祝福なき結婚式
呪い、とは、それはどういう。
問いかけるよりも早く、扉が乱雑に開かれる。振り返ると、数人の騎士が部屋の中に入ってくる様子が見えた。がしゃがしゃ、と金属が擦れ合う音が、一定のリズムで刻まれる。
思わず息をつまらせ、後ずさる私の前に立ったのはセレスタイトさまだった。
「お迎えかい?」
じゃら、と腕を広げて、私をかばうようにする。
まもなく現れたのは騎士――だけど、先頭に立っているのは武装こそしているものの、布の服を身につけた青年二人だった。王子と同じような意匠だから、関係者かもしれない。
「どちらも公爵家……王子の親類にあたる近衛騎士だよ。普通の騎士団と近衛騎士は別なのは知っているよね? 騎士の中の騎士、王族を守るためだけに存在する、精鋭ってやつさ」
ぼそ、と私にだけ聞こえるような声で、セレスタイトさまが説明をしてくれる。
近衛騎士という特別な騎士がいて、それが王族を守っている、ということは広く知られたことだ。お姉さまにも、女性の近衛騎士がついている、という話を聞いている。
今となっては、ついていた、と言うべきかもしれない。
二人のうちの片方、私から見て右側に立つ人が、懐から二つの書状を取り出す。
そのうちの一つを丁寧に広げると。
「セレスタイト・ノア。貴様にノア家から追放処分が出ている」
「だろうね」
「それとヴィオレッタ・ヴェルテリス」
「は、はい……」
「ヴェルテリス家の爵位、領地は一度国預かりとなることが決まった。貴様は婚礼以降、貴族という立場を失うことになる。二度とあの地に戻れる身分ではないことを心得よ」
以上だ、という一言で、書状の読み上げが終わった。
――あの場所に帰れない、そもそも帰ることを許さない。
そんな意味を感じる言葉に、私は息が止まるような思いがした。残してきたみんなの、不安と心配と哀しみがこもった視線が脳裏に浮かんで、別れの言葉を言えなかった後悔が滲む。
手紙くらいは、出せるのだろうか。
いえ、それ以前にみんなは無事なのだろうか。
貴族が悪事に手を染めた時、召使も処罰されることがあるという。お姉さまの罪に対する罰を私も受けるように、私たち姉妹の罪から生まれる罰が彼らまで飲み込んでしまうなんて。
もしそうなら、なんとしても止めなければ。
彼らは私の世話をするために、あの屋敷にいただけなのだから。
「あの、屋敷の者については、どうなるのでしょうか」
「屋敷の使用人については手厚く保護するよう、聖女ヤヨイさまからの命令が出ている。貴様の態度次第では、その決定にも変更が生まれるかもしれない。それをよく考えることだ」
「……ありがとうございます」
彼らの言葉に、安堵の息を吐き出す。
よかった、リリアたちには、何の咎もない。
私が何か妙なことをしないかぎり、彼らは平穏に過ごすことができる。
あの場所に帰れないことは悲しいし、置きっぱなしの大事なものもあるけれど、でも命の代償にはならない。ならば、私はもうあの場所に近寄るべきではないのだろう。
他に伝えることはないのか、私とセレスタイトさまは騎士たちに前後をしっかりと挟まれた状態で、再び王子と逢った場所へと連れて行かれた。
狭い廊下を、鼓動のように金属音が響く。
あれからそう時間が立っていないにもかかわらず、誰もいなかったはずの場所に、王子とその他数人がすでに集まっていた。一人は少女で、他はローブで身体も顔もすっぽりと隠すようにしている――体格、背丈からしておそらく成人した男性と思われる数人だ。
少女は長椅子の一つに腰掛け、隣りに座る王子により掛かるようにしている。
その視線が、ちらり、と私の方に向いた。
あまり見慣れない黒い瞳は、少し潤んでいるように見える。目の下には隈があり、精神的なのか肉体的なのかはわからないけれど、とても憔悴していることが私にも理解できた。
王子の手を強く握る様子から、私は彼女が『ヤヨイさま』だと認識する。
問題は、お姉さまが傷つけたという彼女がなぜ、ここにいるのかわからないこと。
「準備はすでに終わっている、早く済ませろ」
少女を優しく抱きしめる王子は、私たちに書状を読み上げた騎士に命ずる。
彼は姿勢を正し一礼すると、私とセレスタイトさまに一枚の紙切れを差し出す。それは平民であろうとも、貴族であろうとも、そして王族であろうとも、婚姻関係を結ぶ際にかならず記して提出しなければならない大事な書類。婚姻書、と呼ばれるものだった。
ここに夫婦となる男女が名前を書き、城へ提出することで法の上でも夫婦となる。
正しくは、提出したことを示す専用の印を城で記入してもらい、それを教会に持っていかなければ『結婚式』を挙げてもらえない、ということらしい。
平民には必ず祈りを捧げにいく教会があるので、そこに提出するだけでよいという。特に遠方だと城に行くことが大変なので、そこを飛ばして各々の教会で管理しているとか。
貴族、王族の場合は、王都にある大聖堂がそれに当たる。
ほとんど、貴族の婚姻関係を管理するための制度、だと思う。
この書類もまた大聖堂に運ばれ、印を記入した上で――おそらくは、私たちの手元へと戻されるのだろう。例え、それが100日ほどで終わる夫婦関係であったとしても。
正直なところ、私のような病弱な娘には、縁談なんてこないと思っていた。
私にとって結婚とは、よく言われる家と家の結びつき以外の何物でもなかったし、結びつくために必要になる子どもを、産むことに、宿すことに耐えうる身体である自信もなかった。
確かにお姉さまは立派な人、だったけれど――その力を持ってしても、私の抱えるデメリットはどうしようもないと思っていたし、家のこともお姉さまの子どもに譲るのだろうと。
だから、これを目にすることも書くことも、ないと思っていた。
必要な書類に、名前を書くだけ。冬の凍てつきのような視線に囲まれて、何の甘さも、暖かさも感じられない空間で行われる作業めいた結婚式は、こうして何事もなく終わった。