アルール歴2179年 6月25日(+15日)
――ザリナの場合――
「さて。そろそろタネを教えてくれてもいいと思うんだが?」
ダーヴの街外れ、貴族の屋敷が建ち並ぶ超高級住宅街の一角。
マダム・ローズが経営するお貴族様向けカジノのVIPルームで、あたしたちはダラダラと酒を飲みながら、まったりとした事後の時間を楽しんでいた。
とんでもない話だがこのVIPルームには小さな蒸気風呂がついているので、あたしたちはVIPルームにサービスとして置かれていた蜂蜜酒(どんな奇跡を使ったのか知らないが、よく冷えている)をチビチビやりつつ、風呂を満喫しているというわけ。
ナオキの風呂好きは筋金入りというか、あたしの目から見ると狂気の域に達している。もちろんサンサのふもとの寒村なんかには風呂なんぞ影も形もないわけで、あの村にいる間、ナオキは真冬でも朝起きたらすぐに水で濡らしたタオルで全身を拭っていた。バカだろ。よく死ななかったな。
ともあれ、そんなわけで久々のまともな風呂にありついたナオキは上機嫌で、VIPルームに案内された直後は「明日の早朝出発だから、今日はすぐ寝るぞ。絶対にだ」なんて言ってたくせに、交代で蒸気風呂に入るべく全裸待機してたあたしを、彼は風呂上がりのテンションそのままにベッドに押し倒した。
で、2戦ほどして、今に至る。そろそろ深夜の鐘が鳴る時刻だから、当初彼が予定していた「早朝の出発のための早寝」は完璧な計画倒れをしている。
ま、そういうの、あたしとしては結構、嫌いじゃあない。
こう見えても、ナオキはおそろしく奇妙で、それでいて緻密な計画を練る男だ。一つ一つの行動や投資に無駄がなく、かと思えばあたしが一瞬ムッとするくらいに慎重な保険をかけていたりする。
あたしがいるんだから、そんな保険なんてなくても死にやしねえよ。まったく。
……おっと、話が逸れた。ともあれそういう慎重で周到な男が、やりたい盛りのガキみたいにガッツイて、あげく明日の予定に差し支えそうなほど夜更かしするってのは、とても珍しい。
ナオキにとって、そうやって稀にハメを外す相手があたしなんだってのは、あたしの自尊心的にも悪くない――特に、彼の隣にはあの完璧美女がいつでもぴったりくっついてるってのを踏まえると、ドヤ顔のひとつもしたくなるってもんだろう?
で、だ。あたしの下らない自尊心なんざどうでもいい。
問題は、あたしは未だに、ナオキがあのド田舎で何をしているのか分かってないし、何をしたかも分かってないってことだ。
そう簡単にベラベラ喋れることじゃないってのは、わかる。
もともとこの男は極端なくらいに秘密主義の人間だし、それで時々あたしは「そこを隠されたら護衛の計画が練れないんだよ!」と怒鳴ることもある。
逆に言えば、こいつとつきあっていくには、そうやってこっちから必要な情報をもぎ取っていかなくちゃあならない。でなきゃ最悪、共倒れになる。そしてナオキがあの村で何かをしでかした以上、さすがにそろそろその手品のタネを知っておかないと、ヤバイ。
さて、タネを明かせというあたしの要求に対し、ナオキは黙り込んだ。
でもそれは、悪い兆候じゃあない。ナオキに何かを問いただして、彼が黙り込んだ場合、それは「どう答えるか」を考えているからだ。答えないと決めているところに踏み込んだ場合は、即決で「言えない」と拒絶される。その呼吸が分かる程度には、この男とも長く付き合ってきた。
案の定、彼は手元の蜂蜜酒を飲み干してから、意を決したかのように話し始めた。
「俺はね、神の恩寵を、あの村に届けた。それだけさ。
アホかと思うかもしれないが、本当にそれだけなんだよ」
彼の言葉に、あたしは思わず脊髄で反応してしまう。
「はあ? あんたアホか?」
そりゃあ、神の恩寵を受けることができれば、豊作が約束されたり、病気にかからなくなったり、とにかくその類の「良いこと」が起こる。実際あの村はそこそこいい感じに豊作だし、雪解けも例年より早かったし、あの老領主様曰く老人と子供の死者の数も例年より心持ち少ないそうだから、まあ、うん、神の恩寵が微妙にあったのかもしれない。
だがそんな微妙な恩寵であっても、実現するためにはたくさんの司祭による儀式が必要だ。とてもじゃあないがあんな貧乏な村に支払える金額の儀式じゃないし、そもそもあの村に坊主はメガネ女(あたしは個人的に「巨乳の無駄遣い」と命名してる)しかいない。
「ザリナ。お前の本業に置き換えて考えてみてくれ。
例えば今からお前と俺が剣を抜いて殺し合いをする、としよう。
勝つのはどっちだ?」
「あたしだ」
考えるまでもない。相手がナオキなら、寝込みを襲われてでも勝てる自信がある。
「その通りだ。じゃあ、仮に俺と同程度のゴロツキを30人くらい集めたら、どうだ?
逃げるのは無理、全員殺す以外に手はない、としたら」
「それでも、勝つのはあたしだ」
再び即答。これまた、考えるまでもない。
「そうだな。俺もそう思う。だが、なぜだ?」
来た。ナオキお得意の言い回し、「俺も同感だな、でもなんでそうなる?」だ。実に卑怯な切り返しだと言うしかない。究極の後出しジャンケンじゃねえか、こんなもの。
とはいえ、ナオキのプライドを守るためにも、この場は誘導に乗ってやろう。
「あたしは、そういう状況でどう戦えばいいかを知ってるし、実際に戦って生き残った経験もある。逆にあんたにはそんな知識はないし、実際に戦ったこともない。
同じように、あんたと同程度のゴロツキが30人集まったところで、本当に30対1になるかと言えば、そうもならない。なぜなら30人が30人としての力を振るうには、30人でどう動けばいいか、ちゃあんと訓練してなきゃいけないからだ。
烏合の衆じゃあ、100人は集めないと、あたしの首は獲れないよ」
そうやってナオキに説明しているうち、あたしはピンときた。
ナオキがいったいどうやって、神の恩寵を引き寄せたのか。
そう――それだ。そういうことだったのだ。
「分かったようだな。
小悪党の俺がガチな戦い方を知らないように、善良で貧乏な村人の皆々様は、ガチな祈り方を知らないんだよ。
俺と同レベルのゴロツキ30人が集まってもお前に勝てないように、無知な村人が30人集まって祈ったところで神の恩寵は得られない」
なるほど、ね。なるほど。だからこの男は――
「だから俺は、彼らにやり方を教えてみたのさ。
いや、正確に言えば、『教えるための仕組み』を作った。
この冬の間、巨乳メガネが教師、ライザンドラが助手になって、村人に書き取りの無料講座を開いてたろ。あの書き取り講座で連中が必死に書いてたのが、ほら、アレだよアレ、あー、なんだ」
「『天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ』だろ。
あたしでも覚えてるぞ、こんなの」
呆れながら合いの手を入れる。
ナオキは小さく笑うと、「それだ」とあたしを軽く指差した。
「その祈りの文句、どうにもリズムが悪い。覚えにくい。まあ、それはいい。
そいつを、木の板にひたすら書き写させたのさ。
お前は一枚だけ書いてこっそり逃げ出してたが、村人連中はマジで真剣だったぜ」
まー、そりゃねえ。あたしは読み書きに困ってなんざいないし、一心不乱に神に祈るなんぞガラでもない。そういえばナオキは「1枚完成させるごとに銅貨1枚を支払う」とか言ってたが、あたしを働かせたいなら1枚あたり金貨1枚払えって話――あ、ああ、なるほど。なるほど、それで。
「そういうこと。あの村の連中にしてみれば、銅貨1枚は必死になるに十分な金額だ。
あの手の写経をするにあたって正式にどういう手続きを踏めばいいのかは、巨乳メガネがよく知ってる。あの女はああいう性格だから、1秒単位で間違えずに儀式をしてくれたよ。要はあれは、書き取り講座のフリをした、儀式の一部だったってわけさ。
そうやって厳粛に進む儀式の空気の中で、何枚も何枚も祈りの言葉を書き写していくうち、はじめはカネ目当てだった連中も、だんだん『入って』いく。説教なんざしなくたって、単純作業をひたすら繰り返させれば、儀式を進めるに相応しい精神状態になっていくものなのさ」
なるほどなあ。実に小悪党らしい、陰険なやり方だ。単純作業ってのは、最初の動機はともかく、やってるうちに頭がおかしくなってきやがる。こいつは端っからその「おかしくなる」ことを狙ったってわけだ。
「ともあれ、普段ならプロの坊主どもが一週間くらいでやり遂げる儀式を、村人総出で3ヶ月ほどかけてやり抜くことに成功した。
効果としちゃあ、奇跡と言うにはなんとも微妙な感じだし、増えた収穫のぶんから俺が被った写経の手間賃を差っ引けば、トータルでは赤字になるだろう。
だが、確かに神の恩寵は得られた。そのことは、巨乳メガネが保証してる。
そうである以上、今年の冬は俺が手間賃出さなくたって、連中は必死で写経するだろうよ」
ふぅむ……なるほど、よく考えたな、以外の感想が出ない。
とはいえ、こいつはとんでもない話だ。
ヤバイ。いや、ヤバイなんてもんじゃあない。
「お前が心配するとおりだよ。じきに教会の元締めが動くだろう。
俺がやったのは、奴らのシマを荒らすこと、それそのものだからな。
坊主どもに高いカネを払わなくても、冬の間に領民たちが一心不乱に写経すりゃあ、それなりの規模の神の恩寵が得られる。このことが広まったら、場合によっちゃあそれだけで教会がぶっ壊れる」
あたしは何度も頷く。
普通に考えれば、ナオキは1年持たずに異端だのなんだの適当な理由で殺されるだろう。
だがこの小賢しい小悪党が、そんなミエミエの危機に対して予防策を講じていないはずがない。
「あんたは、これから何をするつもりなんだ?」
ナオキは大きく嘆息すると、「それは言えない」と、あっさり会話を打ち切った。ま、そりゃそうか。
だが珍しくもその直後に、彼は少しだけ言葉を継ぎ足した。
「言えないが、教会の元締めとすぐさま衝突することには、多分ならない。
それよりお前は、野盗だのなんだのを警戒してくれ。この300年で初めてあの村に蓄えができた以上、絶対にそれを狙うクソ野郎が出る。守るべき村はまだ1つだが、じきにニリアン領にある4つの村すべてを守らにゃならなくなる。
お前と、お前が鍛えたチームの実力が問われる場面だ」
あたしはナオキの挑発を鼻で笑ってみせる。
「安心しろ、たっぷりカネと時間をかけさせてもらったからな。
あたしが選抜し、あたしが鍛え直した傭兵どもは、1つの生き物のように動く。そこらの野盗なんざ、5分で皆殺しにしてやるよ」
ナオキはあたしの大言壮語(あたし的には事実を述べただけだが)を「そうか」の一言で軽くいなした。それからふと何かに気づいたかのように、まじまじとあたしの顔を見る。
「なあ。そういえばお前のチームに、名前はあるのか?」
――これはまた、頓狂な問いだ。あたしのチームは、「あたしたち」で十分だ。凝った名前なんざ不要だし、だいたい、こっぱずかしい。
でもナオキはそんな答えには納得しなかった。
「それは駄目だ。名前がなくては、お前のチームは恐れられない。お前が〈赤砂の〉ザリナとして恐れられるように、お前のチームにも、悪党どもがその名を聞いただけで尻込みするような、そんな名前が要る。
そうだな――よし、赤牙団にしよう。〈赤砂の〉ザリナが率いる、最強の牙。これをもって、赤牙団。はい決定。スポンサーの意向だから、お前の反対意見は却下な」
〈赤牙団〉とかいう大仰な名前を聞いて、思わずあたしは吹き出してしまう。が、ナオキはそれで決定と言う。マジか。
「マジで?」
率直に聞いてみる。
「マジで。頼むぜ、赤牙団の団長さん」
あたしは大きく天を仰いだ。が、心の中で何度か「赤牙団」と繰り返してみると、まあこれはこれで悪くないかという気もしてくる。
だからあたしは、その馬鹿げた名前を受け入れる代金を、値引きしてやることにした。
「わかったよ。赤牙団ね。了解だ。
だがね、そんな恥ずかしい名前、無料で受け入れたらバラディスタン傭兵の名が廃る。
だから――もう一回、あんたを食わせろ」
ナオキは「マジか」と呟いたが、取り立てを容赦するつもりはない。
ちょうど具合よく、蒸気風呂の熱も冷めてきている。早朝に移動というなら、それまでたっぷり楽しませてもらおうじゃあないか、小悪党?




