跪いて、手をとって
裁縫道具をさっと片付けてから出迎えると、そこには外出していたアンディさんが立っていた。その足元には、大きい荷物と小さい荷物が、丁寧に置かれている。
荷物を置く音でクゥリさまだと思っていた私は、意外な光景に一瞬ぽかんとする。
今までアンディさんが荷物を持ち込むことは、初日の時、着替えなどを持ち込んだあの時以降なかったはずだ。私の知らないところで運び込んでいた可能性は、あるとは思うけれど。
だけど普段から読書用の本ぐらいしか所持していない彼の様子を思うと、私が勘違いしてしまうほどの大荷物は、一体何がどうしたのだろうと反応に困ってしまう。
私に遅れて出てきたルナさんは、アンディさんの様子に訝しむ目を向ける。
どこか非難するような目も仕方がない、と私は思った。
そもそも、今日のアンディさんは、朝から様子がどこか妙だった。
いつもはルナさんに何か言ってから出かけるのに、今日は朝起きると何も食べず、リビングのテーブルに書き置き一つ残して外出してしまっていたのだから。
それも、今日は帰れるか帰れないかわからない、という内容。
今は余裕で『今日』の範疇だし、夕食にも充分間に合うであろう頃合い。日付が変わるまで戻れない可能性を示唆していた様子から考えると、むしろ早すぎる帰宅のように思えた。
そこに添える、この荷物。
ルナさんでなかったとしても怪しむ視線を向けるのは、ある意味で正常だった。
アンディさんはそれらを気にした様子もなく、扉を閉めると荷物を抱えなおして私――もといルナさんの前まで移動する。荷物は大きいけれど重量的にはそうでもないようだ。
足を止めた彼は、そのまま外出時には着用している外套を脱ぐ。
その下にあった装いに、ルナさんも、私も息を飲んだ。
「ルナ、これから僕の話を静かに、黙って、ひとまずは何も言わずに聞いてほしい」
そう口を開くアンディさんは、見るからに『正装』と言える衣服を身に着けている。
それが貴族などが公的な、ちゃんとした場所でのみ身につけるというものだと、さすがの私でも気づくことができた。私自身は誰かがそれを着ているところを見たことはないけれど、確か子どもの頃に、お父さまの部屋ですごく立派な服を見た覚えがある。
それぞれの家に伝わる紋章を刺繍した外套や、紋章を彫り込んだボタン。見ればどこの家のものかわかる装いで、基本的には国王主催の晩餐会だとか、貴族の結婚式に身につけるとか。
書物によると、社交界に出る年になった男子は、お抱えの仕立て屋で最初の服を作ってもらうという。できあがったそれは、成長して着れなくなっても大事に保管する。そしてその人が亡くなった時、副葬品として棺に納めると。女性の場合はドレスだけれど、他は同様だ。
確か私が最初に仕立ててもらったドレスも――社交界などには結局着ていくことはないままだったけれど、保管してあると聞いている。今はもう、処分されているかもしれないけれど。
年齢から考えても、成長に合わせてすでに何度か作り直したのだろう正装に袖を通したアンディさんは、突然のことに驚いて、ぽかんとしているルナさんの前に立つ。
「これからまだ、やることはいくらでもある。もしかすると、十年くらい待たせてしまうことになるかもしれない。いろんな、悪い言葉を投げかけられることも多いと思う、でも」
跪き、荷物を傍らに置いてからルナさんの手を取る。
ここへきて、あれ、と私は思った。私、もしかしてとても邪魔なのではないかしら。これはどう見ても二人っきりでこなすべきことなのではないかしら。
だけど逃げ出す間もなく、アンディさんは最後まで言い切ってしまう。
「どうか、僕と結婚してほしい」
時間の流れが止まったような静寂が、じわりと滲み出した。
ゆっくりと、私はアンディさんの発言内容を考える。結婚してほしい、それはつまり求婚の言葉。ついこの前まで、ルナさんとの関係を悩んでいたとは考えられない急展開だった。
当然、当事者にとってもこれは予想外にも程がある状況。
ルナさんは手を振り払うこともできない様子で、震える声を発する。
「な……なに、いって、アンディ。あたし、あたしは孤児なのに」
「僕は本気だから、そのための許しも手に入れた」
「あ、あたしまだ好きとか言ってないし、そもそもおつきあいもしてない!」
「そこは問題ない。時間をかけて惚れさせてみせよう」
「惚、れ……」
そこで耐えきれない、と言った様子で真っ赤になるルナ。彼女は横にいる私に、助けを求めるように視線を向けてくる。だけどごめんなさい、こんな時どうすればいいのか……。
ルナさんは逃げ場がないと悟ったのか、アンディさんを見つめて沈黙する。
考え込んでいるのだろう、と思う。
これからのこと、アンディさんの申し出をどう受け止めるべきか、と。
沈黙すること、少し。
「……あとで、やっぱり無理ってフっていいなら」
消えてしまいそうなくらい小さい声が、そんな言葉を並べていく。
「即答できない。あたし、まだ子どもだもの。アンディだって、子ども。だからダメになっちゃう可能性の方が高いと思う。それでもいいなら、あたしは、アンディの手を握る」
指先で優しく、アンディさんの手を握り返すルナさん。
そこからはもう、二人で真っ赤になったまま動かない時間が始まってしまった。
そんな二人に声をかけるのも何だかダメな気がして、私は足音を消すようにゆっくりとリビングの方へ戻る。なんだか見ているだけで心の中がほっこりする、そんな光景だった。
壁は多いのだろうけれど、幸せになって欲しい。
私は――私は、たぶん、ダメなのだろうから。
「帰ってくるなり求婚とは、やるじゃないか坊やのくせに」
「セレスタイトさま」
我が身のことをまた考え込みかけた時、ひょっこりと姿を見せたのはセレスタイトさまだった。確か二階のお部屋にいらっしゃったはずだけれど、騒ぎ――というほど誰も騒いではいないけれど、普段とは明らかに違うそれに気づいて降りてきたといった様子だった。
二人は降りてきたセレスタイトさまに気づいて、いそいそと外へ出かけていったらしい。
外出じゃなく、庭のどこかにいるんじゃないかな、とのこと。
「しばらくあっちには行かないようにしようか……それにしても求婚、ねぇ」
セレスタイトさまはどこか訝しむように、二人がいる方を見る。どうやってエルテ家の面々を説得したのかな、と誰に言うでもないつぶやきが、かすかに聞こえた。
「やはり、ご家族の説得は難しいものなのでしょうか」
「え? ……あぁ、そうだね、普通なら不可能だ。下級の貴族ならともかく、あの坊やは嫡男なのだから。そう考えるとよほどの後ろ盾をルナにつけた、のだろうとは思うね」
「後ろ盾?」
「そうでもないと、流石にね……ヴィオレッタにはピンと来ないだろうけど、それくらい名家と呼ばれるような貴族にとっては、結婚相手の『爵位』は大事なんだよ」
魔術師的に言うと血統かな、とセレスタイトさまは言う。
私には、よくわからない話だった。




