アルール歴2183年 10月15日〜 (+380日)
――ライザンドラの場合――
ミョルニル派〈渡り鳥の門〉としての日々は、ただひたすらに驚きの毎日だった。
〈渡り鳥の門〉は、その名の通り、渡り鳥の生態を真似て行動する。まずこれだけでも正気を疑う生き方だが、ここにはさらに抜本的と言うほかない問題がある――人間は飛べないのだ。
よって〈渡り鳥の門〉として生きていくためには、規範となる渡り鳥たちよりも早め早めに移動していかねばならない。つまり、〈渡り鳥の門〉としての日々のどこを探しても、「どこか一箇所に留まる」という時間が存在しない。
けれどこの特性がゆえに、〈渡り鳥の門〉のメンバーは、ミョルニル派においてかなり特異なポジションも得ている。
〈渡り鳥の門〉は、ミョルニル派内部での情報伝達を行う専門の組織としても成立しているのだ。
このため〈渡り鳥の門〉は、他のミョルニル派と異なり、自分たちで自活する必要がない。ある程度以上の規模を持ったミョルニル派の集団に遭遇したとき、〈渡り鳥の門〉は手持ちの最新情報を彼らに届け(その場で新たに郵便配達人としての仕事を引き受けることもある)、その対価として食料や生活必需品を受け取るというシステムができあがっている。
無論、このライフサイクルをもって「渡り鳥の獣性を追求している」と言えるのか、という疑問はある。けれどその疑問は、理念としては「疑義を抱かれるのも当然ですね」としか返答しようがないが、実態としては「これが人間の限界」というのが素直な感想だ。
この程度の擬似的な渡り鳥生活であっても、〈渡り鳥の門〉メンバーはバタバタと死んでいくのだから。
私自身、最初の3ヶ月は、何度も危うい状況に陥った。
ギリギリの栄養状態と衛生状態なんてのは序の口、体調の良し悪しとは無関係に旅は続くし、食い詰めた野盗の襲撃すらあり得る。もちろん野生の生物や自然の脅威もまた、容赦なく襲い掛かってくる。
だが何よりもキツイのは、「絶望感」だ。
ミョルニル派は、派閥としてはまったく組織化されていない。このため「次のミョルニル派大集落まであと7日」という情報を信じて移動してみれば、集落の跡地しかなかったなんてことは珍しくない。こうなると自活能力をほぼ持たない〈渡り鳥の門〉は、一気に窮地に追い込まれる。
飢えと疲労の極限で荒野をさまよった果てで、「3ヶ月前にはこのあたりに集落があったようだ」という痕跡だけが残る原野にたどり着く――少なからぬ〈渡り鳥の門〉のメンバーはそこで膝をつき、そしてその多くは二度と立ち上がれない。
しかしながら、人間は習慣の生物でもある。
3ヶ月を超えたあたりで、私もいろいろなことに慣れた。
それに、諦めなければ意外となんとかなるという経験を積むうちに、絶望に心を挫かれるよりも先に、「次だ」と思うようにもなった。生存バイアスと言われてしまえばその通りだが、人間というものはどうやら身体よりも精神のほうがずっと脆いようで、精神的な死さえやり過ごすことができれば、身体が死ぬまでには結構な猶予時間がある。
要は人間、死ななければ、生き続けることができるのだ。
実にミョルニル派らしい見解だなとも思うし、内心では「ならばかつてのニリアン領でナオキが指摘したように、人間を飼う厩舎で生きることは、本当に人間が生きていると言ってよいのか?」などと考えなくもない。
けれど帝都で私を鍛えてくれた師匠たちの顔を思い出すと、どの顔も揃って「今更何を言っている? もう50セットほど走ってくるか?」と呆れ返った表情をしているので、これはそういうことなのだろう。
■
〈渡り鳥の門〉としての生活に慣れてみると、この過激で過酷な日々は、私に多くの知をもたらしてくれるということがわかってきた。
例えば古参の〈渡り鳥の門〉メンバーは、一人称として「私」や「俺」といった言葉をまず使わない。代わりに、「アッシュは」とか「ヘラは」といった形で、自分の名前を一人称にするのが一般的だ。
この慣習にはなかなか馴染めなかったが、気がつくとごく自然に、自分も同じ言葉遣いをするようになっていた。
理由は簡単だ。
〈渡り鳥の門〉として生きる日々のなかでは、「私」という概念はどんどん希薄になっていく。「私」を「私」という言葉でことさらに強調しなくてはならないという意識が、どんどん欠落していくのだ。
なにせ、不運がちょっと重なれば群れごと全滅するというのが、〈渡り鳥の門〉の常だ。ここにおいて「私」の存在は、どこまでも偶然が支配するものでしかない。〈渡り鳥の門〉にとって「私」を宣言するという行為は、言ってみれば、流れ行く雲を指差して「あれは唯一無二の雲」と主張するに等しい。
その代わり、私たちは己に割り当てられた「名前」をもって「己」を規定する。「私」というふわっとした概念ではなく、「ライザンドラ」という個体として、何を考え、どう判断するか――それが〈渡り鳥の門〉における常識なのだ。
一方、〈渡り鳥の門〉として得られる知見は、こういった思想面におけるものに限られない。
〈渡り鳥の門〉は、この世界における最高の情報伝達者という側面も有する。
その職責は原則としてミョルニル派内部の情報伝達だが、教会や帝国が緊急の通信を必要とするとき、〈渡り鳥の門〉はしばしば本命、ないし保険として使われることになる。
結果、私は帝都にいた頃に負けず劣らず、様々な政治情勢に関して詳しい知識を得るようになった。さすがに帝都内部の情勢はあまりよく見えてこないが、地方で何が起こっているかということになると、帝都で審問会派見習いをしていた時代よりも詳しいかもしれない。
そしてこの立場で情報を覗き見して分かったのは、この1年で帝国の治安は急激に悪化しつつあり、また教会の求心力も急激に失われつつあるということだ。
実際、私が帝都から出て1年半ほどの間に、3人の教皇が暗殺され、2人が原因不明の死を遂げている。これに伴い教会上層部の入れ替わりも激しいようで、教会政治は混迷を極めているのが書簡からもわかる。
そして教会の混乱とは別に、帝国は帝国で明らかな綻びを見せつつある。地方では小規模な反乱が相次ぎ、バラディスタン人に代表される少数民族は分離独立の動きを強めている。そしてこの手の騒ぎにつきものの略奪や虐殺といった事件も、覆い隠し難いレベルで広まりつつある。
一方で、帝都近郊では貴族のみならず皇族までもを狙ったテロも起こっているようで、帝国中枢はこの危機的状況に対して有効な手を打てずにいる。
つまり、ハルナさんは正しかったのだ。
彼女が立てた「帝国も教会も、もう壊れてしまった」という仮説の正しさは、もはや不可逆的な現象として具現化しつつある。
――ならば私は、どうすればいい?
このままでは遠からず、途轍もないカタストロフが訪れる。そのことは、飛び交う情報が示唆している。
この避けがたい崩壊に際し、人はきっと神に祈るだろう。
そしてその祈りが聞き届けられないとなれば、多くの人は神に絶望する。
それはただ単に「神に責任転嫁している」だけのことだけれども、人間はそこで超越者に責任を投げつけずにいられるほど、強くはない。
あるいはそこで、己の利益のために「神」を利用する者も現れるだろう。
教会組織が崩壊し、異端の跳梁跋扈を許すようになれば、己の利益しか考えない詐欺師が「この真なる神を信仰すれば、あなたたちは救われる」と言い出すのは時間の問題だ。そうなれば、神とカネの区別など雲散霧消する。
その先にあるのは、純然たる混沌だ。
無論、それが一概に悪いというわけではない。
ものすごい数の人間が死ぬだろうし、文明は数世紀単位で後退するだろう。けれど人類はしぶとく生き延び、もう一度かつての栄華を目指して猛然と日常を再建していくに違いない。このスクラップ&ビルドは、もはや解決する糸口すら見えないほどの混迷と閉塞感で覆われた現状を、文字通り吹き飛ばすことになるだろうから。
そしてこの偉大なる再起をもって、「まさに神の御業だ」と言うことだって可能だろう(今後、それを待ち望む声すら高まるかもしれない)。
けれど、やはりそれでは、駄目なのだ。
そうやって有耶無耶のうちに破壊され、有耶無耶のうちに再構築された社会は必ず、いつかどこかで同じ崩壊を起こす。
どこにどんな問題があって、そこでどのような改善策が講じられ、何が上手くいき、何が上手く行かなかったのか。それらの記録が混沌の中で消滅――まさに〈ボニサグスの図書館〉が焼け落ちたように――すれば、我々は長い時間を使って同じ間違いを繰り返し、また同じだけ大量の無意味な死を重ねることになる。
だから今こそ、どこに真の問題が潜んでいるのかを、はっきりさせねばならない。
間違いに対して、それは間違っていると、声を上げねばならない。
たとえその抗議が誤りであったとしても、その抗議の声を記録し、次はより精度の高い抗議を行えるようにしなくてはならない。
それが私にとっての、神殺しだったはずではないか。
……けれど。
だったら私はいま、何をしたら良いのだろう?
■
悩みを抱えながら〈渡り鳥の門〉としての日々を送るうちに、気がつくと帝都を出てから2年が経過していた。
そしてそんなある日、私は意外な人物のサインが入った手紙を、「緊急の案件」として受け取ることになる。
封蝋のされていないその手紙は、審問会派の「緊急通信」――つまり万難を排してかつ最速の手段で送り届けられるべき通信だった。
書面は審問会派の正式な審問官以外には解読できない暗号で書かれていたが、全ての文字が(おそらくは)血で書かれていることから、その緊急性は誰の目にも明らかだった。
そして元審問会派たる私は、その文面を解読できた。
内容は、簡潔きわまりない。
「ネウイミナ男爵領にて巨大な異端教団の結成を確認。
最低で男爵領全域に拡散、最悪の場合は既に近隣諸領に感染。
帝国軍と連携し、最大の戦力をもって掃滅すべし」
書面のサインは、シャル3級審問官。
ほぼ疑いなく、カーマイン3級審問官の下で見習いとして働いていた、彼女だ。
後に「スピリドの反乱」と呼ばれるこの大規模な対異端闘争は、その血まみれの戦いが本格化するずっと前に、カーマイン3級審問官とシャル3級審問官の命を飲み込んでいたのだった。
■
ネウイミナ男爵領に端を発する大規模な異端教団を率いたのは、レナート・スピリドと名乗る、貴族崩れのジャービトン派司祭見習いだった。
ジャービトン派青年改革期成同盟の一員だったレナートは、〈同盟〉の決起にも参加しようとしていたが、機を見るに敏だった父親が前もって屋敷内に彼を拘束したことで、奇跡的に難を逃れた。
それどころか、彼はシャレット家の再編にあたって、シャレット家の一員としてその名をリストに連ねている――このあたり、レナートの父親の政治手腕は卓越していたと言えるだろう。
だがシャレット家の再編はそもそも、ジャービトン派内部でくすぶっていた秀才たちの出荷先として企図されたものだ。そんなところに向かって〈同盟〉に属していたような男が入り込めば、そこで起こることは自明だ。
かくしてレナートは3ヶ月もたたずに出奔し、長らく行方不明になっていたという。
誰もが(父親も含めて)レナートの死を確信していたが、あにはからんや彼は帝国辺境のネウイミナ男爵領で頭角を現す。
驚くべきことに、ネウイミナ男爵領においてレナートは「高徳の賢者」「無私の聖人」として知られるようになった。
ネウイミナ男爵領最大の都市であるラドニにおいて、レナートは帝都で虐げられていた人々を救うための活動を始めたのだ。彼の慈善事業にネウイミナ男爵も協力したこともあって、「貴族のお遊び」と思われていたこの活動は、やがて大きな運動へと変わっていった。
これにはもちろん、別の理由もある。
ネウイミナ男爵領は、いわゆる流刑植民地としての色合いが濃い土地だ。
サンサ教区のように「厳冬期を耐え抜く」といった試練こそ免れているが、高温多湿かつ未開とあって、夏場になると伝染病が猛威を振るう。
唯一の産業は炭鉱で、ラドニの街も炭鉱に隣接して発達した街だ。そしてネウイミナ男爵領に「流された」囚人たちは、その長からぬ一生を炭鉱の中で過ごすことになる。
しかるにこの2年で、ネウイミナ男爵領に送られる政治犯の数は、劇的に増えた。囚人のなかには、幼くして客を取るしかなかった街娼たちも含まれている(罪状は風紀紊乱罪とかその手のもの)というのだから、帝都の混乱と腐敗は完全に限界を越えているのだろう。
ここにおいてレナートの公平無私な態度は、最初こそ嘲笑で迎えられたものの、やがて圧倒的な賞賛へと変わっていった。
帝都の教会も――特にジャービトン派は――レナートの功徳を称える方向に動いたし、急激な流刑者の増加とそれにともなう治安の悪化に頭を抱えていたネウイミナ男爵もレナートを大歓迎した。
けれどレナートの言動は、少しずつ変化していった。
彼はまず、今の教会に蔓延する汚職体質や、聖職者たちの贅沢を批判するようになった。
帝都にいるジャービトン派上層部は彼の言動を危険視したが、とはいえ彼がネウイミナ男爵と協力して、ラドニの街を統括するイブレフ司祭の「度を過ぎた腐敗」を摘発するに至っては、「とりあえずはイブレフ司祭をスケープゴートにするしかないだろう」という結論に至った。
他の都市で大失態をしでかしてラドニの街へ追放されていたイブレフ司祭は、己のキャリアが詰んだことを悲観して、思いつく限りの放蕩を(飲む打つ買うの三種目すべてに渡って)尽くしていたのだ。
特に「買う」部門においては重度のペドフィリアとして知られていたということも、ラドニ市民から嫌悪される大きな要因となっていたという。腐敗が目立つ中央教会でさえ「守るべき節度はある」と評価する――イブレフ司祭はそんな人物だった。
かくして「邪悪なるイブレフ司祭を放逐した」レナートの人気は、爆発的に高まった。
そしてその人気にも関わらず、レナート本人はわりと清廉潔白な生活を貫いたというのも、大いに評価された。女性関係で何やら噂がないでもなかったが、イブレフ司祭とは比べ物にもならなかったし、これまでにない規模の寄進が集まったのにカネ周りに関しては実に綺麗なままだったというのは、彼が「聖人」と讃えられるきっかけともなった。
このように圧倒的なレナート人気に湧くラドニの街に、イブレフ司祭の後任として送り込まれてきたのは、またしても微妙な人物だったという。
だがレナートは新任司祭を恭しく迎え、「レナートが敬意を払うのであれば」という理由で市民たちも新任司祭を受け入れた。
この段階で、「スピリドの反乱」は既に萌芽していたと言える。
ここから先は、あまりにも必然的な連鎖でしかないのだ。
新任司祭は、自分の立場が「レナートが自分を認めることで」成立していることに、耐えられなかった。
これはある意味、当然のことだ。ある地域の司祭が、司祭として成り立つ理由は、「その人物が司祭であることを、神の代理人である教会が認めた」からだ。ここで「レナートが認めたから司祭として遇される」のでは、レナートは神と同格、ないし神より上の存在ということになってしまう。司祭として看過できる状況ではない。
そのうえ新任司祭は、ラドニ市民たちが自分を人間としてレナートより下とみなしているという空気を、敏感に感じ取っていた。公私にわたって完膚なきまでにコケにされた新任司祭が、着任して1ヶ月も経たないうちにレナートと決定的に対立するようになったのは、不可避の事態と言うしかない。
あとはもう、ありきたりなくらいに自明な流れだ。
新任司祭はレナートを異端者だと言い立て、市民はそれをレナートに対する最大の侮辱と捉えた。市民に促されたレナートはついに決起し、新任司祭は殺された。
市民たちはネウイミナ領における伝説の英雄である「スピリド」の名をレナートに贈り、レナートはレナート・スピリドとして教会の腐敗に対して敢然と立ち上がった。
……というのが、ラドニ市民にとっての物語だ。
だがカーマイン3級審問官とシャル3級審問官は、まったく異なる真実を探り当てていた。




