルと恋に落ちた。
そこから先は、詳しく語るまでもない。世間知らずだがそれなりに自由にできるカネを持った母と、現実があまりよく見えていない貧民だったモデルは、母の言うがままに駆け落ちし、駆け落ちはそれなりに上手く行き、そして1年後に母はガルシア家の捜索隊によって連れ戻された――私を身ごもった体で。
「下賤な平民」の子を妊娠した母は、勘当こそされなかったものの、ほぼ蟄居に近い処分を受けた。そして帝都のはずれにある小さな屋敷で私は生まれ、母の愛を一身に浴びて育った――つまりは「立派な人間になれ」という言葉を繰り返し何度も何度も刷り込まれながら、育っていった。
今となっては、あの執念とも言える情熱のことも、理解できる。
母は愛する男を自分から奪ったガルシア家を憎んでいた。そしてガルシア家が「価値のない駄馬」と評したその男の血を引く息子である自分が社会的な成功を収めることは、彼女にとって最大の復讐となる。
とはいえ、私が母のことを憎んでいるかと言えば、それだけは絶対にあり得ない。
確かに母は偏執的とすら言えるレベルの情熱を私に注ぎ、私は半ば追放された令嬢の庶子としては破格の教育を与えられてきた。母は自身に配給されていた「ガルシア家の末席に連なる人間として最低限度必要となるカネ」のほとんどを、私の教育費にあてたのだ。
だから我が家では母が屋敷を掃除したし、料理も作った。どうしても力仕事が必要となる状況に備えて一人だけ下男が雇われていた(庭師だった)が、世間一般で言われる家事はほぼすべて、母が一人でこなしていた。当然ながら母はドレスを作り直すこともせず、宝飾品を買うこともなかった。
そんな母の背中を見て育った私は、やがて母が「普通の貴族」とは決定的に異なることを知り、そして自分が受けている教育は母の辛苦の上に成り立っていることを理解した。
だから私は「立派な人間」を目指すことに、なんら疑義を抱かなかった。
いや、尊敬すべき母のために、私は「立派な人間」にならねばならなかった。
今でも、母には感謝の思いがあるのみだ。
やがて私が帝都において勝ち組の側に立てたのは、ひとえに母の献身あってのことなのだから。
幼年学校、神学校、上級神学校と、私は常に上位10位以内に入り続けた。
できれば1位を取りたかったところだが、上位5位くらいまでは大貴族の子弟が親のカネで買うスポットになっているので、いかんともし難い。それに世の中には「石頭ユーリーン」や「頑固者ハーマン」といった人外魔境を行く連中がいるので、私では10位以内をキープするのが精一杯だったという事情もある。
ともあれ、1位になれないのは、大きな問題ではなかった。
10位以内に入っていれば、帝国神学院に就職する資格を得る――学生として入学するのではなく、研究員として入職し、給料をもらいながら学問を続けられる道が開ける。無論、これには何段階かの口頭試問が待ち構えているが、一般的に言えばこれは「口頭試問を受ける資格があればパスできる」ものだ。
それからもう1つ、中央神学校の審問院に進むという、貧乏学生の間では超人気の選択肢もまた見えてくる。この道を選べば(選ぶことを許されれば)、入院したその瞬間に審問会派見習いとなり、給料をもらって勉強ができる。審問会派はジャービトン派についで豊かな財源を持つ派閥であり、見習いであっても得られる俸給は破格だ。
かなり悩んだが、最終的に私は中央神学校審問院を選択した。
異端審問という仕事に格別の興味があったわけではない。むしろ異端審問官という仕事の損耗率には、二の足を踏むに十分すぎる迫力があった。
でも私には、審問院を選ぶべき理由が、3つあった。
1つ目は、言うまでもなく俸給だ。
弱小派閥であれば司祭になってようやく得られるかという規模の俸給が、見習い段階で得られる――言葉を変えれば、そこらの司祭様と遜色ない給料が手に入るのだ。これだけあれば、母の誕生日にサプライズとして指輪なりドレスなり(量産品にはならざるを得ないが)を買ってプレゼントできる。
2つ目は、社会的地位だ。
帝国神学院は、正直言って、社会的な地位はあまり高くない。なにしろカネで順位を買った大貴族の子弟が全体の半分くらいを占めるわけで、必然的にそういう目で見られがちだ。
そして帝国神学院で頭角を現しても就職先としてはボニサグス派しかない――別段ボニサグス派に対して偏見を持っているわけではないが、わりと本気で「清貧」を掲げる派閥だけあって給料まわりの待遇は渋いし、「立派な人間」という基準で見ると、大変に大変に微妙だ。
もちろん〈賢人会議〉の秘書官に入職するところまでいけばそこらの貴族が愛想笑いを浮かべるレベルの社会的地位が得られるが、あれは世紀の天才たちが座る椅子であって、いくらなんでも私では無理だ。非現実的すぎる。
3つ目は、私的な願望だ。
私はここに至るまで何度も、父の出自のことで陰口を叩かれてきた。けれどそのことで、父を恨んだことはない。私の父は、あの母が愛した――そして愛し続けた男なのだ。視野の狭さは否定できないまでも、人間として敬すべき人物だったのは疑問の余地もない。
私は、父の顔を知らない。父の家族を知らない。父がまだ生きているのかどうかすら、知らない。でも審問会派に入り、3級審問官に昇格できれば、その権力を使って父の行方を調べられるのではないか。
かくして審問院に入った私は、思ったより自分が審問官として上手くやれることに気づいた。
最も大きいのは、基礎体力だ。
我が家には母と私、そして庭師しかいないから、私も母の手伝いをするのが常だった。母は「手伝う暇があったら勉強しなさい」と口にはしたが、私の手伝いなしに家事が完全には回らないのもまた事実であり、結果として数キロ離れた市場まで食料の買い出しに行くのは私の仕事となった。
そうやって小さい頃から家事で鍛えられていた私の体は、学業に専念してきたもやしっ子どもや、貴族のボンボンどもとは、一線を画する基礎体力を得るに至っていた。審問院附属の幼年学校から牛馬のように鍛え上げられてきた連中とは比較にもならないとはいえ、たかが5kmを走りきれないほどヤワではなかったのだ。
かくして「一般から入ってきたにしてはそこそこやる」と見なされた私は、かなり早い段階から武術系のコースも受講を勧められ、ここでも教官に気に入られた。
なにしろ私は、何が何でも正式な審問官に――つまりは「立派な人間」に――ならねばならない。その虚仮の一念は、「ガッツがある」として教官たちに評価してもらえた。自分の身体の芯に染み込んだ「立派な人間になれ」という教えが、実は優れた審問官となるための素質となり得ることを、私は知ったのだ。
そこから先は、トントン拍子だった。
私はただひたすら「立派な人間になる」ことだけを目指せば、それで上手くいった。
審問会派はヒエラルキーがしっかりした組織であり、逆に言えば「どこまでも上に登れる」組織でもある。まずは正式な資格を得て3級審問官となったら、その次は2級、さらには1級と、ここだけ見ても道は果てしない(なにせ1級審問官ともなれば、他派で言えば最低でも大司祭級で、下手すると枢機卿すらその意見を乞う地位だ)。
更には特別職がいくつもあり、実働部隊に行くなら特別行動班や特捜審問官、理論屋を極めるなら教義課、特殊な経歴としては内部査察官といったキャリアもあり得る。いずれの道も、人間の極限を目指すかのような道だ。
「立派な人間にならねばならない」という思いを胸に、私は審問会派の階梯を駆け上がっていった。同期に比べれば圧倒的に早い段階で3級審問官の資格を得られたし、「上級貴族の庶子として貴族社会に相応しい素養を備えつつ、平民たちの生活習慣や心情にも深い理解がある」という評価を受けた私は対外交渉・戦略立案・事後処理案策定といった管理部門において地位を固めていくことにも成功した。
私にしてみれば「平民に対する理解がある」という評価に対しては、「市場に行って値切りもせずに買い物をする連中のほうが狂っているだけのことだろうに」と突き放したいところではあるが、ともあれ母が私に授けてくれた教育は完璧だったと言う他ないだろう。
3級審問官として、一般的に言えばかなり上等な給金を受け取るようになった私は、これまで母から受けた恩を積極的に返すようにした。
一方、まだ見習いだった頃にこの手の恩返しをすると「こんな無駄遣いをする余裕があるなら自己研鑽のためにお金を使いなさい」と怒っていた母だが、私が正式な審問官になってからは「こんな貧相なドレスをガルシア家の女が着るとでも思ったのですか」と怒るようになった。
最初はあまりの言葉に鼻白んだが、すぐにこれもまた母の教育なのだと悟った。これから先、審問官として(しかも大貴族やジャービトン派との交渉も任される立場として)競争に勝ち残っていきたいなら、母が持つ「本物の貴族の審美眼」を、少しずつでも体得していかねばならないのだ。
母の眼鏡にかなうドレスをプレゼントできるようになるまで、5年かかった。そして5年目にして初めて「かろうじて及第点です」と評価してくれた母は、「次はあなたのお嫁さんのためにドレスを選びなさい」と言って静かに微笑み――そしてその会話が、私達にとって最後の会話となった。
帝都中心部にある高級レストランに向かうため、「及第点」のドレスに着替えようと自室に向かった母は、階段を登る途中でふっつりと糸が切れたかのように倒れ、二度と目を覚まさなかった。
それからも私は、「立派な人間」を目指して奮闘と研鑽を続けた。努力を嫌う連中(例えばカーマイン3級審問官とか)からは敵意の篭った視線を向けられるくらい、なりふり構わず己を磨くことに集中した。
審問会派というバケモノの群れに飛び込んで思い知ったが、私はしょせん、凡人だ。そんな私がここまで来れたのは、ひとえに母の導きがあればこそなのだ。
母が天に召されたいま、私はいよいよ己自身の力だけで「立派な人間」にならねばならない。ここにきてしくじるようでは、母の教育はまるで無駄だったということになってしまう。
努力のかいあって、私はいつしか2級審問官の資格を得ていた。異端者と直接対峙する現場には滅多に関与できなかったが、計画立案・交渉・調整・事後処理においては、重要度の高い仕事を次々に任されるようにもなった。
帝都を震撼させた〈シャレット・スキャンダル〉と〈炎の8月〉、そしてそれに続く〈秘匿事案82-176号〉と〈スピリドの反乱〉においても、事後処理の実務はほぼすべて私が采配した。
――ここでひとつだけ、愚痴を言わせて欲しい。
故パウル1級審問官といい、今なお任務遂行中のカナリス2級審問官といい、故カーマイン3級審問官といい、いわゆる老マルタ派のやんちゃの後始末をするのは、おそろしくデリケートかつストレスフルな仕事だった。
客観的に言えば彼らはみな私よりずっと高い能力を備えており、それに見合った驚異的な功績をあげており、当然ながら社会的地位も高い。あのカーマイン3級審問官にしたって、審問会派内部での暗黙の評価は私よりずっと上だった。
ということは逆に言えば彼らにはその地位や評価に伴う責任があるはずであり、長い話を短くすれば、私は彼らに対して「自分のケツは自分で拭くくらいのことはしろ」程度の文句を言う権利はあると今でも思っている。
ともあれ、この流れにおいて私がニリアン領における司祭に任命されたのは、ほとんど必然だった。
審問会派におけるヒーローである特捜審問官が、あくまで異端を探し出し、調べ上げ、叩き潰すことをその任務としていることからも明らかなように、審問会派は「異端を掃滅した後」の処理にはあまり注力していない(その仕事に対してはジャービトン派から司祭が派遣されるというのが通例だというのも大きい)。
このため「サンサ教区における審問会派の活動を指揮する管理能力があり、かつ事後処理実務の経験が豊富で、加えて平民対応にもスキがない、地方に長期派遣できる審問官」ということになると、私くらいしか候補がいないのだ。
そしてこの任務は、私にとっても大いに挑みがいのある任務と言えた。「真に立派な人間」こそが、この任務を完遂できる――そんな思いが、私の中で渦巻いていた。
サンサ教区は、現状の教会政治において審問会派が得ている優位の、根幹となる教区だ。教区長となるダーヴの司祭こそボニサグス派に譲ったが、これはあくまでも政治的均衡を配慮した結果に過ぎない。
事実、ボニサグス派はダーヴの司祭として学究肌のハーマン司祭を送り込んでおり(しかもハーマン司祭は老マルタと親交が深かったことで知られている)、「ダーヴの司祭はお飾りであり、サンサ教区の実務は審問会派が管理する」というラインは揺らいでいない。
そのサンサ教区における最もハイリスクな地域が、ニリアン領だ。
現状、教会はけして「ナオキ」なる人物を完全に忘れ去ったわけではないし、その脅威度も低く見てはいない。諸般の事情により予算の規模は小さく、表立って報告書が出回ることもないが、地道な調査活動は今も秘密裏に続いている。〈シャレット・スキャンダル〉と〈炎の8月〉の事後処理を担当した私としても「ナオキは極めて危険だ」と言うほかないし、個人的には彼を継続的に調査する人員を増やすべきだと感じていた(実際にそれを主張すれば政治的に大変面倒なことになるので黙っていたが)。
しかるに、ナオキがサンサ教区において最初に行った「普通ではないこと」が、ニリアン領の改革だ。彼の意図は未だに不明だが、ニリアン領が徹底的に管理されるべきであるのは疑いない。
もしサンサ教区において何か常ならぬことが起こるとしたら、ニリアン領がその発端になるのではないか――私なりに異端者と戦ってきた中で培われたカンは、そう告げていたのだ。
私のカンは、まったく予想しなかった形で、的中した。
旅の賢者ライザンドラがニリアン領に接近しつつあるという情報は、早い段階で掴んでいた。彼女が何を意図しているのか確言はできないが、最悪の可能性として、彼女が私を何らかの形で糾弾することはあり得ると思った――私がニリアン領を管理するために行っている施策は、倫理的に言えば、けして褒められたものではないのだから。
だから私は、たっぷりと時間をかけて対策を練った。
まずは、大きな枠組みの準備だ。彼女がこちらの非倫理性を告発してくるなら、なんらかの形で村人たちを審判とした討論会に――もし可能であれば神前討議に――持ち込んでしまう。そのためのルートを、複数用意した。
それから、必勝の体制を仕込んだ。村人たちを個別に呼び出し、討論会の審判を任せることがあるかもしれないから、そのときは自分を支持するよう、多少の金銭を握らせながら言い含めた。
その上で、保険も用意した。万が一にでも私が負けたときは、全力でダーヴの街へと走り、「ライザンドラなる謎の人物がニリアン領を支配しようとして扇動している」といった類の申し立てを行うよう、シンパに命じておいた。
ここまで準備してから、私は改めて弁論の内容を吟味した。なにせ相手は、あのライザンドラだ。村人に多少握らせた程度では、状況をひっくり返されることもあり得る。彼女に勝るとまでは言わないが、少なくとも村人たちを心底納得させ得るだけの弁論を用意しておいたほうがいい。
最悪の予想は、具現化した。
ライザンドラは真っ直ぐにニリアン領を訪れ、私を糾弾したのだ。
だから私は、まずは彼女を討議の場に引きずり込んだ。意外にも彼女は「自分は聖職者としての資格を持っている」と言い出したから、これ幸いと神前討議をふっかけたら、あっさり乗ってきた。そして村人たちを審判とするというルートにも、何の躊躇もなく乗った。
この段階で、私は勝利を確信していた。無駄になるかもしれない準備と、過剰と笑われるかもしれない対策。これらを日々コツコツと積み上げることで、私はあらゆる困難を乗り越えてきたのだ。
だが、私は敗れた。
何の言い訳もできぬほど、完膚なきまでに、敗れた。
しかも用意しておいた保険まで、あっさりと粉砕された。
私はやがてダーヴの街へと送還され、ハーマン司祭と面談もした。
けれど正直に言えば、私は自分がそのとき何を思い、そして何をハーマン司祭に述べたのか、まるで覚えていない。私はただ、どうしようもないほど、虚無に飲まれていた。
ハーマン司祭は、私に僧房の一室を貸してくれた。
なにもない小さな部屋のなかで、私は虚空を見つめながら、何日も過ごした。
そのうちゆっくりと、私は理解しはじめた。
私は、「立派な人間」に、なりそこねたのだ、と。
その理解は、ただただ圧倒的だった。
その理解には確かな重量があって、私の身体を四方からじわじわと圧迫し、捻じ曲げ、窒息させ、盲目にしようとしていた。
死は、思わなかった。
いや、死を思う余裕など、なかった。
「死ねば終わる」という自明の事実すら、思い浮かばなかった。
みっしりとした理解が小さな部屋いっぱいに溢れかえり、私はそこで溺れ続けた。
水や土砂と違って、溺れて死ぬことは許されなかった。
私はただ、無限に、溺れ続けた。
そうやって永遠の責め苦に喘ぐ私の前に、あるとき突然、ライザンドラが現れた。
怒りも、憎しみも、なにも感じなかった。
そんなものを感じる余力など、どこにもなかった。
私にできたのは、たったひとことを、絞り出すだけだった。
本当にそれが意味ある言葉になっていたのか、もはやわからない。
ただひとことを、わたしは絞り出した。
そして彼女は、そんな私を、そっと抱きしめてくれた。
言葉一つ発することなく、ただ静かに、抱きしめてくれた。
醜く悶絶し続けるだけの私を、柔らかく抱きしめてくれた。
気がつくと私は、彼女の胸の中で、激しく嗚咽していた。
激情に揺さぶられるがまま、泣きじゃくっていた。
何も知らぬ幼児のように、声を上げて泣きわめいた。
彼女はそんな私を、黙って抱きしめ続けてた。
そうやって泣き続けた私は、いつしか疲れ果てていた。
そしてこうなってようやく、私は自分が疲れていることを知った。
どうしようもなく疲れ果てていることを、知った。
あまりにも長く――おそらくは子供の頃から――自分と一緒にありすぎて、もはや意識すらできなくなっていたこの感覚が、「疲れ」であることを知った。
だから私は、「疲れた」と、呟いていた。
彼女はそんな私を寝台に横たえると、「眠りなさい」と囁いた。
その言葉を聞いた私は一瞬のうちに、眠りに落ちていた。
目が覚めたとき、彼女はいなかった。
そのことが無性に不安で、寂しかった。
そしてそんなことに不安や寂しさを感じる自分が可笑しくて、思わず笑った。
そうやって笑ってみると、自分が声を出して笑っていることが、とても可笑しく感じて、もっと大声で笑った。笑い続けた。
5分もしないうちに、ハーマン司祭が僧房に駆け込んできた。
私は笑いすぎて涙すら浮かべていたが、とんでもなく深刻な表情をしたハーマン司祭の顔を見た途端、それがあまりにも可笑しくて、また笑ってしまった。
けれどそのまま笑い続けるほど、私は自分を見失ってはいなかった。
実際問題、私のこれは明らかな奇行だし、ハーマン司祭は私が狂気に犯された可能性を疑っている。そしてそんなにまで親身になって心配してくれるハーマン司祭の「顔が真面目すぎて笑ってしまう」のは、失礼にもほどがあるだろう。
私はかろうじて笑いを抑え込むと、しばらくハーマン司祭と問答を交わした。ハーマン司祭は私が狂を発したわけではないことを(実にボニサグス派らしく、論理的に)理解した上で、朝食の席に誘ってくれた。食事の話が出た途端、私の胃袋は激しい空腹を主張し、私達は互いに苦笑を浮かべながら食堂に向かった。
それから何度か、ライザンドラ司祭(彼女がミョルニル派の司祭資格を持っていることは、わりと最近知った)と対話する機会を得た。そしてその度に、私は新たな知見を得ていった。
今となっては、こんなとんでもない天才と討論して勝てる可能性があると考えていた過去の自分を、全力でぶん殴りたい気分だ。それこそ彼女がニリアン領に来る旅の途中で待ち伏せし、奇襲の一撃で彼女を殺すことを計画したほうが、まだしも勝算があった。
無論、私の審問官としてのキャリアが終わったのは――あるいは私の生物学的な未来が完全に閉ざされたのは――理解している。
いまのサンサ教区の状況が帝都に伝われば、私は帝都に召還された後、最悪の異端者が待ち構える絶望的な戦場へと送り込まれるだろう。私が本件の管理側なら、絶対にそうする。
けれどそのことに、いまさら恐怖は覚えない。
「死」で終わる戦いなど、恐れるに値しない。
死すら思い至らぬ無限の苦痛のことを思えば、「終わり」のある苦痛を恐れるなど非合理的だ。
それよりも今は、ライザンドラ司祭がどこへ向かおうとしているのかを、知りたい。
ハーマン司祭はこの欲望を指して「君はライザンドラ司祭に心酔しすぎてはいまいか」と警告を発してくれたが、その懸念については、否定できない。
だが、笑いたければ笑え。
私はずっと「立派な人間になる」ことだけを目指して生きてきた。その目標が永遠に失われたいま、それに替え得るほどの規模と熱量を持った目標なしには、私はまたあの無限へと絡め取られてしまう。
それは死より、ずっと、ずっと、恐ろしい。
今はただ、ライザンドラ司祭の歩む先を、見つめていたい。
今はただ、ライザンドラ司祭が見ている未来を、見てみたい。
たとえその先に神の祝福がなかったとしても。
それでも私は、その先が知りたくて、仕方ない。




