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私の旦那さまは余命100日  作者: 若桜モドキ
七章:悪手から綻び
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影からの勅命

 本来、二人きりになるのは好ましくないのだろうが、とアンディは思う。

 一人でソファーに腰掛けているのは、聖女ヤヨイ。いつもは絶えず彼女の傍らにいる王子フレンディールは、どうしても外せない用事があるとのことでここにいない。


 ――その『用事』を作ったのは、他ならぬアンディだ。

 どうしても王子には聞かせられない、だが聖女にだけ聞かせたいことがあった。


「……け、っこん、ですか?」

「はい」


 アンディが語ったのは、我が身の状況だ。

 身分に違いのある相手と、将来を共に歩きたいという願い。両親はもちろん、誰に話しても笑われるであろうことは、アンディがおそらく一番、痛いくらいに理解しているだろう。

 いや――それが貴族でも、貴族でなくとも、彼の選んだ道が限りなく険しく、周囲から受け入れてもらえぬ道であることは、ある程度の教養を与えられれば理解できると思われる。

 だがしかし、目の前の少女はその限りではない。


 アンディが語る恋心と、それを打ち壊さんとする障害に溢れた未来。

 それは限りなく、聖女ヤヨイの恋路とよく似ている。


 隔たれる身分の差と、周囲からの反対。

 いや、まあヤヨイの方が楽だっただろう。

 身分や出身地などねじ伏せられるのが聖女という存在なのだ。仮に彼女が奴隷と呼ばれるような身分であったとしても、望めばいくらでも貴族が後見に立ち、道を整えたに違いない。


 だからこそ、この話を彼女に断ることはできないはずだ。

 己よりもより厳しい環境に置かれている、アンディを見捨てることはできない。

 ただでさえミオリア派の貴族からは、あれこれと冷たい扱いを受けている。なのに我が身と同じ立ち位置にいるアンディを見捨てれば、それこそ何を言われるかわかったものではない。

 彼女はそう思わないかもしれない。

 そういうところに興味もなく、気も回らないかもしれない。


 だが彼女の周囲は、彼女の『保身』のために進言するだろう。

 アンディの味方をするという意味で、彼の恋人の後見に立つようにと。


 なぜならばここでアンディを見捨てるには、身分からくる立場の違いを理由にするしかないのだ。かつて王子との関係を否定する材料として、他ならぬミオリアが上げた『身分』を。

 ゆえにアンディは、聖女に嘆願したのである。


 これは、アンディも伝え聞いただけのことであるが、ミオリアは何もある日突然、ヤヨイ排除に動いたわけではなかった。彼女は何度か、段階的にヤヨイに接触し、話をしていた。

 その何度目かの会話で、ヤヨイは周囲が振り返るほどの大声でこう言ったという。


『好きな人と結ばれたいと、その程度の自由もあなたは認めないっていうんですか!』


 それは王子との恋路に悩む彼女の叫びだったようだし、身分によって結婚という人生の大事な要素を予め決められることへの、拒絶反応のようでもあったという。

 故郷でのヤヨイはそういう対象にはならない程度の身分で、だからこそ他者に人生を決められていく王子を哀れに思い、それがいつしか恋へ、最後には愛になったのだと言われている。


 まぁ、そこはアンディにとっては興味の向かないところだ。

 問題はそう、彼女は身分の差からくる弊害を認めてはいけない立ち位置にあることだ。

 そこに身分の違いから引き離されることが目に見えている人物からの『嘆願』を持ち込んだらどうなるのか。実に簡単な話だ。彼女にはその願いに関し、動かざるを得ない。

 ミオリア・ヴェルテリスが、今も影響を強く残しているがゆえに。


「あなたも、あなたもやっぱり……」


 ぶつぶつ、と何かをつぶやくヤヨイは、幼子のように膝を抱えている。

 ただ、何を言っているのか、その全容をアンディの耳では聞き取ることができない。聴覚を補佐するような魔術をかけていれば別だが、今からでは間に合わないだろう。

 聞き取れない声でつぶやいていたヤヨイは顔を上げ、揺れる目がアンディを見る。


「結婚したい子と、結婚する、ために、だからわたしに口添え……を、してほしいってことなんですね? その子の身分、低いからなんとかするために、聖女の力を使う、っていう」

「はい、そのとおりです。その願いのためならば、僕は何でもいたしましょう」


 何でも、何でもできると思う。

 それが人の道に反することでも、今の自分ならきっとやれるだろう。

 このことを言えば、あの子はどんな顔をするのか。知られてしまう日が来るのか。いつまでこの裏取引とも言える駆け引きを隠していられるのか、互いに死ぬまで平穏を守れるのか。

 伝える日など、来なければいいのに。

 明るみに出る日など、永遠になければいいのに。


「約束、します、しましょう……あなた、その子が好きなんですよね? じゃあ、わたしから頼んでみます。わたしは聖女、わたしのいうこと、誰も逆らわないんですよね?」

「おそらく、は」

「やってみます、だからあなたは仕事をして、ください。だから――」

「……だから?」

「な、んでもない、です。だいじょうぶです、わたしは聖女としてやるべきことをしますだから心配しないでください大丈夫です。あなたもすることをしてください、お願いします」

「わかり、ました」


 答えつつ、アンディは頭の中に疑問符を浮かべていた。

 聖女の焦りのような、妙な様子は違和感がある。しかし違和感もなにも、普段の彼女などアンディは知らない。なのでこういう少女――緊張しやすいだとか、そういう可能性もある。

 実際、身内に何人か似たようなものがいたと思う。

 確か彼女は故郷ではごく普通の一般人であったと聞いているし、こちらにきてあまり時間が経っていないと聞いている。こういう環境には不慣れなので、王子がそばにいるのだろう。

 それに、そこを気にするほどの関係性もない。

 アンディは取り引きを、取り引きとして行うだけだ。


 そうすれば、ルナとの結婚を彼女が後押ししてくれるのだ。

 聖女の一声があれば、もう誰も逆らったりしない。聖女を味方につけるということは、王子をもまた味方にするのと同じこと。未来の国王夫妻だ、誰がそれに逆らうというのだろう。

 実際に逆らったバカはいた、しかしエルテ家は何も言わないだろう。

 良くも悪くも世渡りこそを優先し、長いものには丁寧に巻かれていく一族だ。


「……これ、これが仕事、です。これをしなさい」


 差し出されたのは、少ししわが入った封筒だった。

 どうやら服のどこかに押し込んでいたのか、あるいは強く握るなどしたのだろう。

 ヤヨイは、手紙の中を確認するのはここではなく一人の時に、と告げる。アンディは小さく頷くだけで口では答えず、落とさないよう上着の中にしまいこんだ。


 深く頭を下げて、アンディは部屋を出ていく。

 中身――ヤヨイからの要求がどうであれ、ひとまずこれで準備は整った。

 やっとルナを、彼女を幸せにすることができる。帰り道にまずはあれを受け取ろう。彼女に似合うように仕立ててもらっていたドレスと、その細い指には少し大きい指輪。

 それがぴったりになるころには、彼女はエルテの名を名乗り、そして。


 ――僕の隣で、微笑んでくれている。


 だけど、きっとその時、アンディの顔はそれほど笑えていない。

 そう思う内容が、受け取った封筒の中身に記されていた。



   ■  □  ■



 閉ざされた扉の向こう。

 アンディには聞こえない声で囁く音。


「あの人を殺せば、死なせれば、そしたらかえしてくれる……はやくはやくはやく、はやくかえして、かえしてもらう、もらわなきゃ。じゅうねん、十年も、離れた、あぁ、離れてしまったはなされてしまったわすれられるきえてしまううしないたくないはやくはやくかえして」


 返して、帰して、かえして、かえして。

 少女はところどころがほつれ、すっかり薄汚れた布袋を抱きしめた。

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