アルール歴2188年 6月4日〜 (+264日)
――ライザンドラの場合――
〈渡り鳥の門〉としていろいろと困難な日々を送っていた私だったが、スピリドの反乱が終わって半年ほどが過ぎたある日、決定的な転機が訪れた。
私がそれを初めて耳にしたのは、野営地として小さな宿場町を選んだときのことだった。
渡り鳥が人家の屋根で羽を休めるように、〈渡り鳥の門〉もまた、それが合理的な選択であれば屋根の下で休むことを厭わない。
♪――いつから いつから 野の獣は
のけものになったの?
野の獣は ほろほろ歩く
二人で歩く ぼろぼろ歩く
いつまで いつまで 野の獣は
のけもののままなの?
野の獣は ぽとぽと歩く
三人で歩く ほとほと歩く
どうして どうして 野の獣は
のけものとよばれるの?♪
おそらくは少女が歌っていると思しきその歌声はごく小さくて、私は最初の数節を聞き落とした。
けれどそれが歌だと意識できた途端、私は呆然と立ち尽くして、その歌声に聞き入ることしかできなくなった。
♪さあ祈りましょう あなたに祈りましょう
さあ祈りましょう わたしに祈りましょう
日々であるために 省かれた時と
100であるために みなされた1つ♪
ハルナさんが、歌っている。
そう、思った。
根拠など何もないし、そもそもあり得ないことだけれど、私はハルナさんが歌っていると、なぜか確信した。
♪皆であるために 無視された人と
獣であるための のけものたちを
さあ祈りましょう――♪
歌声が、遠ざかっていく。
矢も盾もたまらず、私は歌声に向かって走り出していた。
けれど私の探索は、すぐに行き詰まる。
まだ微かに聞こえてくる歌声と私の間には、粗末な板塀が立ちふさがっていた。
一瞬、審問会派の(あるいは特別行動班の)流儀――適切な重量のある鈍器で壁を破壊して突破する――が脳裏に過ぎったが、かろうじて踏みとどまる。
今の私は、〈渡り鳥の門〉の一員であり、ミョルニル派の人間だ。基本的に「イカれた野蛮人」として理解されているミョルニル派の人間が街中で人家を破壊し始めたら、確実に大騒ぎになる。最低でも私たちの群れ全員が、世俗および教会権力の裁定によって「今夜は街の外で野営するように」と申し付けられるだろう。
それは、とてもマズい。
なので私は思考様式をパウル1級審問官側に寄せる。
つまり、貴重品入れの中に隠した貨幣の数を数えてから、問題の板塀をその建築物の一部として有する店舗――粗末な飲み屋だった――に入って、カウンターに座り、ミルクを注文した。
バーテンは胡乱な目で私を見たが、人相風体(および臭い)からして私のことをミョルニル派の人間だと判断したのだろう。私から先に支払いを受け取ると、ミルクが入ったカップを差し出した。
露骨なまでに「これを飲んだらすぐに出て行け」と言わんばかりの目で見ているバーテンに、私は有り金すべてを差し出す。それから自分がミョルニル派の人間であることを改めて宣言し、「店の裏で歌を歌っていた少女のことが知りたい」と訴えた。
バーテンはカネと私の顔を交互に見て、しばらく黙っていた。
そこに、トラブルの気配を感じ取ったのか、この店の女将さんと思しき女性が姿を見せた。私は自分の身分を詳細に説明し、女将さんにも「歌を歌っている少女について知りたい」と繰り返した。
女将さんもまたしばらく黙り込んだが、おそらくは私が口にした「元審問会派見習い」という一言が効いたのだろう。「隠すようなことじゃないし、妙な勘ぐりをされても困るしね」と前置きしてから、私を店の裏へと招いた。
店の裏庭では、小さな女の子がグツグツと煮える鍋を見張っていた。
少女は女将さんに気づいたのか「もうちょっと煮込んだほうが良さそう」と状況を報告する。女将さんはそんな少女の頭を撫でると、その隣に腰をおろした。
「紹介しよう。この子はマレッタっていう、ウチの子だ。
料理が上手でね。最近じゃこの子が仕込んだ煮込みを目当てに通ってくる常連さんも増えた。
挨拶しな、マレッタ。こちらはライザンドラさんっていう、偉いお坊さんだ」
偉いお坊さんという斬新な紹介にはいささか面食らったが、私は先にマレッタちゃんに向かって頭を下げる。
「はじめまして、マレッタちゃん。
ミョルニル派のライザンドラといいます」
マレッタちゃんもまた、ちょこんと頭を下げた。
「はじめまして、ライザンドラ様。マレッタです」
一瞬、天使が通り過ぎたかのような沈黙の時間があった。
その間合いを掬い取るかのように、女将さんが口火を切る。
「確かに、この子はあたしがお腹を痛めて産んだ子じゃあない。
あんたみたいな偉いお坊さんなら知ってるだろうけど、南の方で起こった戦争じゃあ、この子みたいな戦災孤児が山ほど出た。孤児のほとんどは、どうなっちまったのかも分からない。なかには審問官様が連れて行っちまった子もいるっていうしね。
でもね、もともと帝都の孤児だったマレッタは、南の戦争に巻き込まれて、それからもさんざん苦労して、この村まで流れてきた。
だからあたしがマレッタに巡り合って、うちの子として育てられることになったのは、神様の思し召しだ。
そういう神様のめぐり合わせを、家族って言うんじゃないのかい?」
ラドニの街からこの村まで、だいたい1200km。マレッタちゃんがこんなにも素晴らしい家族と巡り会えたのは、神の慈悲以外にあり得ないだろう。そこは私も全面的に女将さんに同意するところだ。
でも私が知りたいのは、そこではない。
「慈愛に満ちた家族に、これからも神のお恵みがあらんことを。
だからというわけではないですが、ひとつだけ信じてください。
ライザンドラ――私は元審問会派ですが、マレッタちゃんの身元を改めたいとか、そういった類の気持はまったくありません。
なにせ私は審問会派から追放されて、何とかミョルニル派の情けに縋って生きのびているような人間ですから」
日頃の癖で一人称に「ライザンドラ」を使ってしまったのを、なんとか「私」に言い換える。言い換えたところで奇人変人にしか見えないだろうが、それは今更の話だ。
でも私の告白を聞いて、女将さんは「あらまあ、あんたも苦労したんだねえ」と大声をだした。こういう母親を得たマレッタちゃんが、少しうらやましい。いや、私の母も素晴らしい人だったが。
「実を言うと、マレッタちゃんが歌っていた歌に、とても興味があるんです。
もしかしたらその歌は、私の――その、ええと……友達、が――作った歌かもしれないので。
なので、マレッタちゃんがその歌を誰から教わったのか、お話が聞ければとても嬉しいのですが……」
私の質問に、マレッタちゃんは少し驚いたような顔をした。
「えっ? じゃあライザンドラ様は、あのお姫様のお友達だったんですか?
……あ、でもあの白いお姫様、お名前を最後まで教えてくれなかったんです。
考えてみればそれって、変ですよね。私達、お庭であんなに遊んでもらったのに――でも、誰もそれを変だって思いませんでした」
小さく、手が震えるのを感じた。
きっと今の私は、顔面蒼白になっていることだろう。
もしマレッタちゃんが言う「お姫様」がハルナさんであるならば、帝都において必死になってハルナさんの調査をしていた私達は、まるで無能もいいところだ。
「狂を発したと思われているハルナ・シャレットは、実は家の庭で孤児たちと一緒に普通に遊んでいて、彼らに歌を教えすらしている」という事実を当時の私達が掴めていたら、あの悲劇はどのようにでも回避できた。
だから私は、己の惰弱な心に鞭打ちながら、最後の問いを発する。
「マレッタちゃん。いま、お庭で遊んでもらった、と言いましたよね?
そのお庭って、帝都のどのあたりにありましたか?」
私の問いに対してマレッタちゃんが返した答えは、まさにシャレット邸を指していた。
唐突に、「シャレット家には幼い街娼が秘密裏に出入りしている」と書かれたレポートの一節が、脳裏に蘇る。私を含め、それを見た誰もが「クズ野郎が」と吐き捨てて(パウル一級審問官は怒気をはらんだ声で「最悪のロリコン野郎」と言った)スルーしたあの報告は、途方もない計略の表層にして、核心を語っていたのだ。
つまり。
私たち老マルタ派は、全員まとめて、時代の天才ハルナ・シャレットに、出し抜かれた。
何の言い訳もできぬほど、完膚なきまでに、かの孤立無援な天才1人に、出し抜かれたのだ。
事実、私は家族に裏切られたハルナさんが「何もかもを無茶苦茶にして、終わりにしてしまいたい」と願い、その実装として教皇暗殺を試みようとしていると考えた。
けれども教皇暗殺は、彼女にとってみれば「成功すれば最高だけれども、たとえ失敗したとしても『教皇を暗殺しようとした』という現象のインパクトさえ刻み込めればそれでいい」ものだった。
彼女の狙い通り、教会上層部の目は、教皇暗殺という事件で塞がれた。
誰もが「なぜハルナ・シャレットはそんなことをしたのか」と訝しみ、そこでシャレット卿らの馬鹿げた陰謀が明らかになることで、この件については誰もが満腹になった。
そこから先、「完全に狂を発していたわけではなかったハルナ・シャレット」が、本当は何を考えていたのかを調べる者は、誰もいなかった。
かくしてハルナさんは死に、彼女が作った歌は残った。
つまり、この歌こそが、彼女の本命だったのだ。
気がつくと私は、両膝を地面について、自分の両手のひらを凝視していた。
マレッタちゃんが半泣きになりながら私にすがりつき、女将さんが「大丈夫かい、あんた!」と連呼しているのは分かるのだけれど、その何もかもが、どこまでも遠い地平線の彼方で起きていることのようにしか、思えなかった。
自分の意識がぼんやりとした闇に沈んでいこうとするのを感じながら、私は他人事のように、「そういえば、もう飛べなくなった〈渡り鳥の門〉は、誰もがこんな姿勢で倒れていったな」などと考えていた。
■
ほぼ3日に渡って昏睡していた私は、4日目の朝に意識を取り戻した。
私が死ななかったのは、マレッタちゃんと女将さんの手厚い看護あってのことだ。
〈渡り鳥の門〉の同胞たちは、とうの昔に旅立っていた。ある日突然、群れの仲間がもう飛べなくなるなんてことは、〈渡り鳥の門〉にとってみれば日常茶飯事なのだ。
ここに来てもう一度何者でもなくなった私は、それからの数日間、ほとんど何も考えられないまま呆然と生きた。
私が辛うじて現世に戻ってこれたのは、「私は特別に親切な人たちの世話になっているが、彼女たちに対して何らかの対価を払おうにも、価値あるものは何一つ持っていない」というどこまでも自明な事実に(3日ほどかけて)思い至ったからだ。
でも、青い顔をして女将さんに自分が文無しであることを告げると、女将さんには「そんなの最初から分かってるさ。まさかあんたは自分が金持ちに見られるとでも思ってたのかい?」と大笑いされた。いやはや、赤面するほかない。
青くなったり赤くなったり忙しい私を豪快に笑い飛ばしながら、女将さんは「あんたみたいな貧乏な坊さんからお代を頂こうとは思わないよ。でもそれじゃあんたが困るってなら、1週間ほど店の手伝いをしておくれ。それでチャラってことにしようじゃないか」と提案してくれた。
それから10日ほど、私は女将さんの飲み屋を手伝った。
女将さん曰く「お坊さんに酔っ払いの相手はさせられない」ということで掃除や洗濯といった裏方仕事をもらったが、その手の仕事なら自信がある。下女として酷使されていた時代の経験が、恩返しの場で役に立つとは、人の世の因果は複雑怪奇だ。
マレッタちゃんからは、ハルナさんが作った歌の全体を教えてもらった。
帝都でハルナさんから歌を直接教わったマレッタちゃんは、その後、帝都の兵隊に捕まってネウイミナ男爵領に流されたそうだ(おそらくは「街娼を一掃する」といった類の、行き当たりばったりな政策に引っかかったのだろう)。
ネウイミナ男爵領でも毎日は苦しく、彼女は仲間と一緒にこの歌を支えに日々を耐えたそうだ。やがてこの歌は「兵隊さんたち」にも伝わり、一部でよく歌われていたという。さもありなん、だ。
かようにしてスピリドの反乱でも歌われるようになったというこの歌についての個人的な所見は、「審問会派には絶対に聞かせられない」という一言に尽きる。審問会派でなくとも、教会関係者の耳に入ったら、ほぼ疑いなく重大なトラブルになるだろう(ネウイミナ男爵領に入った教会関係者は、既にこの歌を問題視しているはずだ)。
歌が伝えているのは、現代の――いや、大昔から連綿と続く――信仰の第一歩にして本質である「天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ」に対する、痛烈な反論だ。
有史以来、教会とその信徒たち(当然ながらそこには私も含まれる)は、「天の栄光、地の繁栄、人の平穏」を理想かつ目標として唱えてきた。
けれどハルナさんは、「天に栄光があり、地に繁栄があり、人の魂に平穏がある」状況を実現するにはどうしたって少数の例外を許容するしかないし、私たちは事実その例外を許容してきたではないか、と訴えている。
しかも、この歌は単なる批判に終始するものではない。
ハルナさんはそうやってどうしようもなく除外されてしまう我らの平穏にとって、必要なのは自由と希望なのだ、と語っているのだ。
もっとも、ハルナさんだって〈栄光や繁栄〉を否定しているわけではないのだろう。
少なくともこの歌からは、「〈栄光や繁栄〉などクソ食らえだ」という主張は読み取れない。
また、これはあくまでも私自身の見解だが、〈栄光と繁栄〉は「できるだけすべての人」を救うにあたって、最も効率が良いとも思う。
それどころか「人の魂の平穏は、天の栄光と地の繁栄なしには成り立たないものだ」と言われれば、素直に頷くしかないだろう。
でもハルナさんの歌が暗に示すように、〈栄光と繁栄〉だけで、すべての人が救われるわけではない。ましてやすべての魂の平穏が得られるわけでも、ない。
〈栄光と繁栄〉なしに〈魂の平穏〉は成立しないが、〈栄光と繁栄〉だけで〈魂の平穏〉が構成されているわけではないのだ――むしろ〈栄光と繁栄〉の分配に異様な偏りが発生しているいま、〈栄光と繁栄〉が人の魂から平穏を奪う状況すら多発している。
そして、「天の栄光」「地の繁栄」「人の魂の平穏」の関係性がおかしくなってしまったのを何とかするために、ハルナさんのような――あるいはユーリーン司祭や、老マルタや、カナリス審問官や、パウル審問官のような――「天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ」という祈りでは救われきれない残念な人々が、その心身を削って戦ってきた。
あるいはマレッタちゃんのような極限の弱者は、その存在そのものを無視されることによって、「天の栄光」「地の繁栄」「人の魂の平穏」の関係性があたかも正しく維持されているかのような外面を保つための生贄にされてきた。
ハルナさんの歌は、その現実を克明に描いている。
帝国と教会が必死になって守ってきた大伽藍を、真の意味で支える土台となってきた無数の人々の絶望と祈りを、見事に捉えている。
だからこの歌はどんなに禁止されても広がり続けるだろうし、スピリドの反乱のような場で歌い継がれるだろうし、やがては既存の秩序に対する抵抗の象徴として利用されてもいくだろう。
そして歌の広がりに合わせるように帝国は荒れ、教会は揺らぎ、たくさんの人が死ぬだろう。
ハルナさんが「何もかもを無茶苦茶にして、終わりにしてしまいたい」と、願ったとおりに。
ならば。
ならば私は、何をすればいい?
ならば私は、どうやって戦う?
わからない。
まるで、わからない。
今の私が両手に持っているのは、ただただ、迷いだけだ。
だから私は、意識を取り戻してから20日を数えたところで、再び旅に出ることにした。別れにあたってマレッタちゃんには泣かれたけれど、仕方ない。私はまだ、「ここで立ち止まって良い」と割り切れるほど、己の悩みから自由になれていない。
私はマレッタちゃんと女将さんに、「これからしばらくの間、あの歌だけは声に出して歌わないように」と元審問会派として強く言いつけ、その言葉を別れの挨拶代わりにして、何者でもない自分としての旅路を踏み出した。
■
それから数ヶ月、私は世界を彷徨った。
人間の執念とは恐ろしいもので、なんとしても私から助言を得ようとする人たちに追いつかれたり、待ち伏せされたりして、しばしば彼らと対話もした。そして対話の後には、いつも結構なお金を払ってもらえた(「寄進」と言われたこともあったが、それは断った。今の私は聖職者ではない)。
そうやって得たお金をすり減らしながら、私は特に目的もなく、旅を続けた。
だからふと気がつくと自分がサンサ教区に来ていたことに、私はちょっとした驚きを感じていた。別段、特に北を目指して歩いた覚えはないのに。
でも、自分がサンサ教区に流れ着いた理由も、なんとなく理解できた。
ナオキに商売の基礎を教わっているとき、彼はこう言った。
「ほとんどの客は、自分が欲しいものなんて決まっちゃいない。
それどころか、自分が欲しいものを決めたくないとさえ思ってる。
先週さ、『40種類のお菓子が選べる屋台』ってのが、中央市場に立っただろ? で、3日ほど話題になったが、4日目にはいなくなった。客は多かったのに、まるで売れなかったそうだ。
それって俺に言わせりゃ当然で、40種類は多すぎるんだよ。そこまで頑張って自分の欲しいものを考えたいヤツなんて、滅多にいないんだ。選び損なって、あんまり自分の好みじゃない菓子を掴んでも悔しいしな。
だから逆に、延々と『どうしよう』って迷ってるなら、そいつは内心で自分が何を欲しがってるのか、決めてるんだよ。そこが決まってないなら、普通は迷うこと自体を止める。もっと賢いヤツなら、迷うことそのものを選択肢から排除して、自分の賢さを確信するほうを選ぶものさ」
要するに、そういうことなのだろう。
私は「どうすればいい」と迷いつつ、心の奥底では「サンサに戻ろう」と決めていたのだ。
〈渡り鳥の門〉に属していた私は、ニリアン卿は数年前に病気で亡くなり、今のニリアン領は孫娘のレイナ嬢が統治していることを知っている。
まずは、ニリアン卿のお墓に祈りを捧げよう。
それからのことは、それから考えればいい。
かくして私は、旅路をさらなる北へと向けた。




