アルール歴2188年 10月22日(+8秒)
――ライザンドラの場合――
万雷の拍手と床を足で踏み鳴らす音、そして漏れ聞こえるむせび泣きをBGMにしながら、私は椅子から立ち上がった。
演壇に歩み寄って、ホフマン司祭と握手を交わす。
果てしなく儀礼的な握手であり、ホフマン司祭は無言のうちに「ギブアップしたらどうだ?」と語っていたが、そんな馬鹿な選択はあり得ない。
ホフマン司祭は不敵な(あるいは軽蔑の)笑みを浮かべて、演壇を降りた。
その背中に向かって、私は拍手を送る。
それにつられるようにして聴衆たちの拍手も一層大きくなった。
そうやってしばらく拍手を続けてから、その勢いを緩める。
それに合わせるように、聴衆たちの拍手も自然と小さくなった。
結局、現状の彼らはこういうことなのだ。
誰かの拍手に釣られて拍手を送り、その誰かが拍手を止めれば自分も拍手を止める。人間そんなものだと言えばその通りだが、それにしたって今の彼らは従順に過ぎる。「食わせてもらっているんだから、ただ従っていればいい」という暖かな淀みに頭の天辺まで浸りきり、その淀みから追い出されないことをひたすら願っているだけだ。
そんな生き方をもって、本当に「人間として生きている」と言えるのだろうか?
――そんなことを思いながら、演壇に手を触れた。
その瞬間、私は雷にでも打たれたかのような、激しいショックを受けた。
頭のなかに、誰のものとも知れぬ声が響く。
『地にあまねく信徒がみな聖書を読み、神の教えを自らの頭で理解するようになったとしよう。
ハルナはそんな未来が幸福であると信じるかい?』
思わず、周囲を見渡す。
主堂に座す人々からは、何か奇妙なものを見るかのような視線が集まってきた。
……今の声は、いったい?
いや、それは大きな問題ではない。
吟味すべきは、言葉の内容だ。
地にあまねく信徒がみな聖書を読み、神の教えを自らの頭で理解するようになること。
それはまさに私が理想とする終着点の、ひとつの現実的な実装だ。
そして謎の声に問われるまでもなく、「その未来は幸福である」と、断言はできない。
老マルタに宣言した通り、私が目指すのは「『それは間違っていると声を上げる』ことを、語る」ことのみであり、「それが私についてきてくれる人々に私が与えられるものの、すべて」だと理解している。
その先に、いわゆる幸福があるか否かまでは、定かではない。
ニリアン領の人々の目が、私を見ている。
私は彼らの目を、見る。
おそらくいまこの主堂にいる彼らは全員、私の理想に殉じて死ぬ。
誰一人として、天寿を全うすることはあるまい。
私は彼らをこの穏やかな日常から引きずり出し、その代償として前代未聞の苦難と苦痛を与えることになる。
私がここで一言でも言葉を発すれば、遠からず、そうなる。
だから私がここですべてを投げ捨てれば、私は「彼らの命を使い潰した」という未来における後悔から、逃れることができる。
それだけではない。
私がここですべてを投げ捨てれば、この辺境の小さな村から始まるうねりがダーヴの街へと波及し、サンサ教区全体を覆い、帝国全域に広がり、やがては世界全体を巻き込んでいくことを――そしてその過程で想像を絶する規模の悲惨と無残が撒き散らされることを、防ぎ得る。
私が進もうとしている道は、間違いなく、血と鉄で舗装された道になる。スピリドの反乱ごとき些細な喧嘩など誰も思い出さないほどの巨大な争乱が、世界を覆う。偉大な英雄があっけなく死に、歴戦の傭兵隊長が裏切りの刃を受け、皇帝も王も諸侯も等しく泥に塗れる。そこに現出するのは神代の戦いもかくやという修羅の庭だ。誰もそこから逃げられないし、生き残れるかどうかは運のみが支配する。
私がここですべてを投げ捨てれば、世界は大いなる悲劇を回避できる。
私が何もかもを諦めれば、私は人類史に残るであろう規模の罪業を背負わずにすむ。
それはあまりにも、甘美な誘惑だった。
それはあまりにも、理性的な判断だった。
「クソ食らえ」
けれど気がつくと、私はそう呟いていた。
もしこんな迷いをカナリス特捜審問官の前で口にしたならば、「何を今更」と大いに呆れられるだろう。パウル1級審問官なら「君は随分と繊細だね」と笑うだろうし、老マルタなら無言で夜間行軍演習への参加を求めただろう。
私はもう、己の理想を実現するために、人を殺している。
「ハルナさんに止めを刺すのは私であるべきだ」というセンチメンタルな理想を実現するため、ハルナさんを自分の手で殺した。
それだけではない。
あのとき私がもう少し強引にことを運べていたならば、カーマイン3級審問官が教皇親衛隊の騎士を誤射する必要などなかったはずだ。あと1分早く大聖堂に押し入って、ハルナさんとの一騎打ちを声高に宣言すれば、死体の数は1つ減っていた。
あの余分な死は、理想を実現しようとした私の未熟さがゆえのものであり、つまりは「理想を求める者が弱ければ、余計に死人が出る」という現実が表面化したに過ぎない。
つまりは、そういうことなのだ。
残念な話だが、今の我々の社会は、あまりにも未熟だ。
おそらくは我々が何かにつけ責任と判断を神に丸投げしてきた結果、我々は死人なしに理想を実現する方法を、未だに確立できずにいる。
事実、現代における最高の智者であり、かつ暴力からは果てしなく縁遠かったユーリーン司祭ですら、「書物を守りたい」という理想を実現するには、己の命を捨てるしかなかった。
彼女未満の知性しか持ち得ぬ我々においては、何をか言わんや。
神託を読み解く賢人会議からは殉教者が絶えず、審問官たちは異端との戦いのなかで次々に倒れていき(あるいは異端者を殺すという形でしか理想を実現できず)、帝国貴族たちは果てしない政争という殺し合いを勝ち残ることでしか未来を形作れていない。
だから私が「誤りに対して誤りだと言う」という理想を追求すれば、それに異を唱える人たちとの間では、どうしても殺し合いが起こる。
そして極めて遺憾ながら、そこで発生する死を恐れるような人間には、今のこの社会において理想を具現化させることなど、できない。
我々はそういう、野蛮な世界に生きているのだ。
人はいつか死ぬ。
人間は、二度死ぬことなど、できない。
ならば私は、たとえ野蛮であったとしても、迫りくる災厄と戦って死にたい。
たとえ災厄そのもののみならず、「それは災厄などではないのだから、お前はおとなしくしていろ」と語る人々とも殺し合うことになったとしても――頭を下げたまま黙って死ぬのは御免だ。
だから私は演壇から降り、聴衆に数歩近寄ってから、口火を切った。
「最初に、申し上げるべきことがあります。
ライザンドラがここに来たのは、先代のニリアン卿を称えるためではなく、葬るためです」
まずは古典演劇の一節を引用することで、ホフマン司祭を牽制する。かの古典演劇では、この言葉で反論を始めた政治家が、最終的な勝利を収めている。まあ結局、別の作品の中で、彼は死ぬのだけど。
ともあれ、私の作戦はかの政治家が劇中でとった作戦と、基本線では変わらない。つまり、理ではなく、情に訴えるのだ。それも、私が掻き立てたいと思っている種類の情に対して。
「先代ニリアン卿のことを、皆様はどのようにお考えでしょうか?
怖い人。恐ろしい人。でも正義の人。真面目な人。公平な人。努力の人。誠実な人。先代ニリアン卿が存命だった頃、皆様が感じていたのはそういう雰囲気だったのではないでしょうか。
ですがホフマン司祭が皆様に伝えるように、先代ニリアン卿はけして清廉潔白な方ではありませんでした。
事実、ライザンドラがこの村で皆様と一緒に働いていた頃ですら、先代ニリアン卿はサンサ山中に巣食う野盗との間で非合法な商品を取引して、利益を得ていたとか。
彼の悪事をきちんと見抜けなかったことについては、この場を借りて皆様に深くお詫びしなくてはなりません」
そう言いながら、私は素早く聴衆に、そしてホフマン司祭に頭を下げる。そして頭を上げながら、ちらりとホフマン司祭を見ると、彼は曰く言い難い表情になっていた。予想通り、というところか。
おそらく教会は、先代ニリアン卿が行っていた密輸について、その確信はあるけれど、具体的な証拠は掴めなかったのだ。だから彼らは先代ニリアン卿が死ぬまで、告発を待つしかなかった(死人に口なしというやつだ)。
そして先代ニリアン卿を告発するというのが彼らにできるギリギリ精一杯で、「サンサ教区の賭博王ナオキ」という微妙きわまりない問題には、深入りを避けた。
実際、先程のホフマン司祭の説法においても、彼は「先代ニリアン卿はサンサ山中の野盗と取り引きをしており、ナオキなる人物は今もカナリス審問官が追跡している」と語っている。つまりホフマン司祭は、ナオキが具体的に何をしたかについては、明言していない。その後の言葉を踏まえても、「ナオキという人間は悪いヤツだ」以上のことは、言っていない。
結局、審問会派は(そしておそらくはジャービトン派も)ナオキ問題を「過去のこと」として封印してしまったのだろう。
ナオキが再び社会の表に出てくるならばいざ知らず、そうでない限りは忘れ去られるに任せる――それが彼らの下した結論というところか。もちろん、「スピリドの反乱」のような異端騒動への対応もあれば、度重なる教皇の暗殺に象徴される政治的動揺への対処もあって、とてもではないがナオキ問題にまで手が回らないという側面もあるだろうが。
まったく。教会もひどい事なかれ主義に陥ったものだ。あの世で老マルタはさぞお怒りだろう。
そんなことを思いながら、私は聴衆に視線を向ける。彼らは黙って私の話を聞いているけれど、その表情からは「なにがなんだかよくわからないけど、もうそろそろ帰りたい」という機運が露骨に伺える。そんなものだろう。夜も遅い時間だし、なかには食事を後回しにしてきた人たちだっているだろうから。
ならば、本題に入るとしよう。
綺麗な前置きを並べたてるのは、私だってもう十分に満腹だ。




