アルール歴2182年 9月30日〜 (-8日)
――ライザンドラの場合――
あれから、たくさんのことがあった。
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私が帝都を離れるその日、カーマイン3級審問官とシャル見習いが見送りに来てくれた。実にリスキーなことをするものだと思ったけれど、彼らの任務の性格を考えればこの程度のこと、ということなのかもしれない。
でもせっかく見送りに来てくれたからには、聞くべきことは聞いておくべきだろうと思った。だから私は別れ際、単刀直入に、聞く。
「ハルナ3級審問官が自身の結婚式の日、アルール大聖堂で騒擾を起こしたとき、大聖堂を警備していた狙撃部隊が何発も誤射をしています。
カーマイン3級審問官――あの歴史的な誤射をやらかした狙撃兵のことを、ご存知ありませんか?」
2人は顔色一つ変えず、ただカーマイン3級審問官が「さあね」と言って肩をすくめただけだった。当然だろう。誰がどこで聞き耳を立てているのか分からない以上、ここで彼らが自分たちの関与した秘密工作について何か語るとは思えない。
でも私には、その「さあね」の一言で、十分だった。
老マルタの不肖の弟子仲間として、彼が何を言いたかったのかは、なんとなく分かる――というのは冗談で、私がハルナさんにとどめを刺すまでにあの大聖堂で何が起こったのかを調べた私は、ほぼ疑いなく彼らがシャレット卿を殺し、またハルナさんを殺そうとした衛兵を殺害したのだろうという、状況証拠を固めていた。
シャレット卿殺しは彼らに与えられていた密命で、衛兵殺しはカーマイン3級審問官のアドリブだったのだろう。
カーマイン3級審問官はあの瞬間、「教皇を殺した元審問官を、臨時の特捜審問官が殺すという構図であれば、審問会派はこれを強く支持するはず」と読んだのだ。
そして状況は、彼の読み通りに推移した。私は最後にハルナさんと会うことができ、誤射については誰も罰せられなかった。
だから私はカーマイン3級審問官に右手を差し出し、彼の手を強く握る。
「ありがとうございました」
私の言葉に彼は小さく首を振り、それを見たシャル見習いはやや渋い顔をした。良いコンビだ。
「では、これで失礼します。わざわざお見送り、感謝します。
カーマイン審問官様、どうかお体に気をつけて。
シャル見習い様、今後ともボスの酒量を管理してあげてください」
そうして私は、壮麗なる帝都をあとにした。
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神殺しという途方もない大望こそあれ、具体的に何から始めるべきか決めかねていた私は、まずはその迷いのままに世界を旅することにした。
ユーリーン司祭がかつて語ったとおり、「人は迷ってよい」のだから。
幸い、資金的なバックアップはガルシア家の奥方からたっぷり受け取っているし、ガルシア卿は「好敵手のために」と言って秘密の割符を渡してくれた。地方の大都市であればガルシア家の分家が何かしらあるから、そこでこの割符を見せれば小遣いがもらえるという仕掛けだ。
「ガルシア家にとっての永遠かつ確実な敵となる」と宣言しながら勝手に途中退場してしまった情けない私だが、今となってはこの手の即物的な支援を断る理由もなければ余裕もない。
かくして私はガルシア一族が経営する商家のキャラバンに同行させてもらう形で、旅を始めた。
キャラバンにおいては会計係補佐として仕事を一部引き受け、1週間ほどで隊商のメンバーとも打ち解けることができた。また、最初に到着したイェーナの街で彼らが偽の美術品を掴まされそうになっていたところに口を挟んだ(そしてその結果、詐欺られずに済んだ)こともあって、隊商の団長は「是非ここから先も一緒に」という提案を切り出してきた。
渡りに船ということで私は座長と契約を結び、見習いながらも固定給で隊商に雇われることになった。
――実を言うとこの段階で、私は「ひとつ勝った」などと考えていた。
私から家名を奪い、教会内部における地位を奪った連中は、この2つをもって私を「社会から追い出した」と考えたのだ。
元貴族のお嬢様が現世に追放されれば、野垂れ死ぬか、せいぜいが春をひさいで短い命をつなぎとめるしかない(事実、5年くらい前までの私は後者に属していた)。要するに彼らにしてみれば、これは死刑だったというわけだ。
だが私はナオキに商売の基本を仕込まれているし、ダーヴの街で一番大きな商会だったナオキ商会の実務を切り盛りしていたのも私だ。商人として生きることに抵抗などないし、むしろそれなりにやり手として戦っていけるはずだという自負もあった。
だから私がガルシア家系列の隊商に正式に迎え入れられ、自分の稼ぎで自活できるようになったということは、私にとってみれば(小さいとはいえ)勝利だ。
そして仮に私の現状を不満に思った連中が何らかの妨害工作を仕掛けてくるにしても、ガルシア家と表立って衝突してまで嫌がらせをするかとなれば、二の足を踏むだろう。
そうやって半年ほどあちこち旅してみると、私は改めて自分の視野の狭さを思い知らさせられた。
恥ずかしい限りだが、私には商売以外にもうひとつ、ちょっとした自負があった。〈緋色の煉獄〉亭というギリギリの娼館で娼婦として働いたこともあるという自負――つまり「私はそんじょそこらの人間では一生知り得ないような地獄を見てきたぞ」という自負だ。
その上、私はニリアン領の貧困も間近で見てきた。人が生きることの厳しさについては、「知りうる限りを知った」と思っていたのだ。
このちっぽけな自負は、ものの3ヶ月ほどで吹き飛ばされた。
確かに〈緋色の煉獄〉亭の日々と、ニリアン領の貧困には、世界のワーストを競うに値する強さがある。でも同じくらいの強さを持っているけれど、全然方向性の違う地獄というものだって、この世にはいくらでも存在しているのだ。
ある夜、酒の席でそのことを隊商の団長に話したことがある。
私の告白を聞いた団長は、一息で酒盃を開けると、目をつむってこう語ってくれた。
「リジーちゃんよ。それは誰もがやっちまう、間違いだ。
誰もがうっかりやっちまう、この世で一番醜い間違いだよ。
この世の悲惨さに、上下なんてない。生まれたばかりの我が子を失う痛みに、上等も下等もないだろう? 帝都のお貴族様だろうが、ど田舎の貧農だろうが、その痛みに貴賎があったりはしないじゃないか。
人の悲惨ってのは、一つずつ全部同じ高さにあって、それでいて一人ずつ全部違ってるんだ。
そもそもが、比べようもなければ、『2つめ』を数えようもないものなんだよ」
このとき私はようやく、パウル1級審問官が最後に遺してくれた「迷える衆生を相手に、『わかります』という言葉だけは、言ってはならない」という言葉の真意を、理解できたのだと思う。
「これだけは覚えておけ、リジーちゃん。
この世の悲惨さに上下があると考えちまうから、人間はどこまでも悲惨になれる。
この世の悲惨さに上下があると考えちまうから、人間は自分よりもっと悲惨な人間を探して、そいつらに石を投げたがる。
俺は、商売人だ。だから悲惨さを格付けして、その差額でカネを稼ごうと思えばいくらでも稼げるってのは、理解してる。それこそ『自分より悲惨なヤツに向かって投げる石』を売れば、アホみたいに儲かるだろうよ。
でもそれだけは、やらねぇことにしてる。それが俺なりの仁義ってやつよ」
賢者の言とは、このような言葉を指すのだろう。
彼の言葉は、今に至るまで忘れられない。
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それからまた3ヶ月ほど経って、私はちょっとした噂を耳にするようになった。
カナリス特捜審問官が、謎の異端者を追って世界を巡っているという噂だ。なんでもカナリス特捜審問官の傍らには、美しくて利発な少女が付き従っているという――具体的に名前で語られはしないが、つまりはハルナ3級審問官ということだろう。
この噂を、私は100%の確度で否定できる。
カナリス2級審問官が特捜審問官を拝命することなど、教会の政治を踏まえれば考えられない。私が帝都を出てすぐの頃に、老マルタが天寿を全うされたという公式発表があった(私は謀殺を強く疑っているが)以上、政治力ゼロのカナリス2級審問官が特捜審問官に返り咲くなど絶対にあり得ないことだ。
ましてやそこでハルナ3級審問官が付き従うなど、あり得るものか。
彼女は、私が殺したのだから。
そんな私の思いとは裏腹に「カナリス特捜審問官と、彼に付き従う美少女を見た」という噂は広まり続けた。
なかには「彼らに命を救われた人がいる」「たった2人で廃村に巣食っていた異端教団を掃滅した」という噂もあったし、「とある村で放蕩の限りを尽くしていた悪徳司祭を懲らしめた」「汚職役人を摘発した」とかいう武勇伝も伝わってきた(後者2つの武勇伝については、吟遊詩人たちに好んでリクエストされる物語ともなった。初めてこれらの武勇伝を歌った歌を聞いたときは、「審問官は世俗法に対する違反行為の捜査や摘発はできない」と言いたくなる気持ちを抑えるのに、必死にならねばならなかった)。
こうなってくると、流れは止まらない。
やがて、白黒2頭の狼をかたどったペンダントやミニ額入りの絵が、彼ら2人を象徴するものとして広く人気を博するようになった。慎重派だった隊商の団長も、「司祭様に確認したら問題ないと言うから」とボヤきつつその手の品物を運び、なかなかの利益を出していた。
私としては、この噂が持つ奇妙な熱と、装飾品のようなモノと一緒に噂が広がっていくというちょっと不思議な構図に、ナオキの匂いを感じずにはいられなかった。
やれやれ。彼はいま、どこで、何をしているのだろう?――そのときの私は、そんなことを考えていた。
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隊商のスタッフとして働きはじめて1年ほどで、情勢が大きく変化した。
最初の――そして最も致命的な――変化は、ガルシア卿の奥方が亡くなられたという知らせだった。半年前くらいから「あまり体調が良くないらしい」とは聞いていたが、ここまで急だといろいろと勘ぐりたくもなる。
そして案の定、その1週間後にはガルシア卿が死んだというニュースが飛び込んできた。さもありなん、だ。
ガルシア卿は「外向きの政治」にこそ長けていたけれど、いわゆるインサイドワークに関しては奥方が強力にサポートしていた節がある。彼女の支えを失えば、暗殺者の短剣は容易にガルシア卿を捉え得ただろう。
もっとも、傍目にもちょっと呆れるくらいに奥方を愛したガルシア卿のことだ。奥方がいない世界に未練などなかっただろう、とも思う。そのこともまた彼の死期を早める原因だったかもしれないし、そうであるほうがこの物語にも多少の救いがあるというものだ。
ともあれ、ガルシア卿が死んだことにより、ガルシア家では次期当主の座を巡って激しい内ゲバが始まったようだった。
ガルシア家の影響力は目に見えて衰えていき、私達の隊商もその逆風を強く感じるようになっていった――あるいは「商売人」という、その手のパワーバランスに最も敏感な人々が集うこの世界こそが、最も強い逆風を、真っ先に感じる世界だったのかもしれない。
結局、ガルシア卿が死んだというニュースを聞いてからちょうど1ヶ月後、私は隊商の仕事を辞めることになった。
理由は簡単で、前当主のお気に入りだったと目されている私(資金援助まで受けていては否定もできない)は、ガルシア家次期当主が争われる現状において、あまりにも政治的に微妙な存在になりすぎていたからだ。
このままでは隊商の皆を必ず(しかも身体的なレベルで)危険に巻き込むだろう。また、「私」という存在がゆえに商取引を断られるケースも出始めていた以上、団長にも私を手放す以外の選択肢はなかった。
かくして商売人の道から外れた私だが、状況は極めて悪かった。
要因の一つは、言うまでもなくガルシア家のお家騒動。この段階ではまだそんな馬鹿はいなかったが、このままでは遠からず「あなたと親しかった前当主は『次期当主としては○○殿を見込んでいた』と言ってはいませんでしたかな?」とかなんとか聞きに来る輩が現れるだろう。
もう一つは、私が「それなりに成功した商売人だ」という事実。つまり私は「女だてらにカネを持ってフラフラしている人間」として、様々な筋からターゲットされる立場になってしまっていたのだ。
かくして私は、新たな選択をした。
隊商と別れたばかりの私は、滞在していた街の近くを拠点とするミョルニル派の修道士たちと接触し、ミョルニル派の僧侶(ないし見習い)として自分を受け入れてもらえないか、と相談したのだ。
ミョルニル派は〈自然派〉とも呼ばれる派閥だが、本当にこれを派閥と呼んでいいのかと悩むくらいに、まるで組織化されていない。
彼らのモットーは「大自然の中にこそ神の真理はある」で、メンバーの共通項といえばそれくらいだ。その構成員は、モットーに従って大自然の中で生きる(そして非常に早く死ぬ)のが一般的だが、中には都市に住む者もいたりして、良く言えば「大自然が持つ多様性そのもの」な派閥と言える。
このようにいろいろと過激かつ曖昧なミョルニル派だが、このときの私にとってはベストの選択と言えた。
まず、ミョルニル派は「教会の政治」を極めて強く嫌っているので、私のように教会政治の果てで追放された人間でも受け入れてくれる。
また、ミョルニル派はあちこち放浪する集団も多く、「世界を見て回りたい」という私の思いに合致する。
加えて仮にも教会公認の宗教集団である以上、世俗権力が直接その構成員に手を出すことは、まずあり得ない。「帝都最強の大貴族であるガルシア家のお家騒動」などという、超巨大な政治の渦から逃れるのであれば、俗世と縁を切るのが一番というわけだ。
しかし、ここでまた私は、自分の無知無学を思い知ることになる。
「私財をすべて寄進するのでミョルニル派に入りたい」という私に対応してくれたミョルニル派のマリエッテ司祭は、ミョルニル派と一口に言っても、内部には〈門〉と呼ばれる様々な流派があると教えてくれた。
一瞬「ここでもやはり政治なのか」と思ったが、さにあらず。
ミョルニル派は大自然に宿る神意を学ぶため、獣性を深く探求する。そして探求される動物の種類に応じて、自然と流派が出来ていくらしい(ちなみに街中の神殿で私と面接して、これらを説明してくれたマリエッテ司祭は、〈カラスの門〉だった)。
マリエッテ司祭は私の事情を何もかもご存知で、「一時的な避難場としてであれば、〈カラスの門〉を強く勧める」「面倒が過ぎ去ったら還俗するのも自由」と言ってくれた。
でも私はこの機会を、ただ逃げるために使うべきではない、と感じていた。
もし生き延びることだけが目的であるならば、マリエッタ司祭の言葉に従うべきだろう。
でも私は、今は亡き老マルタに「神殺し」を誓い、老マルタからは最後の教えとして「今度は負けるな」と釘を差された人間だ。
今の私は、弱い。
何かを見た、とも言えない。
ましてや何かを知ったと語れる領域からは、果てしなく遠い。
カナリス2級審問官が備えているような(あの人は驚くほど繊細な内面も抱えていたけれど)圧倒的な強さは、あまりに遠い。
パウル1級審問官が予言したように、「普通ではあり得ないもの」や「人間が見るべきではないもの」を見たとは、まるで言えない。
ユーリーン司祭のように「知り得ぬこと」すらも知の内側に取り込まんとする領域には、指先がかかる気配すらない。
そして――これを思うと不思議な気持ちになるが――いまナオキの前に立って、かつてのように「俺にこのナイフを売りつけてみろ」と言われたとしても、気がつけば私は市価の何倍もの値段で彼からナイフを買っている自分を見出すだろう。
このままでは、ダメだ。
だから私はマリエッテ司祭に「一番遠くまで飛べる流派は何か」と問い、彼女は躊躇なく「〈渡り鳥の門〉だ」と答えた。
だから私は〈渡り鳥の門〉を紹介してもらい、3週間後にはミョルニル派の僧衣を受け取って旅に出ることになった。
ちなみにマリエッテ司祭からは別れ際、とても印象的な餞別の言葉をもらった。
「〈渡り鳥の門〉のほとんどは3ヶ月以内に死にます。人間は飛ぶようにはできていないから。
けれどあなたが審問会派の特別行動班と一緒に訓練していたというのが本当ならば、あなたはミョルニル派の歴史上、最も長生きする〈渡り鳥の門〉になるかもしれませんね」
……特別行動班というのはそういう部門だったのだなと、この期に及んで私は自分の無知を思い知らされたというのは、マリエッテ司祭には秘密だ。
というか、その――ダーヴの街で基礎訓練を受けていた頃、「これくらいのことは審問官なら誰でもできる」と真顔で教えてくれたブレンダ武装審問官とカナリス2級審問官は、少なくとも「嘘をつくことなかれ」という神の教えには反していたのではなかろうか。
ともあれ、私のミョルニル派〈渡り鳥の門〉としての旅は、こうして始まった。




