アルール歴2179年 6月10日(+231日)
――ユーリーン司祭の場合――
よく晴れた、気持ちのよい朝だった。
空は青く、雲一つない。霊峰サンサの端から姿を見せたばかりの太陽は、まだ朝なのに少し汗ばむような、力強い日差しを降り注がせている。
教会を出た私は、周囲に広がる一面のライ麦畑を見まわし、その場に膝をついた。
「天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ」
これほど憂いなく、純粋な感謝の祈りを捧げられたのは、何年ぶりだろう。
ライ麦畑はどこを見ても黄金色に光り輝いていて、もしかしたらこれならばダーヴの街に収穫の一部を売ることだって可能かもしれない。
「ゆーりーんしさいさま、おはようございます!」
「おはようございまーす!」
あたりを駆け回っていた村の子供達が、私の姿を見て挨拶しにきた。
私もにっこり笑って、「おはようございます、皆さん」と挨拶する。
「しさいさまー、もっとわらってよー」
「うちの父ちゃんも、ゆーりーんさまは、おっかないぞって言ってたよ」
「そのメガネが、だめなんだよー。メガネはずせば、びじんだって、兄ちゃんが言ってた」
ぐぐっ。そ、その、私は帝都アルール・ノヴァの大学で長らく神学を学んでいたせいか、人付き合いが――特に子供とのつきあいが――苦手だ。
この村の子供達に笑顔が増えてからというもの、私も必死の思いでなるべく笑うように努力しているのだが、大人たちは私の笑顔を見て、怒っているものだと信じ込んだ(この誤解を解くためには、過ぎ越しのミサの後の宴会で、恥を忍んで、腹を割って話すことが必要だった)。
「おはようございます、ユーリーン司祭様。
今日もお勤め、ご苦労様です」
子供達に囃し立てられながら笑顔の練習をしていると、ライザンドラさんが姿を見せた。私は少しズレかけていたメガネの位置を正しつつ、彼女に向き直る。
「おはようございます、ライザンドラさん。
祈りの間の準備は整っていますよ」
ライザンドラさんは、規格外の美女だ。
人当たりがよく、子供達にもすぐ馴染み、若い村人の間では女神様あつかいする者すらいるというのに、彼女を悪く言う言葉を聞くことはない。こんな田舎の村に新参者が現れて、突如村一番の人気者となったとなれば、普通なら陰口や誹謗中傷が必ず湧き出してくるものなのに。「彼女は神の奇跡の顕現だ」と言われたら、素直にそれを信じてしまうかもしれない。
無論、ライザンドラさんは奇跡の顕現ではない。
神話の時代においては神と悪魔がそれぞれ代理人を地上に顕現させて争ったこともあったというが、それは神話の時代の終わりとともに幕を閉じた。勇者と魔王が戦うようなことはもう起こらないし、ゆえに彼女が奇跡の顕現――すなわち勇者であるという可能性も皆無だ。
だから、ライザンドラさんがこれほどまでに村人に慕われるのには、人としての理由がある。
そしてその理由は明白だ。
その類まれな美貌や温厚な性格、所作の端々に漂う気品に目をくらまされがちだけれども、ライザンドラさんはいわゆる天才の類だ。
うまく笑顔が作れない私に向かって古代の神学者ヒュパルニアが記した『笑いという堕落』の一節を引用し、私が『フィロンの対話』の「皆人笑顔で神を讃える」(qq.78)を指摘すると、『アリア書』の「声を出せぬ者は諸手を挙げて讃えよ」(付記4.11)をもって慰めてくれた。
一般的には「個々人に成せる最大の努力をもって神に仕えよ」という文脈で理解されているアリア書付記4.11が、「個々人に成せる最大の努力であれば、その方法は異なっていても良いのではないか?」という文脈でも示し得るというのは、中央神殿のアリア書付記研究室に正式な文章で送付すべき大発見だ。アリア書付記研究室で研究員を続けているハーマン司祭あたりがそれを見れば、地団駄踏んで悔しがるに違いない。
神学の研究に一生を捧げた神学徒を驚嘆させ得る知性と、それに裏打ちされた(そして決して驕ることのない)交渉術。それが、彼女を傑出した存在にしている。
それに比べて私は……まあ――ここまで差が開くと(特に容姿や性格)嫉妬する気力も起きないが……うん、まあ――その……いや待て、胸のサイズは私のほうが……昔から胸部装甲にだけは自信があるから――
神の教えに反する思いに心を奪われていた私に向かって、ライザンドラさんが深々と頭を下げた。
「では5分だけ、お祈りさせて頂きます。
天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ」
彼女は上品に膝を折ると、教会の中へと向かう。
普段は彼女の行くところならどこにでもついていく子供たちも、お祈りだけは邪魔しようとはしない。
「天に栄光を、地に繁栄を。人の魂に平穏あれ」
私は彼女のために、丁寧に祈りを捧げる。
――実は一度だけ、彼女に懺悔を請われ、話を聞いたことがある。
彼女がかつては名門オルセン家の令嬢だったこと。
幼い頃の不幸と、その先に待ち受けていたさらなる不幸。
魔女の烙印を受け、さらに罪を重ねたこと。
今では彼女の庇護者であるナオキの助けにより魔女の烙印こそ弁済されたが、これからは罪を償って生きていきたいと願っていること。
私はあわや泣きそうになりながら彼女の懺悔を聞き届け、彼女の願いに応じて朝の祈りの間を貸し出すことにした。
そしていま、祈りの間に入っていくライザンドラさんの背中を見ながら、思う。
たとえ人生にいかなる重荷があろうとも、神はその人が耐えうる限りの重荷しか用意なさらない。彼女が乗り越えてきた試練は、彼女が毅い人であればこそ……ということなのかもしれない。
だがもし、その考え方が(南部教会で発達した概念だが、正直に言えば、私はこの思想があまり好きではない)正しいのなら、艱難辛苦を乗り越え、身体と精神を更なる高みへと昇華させた彼女は、それに相応しい重荷を引き受けることになるのではないか。
だから私は、もう一度祈る。
「天に栄光を。
地に繁栄を。
人の魂に平穏あれ」
そんな私を見て、子供たちもたどたどしい声で、祈ってくれた。
「てんにえいこうを。
ちにはんえいを。
ひとのたましいに、へいおんあれ」
子供たちの元気だけど真剣な祈りが、青空へと吸い込まれていく。
ああ、どうか、神様。
私の祈りはあなたに届かぬにしても、どうかこの無垢な子たちの祈りを、お聞き届け下さい。




