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お前が神を殺したいなら、とあなたは言った  作者: ふじやま
他人の気持ちが分かる人間になろう。
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アルール歴2182年 9月9日(同時刻)

——ザリナの場合——

「ホルガー、そいつはもっと細かく刻んでから燃やせ。

 オスヴァルト、その箱を焼くのは最後だ。お前はあたしら全員をラリらせる(・・・・・)気か?」


 いやはや、剣を握れば歴戦の勇士と言って問題ない部下たちだが、ヤサの後片付けとなると毎回この手の細かい指示が必要となるというあたり、男って生物は本質的に掃除に向いていないんじゃないかと思ってしまう。

 もっともこの感想はまったくの間違いで、今回みたいな大規模な根拠地の移動にあたってこのあたりの配慮を最もきめ細かくできるのは、いまはあたしの背後でどことなく不安げな顔をしながら酒を飲んでいる男——ナオキだ。


「なあ、ザリナ。

 片付け(・・・)は俺がやるから、お前らはお前らにしかできないことを、だな……」


 今日何度目かの提案を、あたしは一刀両断で断る。


「それはこっちの台詞だ。

 あんたこそ、あんたにしかできないことをやりな。

 もう何もやることがないってなら、そこで大人しく酒でも飲んでろ。

 ——っと、ブルーノ、その服は燃やすな! こっちに持って来い!」


 ぱっと見た感じではどこにでもいそうな優男でしかないブルーノ——中身は赤牙団員としてダーヴの街で鍛えてた頃から超一級品のナイフ使いだ——が、女物の衣装一式が詰まった箱を持って、あたしの前に置いた。

 念のため、箱から中身を取り出して、ナオキの目の前で広げてみせる。彼は「我ながらバカなことをしたもんだよな」と呟きながら酒を煽ると、大きなため息をついた。


 あたしがナオキに処分の方法を確認した服は、彼の舞台衣装(・・・・)だ。

 この大胆不敵なんだか小心翼々としてんだかわからない小悪党は、女物の服を着て、「謎の占い師サヨコ」として帝都の貴族連中の間をフラフラしていたのだ。

 最初、彼の計画を聞いたときは「ただの自殺行為だ」と断言したが、なんのかんのでこの男はここに至るまで見事に貴族社会のドブみたいな領域を泳ぎきっただけでなく、最小の手数でとてつもない(・・・・・・)混乱を帝都にもたらした。これに加えて、占い師として得た報酬も、あたしなんかにとってみればヤバイ(・・・)としか言いようがない金額になっている。


 もちろん、何の危険もなかったわけじゃあない。


 結局、サヨコ——つまりナオキ——は最終的に、ジャービトン派子飼いの暗殺者たちに命を狙われることになった。

 だが哀れなことに、暗殺者連中はサヨコをただの占い師だとしか知らされていなかった。かくしてあたしたちは、暗殺者連中の先手を打つことができた。

 しかも最初の暗殺に失敗した段階でこっちの手の内をもっと真剣に探りにくるかと思ったら、2人目も3人目も実に愚直な方法でしか仕掛けてこなかった——そして4人目はついに姿を見せなかった。


 ……いや、今にして思えば、そんな馬鹿げた失敗を暗殺者たちが繰り返したということ、それそのものもまた、ナオキの仕込み(・・・)だったのかもしれない。

 なにせこの暗殺失敗が原因となって、暗殺者の雇い主たちの間では失敗の責任が誰にあるかで揉めに揉めて、ついには誰ぞお偉いさんが失脚までしたらしい。でも誰かが失脚したってことは、それに乗じて誰かが得をしたってことでもあるわけで、その「得をした誰か」とナオキが接触していた可能性は高い。


 ともあれ帝都に来てからのナオキの動きは、凄まじいの一言に尽きた。


 あたしが把握している範囲で言っても、〈ボニサグスの図書館〉を燃やしたバカどもを焚き付けた首謀者は、間違いなくナオキだ。

 ヘルメティウス10世をハルナがぶっ殺した件にも、ナオキは深く関わってる。

 それに歴代最短任期で終わったインノセンス16世が頓死した件にだって、ナオキは関わってた——オットー上級兵長の娘さんにハルナの死の真相を教えたのは、ナオキなのだ。

 娘さんは良心の呵責に耐えかねて事実上の自殺をして、絶望したオットー上級兵長は娘さんの部屋に残されていた日記を読んで事態の真相を知り、復讐の道を選んだ。その「最後の日記」を偽造したのはナオキだし、オットー上級兵長が復讐を果たすための道筋を影でサポートしていたのもナオキだ。


 はっきり言って、ナオキはヤバイ(・・・)

 帝都の人間では、おそらく、その真のヤバさには気づかないだろう。

 だがあたしは、極限の極限みたいなところを歩き続けてきた暴力のプロとして、「アルール帝国は終わった、ナオキが帝国を殺した」と断言できる。それくらい、ナオキはヤバイ。


 ここまでアルール帝国は、騙し騙し、なんとか体制を維持してきた。

 上から下まで不満の山だが、それでも誰もが「死ぬよりはマシ」と思ってきた。


 だがナオキはその「死ぬよりはマシ」という無言の常識を、鮮やかに否定してみせた。


 帝国と教会の——言い換えれば人類の知恵と知識の象徴である〈ボニサグスの図書館〉を燃やしたというのは、誰の目から見てもアホのやることだ。それこそ、歴史に残る愚行だ。本なんてものに一生縁のないあたしですら、直感的に「それはバカのやることだ」と確信できる。

 でも、あのナンタラ青年団とかいう豚の群れですら、「自分の命を捨てても構わない」とその大多数が決意した途端、人類の至宝を灰に変えることに成功した。


 それだけじゃあない。

 どうしようもなく腐り果てた陰謀が、結晶になったみたいな腐臭を放つ「結婚式」なんてものは、これまでだって山ほどあった。そうやって花嫁や花婿の尊厳が徹底的に踏みにじられてきたのは帝国の歴史そのものだし、ムカツク話だがあたしの故郷にだって似たような話は(もっと血なまぐさいが)いくらでもあった。

 けれどその絶望と汚濁の底から、ハルナは自分を取り囲んだあらゆる不正義(・・・)をぶち殺し、ぶち壊し、そして最後は綺麗に死んだ(・・・・・・)

 あの小娘は、自分の命を捨てるという選択の向こう側で、不可能を可能にした。


 それだけですらない。

 何重にも絡み合った汚い陰謀の歯車の中で、まったく罪のない命がすり潰されるなんてのは帝都の日常であり、言い換えれば帝国の日常だ。それはもう、そういうもの(・・・・・・)なのだ。

 けれどその日常(・・)という分厚い壁に向かって、あたしみたいな人間ですら素直に尊敬しちまうような衛兵さん(・・・・)が振り上げた蟷螂の斧は、陰謀の首謀者どころか、そいつが祭り上げようとしていた教皇すらぶっ殺した——もうこれ以上は生きている意味などないと語ったその善良な男が示した覚悟(・・)は、「それはそういうもの(・・・・・・)」という常識をぶち壊した。


 今は、まだいい。

 だが遠からず、帝国に生きるあらゆる人間は、知るだろう。

 自分が命を捨てることを前提とすれば、人間は途轍もないことを成し遂げ得る、ということを。


 そうなったとき、人は本当に「死ぬよりはマシ」と思い続けられるか?

 自分が——あるいは自分たち(・・・・)が命を支払って(・・・・)何かをすることで、自分が憎む者を破滅させられると分かったとき、本当に現状を「死ぬよりはマシ」と信じ続けられるか?

 自分たちが命を支払って何かをすれば、自分が愛する者たちの未来を少しでも良くできるかもしれないとなったとき、本当に現状を「死ぬよりマシ」と言い続けられるか?


 もちろん、それでもやはり「死ぬよりはマシ」と思う奴だっているだろう。

 その筆頭は、あたしだ。あたしはどんな状況であっても、「死ぬよりはマシ」だと思う。人間、どんなクソみたいな状況であっても、やっぱり生きてなんぼだ。生きていない人間は、死体でしかないのだから。

 でも、ということは、あたしの逆側(・・・・・・)だって、あたし程度には、数が揃ってるはずだ。


 だから、これだけは断言できる。

 帝国は、もう終わりだ。

 ナオキが、帝国を殺した。


 短ければ5年、どんなに頑張っても10年もすれば、帝国は瓦解するだろう。

 帝国はその内部に、帝国に害を為す方向に特化した、大量の死兵を抱えてしまった。つまりこれから先、帝国は自国の内部からほぼ無限に湧き出す死兵を相手に、無限の戦いを繰り広げねばならない。しかもこの場合の()はすべて自国民だから、()を殺せば殺すほど国力は低下し、それだけ軍隊は弱くなり、それだけ人々の不満は高まっていく。


 もちろん死兵にだって数に限りはあるから、どこかで反体制派(・・・・)はその帳尻をあわせる必要が出て来る。なら、そこでこの騒乱は終わるか? いや、終わるわけがない——あたしの故郷でこっそりと横行する陰謀(・・)と同じことをすればいい。つまり宗教的禁忌(タブー)を無理矢理破らせて、「このままではお前はこの社会では生きていけない。禁忌を破った人間として不名誉な死に方をするくらいなら、最後に一花咲かせてみせろ」と命令するのだ。

 あたしの故郷では同性愛がこの禁忌のど真ん中だったせいで、偉いさんの子弟がしばしば泥酔させられた末に同性愛の既成事実(・・・・)を作り上げられ、「家の名誉を守るために」その命を散らせていった。バラディスタン傭兵の伝説として語られる驚異的な武勇は、しばしばにしてその手の死兵が作ってきた、空虚な武勲でしかない。

 同じことは、いくらでも可能だろう。例えば未婚の女は処女でなくてはならないとかいうルールを作って、それを破ることは家に対する不名誉であり、死をもって贖うしかない的な伝統を作る。伝統(・・)なんてものは5年もあれば作れるものだから、5年後には組織的に少女を強姦して死兵に仕立てる糞野郎どもが幅を利かせるようになる。要約すれば、この世の地獄だ。



 だが、それでも。



 それでもあたしは、ナオキを支える右腕として、剣を振るい続けるだろう。

 この悪党がどれほど薄汚く、吐き気がするほど忌々しかったとしても、そんなことはいまさら(・・・・)だ。

 あたしは、誰より長くこの男の横に立っている。

 この男がどれほど卑劣かも、誰よりよく知っている。


 ナオキはかつて、あたしにこう言った。

 「成功すれば世界が手に入る」と。


 そんなことを抜かしたバカに、あたしはこう言った。

 「あたしが世界を盗らせてやる」と。


 あのとき、あたしはこのくだらない(・・・・・)男を、愛してしまった。


 だからあたしは、躊躇わない。恐れない。立ち止まらない。

 その先にどんな地獄が待っていて、そこで何十万人、何百万人が無意味な死を迎えることになろうとも、あたしはナオキを守り、その前途を支えよう。そうやって生きることを——そしておそらくはその途中で死ぬことを、あたしが決めたのだから。


 あたしは、あたしの人生を、死ぬまで生きる。

 誰にも、何にも、それを邪魔させはしない。

 邪魔されるつもりも、ない。




 ……ああ、いや。


 一人だけ、あたしの前に立ち塞がるかもしれない奴が、いる。


 なあ——ライザンドラ。

 あんたはいま、何してる?

 あんたはこれから、何をする?


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