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私の旦那さまは余命100日  作者: 若桜モドキ
七章:悪手から綻び
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最悪を晒す

 どうしよう、どうしよう、どうすればいいんだろう。

 逃げなきゃいけないのに動けない、叫ばなきゃいけないのに声もでない。こわばった指先はかすかに震えてランプをかたかたと鳴らすのに、そのまま手放してくれることもなかった。

 声の代わりに、例えばこれが落ちて音が響いてくれたら。


「……」


 黒い影はゆらりと、振り返るような動きを見せる。

 手元の明かりは相手の足元までは照らしてくれるけれど、顔まで光は届かない。仮に届いたところで、相手は私の知らない相手だ。だから何の意味もないと思う。

 こんなことをする人なんて、私が見知っている人にはいない。

 私に対して敵対的と言える態度を示す人はいる、だけど彼らはこういうことをするような人だとは思えなかった。それは私個人からの感想というより、彼らの周囲にいる人、いた人を見ていて、その人を通して考えた結果、そう思っただけのことだけど。


 じゃあ、誰なのか。

 こんな時間に、こんな場所に。

 あんな装いで現れる、誰か、というのは。


「下がってください、妹さま!」


 その時、そんな声と共に私の身体が後ろへ引っ張られる。

 ふらつきながら壁に手を当てると、薄暗い中に見慣れた少女の後ろ姿があった。私はどうやら背後から現れた彼女に引っ張られて、立ち位置を交換した感じになってしまったらしい。

 私を背後にかばい、ルナさんは身構えている。


「る、ルナさん、危ないからここは下がった方が……」

「いいえ、ある程度の護身術ならママに教わりました。相手はおそらく魔術師でしょうが対策も教わっています。こういう場合は、魔術を使われる前に締め上げればいいだけのことです」


 し、締め上げる……。

 物騒な言葉に思わずそれはダメといいそうになったが、相手が正体不明の不法侵入者だと思うとそれくらいでいいのかもしれない。いや、やりすぎるのはよくないけれど。

 こういう時は、生きて捕まえるのがいいって本にもあったし……。


「……」


 侵入者はルナさんの様子に一瞬うろたえるも、外套の内側と思われるところから短い杖を取り出し構える。長さとしては床についた状態だとたぶん、私の足の付根くらい。

 あれは、大きな飾りがついて身の丈を超える大ぶりのものや、指揮者のタクトほどの長さのものと比べると、概ね中くらいの長さと扱われる――標準的な長さの杖だったはず。

 セレスタイトさまが使っているものが、あれくらいだったと思う。

 持ち運びや管理が楽で、それなりの性能の素材で作られたものが手頃という理由で、魔術師の間では広く使われているらしい大きいものは高位の魔術を使う時の特別品、タクトサイズは一般市民が日常魔術を使う時に……という感じになっているのだそうだ。


 逆に言うと、使う杖のサイズで相手が『何』か、ある程度わかるということになる。

 あのサイズなら、相手は確定で魔術師。

 しかもおそらく戦うつもりだ。もし逃げるなら私が現れた時、そうでなくても今この瞬間にも逃亡を図るべきだから。こちらは相手がわからないけれど、向こうだってこっちのことはわからないはず。なら、発見されてしまったら逃げるのが普通……だと、思うのだけれど。

 もし逃げなかった場合、魔術が使えない私たちは不利だ。

 圧倒的に、危ない。

 ここは、やっぱり私たちこそが逃げるべきなのではないかしら。

 逃げて大声を上げれば、セレスタイトさまが気づいてくれる。そうなれば、相手も逃げ出してくれるかもしれない。すぐには来てくれなくても、ここにいるより安全だと思う。

 だからルナさんの服に手を伸ばして、伸ばそうとしたところで。


「見なければ真実ではなく、知らなければ現実ではなかったのにね」


 そんな声と、靴音と、ため息のような声が聞こえた。

 声がしたのは向かい側。黒衣の怪しい人の、更にその向こう側。明かりが届かないから彼の姿も見えないけれど、そこにセレスタイトさまが、あの人がいることがわかる。


「夜更かしは感心しないな、二人とも。だから見なくてもいいものを見るハメになる。知らなければいいことを知ってしまう。……そう、こんなふうにね」


 ぱちん、と指を鳴らす音が響く。

 瞬間、周囲にランプにある、あの明かりのようなものが浮かんで、部屋の中をまるで昼間のように照らし出す。何をするにも不自由ない光源の中、セレスタイトさまの姿が見える。

 その手には、遠くからでもわかるような装飾を施した、長い杖があった。


「自分で脱ぐか、僕にひん剥かれるか。どっちがいい?」


 その視線は、明かりの中で居心地悪そうにする黒い誰かに向けられている。

 光から、いいえこの場所から逃げ出そうと身じろぐような動きを見せたその人は、だけど背後をセレスタイトさまに取られていることで諦めてしまったのだろう。

 腕を上げ、外套を脱いだ。


「……え?」


 ルナさんの、小さい声が聞こえる。

 うそ、どうして、なぜ。

 首を小さく左右に振りながらつぶやくたび、その身体がぐらぐらと揺れた。

 無理もないし、私だって同じくらいふらふらしている。


 確かに彼は最初からセレスタイトさまに敵対的だったし、お姉さまのことも嫌っているようだった。私に対しても、何だか怖くて、刺すような言い方が多かったと思う。

 だけど、こういうことをする人とは思わなかった。

 こんな――ことを、するなんて。


「なんで、どうしてアンディ……」


 ルナさんの悲鳴のような声に、その人は――アンディさんは、答えなかった。

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